第46話 メイドの煩悩と聖女の子守唄

「お腹一杯になったかな?」


「くけぷっ」


 どうやら満足したらしい。子犬はポッコリお腹を上にして小さくゲップした。

 動物の表情を理解するのは難しいが、今は満ち足りた表情をしている。

 メロディの目にはそう見えた。


 子犬の様子を窺っていると分身メロディが使用人食堂へやってきた。


「お部屋の掃除終わったよ。そっちはどう……おぉ、お腹ポンポンだね」


「お腹がすいていたみたいだったから」


「それでうちに押し入ってきたのね。それならお嬢様のお部屋を荒らすんじゃなくて直接こっちに来てくれればいいのに。わざわざ二階から入ってくるなんて、どうやって来たのかしら?」


「さあ?」


 分身とはいえさすがはメロディ。

 考えることも答えを導き出せないところもまったく同じである。


「まあ、とりあえず掃除が間に合ってよかったわ。あとはこの子をどうするかね」


 二人のメロディの視線が、テーブルの上でお腹をさする子犬に向けられた。お腹が膨れたせいか瞳がトロンとしており、今にも眠ってしまいそうだ。

 こちらの考えなど知らず自由気ままな子犬の様子に、メロディ達も思わず微笑んでしまう。


「ねえ、もう部屋も綺麗になったし、後から旦那様に叱ってもらうのはもうやめにしない?」


 そう告げたのは分身メロディだ。その言葉を聞いた本体メロディは苦笑してしまう。


「まあ、そうなんだよね。実際、今更旦那様に叱ってもらったところで、この子が理解できるはずないし、意味がないといえば意味がないのよね。それに……」


 子犬の痩せ細り具合を先程目にしてしまったメロディは、どうにも子犬を叱る気が失せてしまっていた。部屋を荒らしたこと自体は悪いことだが、子犬は生きるために必死だったのだと考えると、どうしても本気で怒る気になれない。


 ……生きるために必死。確かに魔王は必死だった。今は満腹感に身を委ねてしまっているのでそんな気配はこれっぽっちもありはしないが。


 二人のメロディは子犬を許してあげることにした。さて、そうなるとこの子犬の扱いをどうしようかということになる。とりあえず、朝までこのままおいてやる分には構わないが、その後はどうしたものか……。


 屋敷から出すにしても、そのまま貴族街に放り出してしまっては今夜の二の舞になりかねないし、こんな子犬が街を出て一匹で生きていけるとも思えない。


 かといって、ご奉仕するメイドの分際で子犬を飼わせてほしいと頼むのもやはりどうかと思うし……妙案が浮かばずうんうんとうなるメロディ達だったが、分身メロディがふとあることに気が付いた。


「ねえ、今思ったんだけど……」


「何?」


「……子犬と戯れるお嬢様と、それを微笑ましげに見つめるメイドって……どう思う?」


「………………――っ!?」



 メロディの思考が、想像の世界へと旅立っていった。



『さあ、この小枝を取ってくるのよ、ジョン(仮名)!』


『ワオン!』


『お嬢様、はしたのうございますよ』


『仕方ないわよ、メロディ。だって、私のジョン(仮名)はこんなに可愛いんですもの』


『キャウン♪』


『まあ、お嬢様、そんなに抱き着いてはドレスに毛がついて、ああ、抱きしめすぎですよ、お嬢様。ジョン(仮名)が苦しそうです』


『クキュキュ……』


『きゃっ、ごめんね、ジョン(仮名)! 大丈夫!?』


『キュワン! ペロペロペロ』


『やだ、ジョン(仮名)ったら。いきなり顔を舐めるなんて。あははは、くすぐったいわ』


『もう、お嬢様もジョン(仮名)もはしたないですよ。さ、水を用意してありますので手を洗いましょう。そろそろお茶の時間です』


『さすがメロディね! テラスに行きましょう、ジョン(仮名)! どっちが速いか競争よ!』


『ワオン!』


『もう! お二人ともはしたないと何度も言わせないでくださいませ!』



 無邪気に戯れる子犬とルシアナお嬢様。そして、二人を諫めつつもその状況をメイドとして楽しんでいる自分の姿を想像し……メロディは恍惚の表情を浮かべた。


「ねえ、どうかな?」


「……素敵」


「やっぱりそう思うよね! うん、私もそう思ったの!」


 当然である。人はそれを自問自答という。

 見た目二人に見えても、そこにいるのはメロディただ一人。

 今の想像に至った時点で答えなど決まっていたのだ。


 メイドジャンキーはメイドとしての煩悩には決して勝てないのである。


 というわけで、無理やり口実を作り上げた二人のメロディは早速行動を開始した。


「それじゃあ、この子は一晩こちらで預かるとして、旦那様方には明日の朝食……といっても起きるのは少し遅くなるだろうからブランチのタイミングでお願いしてみましょう」


「それならこの子の寝床が必要ね。何か探してくるわ」


「お願い。私はこの子を寝かしつけておくわ。本当にそろそろみんな帰ってくるだろうし」


「分かった。じゃ、ちょっと行ってきます」


 分身メロディは足早に使用人食堂を後にした。

 そして本体メロディは、椅子に腰かけテーブルの上から子犬をそっと抱き上げた。

 トロンとした瞳と視線が重なり、メロディは聖母のような微笑みを浮かべる。

 子犬を膝に置くと、メロディは子犬の背中を優しく撫でてやった。


(満腹で既に眠そうにしているし、人肌で温めてやればすぐに眠くなるでしょう……)


 メロディは子犬を撫でながら、子守唄を歌った。


(まさか乳母ナニーの仕事を子犬相手にすることになるとは。まあ、実際には乳母なんてやったことがないわけだし、練習だと思って本気でやろうっと)


 メロディの天使のような歌声が食堂を優しく包み込む。


 深夜であることを考慮し、食堂の外へ声が広がらないように声量に気を付けながら、それでいて食堂にいる者の耳にははっきりと、なおかつ耳に心地よい滑らかな声音が届くように。


 健やかな眠りを、安らぎを与える眠りを、素敵な夢が見れる眠りを得られるように祈りを込めながら、母セレナからもらった子守唄を奏でていく。


 それに応えるように、子犬の落ちかけていた瞼が一層下がりだした。

 やがて全身から力が抜けていき、あとはほんの少し、瞼の力を抜いてしまえば深い眠りに……というところで、なぜか子犬はパチリと目を開けた。


(あれ?)


 メロディの膝の上で、再び子犬の全身に力が入る。

 想定外の行動に若干戸惑うメロディだったが、子守唄をやめることはせず、もう一度最初からやり直した。

 そうすると再び子犬はトロンと瞼を落とし、全身から力が抜けていき、そして――。


 パチクリ。子犬はまたしても目を開けた。


(どうしたんだろう? 眠りそうになる瞬間に驚いたように目が覚めるみたい……もしかすると眠るのが怖いとか? ずっと空腹だったわけだし、生活環境がよくなかったのかも)


 眠っている間に外で外敵に襲われた経験でもあるのかもしれない。それがトラウマになって睡眠を無意識に拒絶してしまっているのだろうか。メロディはそんな風に考えた。


(……でも、ずっと起きていることなんてできるわけがないし、何より空腹で弱っていたんなら、よく眠って体を休ませなくちゃダメだよ。仕方がない、ここは少し魔法に頼ろう)


 一旦食堂が静まり返り、メロディの心の中で魔法の呪文が紡がれる。


(歌声に安らぎを添えて。『よき夢をファインベルソーゴ』)


 そして、聖なる歌声が空気に溶け出した。


(こ、根性おおおおおおおお! 眠るな私! 眠ったら封印が――)


 魔法の発動と同時に、魔王の意識はプツリと途切れてしまった……。

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