第39話 悲劇の少女
闘いの後、クリストファーは王太子として迅速に事後処理を開始した。
まずは、問答無用でビュークを捕縛しようとした衛兵達を止めた。
とりあえず医師に診察させ、スヴェンに魔封じを掛けてもらったうえで、離れの個室に閉じ込めておくよう命じる。
ビュークの事情を知らない衛兵達は猛反発したが、クリストファーの「これほどの事件を起こした張本人が死んだらどうする! 事情を聞けないだろう!」という一喝でどうにか収まった。
会場から一時避難した貴族達には、事態が終息した旨を連絡して今日のところは帰るよう指示を出す。詳しい話は後日だ。現場は混乱していて何かを伝えられる状況にないのだから。
ただし避難した貴族の中で王城に務める者には事後処理を手伝うよう命じた。宰相も、宰相補佐のレギンバース伯爵も例外ではない。というかこの二人は率先して事後処理にあたった。
唯一例外となったのは、一人娘が襲撃に巻き込まれたヒューズ・ルトルバーグ伯爵のみだ。
ルシアナの意識は未だ戻らなかったため医師に診察させ、大事を取って今夜は王城の一室で休ませることとなった。ルトルバーグ夫妻も同室に泊まり、ルシアナを看病するらしい。
目立つところではそのあたりだが細々と指示を飛ばし、滞りなく事後処理は進んでいった。
……その傍らで、息子が優秀過ぎて空気と化していた王国の最高責任者――別名国王陛下――が寂しげに佇んでいらっしゃったのだが……まあ、余談である。
「……うん、楽ができていいよね……いいことだ。将来が楽しみだね……」
そんな呟きがあったとかなかったとか……優秀な息子を持つのも大変である。
ファイト、陛下!
◆◆◆
そんなわけで時刻は丑三つ時。所謂午前二時くらい。例の事件から既に二時間が経過していた。
「うへぇ、疲れたー」
どうにか事後処理も目途が立ち、自室に戻ったクリストファーはベッドに向かって思い切り倒れ込んだ。ゲームのシナリオのこともあって朝からずっと緊張しっぱなしだったのだ。そこに来て予想の斜め上をいく襲撃まで重なり、クリストファーは身も心も満身創痍と言って間違いなかった。
眠れるものならもう眠ってしまいたい……だが、まだそれはできないのだ。
「おつかれー」
なにせ、今この場にはアンネマリーがいるのだから。
一級品のソファーに深く腰掛け、温かいハーブティーで優雅にのどを潤すアンネマリーへクリストファーの恨みがましい視線が突き刺さるのだが、彼女は気にも留めていない。
「……お前さ、隠し通路使って来るにしても、せめて俺が部屋にいる時だけにしてくれない?」
「ああ、ごめんなさい。女性に見せられないいかがわしい本とか隠さないといけないものね」
「ね、ねえし! あるわけないし! バッカじゃねえの!?」
ちなみに、本当にない。乙女ゲーム世界に成人男性向け雑誌など存在しないのである……なんという悲劇。
ではなく、中世ヨーロッパよりの文化水準であるこの世界ではまだ本の普及率も低く、思春期男子がドキドキするような本は作られてすらいないのである……なんという悲劇!
もちろんアンネマリーはその事実を知ったうえで
「ま、不在時に勝手に部屋に入っていたことについては一応謝っておくわ」
「そうだぞ、そんなのサイテーだぞ」
「……直接訪ねてほしかったっていうならそうしてもいいのよ? 誰もが眠るこんな深夜に、殿方の部屋へ淑女が訪れていいものならね……一応言っとくけど、どう見積もっても婚姻確定ね」
「サイテーなんて言ってすいませんしたあああああ! ご配慮に感謝いたします!」
「……同感だけど、なんかイラつくわね」
ベッドの上で誠心誠意土下座するクリストファーに、アンネマリーはため息をつくのだった。
闘いの後、アンネマリーはずっとルシアナに付き添っていた。なんだかんだで、幼い頃から慣れ親しんだ勝手知ったる王城である。客間の準備や使用人の手配、医師の診察への立ち合いなど、甲斐甲斐しく世話を焼き、ルトルバーグ夫妻からも礼を言われたほどである。
当然だが、ルトルバーグ夫妻へはクリストファーから感謝の言葉が伝えられている。ルシアナがあのような目に遭ったのは彼を庇ったせいなのだから。むしろ命の恩人である。
後日改めて礼をすると伝えると夫妻は恐縮していたが、この国にとって王太子クリストファーの命を守ったという事実は本当に大きな功績なのだ。誰も文句はないだろう。
「とりあえず、医師の診断でもルシアナちゃんは無傷ね。明日には目が覚めるだろうとのことよ」
「いや、それ、おかしくね?」
ルシアナは魔王の一撃が直撃したのだ。そのうえあの剣撃は衝撃波まで発生させ、彼女もそれに吹き飛ばされていた。
……だというのにその結果が無傷? 少々どころか大いにおかしい。
「ルトルバーグ夫妻に心当たりはないのか?」
「聞いてみたけど知らないって。……まだ聞くには早かったかもね。ルシアナちゃんがあんな目に遭ってかなり狼狽してたから。私の質問に答える時も平静を保てないのか相当動揺してたもの」
「そうか。そりゃあ、娘が剣で斬られるシーンなんて見せられたら冷静でなんていられないよな。しょうがない、あとは本人が目を覚ました時にでも確認してみるか。一応聞くが、聖女関連ってことはないんだよな?」
「……どうかしら? でも、少なくともルシアナちゃんが聖女ってことは多分ないわ。見たところ彼女の魔力は大したことないし。聖女って、覚醒するまでは魔法が使えないけど魔力だけはたっぷりあるって設定だから」
「だよなー」
結局『何も分からない』という結論に達した。もはやシナリオから外れた展開が進み過ぎて何が正しくて何が間違っているのかも全く判断がつかない。
二つの嘆息が部屋に零れ落ちた。九年間乙女ゲーム対策のためにいろいろ頑張ってきたというのに……ヒロインは現れない、魔王の襲撃がシナリオ通りでない、そのうえ襲撃戦の結果は勝ったのか負けたのかもよく分からない、と空回りしまくりで、ため息がでても仕方がない現状であった。
「……あ、そういえばルトルバーグ夫妻から使用人を一人呼んでもいいかって聞かれたから許可しておいたわよ。こっちで何人かメイドを用意したけど、慣れ親しんだ者がそばにいた方が心強いでしょうから。ただ、外に出せる人員が夫妻のそばにいないってことだったから王城の使用人に呼びに行くよう頼んだけど、構わなかったわよね?」
「そっちは俺の領分じゃないが、別に問題ないだろ。それにしても、絶対に必要というわけじゃねえが、付き添いの使用人もいないのか。確か『貧乏貴族』って呼ばれてたんだっけ?」
「ええ、使用人は屋敷にいるメイド一人だけらしいわ。だというのに、よくもあれだけルシアナちゃんを美しく飾れたものだと逆に感心したわ。夫妻の方もビシッっと決まってたしね」
「『貧乏貴族』なんて呼ばれてた割にかなり高級そうなドレスだったよな。そのうえ本人も美人でエスコートがマクスウェルときたもんだ。掴みはオッケーで、さらにあの妖精を思わせるダンス。今年の大注目株になっても仕方ないってもんだよな」
「……そうね」
うんうんと頷くクリストファーを前に、アンネマリーは何か引っかかるものを感じた。
(何かしら、この違和感……注目株……注目株?)
そこでようやく違和感の正体に気が付いた。
そう、おかしいのはルシアナ・ルトルバーグだ。
(そうよ、そうだわ。あの舞踏会にあんな綺麗で可愛い子が現れるならゲームの主要キャラとして登場していなくちゃおかしいじゃない! でも私、あんな子、ゲームで見てない。モブとしてすら見た覚えがない。ルシアナ・ルトルバーグ……名前だけは聞き覚えがある……いつ、どこで?)
アンネマリーの思考がグルグルと回り続ける。
記憶の中に答えがあるはずなのに、どうしてもそれを見つけられない。
ルシアナ・ルトルバーグ……『貧乏貴族』……妖精姫……。
「それにしても、原因不明は気になるところだが、ルシアナちゃんが無事で本当によかったよ。あれだけ周りから注目されて、明るい未来が待ってるって時に俺を庇って死んだりなんかされたら、悲劇以外のなにものでもないからな。いやー、ホントよかった」
カシャパリンッ。
「うおっ!? 何やってんだよアンネ。おい、大丈夫か?」
アンネマリーのティーカップが、彼女の指をすり抜けて床に落下した。中身は床に零れ、ティーカップの破片が飛び散る。
彼女のドレスの裾にもいくらかしぶきが飛んでしまったが、アンネマリーはそれどころではないのか大きく目を見開いて虚空を見つめていた。
「ア、アンネ? ど、どうした?」
「……思い出した」
「は? 何を……」
「思い出したのよ!」
アンネマリーは大声を上げて唐突に立ち上がった。
「なんで忘れてたの!? どうして気づかなかったの!? 『貧乏貴族』ルシアナ・ルトルバーグ。それってつまり……『嫉妬の魔女』ルシアナのことじゃない!」
「嫉妬の、魔女……? なんだそれ?」
「忘れてた、忘れてたのよ! なんで今まで忘れてたの、私!? だってゲームのスチルと全然容姿が違ったんだもの! でも、今よりも髪がくすんで、瞳からハイライトを抜いて、もっと睨みをきかせて、頬を青白くげっそりさせて……て、そんなの想像できるか!」
アンネマリーが一人ノリツッコミをしている。
クリストファーはそれを呆然と眺めていた。
「えーと、要するにどういうことなんだ? ルシアナちゃんが、何だって?」
「……シナリオでは、ルシアナちゃんは舞踏会の後、学園で初めて登場するの……ヒロインの前に立ちはだかった第一の刺客。魔王に魅入られ、そしてヒロインに返り討ちにされると用済みとばかりにあっさり魔王に殺されてしまう悲劇の少女。それが『嫉妬の魔女』ルシアナなのよ」
「……殺される? ……ルシアナちゃんが?」
目を丸くして問い掛けるクリストファー。
アンネマリーは苦虫を噛み潰したような顔で、ゆっくりと首肯した。
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