第35話 聖女の魔力

 クリストファーとビュークが睨み合う中、アンネマリーはルシアナの元へ走った。彼女はかなり飛ばされたようで、結界の端のあたりに仰向けに倒れていた。手に握る短杖に力が籠る。


 ルシアナは魔王を宿す剣で斬られたうえに、勢いよく吹き飛ばされたのだ。

 怪我を見なくとも重症であることは明白。

 最悪の場合、既に……。


(そんな時に放心して時間を無駄にするなんて! 私のバカバカバカッ! ごめんなさいルシアナちゃん! 絶対、絶対助けてみせるから!)


 ゲームにおいて悪役令嬢アンネマリー・ヴィクティリウムは無力なくせに傲慢という、いかにも当て馬のようなキャラクターとして描かれている。

 舞踏会でビュークが襲撃してきた時も、ただただ状況を理解できず、怯えて、喚いて、泣くだけで何の役にも立たなかった。


 そうして事件が終わった後でヒロインにこう告げるのだ。


『少し目立ったからっていい気にならないことね。私だって、やろうと思えばできたんだから!』


 アンネマリーは今どきのシナリオにしては古典的な空気の読めないおバカ悪役令嬢だった。


(でも、私が生まれ変わったからにはそんなアンネマリーでいるつもりはないわ! ヒロインばかりに大変な役目を押し付けるつもりもないし、私にだって幸せになる権利くらいあるんだから!)


 六歳で前世の記憶を取り戻したアンネマリーは、同じ境遇のクリストファーとともに魔王に対抗するための方策を考えた。

 商業ギルドを支援することで国家の経済力と情報力を強化し、国営交通網を展開することで人材の流動性を向上させた。まだ完全ではないが街道整備も進んでおり、いざという時に戦力を王都へ集中させるためのインフラ整備も行っている。


 当時六歳の少年少女が計画し、九年間で形にしてみせただけでも御の字だろう。

 そして、彼ら自身も魔王に対抗するための力をつけるべく鍛錬に励んだ。


 攻略対象者筆頭たるクリストファーには、剣にしろ魔法にしろ十分な才能があった。

 だが、当て馬悪役令嬢アンネマリーはよくて平凡。

 魔力も貴族としては及第点だが凡庸の域を出ない。

 だからこそ彼女はクリストファー以上に真剣に学んだ。


 特に魔法を重点的に研究した。身体能力はいくら鍛えても限界がある。

 だが魔法なら、たとえ魔力が平均程度しかなかったとしても……元日本人としての知識を活かせばきっと優位に立てるはず。

 そうして彼女はいくつもの魔法を開発していった。


 先程の『限定転移ドローイング』やクリストファーが使った『錬成術アルケミー』も彼女が開発したものだ。


 そして魔王と戦う以上、絶対に必要になる魔法がある。それはこの世界にはない魔法だった。


(絶対、絶対に助けるから! 私が開発した『治療魔法』で!)


 回復でも治癒でもなく、『治療』魔法である。


 魔王と戦うというのに『銀の聖女と五つの誓い』の世界には傷を癒す魔法は存在しないのだ。回復手段はゲームアイテムの『治療薬』とかいう、現実では意味不明なアイテムのみ。


 実は聖女の穢れを払う力に副次的に傷や病気を癒す効果があることがゲームの後半で明らかになったりもするのだが、意外と魔力の消費も大きく、ゲームならともかく現実で行使するには少々リスクが大きかった。


 当然、ゲームを熟知していたアンネマリーはそのことを知っており、最初に開発すべき魔法として研究を進めていた。


 その結果分かったことは、聖女のような所謂ゲーム的な回復魔法は行使不可能ということだ。魔法を掛けるだけでみるみるうちに傷が治るような現象は、想像するだけでは発動できず、アンネマリーにも原理を理解できないため聖女のような回復は再現できなかった。


 だからアンネマリーは発想を変えた。


(最初にすべきは無菌空間の形成。そして患部のスキャンと消毒。派手に転んでいたから傷口に小石やらなんやら入っているかも。摘出しないと。あ、その前に痛みを緩和する魔法をしなきゃ!)


 怪我が治る魔法ではなく、怪我を治療するための補助の魔法を開発したのだ。


 中世、近世の技術レベルのこの世界において、医療技術は現代日本からすれば発展途上もいいところだ。魔法のような治療は不可能でも、日本の医療レベルを再現できるだけでも医療行為としては魔法レベルといって差し支えない。


 それが、アンネマリーの開発した『治療魔法』である。


 先程、クリストファーは結界内にルシアナが残ったことを舌打ちしたが、むしろアンネマリーがいる結界内にいたことの方が幸運だったかもしれない。

 誰も理解できないだろうが、今この場において彼女を上回る医療行為者はいないのだから。


 ルシアナのもとに辿り着くと、アンネマリーは即座に魔法を発動させた。


「治療魔法『無菌室クリーンルーム』」


 やり方は地球の無菌室の作り方と変わらない。魔法で形成したフィルターを通して空気を循環させることで二人のいるごく狭い空間を無菌状態にしているのだ。


「ルシアナさん、大丈夫!?」


 声を掛けるが返事はない。完全に意識がないらしい。

 無理もない。だが、顔色は思ったより悪くない。大分出血したはずだから、もっと青白いかと思ったのだが……そこでルシアナは気づく。


(……流れているはずの血は、どこ?)


 あたりを見るが、地面のどこにも血の跡が見当たらなかった。魔王に斬られて吹き飛ばされ、ゴロゴロとここまで転がったにもかかわらず、一滴も血が見当たらない?

 出血がないのなら顔色が悪くないのも頷けるが、それこそ意味が分からない。

 アンネマリーはルシアナをうつ伏せに転がした。

 そして唖然とする……。


(怪我は……どこ?)


 ルシアナの背中は、無傷だった。それどころか、あれだけ派手に吹き飛ばされて転げ回ったというのに、擦り傷も切り傷も、打撲の跡も何もない。

 そこにあるのは美しい玉の肌があるのみ。

 よく見れば彼女のドレス、背中こそ剣撃の威力で弾け飛んでいるが他の部分には傷どころか汚れすら見当たらない。

 何度も言うがあれだけ派手に転げ回ったのに、ドレスにはホコリ一つない。


 意味不明な状況にアンネマリーは混乱したが、ルシアナの診断だけはどうにか行った。

 呼吸を確かめ、脈を測り、心音を聞く。どれもやや反応が弱いが、意識がないことを考えれば許容範囲内。体温も正常。魔法で体内をスキャンする。簡易版CTスキャンだ。魔法で代用しているため放射線被爆の心配が不要という優れものである。


「……どこも異常なし……なんで?」


 怪我がなかったことは本当によかったが、その理由が分からない。

 一体何がどうなって……。


「「ルシアナ!」」


 泣き叫ぶような男女の声が近づいた。

 結界の外からルトルバーグ夫妻が駆け寄ったのだ。


「ルシアナ、ルシアナ!」


「いや、いやよルシアナ! お母様を置いていかないで!」


 避難を始めた参加者達の間を掻い潜ってここまで来たようだ。二人はルシアナのもとへ行こうと結界に体当たりを何度もしている。


 ルシアナの両親は残念ながら魔法の才能には恵まれなかったため、結界を攻撃する手段がなかった。彼らにできることは、無理だと分かっていっても結界にぶつかり続けることくらいだ。


「ルシアナのご両親ですね。彼女は無事です。命に別状はありません。安心してください!」


「ほ、本当ですか!? よかった、本当によかった!」


「ああ、ルシアナ! ……ありがとう、メロディ」


 ポロポロと涙を流して喜び合う二人。母マリアンナなど泣き崩れてしまい、最後の方は何と言ったのかも聞き取れないほどだ。

 だが、そこに水を差す者の声がひとつ。


「……小娘が生きているとは、驚きだ。殺した……つもり、だったのに。……まあ、いい。どうせ後で全員、殺すのだから……もう一度斬れば、いいだろう」


 アンネマリーの声が聞こえていたのか、ビュークがつまらなさそうに呟いた。クリストファーとビュークは剣を突き付け合いながら、睨み合ったまままだどちらも動いていない。


「……なんですって。ふざけんじゃないわよ!」


 怒りを爆発させたのはアンネマリーだ。


 自分があの光景にどれだけ驚き、焦り、怯えたことか。ルシアナとて意識を刈り取られるほどの攻撃を受けてどれほど痛かったことか。

 無傷の理由は不明だが、そんなことよりも目の前で人の命を何とも思わないビューク、いや魔王に怒りを抑えることなどできなかった。

 たとえ効果がなかったとしても、攻撃せずにはいられないほどに。


「魔力よ、収束し星を象れ! 流星よ、敵を打ち砕け!『流星撃シューティングスター』!」


 銀の短杖を通して魔法を形成することで、アンネマリーの魔法は魔王の弱点となる銀の気配を帯びていく。

 発動させたのは、一切の属性を持たない言わば魔力弾である。

 流星のイメージを付与することで威力と速度を強化しているのだ。


 魔王には弱点となる属性が存在しない。つまり、魔力を火や風に変換するコストに意味はないのだ。そのためアンネマリーは一番単純にして簡単な魔法に可能な限り攻撃力を与えた。


 今の彼女にできる対魔王用の最大攻撃魔法。

 だがそれも、せめて直撃でもしない限りダメージにはならない。

 それでも、この怒りをぶつけないわけにはいかなかった。


 結界の外で泣く、彼女の両親のためにも。


 案の定、アンネマリーの放った魔法はビュークの持つ黒剣で軽々と受け止められてしまった。分かっていても、歯を食いしばらずにはいられない。

 ……やはり戦術が必要だ。


「……魔法の選択は悪くない。銀の武器を持っていることも、上々。随分と、昔のことだから、人間のことだ……とっくに忘れ去られたと、思っていた……が、そうでもないらしい」


(とっくに忘れてたよ!)


 クリストファーが内心でツッコんだ。彼らが対処できたのはあくまで転生者だからであり、この国の人間に魔王の存在を知っている者はいなかった。


 ビュークが改めて剣を構える。


「だが……どんな魔法を選んでも……銀の武器を用意しても……無駄なこと。弱者は、死ぬだけ」


(……来るか)


 戦意を露わにしたビュークの気配に、クリストファーも自然と臨戦態勢に入る。

 それに伴うようにマクスウェルも魔法の準備に入った。



 一瞬の静寂。誰もが『今』と思ったその時だった――。



 ピキ、ピキキキ、ピキィ!



 甲高い金属の亀裂音が結界内に響いた。


「――っ!?」



 驚愕に目を見開いたのはその場にいた全員だったが、誰よりも驚いたのはアンネマリーだ。


「……うそ」


 アンネマリーが魔法をぶつけたところから、ビュークの黒剣の刀身に大きな亀裂が走った。


(何だこれは!? ありえない、あの程度の魔法で亀裂など、ありえない! ……まさか!?)


 ビュークのうちに潜んでいた剣の主、魔王が慌てふためく。

 魔王はあるミスを犯していた。

 ビュークの心を奪い、彼を操るにあたって封印の解けていない魔王は自身の感覚をビュークに合わせなければならなかった。だが、ビュークの五感では捉えられないものがあったのだ。


 魔王は急いで剣に感覚を戻し、現状を把握する。

 そして、驚愕に剣を振るわせた。


(私の剣が、依り代が……大いなる銀の魔力に侵されている!? これは聖女の、覚醒した聖女の魔力! そんな、まさか……聖女がここにいるのか!?)



 だが、見回してもこの場に聖女の姿はなかった。

 しかし、剣には間違いなく聖女の力がこびりついて、魔王の力を削り続けていたのだった。

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