第33話 シリアスは突然に

「はじめまして、ルシアナ・ルトルバーグ伯爵令嬢。わたくしの名前はアンネマリー・ヴィクティリウム。今宵の舞踏会一番の輝き『妖精姫』にお会いできて本当に嬉しいわ」


「あ、えっと、あの……わ、私もお会いできて光栄です。ルシアナ・ルトルバーグと申します」


 緊張しているが、体で覚えたカーテシーは乱れることを知らない。

 洗練された仕草に、アンネマリーは満足そうに頷いた。最初挨拶で噛んでしまったが、無礼には思われなかったようだ。

 小さく安堵の息が漏れる。だが、ルシアナの緊張はまだ終わらない。


「君が先にするなんてずるいじゃないか。私も挨拶させてくれないかい?」


「まあ、殿下が早くいらっしゃらないからでしょう。私のせいにしないでくださいませ」


 ルシアナの肩に力が入る。アンネマリーの後ろから、王太子クリストファーが現れたのだ。クリストファーはマクスウェルにも負けない、女性を虜にする笑顔をルシアナに振りまいた。


「はじめまして、ルシアナ嬢。私はクリストファーだ。僭越ながらこの国の王太子なんて面倒な役についているよ。マクスウェルとは幼馴染で親友だ。仲良くしてくれると嬉しいな」


「は、はひぃいいい! よ、よよよろしくお願いいたしますっ!」


 言葉遣いはともかく、カーテシーは大変美しい。マクスウェルでさえ侯爵家という緊張しっぱなしの家柄だというのに、初めての舞踏会で王族と面識を持つことになるなど誰が想像できようか。


「ルシアナ嬢、そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。二人は見た目よりも気さくな方々です」


「まあ、酷い言い方。わたくし、そんなにお高くとまっていませんわよ?」


 お互い冗談なのだろう。雰囲気は柔らかく、ルシアナもようやく息をつくことができた。

 クリストファーに誘われて、四人は王族の休憩エリアに腰を下ろす。しばしの歓談だ。そしてそうなれば、どうしたって彼女のことも話題になる。


「そういえばルシアナさん。あなた、『同性カップルダンス』で天使と踊ったと皆が言っていたのだけど、どなたのことなの? 私、それらしい方とはお会いしていないのよね」


「私も知りたいな。誰に聞いてもどこの誰なのか知らないそうだ。大変な美少女だったらしいね」


 どうやらルシアナとメロディが躍っていた時、二人は席を外していたらしい。


「ああ、メ……セシリア嬢のことですね。彼女だったら……」


「「セシリアだって(ですって)!?」」


 突然二人が立ち上がった。これにはルシアナとマクスウェルも目を丸くする。少なくともこのような公の場で冷静さを失う二人ではないのに。


「ルシアナさん、そのセシリアさんはどちらにいらっしゃるの!?」


「どのような容姿だ!? 出身は!? 家名は!?」


 迫る二人に思わず身を反らすルシアナ。

 とりあえず、質問に答えなければ。


「えっと、セシリア嬢は、その……もう帰りました。あと、金髪の子で……」


「「帰った!? どうして!? ……金髪?」」


 興奮する二人が目を点にして固まった。

 ルシアナはコクコクと何度も頷いて、二人にセシリアのことを説明する。

 といっても、メロディが考えた設定をだが……。


 すると、二人はガクリと項垂れてしまった。


「二人とも一体どうしたんだい?」


「いや、すまない。話を聞けば聞くほど美少女だったから、会えなかったことが悔しくて……」


 アンネマリーも同意見なのか深く頷いた。


(このタイミングで現れたセシリア。でも金髪。でもエスコートしたのはシナリオ通りレクト様。でもレクト様の使用人の遠縁。確か、セシリアの親族はレギンバース伯爵家だけのはず。それにもう帰っちゃったっていうし……あなたは誰なの?)


 当然だが、この場で答えなどでるはずもなかった。

 ゲームのシナリオが始まってから、全くその通りに事が進まないこの状況にアンネマリーは混乱するばかりである。


 とはいえ、彼女も侯爵令嬢歴十五年。人知れず息を吐くと、平静を取り戻す。


(どのみちもう帰ってしまったのでは今夜は当てにできないわ。とりあえず可能性のある人物が現れたことを僥倖と思わなくちゃ。セシリア嬢を調べるのは今夜を乗り切ってからね)


 最初にアンネマリーが立ち直ると、それにクリストファーも続く。二人は一旦セシリアのことは忘れ、目の前のルシアナとマクスウェルを優先させることにした。


 その後、ルシアナはクリストファーと、アンネマリーはマクスウェルとダンスをして、やはり会場を魅了した。ダンスが終わると、今度は四人で会場内を歩き回る。

 聞けば、ルシアナはずっと領地住まいだったため、王都には知り合いらしい知り合いもいないらしい。少々注目を集め過ぎている彼女だ。少しでも既知の者が必要である。


 クリストファー、アンネマリー、マクスウェルに連れられて、彼らの友人達に紹介されるルシアナ。まずはマクスウェルと同学年の先輩達に、そしてクリストファーやアンネマリーの友人達を紹介され、ルシアナは恐縮するばかりである。


 だが、紹介された者達は嬉しい限りだ。注目の妖精姫が目の前に現れたのだから。


 中には多少、悪意を持つ者がいたのは仕方がないことだ。要注意人物のことは記憶しておいて、学園では気をつけようと決意するルシアナだった。



◆◆◆



「今夜はいろいろと本当にありがとうございました」


「いいえ、わたくし達もとても楽しかったわ」


「アンネマリーの言う通りだ。学園でも仲良くしてくれると嬉しいな」


「はい!」


「いいですね、三人とも。私も一学年からやり直そうかな」


「あら、宰相様が許可なさるなら、してもいいですわよ」


 肩を竦めてみせるマクスウェルに、三人はクスクスと笑った。


 気が付けば閉会の時間が迫っていた。

 ルシアナも最初は緊張していたが、マクスウェルの言う通り見た目よりも気さくな人達だったおかげで、すぐに打ち解けることができた。

 あとは国王が閉会の挨拶をして終わりである。その時にはクリストファー達は国王のそばにいなければならないため、今が最後の挨拶の時間だった。


「ふふ、メロディにたくさん話すことができちゃった」


「メロディ? まあ、どなたのこと?」


「あ、違うんです。うちで働いているメイドの子で。同い年だから話も合うんです」


「ふふふ。メイドと仲がいいなんて素敵ね。そういう子は大切にね。なかなか出会えないものよ」


「はい!」


 ルシアナが満面の笑みを浮かべ、アンネマリーはあることに気が付いた。


(あら、今日一番の笑顔……マクスウェルも大変ね)


 アンネマリーの視線がマクスウェルと重なる。彼は苦笑を浮かべていた。どうやら既にご承知の様子。まあ、分かっているならあえて口にはすまい。

 目と目で語り合う二人を余所に、クリストファーが一歩前に出るとルシアナの手を取った。


 そして――。


「ルシアナ嬢、今夜は本当に楽しかった。明日からもよろしく」


 ――ルシアナの右手にその唇をそっと重ねた。


 ルシアナが目を見開く。

 それに気づいたアンネマリーとマクスウェルは少々ムッとした顔になった。


(ホントにこいつは、油断も隙もあったもんじゃないわ。あとでお仕置きしてやる……それにしても結局現れなかったわね、ビューク・キッシェル。シナリオ通りに進んでいない現状、やはり彼も現れないのかしら?)


 例の窓に目をやるが、やはりそこは何事もなく静かだった。


 ルシアナと舞踏会を楽しんでいる間も、アンネマリーは周囲の警戒を怠りはしなかった。だが、閉会の時間となっても彼が姿を見せる様子はない。


(こうなるといろいろ計画の見直しが必要だわ。それも後で相談しないと……て、いい加減手を離しなさいよね! ルシアナちゃんが驚いて――て、ルシアナちゃん、何を……えっ!?)


 クリストファーに右手を口付けされたルシアナは目を見開いた。

 だが、彼女が驚いた理由はそれではなかった。


(な、何なのこの光は!? ペンダントが!)


 ルシアナのペンダント。悪意の視線に反応するペンダントが、今までとは比べ物にならないくらいの光を放ったのである。あまりの輝きに、ルシアナは反射的に光を追った。




 ルシアナは……天井を見上げ、そしてそれを見た。




 ボロ切れを纏った少年が、漆黒の剣を振り上げながら天井から飛び降りる姿を。


 ペンダントの光は少年を指し示していた。狙いは……私じゃない!


「危ない!」


 ルシアナは反射的に眼前のクリストファーを突き飛ばした。


 突然のことに驚くクリストファーだったが、次の瞬間、信じられない光景を目にする。


 突如上から落ちてきた男に、ルシアナが背中から切りつけられたのだ。

 その一撃があまりに重かったのか、ルシアナのドレスが背中から弾け飛ぶ。


 同時に、激しい衝撃波が生まれ、近くにいた者達は吹き飛ばされてしまった。耐えられたのはクリストファー、マクスウェル、アンネマリーの三人だけだ。


 男に斬られたルシアナは衝撃で弾き飛ばされ、ゴロゴロと転がりながら地面に仰向けになって倒れ伏した。


 ……瞳を閉じたまま、ピクリとも動かない。



「ルシアナアアアアアアアアアアアアアアアア!」



 それは誰の声だったのか。会場に絶叫が響いた。

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