第32話 マクスウェルさん、妖精の手を取る
「お待たせしてしまい申し訳ございません」
「いえいえ、お気になさらず。では参りましょうか。私の友人にあなたを紹介しましょう」
「は、はい」
やや俯き加減にルシアナはマクスウェルの手を取った。
メロディと別れたルシアナは、すぐさま休憩エリアへ向かった。
マクスウェルがどこにいるかなど今日初めて会ったルシアナに分かるはずもなく、二人が認識している共通の場所といえばそこしか思い浮かばなかったのである。
かくして、休憩エリアにマクスウェルはいたわけだ。
「そういえば、ダンスのお相手をした天使様はご一緒ではないのですか?」
「天使様……? ああ、彼女なら……あ、あそこです」
ルシアナが指差した先には、メロディとレクトの姿があった。レギンバース伯爵に挨拶をしているようだ。
「元々あまり長居はしない予定だったみたいです。もう帰るそうですよ」
「それは残念です。一度ダンスをご一緒していただきたかったのですが」
「まあ、隣に私がいるのにそんなことを仰るなんて」
パートナーがいる前で堂々とそんなセリフを言うとは何事か。
ましてメロディと踊りたいなどとよくも私の前で言ってくれたわね――と、ルシアナがやや膨れっ面でマクスウェルに視線を向けると、彼は口元を押さえながら肩を震わせていた。
(な、何? なんでこの人笑っているの? なんで……あ)
ルシアナは思い出した。最初に隣にいたパートナーをほっぽりだして天使をダンスに誘ったのが誰であるのかを。
ルシアナのセリフは完全にブーメランであった。思わず顔が赤く染まる。
「ふふふ、すみません。少々、冗談が過ぎましたね。なに、誰だってあのような美しい方が現れてはダンスに誘いたくなるものです。まして、今夜のあなたは舞踏会の妖精だ。目の前の天使の手を取らずにはいられませんよ」
「……妖精?」
「おや、聞いていませんか? 今夜の話題はあなたと天使様です。先程のダンスも素晴らしいものでした。私も踊りながら思わず見惚れてしまい、何度ステップを踏み間違えそうになったことか。会場ではあなたのことを皆『妖精姫』と呼んで褒め称えていますよ」
「なっ!?」
今夜のメロディは天使のように美しい、と思っていたルシアナ。当然、周りもそう思っているだろうとは考えていたが、まさか自分に『妖精姫』などという呼び名がついたことは知らなかった。
「明日からが大変ですね。皆、学園での妖精姫の一挙一動に興味津々でしょうから」
ルシアナの笑顔が引きつった。元々『貧乏貴族』として名前だけは知られているルトルバーグ家であるが、それとは全く逆の印象を与える『妖精姫』なる通り名までできてしまっては、奇異の目で見られること間違いなしである。
(変ないじめとかされなければいいんだけど……)
ルシアナは項垂れた。家格こそ伯爵家だが実権的にはその辺の男爵家や子爵家とも大して変わらないルトルバーグ家では、今後の学園生活にはなかなか不安である。
「このような場で俯いてはいけませんよ、レディー」
先程よりもやや固い口調が隣の男性から発せられ、ルシアナはハッと顔を上げた。
マクスウェルと目が合う。すると彼は全ての女性を蕩けさせそうな満面の笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ、ルシアナ嬢。そのために、私はあなたを友人のもとへ案内するのですから」
「……ご友人の案内と今の話に何の繋がりが?」
首を傾げるルシアナを前に、マクスウェルは笑顔を崩さない。
そして、彼の視線がルシアナから進行方向へ向いた。
彼の視線の先にいる人物は……。
「あなたはあなたが思っている以上に、今夜で有名人になってしまいました。学年が同じであれば私がそばで守って差し上げたいところですが生憎私は一学年上なもので。ですので、せっかくですから同学年で最も発言力の高い彼らに守ってもらうことにしましょう……どうも本人達もあなたに会いたいみたいですし」
「え、あ、あの……あの方々って……」
ルシアナはてっきり彼の学友、学園の二学年の友人達に紹介されるものと思っていた。だが、それは違った。
彼が向かっている先は――。
「お、王太子様……」
王族のための休憩エリアに向けて歩いていることに、ルシアナはようやく気が付いた。
またルシアナの顔が引きつった。
(いきなり王太子様とかハードルが高すぎるんですけど!?)
やっぱりハリセンを持ってこなくて正解だったと思うルシアナだった。
あったら当然――。
ルシアナは思い切り首を振り回して先程の思考を否定した。
(ダメに決まってるじゃない! 何当たり前のように侯爵家の嫡男をハリセンではっ倒そうとしてるの、私!? 確かにあれで叩くと心がスパッと晴れるけども!)
ハリセンの魅力のなんと恐ろしいことか。
ルシアナはあの透き通る打撃音に魅了されていた。
「どうかしましたか?」
「いいえ!? さあ、行きましょう!」
「――? ええ、では参りましょう」
慌てた様子のルシアナに首を傾げつつも、マクスウェルはルシアナの手を引いた。
王太子のもとへ向かう道中、ルシアナは胸元の変化に気が付く。
(あ、ペンダントが……光ってる)
メロディが残した魔法『人工敏感肌』である。
ペンダントの所持者へ向けられる悪意の視線に反応する。そのペンダントに淡い光が灯っていた。そして、光の線がルシアナの左前方向へ飛んだ。
首を動かさずチラリと視線を向ける。そこにいたのは……誰だろう?
(とりあえず、知らない人だわ。でも、あれはちょっと……)
背が低く小太り。所謂ガマガエルのような顔つきの脂っぽい中年の男性貴族。メロディの魔法では具体的にどんな悪意を向けられたのかまでは分からないが、さすがにあれはルシアナにも想像がついた……生理的に受け付けられないタイプの感情である。
はっきり言って顔をしかめたい。だがルシアナは笑顔を崩さなかった。
(でも、顔だけは覚えたから。近づかれないように気をつけないと……あ、また)
ある程度距離が離れるとペンダントは光を失ったが、すぐに次の光を灯し始めた。
光線の向かう先にいるのは……今度は女性のようだ。
輝く金髪が美しい、同年代の美少女である。
笑顔を浮かべてそっとこちらに目を向けているが、その目は女性特有の嫉妬の炎に燃えているように見えた。
だが、内心でルシアナは首を傾げる。『貧乏貴族』の自分に、あの着飾った美しい少女は何を妬んでいるのだろうか。
首を傾げたい気持ちをどうにか抑えて、ルシアナは笑顔を貫いた。
そんな彼女の様子をマクスウェルは心の中で感心しながらそっと見つめる。
(随分と勘がいい。自分に向けられる悪意や敵意には敏感なようだ)
マクスウェルの中でルシアナの評価が一段階上がった。
上位貴族の妻となる者にとって、敵味方を瞬時に見分けられる目と直観力を持つ人間は得難い資質だ。
そして内心で首を振る。初めて会った女性に何を考えているのかと。
だが、それとこれとは別としいて、せっかく気が付いたのだから助け船は出しておこう。
「先程の男性は財務局のサイシン伯爵です」
「――え?」
「財務局でも給仕のメイドに手を出そうとして注意を受けている方です。気を付けてください」
「……ふーん、メイドに手を出すの。ふーん……」
ルシアナはやっぱりハリセンは何が何でも持ってくればよかったと思い直した。
「それと、今の女性はランクドール公爵令嬢です。あなたに見せ場を奪われてお冠なのですよ」
「私に見せ場を取られた?」
ここに来てようやく感情通りの表情を見せるルシアナ。目を丸くしてマクスウェルを見る。
「まだ自覚がありませんか? 今夜は新入生のお披露目の場でもあります。本来であれば、今夜一番の注目は王太子様とヴィクティリウム侯爵令嬢の黄金ペアだったことでしょう。こればっかりはどうしようもありません。そして、次に注目されるのは公爵家の息女である彼女のはずだった。ですが、結果を見てみれば今夜最も注目を集めたのは、あなたと謎の天使様です。当然その次は王太子様達ということになり、彼女は三番手……というか、注目度ほぼゼロ状態ですね」
ルシアナはその時の感情を顔に出さないようにするので必死だった。だが、心なしか顔色が悪い。
それも当然だろう。要するに、貴族として最高位の少女を敵に回してしまったのだから。
必死に笑顔を取り繕うルシアナに、マクスウェルは苦笑した。
「大丈夫ですよ、そういった問題を今日のうちに解消するために彼らのもとへ向かっているのですから。安心してください」
「まあ、一体何が問題だと仰るの、マクスウェル様?」
まだまだ未成熟な少女らしさが消えないルシアナとは対称的に、目の前の少女は既に美女と言って差し支えない。
王太子の婚約者候補筆頭、アンネマリー・ヴィクティリウム侯爵令嬢だ。
あまりの美しさにしばし見惚れるルシアナとアンネマリーの瞳が重なる。
ルシアナは思わず息を呑んだ。
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