第29話 視線の先

 勘違いだったのだろうか。メロディは窓を見つめながら首を傾げた。

 ルシアナは気づいた様子もなく、今となっては本当にそんな気配を感じたのかメロディ自身も疑問に思うほど、庭園は静寂に包まれていた。


(やっぱり、気のせいだったのかな? よく考えてみれば、あんな窓に人が昇れるはずないし)


 ちなみにメロディは余裕綽々である。何なら魔法なしでも可能かもしれない。

 だが、こんな時に限ってメロディは地球の物理法則を前提に考えていた。

 魔法を使えば可能なのに。

 二つの世界の記憶を持っているが故の弊害、といってもいいのかもしれない。


(でも何だろう。ちょっと気になる。……一応お嬢様の守りを増やしておいた方がいいかも)


「少しお嬢様に魔法を追加で掛けますね」


「いいけど、何の魔法を?」


 首を傾げるルシアナの胸元にメロディの手が伸びる。指先がペンダントに触れた。


「淑女たる者、鋭敏であれ『人工敏感肌アーティルセンシティボ』」


 ペンダントに光が灯り、すぐに消えた。見た目には特に変化はない。


「メロディ、これは?」


「まだ開発中の魔法なんですけど、要は感覚を鋭敏にする魔法です。といっても、都合よく特定の感覚だけを強化するなんていうのはなかなか難しいので、今のところはこうやって道具に魔法を付与することで感覚の代行をしてもらってます」


 メロディの説明に首を傾げるルシアナ。何を言ってるのかさっぱり分からない。


「えーと……つまりそのペンダントはセンサーなんです」


「せん、さあ?」


「今回は特に『視線』に敏感になるように設定してあります。ペンダントを身に着けるお嬢様へ向けられた視線に、ペンダント自身が気づいてお嬢様に教えてくれるんです。基本的に悪意……男性の下心とか、女性の嫉妬心とか、暗い感情の視線に反応するようになっています」


「何それ凄い!」


 ルシアナはペンダントを持って凝視した。つまりこのペンダントがあれば、誰が自分に敵意を持っているのか判別できるということだ。それが貴族にとってどれほど重要なことか、領地に籠っていたルシアナでも理解できるほどだった。


「ただ、その魔法はさっきも言った通りまだ開発途中なんです。私の理想としてはお嬢様自身に魔法が付与できるようにしたいです。ペンダントを仲介させると感知に時間差が生じるので。それに付与対象があくまでペンダントなので、視線の相手がお嬢様ではなかったなんていう誤作動の可能性もあります。完璧からは程遠いですよ」


「それでも十分凄いと思うけど。でもわざわざ未完成な魔法を使うなんて珍しいね」


「一応念のためです。今日のお嬢様はとてもお綺麗ですからね。ダンス中もそこかしこからお嬢様へ向けられる視線でいっぱいでした。その時は見惚れているだけでしたけど、今会場に戻ったらどんな人が近づいてくるか分かりませんから気をつけませんと」


 あれはあなたを見てたのよ、とはちょっと言いにくいルシアナだった。

 そして、それに気づいていたのならダンス中に漏らした自分の魔力にも気づいてほしかったとも思った。


「お嬢様に悪意ある視線が向いた時、ペンダントは光を灯して知らせてくれます。そしてそれが誰であるのかも、相手に向かって光が伸びるのではっきり分かります」


「それじゃあ相手に私が気づいたってバレちゃうんじゃないの?」


「光はお嬢様にしか見えない設定なので大丈夫です」


 またしてもびっくりである。どこの世界に身に着けている本人にしか見えない光などあるのか。


(今さらメロディに行っても仕方ないか)


 ルシアナは早々に諦めた。


「ありがとう、気を付けるね。メロディはもう帰っちゃうの?」


「はい、そのつもりです。レクトさんも上司のレギンバース伯爵様への挨拶は済んでますし、私もパートナーとしてダンスをご一緒しましたから最低限舞踏会には参加したことになるかと。レクトさんも元々乗り気じゃありませんでしたから、そろそろ帰るって言いだす頃合いだと思います」


「まあ、仕方ないわよね」


 実際のところ、あれだけダンスで目立っていたメロディだ。このまま舞踏会に残っていれば面倒事になるのは目に見えている。メロディは名前を偽ってこの場に来ており、万が一それがバレて何らかのお咎めがあってはたまったものではない。まして身分が平民だと知られれば、その美しさに目のくらんだダメ貴族が手を出してこないとも言い切れない。


 ついでに言えば、この舞踏会は本日王立学園に入学した新入生のお披露目会でもある。同じ年頃の全く関係のない少女が一番注目されるというのは、あらぬ軋轢を生みかねなかった。


 そしてメロディ自身も、ルシアナ達の帰りに合わせて屋敷を整えておきたいと思っており、もうひとつ言えば、レクトの屋敷にいるポーラをこれ以上待たせておくのも忍びなかった。

 いろいろな理由によって、メロディはそろそろ舞踏会をお暇するのが妥当あのである。


「さて、それじゃあそろそろ本当に戻りましょうか。あら?」


「お嬢様? ――あ、レクトさん」


 二人で会場の方を向いた時、向こうから人影が見えた。それはレクトであった。


「ふーん。メロディを探してここまで来たんだ。……まあ、その程度のことはできるってわけね」


「お嬢様?」


 スッと目を細めてレクトを見つめるルシアナにメロディは首を傾げる。

 そんなメロディの様子にルシアナは眉尻を下げて微笑むのであった。


「メロディのお迎えが来たみたいだし、私は先に行くわね」


「え? あ、お嬢様!」


 ルシアナはメロディの言葉を待たず、駆け出してしまった。そしてレクトの前で少し止まって何かを告げると、そのまま会場の方へ行ってしまった。残されたメロディはしばし呆然とする。


「もう、お嬢様ったら本当にお転婆なんだから。やっぱり明日から再度淑女教育ですね」


 頭の中に今後の教育プランをメモして、メロディは気を取り直す。

 その時、ふいにメロディの周囲が明るくなった。

 視線を上げれば、雲から覗くフルムーン。


(地球も、この世界も、月って本当に綺麗……あ、いけない。レクトさんが来てるんだった)


 見ればレクトはこちらを見つめながら足を止めていた。


(待たせちゃってる。急がなくちゃ)


「すみません、レクトさん。こんなところまで迎えに来てもらっちゃって」


「いや……気にしなくていい」


「――?」


 メロディは不思議そうにレクトを見つめた。彼の表情がいつもと違うように見えた。

 その後、レクトとメロディも会場に戻り、予定通り会場を辞する旨をレギンバース伯爵に告げた。


「もう帰ってしまうのか。残念だ。……セシリア嬢、またいつでも来るといい。歓迎する」


「ありがとうございます、伯爵様」


 伯爵とメロディのそんな遣り取りを、レクトは不安そうに、そしてもどかしそうに見つめていたが、それに気が付いた者は誰もいなかった。


 そんなわけで、メロディの舞踏会体験は割とあっさり終了したのである。


◆◆◆


 ところ変わって、王太子クリストファーと侯爵令嬢アンネマリーは……。


「何ジッと窓なんて見てるんだ?」


 クリスが声を小さくしてアンネマリーに尋ねる。彼女は先程からずっと、会場上段に取り付けられた窓の方に鋭い視線を向けていた。


「そろそろのはずなんだけど……まだ来ないのよね」


「来ない? ……ああ、あいつか」


「ちょっと、こんな大事な時に忘れないでよね。そうよ、あいつよ。でも来ない。やっぱり、誰かさんがヒロインとの出会いイベントをすっぽかした影響かしら」


「俺のせいじゃないって言ってんじゃん。でも、ヒロインが現れないってことは、もしかするとあいつも今夜は来ないのかな」


「ゲームの通りなら、そろそろ現れるはずなのよ。……四番目の攻略対象者にして、魔王に憑りつかれた哀れな襲撃者。魔剣使い『ビューク・キッシェル』が、あの窓から」


「ある程度イベント通りに進めるために、せいぜいいつもより少し警備を増やすくらいしかしてないのが心配だったが、現れないとは。でも、なんで来ないんだ? まさか、警備を増やしたせいで誰かに見つかったとか? いやでも、それなら騒ぎになってるはずだしな。もしかして、お前がずっと窓を睨んでるから逃げちゃったんじゃないだろうな?」


「そんなヘマしないわよ! ……もう、全然ゲーム通りに話が進まなくて嫌になっちゃう。後でルシアナちゃんに慰めてもらわないと」


「俺も、俺も! マックス、早く連れてきて紹介してくれないかな」


 二人ともゲスい。こんな会話をしつつも、二人は至高の笑顔なのだから困ったものである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る