第30話 第四攻略対象者 ビューク・キッシェル

 乙女ゲーム『銀の聖女と五つの誓い』。


 このゲームの主人公である少女、セシリアは王立学園への入学を機に様々な事件に巻き込まれながら五人の男性と交流を持つようになる。


 攻略対象者筆頭クリストファー、第二攻略対象者マクスウェル、そして第三攻略対象者レクティアス。ゲームでも初期から登場する彼らはテオラス王国の王侯貴族だ。


 彼らには彼らなりの悩みや苦しみがあり、セシリアと交流を持つなかでその心が癒され、彼女への恋心を募らせていく。

 言わば、第一から第三の攻略対象者との関係は、王道的異世界恋愛ファンタジーなのである。


 だが、第四攻略対象者ビューク・キッシェルはその道から逸脱した存在だった。

 魔王に心を奪われてしまった彼は、セシリアと敵対する関係として登場するのだ。


◆◆◆


 ビュークが生まれたのは、テオラス王国と北のロードビア帝国との国境沿いにある森に、隠れるように存在していた小さな村『シュノーゼル』だった。


 実際、村はテオラス王国の領地内にこそあったが、王国はこの村の存在を把握していなかった。

 村人達が展開していた魔法の結界によって守られていたのである。


 シュノーゼルは、魔物の討伐や戦争に関わりたくないと主張した魔法使い達が作った村だ。

 そんな中、魔法使いの夫婦の間に生まれたのがビュークだった。


 小さな村だったが、村人は全て魔法使い。ビュークの両親だけでなく村人達までこぞって自分の魔法の技術をビュークに教えるなど、村は平和だった。


 彼が十歳の誕生日を迎えるまでは……。


「ほぅ、魔法使いばかりの村とは面白い。全員捕らえろ! 喜べお前達。お前達は今日から我々の奴隷として生きる栄誉を授かったのだ!」


 襲ってきたのは帝国軍だった。王国と帝国は敵対関係にあり、帝国軍は時折こうやって王国の領土に踏み入っては略奪を繰り返していた。

 そのような暴挙、本来であれば王国も黙ってはいないのだが、今回襲われたのは王国からも身を隠していた村、シュノーゼルだ。

 王国に助けを呼ぶこともできず、彼らは帝国軍に蹂躙された。


 魔法使いとはいえ相手は熟練された正規兵。まして、村人達は戦うことを拒絶してどこにも属さなかった魔法使い達だ。結果など考えるまでもなかった。


 ある者は奴隷として捕らえられ、ある者は抵抗して殺され……ビュークの両親は彼を守るために抵抗し、殺されてしまった。


 そしてビュークは捕らえられ、帝国の奴隷となった。


 それきり、彼は村人達とは会っていない。どこか他の場所で奴隷として働かされているのか、それとも酷い扱いに耐えかねて体を壊し、既にこの世を去っているのか。

 当時のビュークはその可能性が一番高いだろうと考えていた。

 なぜなら、彼自身も主と呼ばれる男から酷い仕打ちを受けていたから。


 幼い頃から両親や村人に魔法を習っていたため、十歳の彼にも魔法を使うことができた。

 彼を購入したのは帝国の魔障の地の魔物を狩る傭兵の男だった。

 当時帝国では魔障の地から溢れ出す魔物の被害が多発しており、傭兵のように魔障の地に入って魔物を間引く仕事をする者が多くいた。

 ビュークはその傭兵に盾代わり、大砲代わりに買われたのである。

 十歳の少年が背負うにはあまりに過酷な運命だった。


 転機が訪れたのは彼が十八歳になった時。八年経っても帝国の魔障の地が鎮静化した気配はなく、ビュークの主も既に六人目に突入していた。

 前の五人がどうなったかなど、考えるまでもない。


 新たにビュークの主となった男もまた傭兵だった。だがこの男は、ビュークには憎まずにはいられない相手――八年前、シュノーゼルを急襲した帝国軍の元指揮官だったのだ。

 どうやら落ちぶれて、今は傭兵として生活しているらしい。

 男は、ビュークのことなど何も覚えてはいなかった。

 それがまた、ビュークの憎しみを増大させる。


「ちっ、どうして俺がこんなことをしなけりゃならないんだ。くそ、くそっ!」


「――っ! ぐっ、がはっ!」


 帝国軍を辞めさせられたことが余程気に入らないのか、男はよくビュークを暴行して憂さを晴らしていた。彼は魔法使いを便利な道具としてしか捉えておらず、その有用性を正しく認識していなかったことは、彼が軍に捨てられた理由のひとつでもある。


 ビューク達魔法使いを手に入れたところまではよかった。だが、この男はせっかく大量に手に入った魔法使いの奴隷達を使い潰してしまったのである。

 大切にしろとは言わないが、軍事力が売りの帝国の方針と彼の考え方は似ているようで決定的に方向性が違っていた。

 魔法使いとは、生かさず殺さず長期的に運用することが上手い使い方なのである。


「ふん、今に見てろ。俺をクビにしたこと、絶対に後悔させてやるからな!」


 そう言って男が訪れたのは、なんとテオラス王国のヴァナルガンド大森林だった。


 帝国を見限った男は、今度はテオラス王国で名を上げようと考えた。

 王国に取り入るにはどうすればいいか? ――王国最大の危険地帯、ヴァナルガンド大森林の強力な魔物を討伐してみせればきっと国王もぜひ騎士団に入団してくれと懇願するはずだ!


 彼が帝国に捨てられた理由のひとつが、その思慮の足りなさであったことは言うまでもない。

 大森林の外縁には王国の筆頭魔法使いによる感知結界が張られていたが、ビュークの魔法によって局地的に情報が隠蔽された。この時の彼の魔法は既に筆頭魔法使いに近いものがあったのだ。


 彼と男を含め、十名近い傭兵達が大森林に足を踏み入れ—―そして、二人を除く全員が死んだ。


「くそ、くそ! なんでだ! あいつら、任せておけとか言っておいてあっさり死にやがって!」


 男が生き残っている理由はただひとつ。ビュークの支援があったからだ。

 本来、この大森林でなければ八名の傭兵達も十分に生き残ることができただろう。

 だが、ここは大陸に轟くヴァナルガンド大森林。その危険性から王国が侵入を監視するほどの場所であることを、男は全く理解していなかった。


 ビュークが内心でほくそ笑み……そして憤る。


(こうも簡単に話に乗るとは、馬鹿で助かった。だが、こんな阿呆に俺の家族は、村のみんなの人生を奪われたのかと思うと、子供だったとはいえ自分が許せない)


 男の大森林遠征はビュークが持ちかけたものだった。

 奴隷にはある種の魔法が掛けられており、自らの意思で主を殺すことはできない。

 だから、男をここに誘い込むことにした。

 帝国の魔障の地でもよかっただろう。だが、ビュークとしては少なからず帝国のためになることはしたくなかった。


 帝国の魔障の地の魔物よ、もっと溢れろ。それが彼の思いだった。


(ヴァナルガンド大森林なら、たとえ俺が先に死んだとしてもこいつが生き残れる可能性は万に一つもない。俺なしで生き残れるはずもないのだからな。こいつの死は確定した)


 ビュークの心に暗い笑みが浮かぶ……それを、大森林の眠れる主は見逃さなかった。


「くそ、くそ! おい、もうこんな森を歩くのはおしまいだ。出口はどっちだ」


「……先程から走り回っていたためどこから来たのか分かりません」


「この、役立たずが!」


 顔を殴られ、ビュークの口から血が垂れる。口内を切ったらしい。だが、さすがの男もビュークなしでは生き残れないことは理解していたため、それ以上は何もしなかった。


 ただ、その場で何度も地団太を踏んでは周囲に怯え続けていた。ビュークはそんな男の様子を無表情のまま見つめ、やはり心の中でニタリと笑う。



 ――ああ、素晴らしい。なんて素敵な、歪んだ憎しみか。


◆◆◆


 それからしばらく経った頃、突然男の動きが止まった。

 ビュークは訝しげに様子を窺ったが、男はゆっくりと歩き始める。

 よく見ると目の焦点が合っていない。体に力が入っていないようで、肩をダラリと落としたまま森の奥へ歩を進めていく。まるで何かにとり憑かれたかのようにフラフラした足取りだ。


 そして男の進路は、どんどん日の光から遠ざかっていった。


 ……どれくらい経っただろうか。


 男が辿り着いたのはこの大森林の中にぽっかり空いた穴のような場所で、そこだけは鬱蒼と広がっていた森の木々が一切見当たらない。


 そこにあったのは一振りの剣。ボロボロになった銀の台座に刺さったそれは、美しい月の光を浴びて煌めいていた。不思議な白い刀身の剣。


 ビュークはしばしその光景に見惚れた。見惚れてしまったのだ……。



 ――さあ、こちらへ。魔法使いよ、今にも朽ちそうなこの封印の破壊を。そして、復讐を。



 気がつくと、ビュークは剣を手に持って立っていた。

 銀の台座は砕け散り、いつの間にか周囲は木々で生い茂り、月の光が狭まっていく。


 そして、彼の足元には男の死体が転がっていた。



 ――お前の復讐はなされた。次は私の復讐に付き合え。これは契約。お互いが復讐を成し遂げるまで、我らは離れることはできない。さあ、私の復讐を。テオラスの地に永遠の闇を!



 白かったはずの刀身は黒く染まり、それに倣うようにビュークの心も闇に覆われていく。



 乙女ゲーム『銀の聖女と五つの誓い』において、ビュークとはそういう存在だった。

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