第28話 予兆

「本当に何をやっているんですか、お嬢様」


「うう、ごめんなさい」


(おかしい。さっきまで私が問い詰める側だったはずなのに、いつの間にか私が叱られる側になってる……)


 噴水に頭を突っ込んでいれば当然の帰結である。この、うっかりさんめ!

 ようやく冷静さを取り戻したルシアナは現在、噴水の縁に腰掛け、メロディにメイクを直してもらっていた。濡れた髪やドレスもさっと魔法で速乾である。

 一家に一台メロディ乾燥機。……まあ、なんて便利♪


「さ、直りましたよ」


 差し出された鏡を見れば、先程までと寸分違わぬ美しき妖精がそこにいた。


「ありがとう。でも、メイク道具なんてよくもっていたわね」


「ふふふ、いざという時のためにメイク道具を常備しておくのはメイドの嗜みですよ」


「嗜み、ねぇ……」


 ルシアナの視線がメイク道具を仕舞っていたへ向けられる。


(常備ってレベルの大きさじゃないんだけど。今までどこに持っていたっていうのかしら?)


 まあ、何かしらの魔法を使っているのだろうと、ルシアナは当たりをつけた。まさかあの純白のスカートの中に隠し持っていたわけではないだろうし……想像し、ルシアナは小さく噴き出した。


(あれがスカートの中にある状態でダンスとか、可笑しすぎるんだけど!)


「どうかしましたか、お嬢様?」


「んーん、何でもないの。それより、さっきの話の続きだけど……一緒に来たフロード騎士爵様には怒ってないのね?」


「といいますか、ここに来る前にしっかり怒っておきましたので、今はもう許してます」


「本当に大丈夫なの? まさかと思うけど、このままお持ち帰りされたりしないでしょうね?」


「まさか。レクトさん、ここ最近舞踏会への不参加が続いていて上司の……えっと……ああ、思い出した。上司のレギンバース伯爵様にパートナー同伴で出席するよう命じられたんだそうです」


「メロディでなくてもいいじゃない」


「適当な人がいなかったそうですよ? あまり貴族女性でパートナーにできる知り合いがいないらしくて、私がお嬢様に礼儀作法を教えていることを知ったもんだから今夜のパートナーに選ばれちゃったんですよ。お嬢様が舞踏会に出ることも知っていたので、断られないようにギリギリまで私に黙ってたみたいです。ちゃんと相談してくれれば、こんな急ごしらえの変装にしませんでした」


(……何かしら。適当な理由に聞こえなくもないけど、一緒に舞踏会に行くための口実にしか聞こえないのは、私の勝手な思い込み?)


 ルシアナの目には、レクトはメロディに心を寄せているように見えた。

 メロディからダンスに誘われた時の慌てようや、ダンス中の彼の態度などからその考えはさらに固まっていった。


「……フロード騎士爵様とはお友達なのよね?」


「え? ええ、お友達ですよ」


「でも愛称で呼んでいるじゃない。レクトさんって」


「ご本人からそう呼んでほしいと言われたんです。本当はメイドの私が貴族の方を愛称呼びなんて無礼なことなんですけど、ご本人がどうしてもと仰るものですから」


(その時点で気が付きなさいよ! どう考えても最初から好感度高いじゃない!)


 何かと気が利く万能メイドのメロディだが、こと自分に関してはわざとではないかと疑ってしまうほどに無防備で鈍感だった……あらゆる気配りがメイドに全振りされた結果だろうか。


 これはまずい。放って置いたらいつ手籠めにされるか分かったものではない。

 そう考えたルシアナだったが――。


「あ、そうだ、お嬢様。レクトさんのお屋敷で私、新しいお友達ができたんですよ」


「お友達?」


「私と同じオールワークスメイドでポーラっていうんです。このドレスも彼女が既製品を手直ししてくれて、メイクも彼女のものなんですよ。彼女は凄いです!」


 嬉々として、メロディのメイド談義が始まってしまった……しばし無言のルシアナ。


「掃除や料理なんかは私に軍配が上がる感じなんですけど、ポーラの服飾やお化粧の知識と技術はなかなか凄くて、私も驚かされることがたくさんあるんです。それで――」


 微笑を浮かべたまま、沈黙を守るルシアナ。


「彼女、美容にも興味があるらしくて入浴剤のことも調べ始めたんですって。でもお屋敷の家人はレクトさんしかいないせいでなかなか捗らないって嘆いていたんです。だから、二人で相談して今度お嬢様に試してもらえたらなって考えてまして――」


 ……ルシアナは思った。


(なんか、別に忠告する必要とかないかも……全然脈ない感じ?)


 先程までとは明らかにテンションが違う。レクトの感情はともかく、少なくともメロディが彼に靡く可能性は今のところ……ゼロである。

 それがルシアナの下した結論であった。


 それに、話を聞く限りポーラというメイドは主であるレクトに対しても物怖じしないタイプの人間のようだ。屋敷で間違いが起きる可能性はかなり低そうである。

 そして何より、実際に襲われたとしてもメロディなら魔法であっさり撃退できるだろう。


(……何かしら? むしろ、フロード騎士爵が不憫になってきたわ。まあ、許さないけど)


 ルシアナの中で『レクトはメロディに完全片思い』という構図が出来上がった。そしてそれはまさに難攻不落。『鈍感力』に優れたメロディを攻略するなど不可能に思えた。


(多分、ポーラって子もフロード騎士爵の気持ちに気づいているはず。なのにメロディにその事実が伝わっていないということは、彼女はそれほど協力的ではないということ。そして、今夜の彼から得た印象と、メロディの話を信じるなら彼自身もまた恋には消極的ってこと……かしら?)


 うっかりさえなければ、ルトルバーグ一族は直感と洞察力に優れた有能な一族だった。

 ホント、うっかりさえなければ……。


(ならあえてメロディに忠告する必要はないわね。むしろ今話して意識される方が問題だわ)


 相手側の気持ちが既に決まっている以上、メロディをその気にさせてしまえばあっという間である。これは、あくまでの関係を継続させる方が無難だとルシアナは判断した。

 主とはいえ、さすがにもう関わるなとは言えない。


「――ということなんですよ、お嬢様。……て、いけない。申し訳ございません、お嬢様。私ったら夢中になってペラペラと……」


 顔を赤らめて俯くメロディのなんと可愛らしいことか。ルシアナは苦笑した。せっかくできたメイド仲間と引き離すのは、やはり忍びなかった。


(まあ、今回はメロディ自身が許しちゃってるわけだし、軽い忠告くらいで勘弁してやるか)


 もちろん、忠告する相手はレクトである。ルシアナは立ち上がった。


「さ、いつまでも乙女が二人で外に出ているわけにもいかないわ。戻りましょうか」


「はい、お嬢様」


 ルシアナに続き、メロディも立ち上がる。そこでふと、メロディは気が付いた。


「お嬢様、ドレスも少し乱れています。整えましょう」


「そう? じゃあ、お願い」


 ダンスやら、庭園での暴走やらでルシアナのドレスは少し着崩れてしまったようだ。

 メロディは崩れた箇所をサッサパッパと整えていき、同時にドレスに付与しておいた魔法の状態も確認した。


(うん、問題ないみたい。お嬢様を守るべくドレスに掛けた守りの魔法はどこも傷んでない)


 舞踏会には不特定多数の人間が参加する。どんなトラブルにも対処できるように、今回のドレスにはそれはもう念入りに守りの魔法を施してあった。

 今のところ何も起きていないこともあり、ドレスの守りは完全である。

 メロディは満足そうに頷いた。


「はい、終わりました。これで問題ありま――」


 だが、その時だった――。


「ありがとう。……メロディ?」


 言い切る前にメロディはあらぬ方向にバッと視線を向けた。まるで何かに気が付いたように。

 つられてルシアナもそちらを向く。

 そこは舞踏会会場だった。だが、彼女の視線の先にあるのは会場というよりは、建物の上部に設置されている明かり取り用の大きな窓の方向で……。


「あの窓がどうかしたの、メロディ?」


「……い、いえ。何でもありません。多分気のせいだったんです……」


 不思議そうに首を傾げるルシアナを前にメロディは笑みを浮かべたが、内心では奇妙な感覚に囚われていた。


(今、誰かに見られていたような……それも、敵意や憎悪の籠った視線で……)


 だが彼女が視線を向けた先には、当然ながら何者の姿もありはしなかった。

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