第25話 楽園はそこにあった

 一瞬の静寂。そして音楽が鳴り始めると、再び会場の視線はダンスホールへ向けられた。

 多くの者達の視線が、天使と妖精の織り成す神秘の世界へと引きずり込まれ、魅了されていく。


 リードするのは美しき妖精姫、ルシアナ・ルトルバーグ伯爵令嬢。


 そして、その手に身を委ね、まさに本物の天使を思わせる軽やかな足取りで観客を魅了しているのは……一体、誰なのだろうか?


 一部の者はこう答えるだろう。


 レクティアス・フロード騎士爵のパートナー、セシリア嬢と。


 だが、事実は異なる。それを知っているのは彼女を連れてきたレクティアスことレクトと、セシリアのダンスの相手を務めるルシアナの二人だけ。

 まさか、舞踏会に降り立った純白の天使が、ルトルバーグ家のメイド、メロディ・ウェーブであるなどと、誰が思うだろうか。


 観客達は思ったことだろう――初めて出会ったはずなのに、なんて息ピッタリの可憐で流麗なダンスを踊る二人なのか。


 まさに妖精と天使の輪舞ロンドが目の前に!


 当然である。この二人、立場は逆だったが今日までずっと踊り合っていたのだから。

 今宵の舞踏会のために、メロディはルシアナにダンスを教えていた。男性役をしていたのはメロディだが、ルシアナはそんな彼女のリードをしっかりと覚えていた。


 『貧乏貴族』ゆえに教育の機会がなかっただけで、ルシアナは本来優秀な少女なのだ。

 初めての男性パートだというのに、メロディ顔負けのダンスを披露してみせている。


 気が付けば、二人はダンスホールの中央を陣取っていた。誰が言うでもなく、そこが二人の指定位置だと言わんばかりに自然と場所が空けられる。


 二人を中心にダンスの波が広がっていった。彼女達の淀みない軽やかステップが、花咲くような鮮やかなターンが、重力を感じさせない羽根のようなジャンプが、周囲の踊り手達までも魅了して、そのダンスに続こうと不思議な連帯感が生まれていく。


 ダンスホールを踊っていたのは、単なる複数のペアの集合体だったはず。

 だが今は……ダンスホールにいるのは、どこのミュージカル劇団だろうか?


 中央を踊る妖精と天使がクルリと魅せるターン。

 すると、彼らを囲んで踊っていた複数のペアが続くようにターンを。その周りを囲んでいたペアが――と、ルシアナとメロディを中心に波打つようにターンが広がっていく。


 誰が指揮を執っているわけでもないのに、まるで練習を重ねてきた一流の劇団のような息の合い方。ひとえに、美しき妖精と天使の大いなる魅力の成せる業(わざ)と言える……のだろうか。


 レクトの策謀(とまでは言わないが)によって、ルシアナの出席する舞踏会に参加することになってしまったメロディは、彼女と踊るはめになり混乱の極みだった。

 ルシアナはルシアナで、笑顔を浮かべながらも明らかに不機嫌オーラを発していた(メロディ主観)。


 そんな中で始まったダンスに戸惑う彼女だったが、ダンス中にルシアナが話しかけてくることはなかった。そして、いつの間にか彼女の笑顔は本物になっていた。


 さっきまでの渋面(メロディ主観)はどこにいったのか。


 まるで自分とのダンスを楽しんでいるよう……。


(――あ、ここ。昨日直した方がいいって注意したところ。私が間違えないようにリードしてる)


 自分の教えをちゃんと吸収してくれている――メロディの張りつめた心に熱がこもる。


(ここも。あ、これも。お嬢様、男性側のリードの意味をきちんと理解できてる)


 またひとつ、凝り固まった心が解きほぐされていくのを感じた。


 一度始めてしまった以上、ダンスから逃げるわけにはいかない。そんな思いでルシアナのリードについていったメロディだが、リードされ続けるうちに、それでいいのかと思い始めた。



 ――だってお嬢様のダンス、本当に本気。真剣なんだもの……。



 ふいに、二人の視線が重なり――ルシアナの瞳が、語った。


(なんかもう、どうでもいいかも。とりあえず踊りましょう、メロディ! すっごく楽しい!)


 どうやら、今日のダンスはこれが一番本気が出せるものだったらしい。ルシアナは満面の笑みを浮かべていた……頑張れマクスウェル。


 氷のように凝結していた心が、一気に解けた。


(……はい、お嬢様!)


 そして、ミュージカルが始まる。




 妖精は、天真爛漫に草原を駆け回る。走って跳んで転がって、そしてうっかりツルリと滑って笑う。天使は「仕方ないですね」とでも言うかのように妖精の隣に寄り添い、優しく見守る。


 彼女達の傍らにいるのは、大地に咲く美しき花々。

 妖精が歌えば、花達はそれに合わせてヒラヒラと舞い、天使がそっと手招きすれば、花弁を舞い散らせ、嬉しそうに天使のもとへ飛ばした。




 ある楽園の幸せな一コマ。それがこのミュージカルのタイトルだろうか。


 観客達はダンスホールで踊る彼らの姿に、そんな光景を幻視した。


 そして音楽が終盤に差し掛かる頃、気分が高揚していたメロディはちょっとやらかす。


 それは本当に幻想的な光景――ダンスホールの床が淡い銀の輝きを放ち始めたのだ。

 これには観客達はおろか踊っていた者達も驚きを隠せない。

 気づいていないのは、もはやルシアナ以上にダンスに集中していたメロディだけである。


 光は床一面に広がっているわけではなかった。

 まるで、の踏んだステップの軌跡を辿るっているかのようだ。

 とはいえ、一度ダンスを踊れば大体の人間が踏むであろう位置。

 誰が踏んだ跡かまでは断言できない。



 ――だが、その視線が向かう先などひとつしかなかった。



 今、このダンスホールを支配しているのは、中央で踊る妖精と天使なのだから。


 ルシアナの本気に当てられ、気分が高揚してしまったメロディ。

 昂った心は彼女の強大な魔力を刺激した。膨張した魔力の一部がメロディの制御を失い、銀の光となって彼女の身から溢れ出したのである。

 そしてその光は、彼女が歩いた跡に残したわずかな魔力の残滓をも刺激して、ダンスホールに幻想的な光景を生み出したのであった……光が休憩エリアにまで波及しなかったことは不幸中の幸いであろう。


 これに一番驚き戸惑ったのはルシアナである。


(メ、メロディ!? 何やってくれちゃってんのおおおおお!?)


 笑顔のまま驚きを表現するという離れ業に気づいた者はいない。

 向かい合うメロディはなぜか光が目に入っていおらず、ダンスに集中しきっていた。


(まずい、まずいよ! メロディの魔法が凄いことが周囲にバレちゃう!)


 ルシアナには、メロディの圧倒的な魔法のことが周囲に、そしてメロディ自身に知られることは彼女との別れに繋がるという、不思議な危機感があった。

 論理的根拠のない直感のようなものだが、半ば確信に近いものだった。

 ルシアナは周囲を見渡す。状況的に原因がメロディだと思う者は多そうだが、はっきりと結論づけることはできないはず。まだ誤魔化せる!


 やるべきことはひとつ。ルシアナは、笑顔でメロディの足を踏んだ……ハイヒールぅ。


(いったあああああああい! 何するんですか、お嬢様!? ダンス中に男性役が女性の足を踏むなんて失礼の極みですよ! お屋敷に帰ったら再特訓確定ですからね!)


(ワザとに決まってるでしょ! それより周り見て、周り! これ、メロディでしょ!)


(え? 周りって……きゃあああああ! 何ですか、この光!?)


 ちなみに、視線で会話する二人は笑顔のままである。

 ついでに、ルシアナはメロディの足を踏んだが、二人のダンスは一切乱れていない。彼女が足を踏んだことに誰も気づいてはいないだろう。


(とりあえず早くどうにかしてちょうだい!)


(こ、これ何? ……あ、これ私の魔力か。だったら……)


 ダンスを踊りながら、メロディは昂った魔力を抑え始める。

 すると少しずつ会場の光が収まり始めていった。同時に、音楽が終盤を迎える。


 そして音楽が、ダンスが終わる瞬間――。


(んんんんんん! 光よ、消えて!)


 ダンスホールにいる全員が華麗なポーズを決めたその時、会場に残っていた全ての光が弾けるように瞬いて、消えた――美しきフィナーレが演出された。


 しんとする会場。踊り手達の息遣いだけがかすかに聞こえる。


 それから数秒後、感動のあまり立ち上がった国王夫妻を筆頭に、大拍手が巻き起こった。


 所謂、感動の嵐。誰もが心打たれ、溢れる激情を止めることができない。「素晴らしい!」「天使様!」「妖精姫!」などの声まで飛び交い、会場はしばらく大いに震えた。


 彼らが見た光景はあまりにも現実離れしていた。

 会場に魔法使いはいたが感動のあまり理性を失っていたこともあり、目の前の光景と魔力を結びつけることができなかった。

 というか、感情の高ぶりに連動して魔力が光となって溢れ出るなど、筆頭魔法使いでも起きない現象である。気づけるはずがなかった。これも不幸中の幸いと言えるだろう。


 意外なことにこの時、メロディ達へ注目する者はいなくなっていた。

 拍手喝采を送ることに夢中で、妖精と天使への注意が逆に逸れてしまっていたのだ。


 ルシアナはその瞬間を見逃さなかった。


「……メロディ。魔法でそっとこの場を出られないかしら? 話があるんだけど」


「そ、そうですね。それじゃあ……我らはここに在ってここに在らず『|使用人の心得(コノシェンツァデセルヴィ)』」


 ルシアナとメロディの周囲に薄い空気の膜のようなものが形成された。外が若干歪んで見える。


「うわ、何これ」


「この中にいると、目に見えているのに外からはあまり意識されなくなるんです。お仕えする方のそばに、邪魔にならないようにそっと佇むのがメイドの正しい在り方ですから、私の技量でご満足いただけなかった時用の保険に作った魔法なんですけど、こんな形で役に立つなんて」


 ちょっと不満げなメロディに対し、ルシアナは別のことを考えていた。


(……目に見えているのに意識されない? ……ヤバい。悪用し放題なんですけど)


 メロディがメイド業務の一環で作り上げた数々の魔法は、彼女以外の者からすれば脅威以外の何物でもなかった。

 例えば、この魔法を使えば出入りが徹底管理されている王城への侵入も楽々――。


(どうしよう……勉強をさぼっているときに部屋に来られても気づけない! 詰んじゃうわ!)


 ……ルシアナは蝶よ花よ、とはいかないがなんだかんだで箱入り娘なのだ。仕方がないのだ!


「とりあえずここを離れましょう。多分今ならテラスから出た庭園は人がいないはずよ」


「そ、そうですね」


(うー、ダンスでうやむやになるかと思ったけど、やっぱり問い詰められるんだぁ)


 ガクリと肩を落としたメロディは、ルシアナに手を引かれて庭園へと歩を進めた。


 そして入れ違うように二人の転生者、王太子クリストファーと侯爵令嬢アンネマリーが舞踏会会場へと戻ってきた。


 ルシアナの百合ダンスをガン見するつもりだったクリストファーと、ルシアナとダンスを楽しむつもりだったアンネマリーが、美男美女とは思えぬ絶叫を上げたが、幸いなことに拍手喝采のおかげで誰の耳にも届くことはなかった。


 ……あの二人、そんなに楽しみだったのだろうか?


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