第21話 天使に出会った人達

(とっても遺憾ながら今夜の私はメイドじゃない。舞踏会に参加するお嬢様の介添人シャペロンよ。……まあ、付き添う相手はお嬢様ではないんだけど)


 年若い貴族令嬢が舞踏会に参加する際、貴族として淑やかな令嬢らしい振る舞いができるようにと令嬢に同席する年嵩の婦人。それが介添人シャペロンである。


 ダンスや礼儀作法は家庭教師ガヴァンスから習うが、舞踏会本番での振る舞いを指導するのが彼女達だ。それ故に介添人は舞踏会におけるあらゆる礼儀作法やダンス、舞踏会特有の慣習なども網羅していた。


 メロディはあくまでメイドなのだが、女性使用人の枠組みに辛うじて入るこの介添人にも興味を示し、舞踏会での作法についても勉強済みであった。


 レクトにエスコートされ王城に辿り着くと、二人の門衛の視線は終始メロディに釘付けだった。そのあまりの華やかさに、優雅さに、美しさに見惚れていたのだ。

 当然、レクトは彼らの視線の理由に気づいたが、どうせすぐに終わることだし、彼らの気持ちは十二分に理解していたのでスルーした。

 メロディへ視線を向ければ、神秘的で優雅な笑みを浮かべる彼女と視線が合う。気恥ずかしくてサッと視線を前に戻すと「行くぞ」と告げて舞踏会会場の小扉をくぐった。


(も、門衛さん達の視線が痛い! もしかしてバレてる!? メイドだってバレてるの!? そ、そうよね、だってメイドだし! メイド特有の洗練されたオーラが出ていても不思議じゃないし!)


 可憐で清楚な純白のドレス。滑らかな金の髪の美しく少女を、誰がメイドだと思うものか……。


 メロディ、若干テンパりつつも案外お気楽である。


 小扉を越えた先はまさに王侯貴族の社交の場であった。

 煌びやかな装飾に彩られた会場を埋め尽くすのは美しいドレスに着飾った令嬢やご婦人方。燕尾服をピシッと着こなす紳士達。

 ある者は会場の中央で華麗なステップを踏み、ある者は朗らかな笑みを浮かべ談笑し、ある者はそっと開かれた小扉に気が付き視線をこちらに向けて……そのまま沈黙してしまった。


 レクトはその光景を目にして思う。


(……一瞬で魅了してしまったか)


 自身の隣に佇む少女は、目が合ったわけでもないのに周囲の者達をあっという間に魅了してしまった。

 今この国で最高の令嬢と謳われる王太子殿下の婚約者(候補)でさえここまでではあるまい。

 滑らかでいて艶やかな金の髪と純白のドレスは、彼女の美しさも相まってさながら天使を想起させる。男も女も彼女に向ける視線は同じ。


 宗教画に見入る人達のであった。


 目指すは上司であるレギンバース伯爵のもと。彼のことだから今頃は休憩エリアにでも逃げ込んでいるはずであった。言い寄る婦人方から逃れるため、そろそろ宰相閣下とでも歓談中だろう。


「俺の上司のところへ行こう」


「分かりました」


 二人は静かに人だかりを抜けて休憩エリアを目指す。進行方向にいた者達は、まるでそう命令でもされたかのようにサッと二人に道をあけた。

 その様子にメロディは「この世界の貴族ってみんな優しいのね」などと見当違いな感想を思い浮かべる。彼女がこれまで関わってきた貴族は気さくで優しいルトルバーグ家と紳士的なマックスのみ。前世、現世とメイドに邁進したメロディは、意外なところで世間知らずの勘違い少女だった。


 メロディとともに歩くさなか、レクトはメロディの美しい髪に目をやった。


(俺の瞳と同じ琥珀色の金の髪……。元の黒髪の時は愛らしい少女に見えていたというのに、金髪になるだけでここまで神々しくなるとは。女性とは恐ろしいものだ)


 髪の色ひとつ違うだけで印象ががらりと変わる。気を逸らすためか、女の間者には気をつけなければなどと関係ないことを思考する。それくらいレクトには衝撃的だった。


(それにしても、髪の色や目の色を変える魔法が存在するとは。あんな魔法があるのでは本当に間者に気を付けなくてはならないな。あの魔法があれば変装など容易いぞ。金でも銀でも黒でも白でも髪も目も自由自在……ん? 今何か……)


「レクトさん、あの方々ですか?」



いつの間にか下がっていた顎を上げると、そこには見知った人物がそろっていた。

 自身の上司である宰相補佐、クラウド・レギンバース伯爵と、宰相ジオラック・リクレントス侯爵。その隣に立つ金髪の男性には見覚えがないが、仲は良さそうだ。


 ちなみに金髪の男性を捉えたメロディが『どうして旦那様がここにいるのおおお!?』と、笑顔の裏で泣き叫んでいたことは言うまでもない。


 三人は三人ともその視線をメロディに向けたまま停止している。やはり高位貴族である彼らでさえも彼女を前に魅了されてしまうようだ。

 レクトは恭しく伯爵達へ礼を取る。メロディも倣い美しいカーテシーを披露した。


「遅れてしまい申し訳ございません。レクティアス・フロード、参上いたしました」


「あ、ああ……」


 レクトの挨拶に対し、クラウドはなんとも素っ気ない返事を返した。さすがにこれにはレクトも「おや?」と軽く驚く。メロディの美しさに驚いたとはいえ、彼ほどの人物がここまで反応できなくなるとは。

 ふと見たクラウドの視線は、今までメロディに魅了された人達とは何か違っていた。

 懐かしむような、縋るような……不思議な視線をメロディに向けている。

 まさに心ここにあらず。隣にいるレクトの姿が目に入っていないようだ。


 やや呆然気味の伯爵よりも先に正気に戻ったのはジオラックだった。


「やあ、遅れた甲斐はあったようだね、レクティアス。それで、その大変麗しいお嬢さんはどなたかな?」


 ジオラックに呼ばれハッとしたレクトは視線をメロディに向けた。

 彼女は特に動揺するでも物怖じするでもなく、ジオラックの方を向くと再び淑女の礼を取る。

 名を聞かれたメロディは少しほっとしていた。なぜなら自分のことで旦那様ことヒューズが何も言ってこなかったからだ。


(よかった。変装のおかげで旦那様には気づかれなかったみたい)


 まさか舞踏会会場に来ていきなりお仕えする家の家長と対面することになるとはさすがに思っていなかったメロディだったが、どうやら最初の試練をクリアできたようである。

 だから、彼女は油断してしまった。


「お初にお目に掛かります。私の名はメ……」


 ふと、ここで気づく。いや、メロディはダメでしょ! ――と。


 せっかく気づかれなかったのにここで名乗ってしまっては今までの苦労が台無しになりかねない。


(な、何か別の名前を名乗らなければ! な、何がいいの!? 待たせたら不審に思われちゃう! なんでもいいから思いついた名前を!)


「……セシリアと申します。よろしくお願いいたします」


 この間、一秒にも満たない。

 刹那の思考でメロディはこの難局を乗り切ったのであった。


「セシリア嬢か、その麗しい姿に劣らぬ素敵な名前だ。私はジオラック・リクレントス侯爵。そして私の隣で君に見惚れている二人。左がクラウド・レギンバース伯爵、右が――」


「閣下、わ、私は大丈夫です。セシリア嬢、私の名はヒューズ・ルトルバーグ伯爵だ」


「お初にお目にかかります、伯爵様」


(よく存じております!)


 仕えている相手なのだ。知らないはずがないが、もちろんここは知らぬふりである。

 本当は閨の後片付けまでしてさしあげる仲なのだが、メイドはそんなことを口外したりはしない。

 ちなみに、レクトはここにきてようやく目の前の人物がメロディの奉公相手であることに気づき一瞬ビクリと震え――そうになったところをどうにか堪え切った。ファインプレーである。


「さて、お前はいつまで固まっているつもりだ、クラウド?」


「――っ!? す、すみません……」


 ジオラックに肩をポンと叩かれ、クラウドはようやく我に返った。だがレクトは未だ彼が本調子でないことに気づく。

 ほんのり紅潮した頬にメロディとはギリギリで合わない視線。

 彼は明らかに動揺していた。


「ク、クラウド・レギンバース伯爵……である」


「初めまして、伯爵様。お会いできて光栄でございます」


「う、うむ……」


((――『である』?『うむ』?))


 クラウドをよく知るレクトとジオラックは瞠目し肩を揺らした。

 前者は普段とは違うそっけない言い回しに驚いたが故に、後者は恥ずかしがってまともに言葉を交わせない部下の姿に思わず吹き出しそうになったが故に。

 ジオラック、しばらく吹き出さないように耐える時間が続きそうである。


 ところでメロディは目の前に恥ずかしそうに立つクラウド・レギンバースという人物と相対して、顔には出さないがとても不思議な気持ちになっていた。


(この人、どこかで会ったかな? この名前、どこかで聞いた気がするんだけど……)


 眼前に立つ銀髪の大柄な紳士にどこか既視感を覚えた。


 当然である。クラウド・レギンバース。その名はかつて母セレナが遺した手紙に記されていた実の父親の名前なのだから。


 だがメロディの類まれな記憶力はメイドに関してしか正常に働いてはくれなかった。

 メイドを目指す以上、父親と会うことはないだろうと思っていたメロディは――。


(――思い出した! 確か、旦那様がお勤めになる宰相府のナンバー2の名前だわ。もう、私ったら度忘れしちゃって。旦那様の直属上司の名前くらい憶えていて当然なのに。気を付けなくちゃ)


 全く違うところから彼の名前を思い出していた……実の父親の名前くらい憶えていて当然である。

 だが、メロディは母の手紙に残された実父の名前をすっかり忘れてしまっていた。せめて銀髪を見て何か思い出せればよかったのだが、残念ながらそこから発想が飛ぶことはなかった。


 哀れクラウド。もはや彼自身が気が付かない限り、娘との対面は叶いそうにない。


 ヒューズはセシリアの姿を見ても、彼女がメロディなどとは全く考えつきもしなかった。むしろ彼女に見惚れた事実をどうしようかと悩んでいた。後方に待機している愛する妻に誤解されてはたまらない! ヒューズはそっと視線を背後に移した。


 そこには、こちらを半目でジッと見つめる妻マリアンナの姿が――。


(ひ、ひいい! 違うんだ、違うんだマリアンナ!)


(あなた……帰ったら、分かってるわね?)


(ひゅひっ! ……は、はい。分かりました)


 ヒューズは顔色を変えることなく、内心でがっくりと肩を落とした。


 マリアンナは満面の笑みを浮かべていたが、ヒューズには彼女の考えが手に取るように分かってしまった。愛し合う二人の心はツーカーなのである。


 諦めて前に向き直ったヒューズを見て、マリアンナは嘆息する。


(男の人って、綺麗な女性を見るとどうしても鼻の下が伸びるのよね。愛されているって分かっていても妻としてはやはり許せるものではないわ。……それにしても、本当に綺麗な子だわ。今夜はルシアナが話題の中心になるかと思ったけど、まさかの三つ巴ね)


 マリアンナもまたメロディの神秘可憐な姿に感嘆の息を漏らした。


(あんなに綺麗な子がいれば王都でも有名になっているんじゃないかしら? それがないってことは、彼女は今日のために王都の外から来た? ……でも、どこかで見たことがあるようなないような……あんなに美しい子、一目見れば忘れるわけないと思うのだけど)


 残念ながら、いや、幸運にもマリアンナもまたレクトの隣に立つ少女がメロディだとは気が付くことはなかった。

 だが、それも仕方のないことである。


 まず第一に、ここにメロディが来るとは想像もしていないのだ。来るはずのない人物が目の前にいてもそれが当人だとは案外気がつかないものである。


 第二に、ポーラの化粧が凄すぎた。ケバケバ厚化粧――ではなく、薄っすらナチュラルメイクだというのに、なぜこうも普段の印象とかけ離れているのか。

 人間から天使へクラスアップである……本当に、ポーラのナチュラル風メイクには恐れ入る。

 彼女の実家の商家再興も夢ではないかもしれない。


 そして第三に、メロディが使った髪と目の色を変える魔法だ。この世界でそんな魔法が使えるのはメロディくらいであろう。日本人の転生者であるクリストファーとアンネマリーでもおそらく行使できない。実はそれほどに高度な魔法であった。


 メロディは魔法を使えば割と何でもできるということを、ヒューズもマリアンナも理解しているようでまだ完全には分かっていなかった。まさか髪の色どころか目の色まで自由自在だとは思いもしなかったのである。


 それを正確に理解しているのはこの場にただ一人。


 ルトルバーグ夫妻よりも長く彼女とつきあい、ずっとそばにいた少女。


 ルシアナ・ルトルバーグだけが『メロディなら魔法を使えば割と何でもできる』ことを正しく理解していた。むしろ「メロディにできないことなんてないんじゃないの?」と思い込むほどに。



「わあ、ルシアナ、物凄く綺麗な子が来たわ。あれじゃ、ルシアナでさえ霞みそうじゃない?」


「今年のデビュタントはどうなっているのでしょうか? 私達、完全に空気ですね」


「……」


 ベアトリスとミリアリアがそう言い合う中、ルシアナは黙って件の少女を見つめていた。


「どうしたの? ルシアナ」


「睨みつけているみたいで失礼ですよ、ルシアナさん」


「……そ、そうね」


 ルシアナは少女から視線を逸らす。だが、内心では大声を上げていた。


(どうしてここにメロディがいるのよ!?)


 ルシアナの曇りない目で見れば、向こうで父ヒューズの前に立っている天使のような美少女はルトルバーグ家の完璧メイド、メロディ・ウェーブ以外の何者でもなかった。


(なんで気づかないのよ、お父様!)



 ルシアナは今夜ハリセンを持ってこなかったことを心底後悔した。

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