第20話 舞踏会に舞い降りる天使
舞踏会会場にある三つの扉。開催直前まで全開されていた扉も今は閉じられ、舞踏会の邪魔にならぬよう、遅れて来る者達に対しては申し訳程度にしか開かれない。
そのため小扉が開いたことに気が付くものは少なかった。
だがそれは幸いだったのかもしれない。大々的に扉が開かれ視線が集中していれば、舞踏会は途中で頓挫していたかもしれないのだから。
それほどまでに、小扉から現れた一組の男女が通り過ぎた後は、静寂に包まれていた……。
◆◆◆
舞踏会が始まって既に数時間。
宰相補佐、クラウド・レギンバース伯爵は上司のジオラック、部下のヒューズと歓談していた。
初めて話してみたが、ヒューズは好感の持てる人物であった。仕事への視点もなかなか見どころがあり、これならば今後も宰相府で結果を出せるだろうと内心で首肯する。
だがそれとは別に、クラウドは視界に入る光景に心を揺さぶられてしまう。
彼が見たのは休憩エリアで歓談している三つのグループ。
ジオラックの妻ハウメア、ヒューズの妻マリアンナ、そしてクラウドの姉クリスティーナの奥方グループ。ルシアナ達デビュタントの少女グループ。そしてマクスウェル達の少年グループだ。
(……セレナが生きていたら、奥方達の輪に入り笑っていたのだろうか? 姉上ならよき理解者になってくれただろうに。それに、娘が見つかっていれば、ヒューズ殿の娘やジオラック様の子息ともよき友に……いや、いくら閣下の子息であろうと娘はやらんがな!)
向かい合う二人に分からないように最小限の息を吐く。
爵位を継いで五年。ようやく探し出した愛する女性は、既にこの世を去っていた。
その時の彼の絶望は凄まじく、もし彼女と自分の間に生まれた娘がいると告げられなければ、今彼はどうなっていたか分からない。
セレナとの間に娘がいたという事実は、彼だけでなく多くの者達にとっても僥倖であった。
彼が『宰相補佐 クラウド・レギンバース伯爵』としてこの世にいられたのは、娘という希望があったからに他ならないのだから。
(すぐに見つかると思ったのだが、なかなか上手くいかないものだ。引き取ることができたら新しい名を贈るつもりだったというのに、まだまだその願いはかないそうにないか。……見つかっていれば、きっと今年の舞踏会の主役だったろうな。レクトにエスコートを任せておけば余計な虫もつかんだろうし……それにしても、レクトの奴遅くないか?)
チラリと小扉に視線を送る。するとタイミングよく扉が開いた。
(ようやく来たのか? 少々遅れるかもとは聞いていたが……これだけ遅れてパートナーを連れていなかったら、ご婦人方を全て送り付けてやるからな)
少し待つと他の参加者よりも拳一つ分高い位置に真っ赤な髪が目に入った。どうやら会場に入って来たのは騎士爵、レクティアス・フロードで間違いないようだ。
「おや? あれはレクティアスかな?」
「そのようです、閣下」
ジオラックもレクトを見つけたようだ。三人で彼が現れるのを待つ。
そこでヒューズがある違和感に気が付いた。
「……何やら、向こうが随分と静かですね」
小扉の方向から喧騒が消えつつあった。そしてその静けさはこちらへ向かうように広がっていく。内心で首を傾げる三人。だが、原因が分からない。
そしてとうとう、彼らの前に静寂の原因が姿を現す。
「おや、ようやくレクトが来たよう……」
「あの方がレクト殿ですか。いやはやなかなかの美丈夫で……」
「――…………っ」
ジオラック、ヒューズの言葉が途切れる。その視線はレクトではなく、その隣に佇む少女に向いていた。しかしそれは、彼らに限らず静寂を貫く者達全員の行動だった。
レクトの隣を歩く少女の姿に、誰もが言葉を失いその視線が固定される。
クラウドは言葉を発することさえできなかった。
目の前に、彼の目の前に……十六年間恋焦がれ、再会を夢見ていた……愛しのセレナが、いた。
クラウドの前でレクトは騎士の礼を取った。隣の少女もまた淑女の礼を見せる。
どうにか我に返ったクラウドは、頭を下げる少女の姿をまじまじと見つめた。
(……違う。セレナでは……ない。なぜ、彼女をセレナなどと思ってしまったのだろう。彼女はセレナとは似ても似つかない、美しい金の髪の乙女だというのに……)
レクトが連れてきたのは金の髪、赤い瞳の麗しい少女。
傾国の美姫アンネマリーにも、妖精姫ルシアナにも全く引けを取らない、本当に美しい少女であった。
琥珀のように艶やかな金の髪は、丁寧な網込みとともにサラリと背中に流され、鮮やかな深紅の瞳が優しげにクラウドの瞳を捉える。
その身に纏うのは純白を基調としたロングスリーブのドレス。ところどころにあしらわれた銀の装飾が、彼女の清楚で神秘的な魅力を一層引き立てていた。
肩から腰に掛けて長い、精巧なレースのケープは彼女が歩を進めるたびに流麗にふわりと揺れる。
あたかも、天使の翼のように……。
赤い髪、金の瞳のレクトとはまるで対称的な色合いの少女。美丈夫のレクトと隣り合う姿は宗教画のような優雅さがあった。
美しい絵画に心を奪われるように、誰もがその光景に釘付けになる。
アンネマリーの妖艶な美しさとも、ルシアナの守りたくなるような可憐さとも違う。
その美しさに情欲を向けることが罪であるような、守ろうなど考えることすらおこがましいと断じてしまうような、清らかな美しさがそこにあった。
一瞬、セレナが帰って来たのかと幻視した。
だが、よくよく見れば……いや、よく見なくとも彼女はセレナではない。
しかし一瞬だけ、クラウドは彼女の中に愛する女性の姿を見た。
「遅れてしまい申し訳ございません。レクティアス・フロード、参上いたしました」
「あ、ああ……」
クラウドはまだ本調子ではないらしい。上手く言葉を返せない。
先に正常に回復したのはジオラックであった。
「やあ、遅れた甲斐はあったようだね、レクティアス。それで、その大変麗しいお嬢さんはどなたかな?」
ジオラックに勧められ、少女はそっと顔を上げた。
「お初にお目に掛かります。私の名はメ……セシリアと申します。よろしくお願いいたします」
「……ぁ」
クラウドは瞠目し、しかし言葉を上手く紡げないでいた。
セシリア……それはまだ自身の心のうちに留めていた名前。
いずれ再会が叶った娘に贈ろうと、心に決めていた名前であった……。
◆◆◆
――時間は少し巻き戻る。
「えーと、レクトさん、今どこに向かってるって言いました?」
レクトとメロディが乗り込んだ馬車が出発しておよそ二十分。メロディは今しがたレクトから聞かされた目的地の名前を受け止められないでいた。
彼女から顔を背け、レクトは小さく答える。
「……王城だ」
「……あの、どうして王城へ向かってるんですか? だって、ちょっとしたパーティーって」
「ああ……王城で開催されるちょっとした……春の舞踏会だ」
「へぇ、王城で開催されるちょっとした………………全然ちょっとしてないじゃないですか! 春の舞踏会って言ったら、うちのお嬢様も参加しているデビュタントのお披露目パーティーのことですよ! どうしてそんな場所に向かってるんですか!」
「ん……上司がパートナーと一緒に出席しろとうるさくてな」
(は、は、嵌められたあああああ!? どうしよう!)
ちょっとしたパーティーと聞いていたはずが、なぜか国内三大舞踏会のひとつに参加することになっていた。メロディ、衝撃の事実である。だが――。
レクトもレクトではあるが、なぜ気づかない、メロディ……。
(主の出席するパーティーに参加するメイドなんて聞いたことがないですよ!)
「あの! 私、やっぱりこのパーティーには出席できな――」
「ポーラがお前のためにと寝る間も惜しんで作ったケープ」
「うっ!?」
「ドレスのアレンジのために家にも帰らず、二日も徹夜したそうだ」
(ず、ずるいよ、この人!)
今夜メロディが着ているドレスは既製品ではあるが、ポーラによる徹底したアレンジがなされていた。おかげでまるで天使のような美しい装いとなっている。
ポーラが今夜のパーティーのためにいろいろと準備してくれていたことを知っているだけに、それを引き合いに出されると断りにくいメロディであった。
「くううっ! でも、これはどうにかしないと……お嬢様達にバレちゃいます」
「いや、誰も君だなんて分からないだろう? その……いつもと全然違う顔だし……」
レクト、そう言いながら耳の裏まで真っ赤であった。
これでも結構頑張った方である。彼の中では最大級に褒めているつもりなのだが、メイド以外では鈍感なメロディに通じるはずもなく、また対策を考えて俯くメロディには赤面するレクトの顔が視界に入ってもいなかった。
「甘い、甘いですよ、レクトさん。化粧なんて男性を欺くための仮面に過ぎません。男性は騙せても女性には丸わかりですよ!」
「そ、そういうものか……?」
「ポーラのお化粧はハリウッドメイク並みに凄いから多少は大丈夫だと思いますが、さすがにお仕えしているご家族に会えばどうなるか……」
「はりうっど? ふむ、ならカツラでも被るか? いや、だがせっかくセットした美しい髪を隠すのも……」
「カツラ? ……そうか! だったら、髪の色を変えちゃえばいいんだ!」
「お、おい、急に立ち上がるな!」
何を思い立ったか、メロディは馬車の中で立ち上がり、両手で髪をすくい上げて途中で停止する。
「でも、何色がいいかな?」
そこで目に入ったのはレクトの燃えるような深紅の髪と、琥珀のような美しい金の瞳であった。
「……うん、じゃあそうしよう。わが身の色は自由自在『
「……は?」
呪文とともにふわりと持ち上げられた髪は、全てが垂れ下がる頃にはレクトの瞳によく似た金髪へと変貌していた。そしていつの間にか閉じていた瞼を開くと、黒い瞳はレクトの髪色によく似た深紅の瞳と化していた。
メロディは胸元に垂れる髪を見て小さく頷く。
「えーと、瞳の色はちゃんと変わったかな? 鏡は……ない。仕方ない、レクトさんちょっと失礼」
「な、なんだっ!? ち、近いぞ!」
「ちょっとだけですよ。……うん、綺麗にレクトさんの色に染まってる」
「お、俺の色っ!?」
鏡を持っていなかったメロディは、レクトの相貌にその美しい顔を近づけ、彼の瞳に映る自身の姿を見た。
かつてないほどに近い距離間に、レクトの顔は真っ赤である。もちろん動悸も凄いことに。
だがしかし、レクトの瞳しか……正確にはレクトの瞳に映る自分の姿しか目に入れていないメロディには彼の反応が全く見えていなかった。
もう少し意識してあげてほしい……きっとポーラが見ればそう思うことだろう。
(カメラのないこの世界でなら、髪と目の色が違うだけでもかなりの変装になるはず。ポーラの化粧もあるし、大体お嬢様達だって私が出席するとは思っていないだろうから、よほどしっかり見ない限りこれでバレない……と思う。とりあえず、私を知ってそうな人のところには近づかないように気を付けないと……)
「それは魔法か? そんな魔法があるとは知らなかった……」
「とりあえずこれなら大丈夫かと。でもレクトさん、私を騙すように舞踏会に連れてきたことは反省してください」
「す、すまない。素直に話せば一緒に来てもらえないと思って……」
「ちゃんと正直に頼んでくれればもっといろいろ対策もできたのに。こんなことはこれっきりにしてくださいね?」
「ああ、すまなかった」
レクトはメロディに深々と頭を下げて謝罪した。メロディはそんなレクトの姿を見て小さくため息をつくと仕方なそうに苦笑する。
「分かりました。この件で怒るのはここまでにします。せっかくメイクアップを仕上げてくれたポーラのためにもつつがなく舞踏会に参加しましょう。なるべく目立たずに!」
「ああ、そうだな」
メロディは知らない。今の自分が如何に美しく、多くの者達を魅了するかを。
メロディは知らない。レクトが向かう先にヒューズ以下、ルトルバーグ家の者達がいることを。
メロディは知らない。まさか、レクトの直属上司が……実の父親であることを。
メロディは知らない。まさか、春の舞踏会であのような凄惨な事件が起きることを……。
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