第16話 レクトとメイドの再会
「レクトさんのお屋敷に行くんですか?」
「ああ。まずは君の格好を整える」
合流した二人は馬車に乗るとレクトの屋敷へ向かった。
レクトこと、レクティアス・フロード、二十一歳。
フロード子爵家前当主の三男である彼は貴族区画の外縁部にひっそりと居を構えている。
貴族の爵位は当主のみに与えられる称号であり、本来長兄が爵位を引き継いだ時点でレクトは貴族籍から外れ平民となる予定だったのだが、四年前に『ヴァナルガンド大森林』から現れた厄介な魔物を討伐した功績により、レクトには一代限りの騎士爵位が国王から下賜されていた。
そのため、未だに彼は貴族籍を有し、その邸宅も貴族区画に建てられているのである。
「いらっしゃい、メロディ! 待ってたわよ。さっ、すぐに支度を始めましょう!」
「こんばんは、ポーラ――って、そんなに引っ張らないで! ちゃんと付いて行くから」
屋敷に辿り着くと馬車を下りた先にメイド服の少女が待ち構えていた。レクトが雇っているたった四人の使用人のうちの一人、メロディと同じ
こげ茶色の三つ編みおさげと、目の下に少しばかり浮かぶそばかすが特徴的な、如何にもメイドを思わせる風貌の愛らしい少女だ。年齢はメロディよりもひとつ年上の十六歳らしい。
「……ポーラ。屋敷の主人に挨拶する前にそっちなのか?」
「あ、おかえりなさいませ、旦那様。というか、今はメロディが最優先なんで!」
「ダメよ、ポーラ。お屋敷の最優先は――」
「お客様よね! つまりあなたよ、メロディ。さあさあ、パパっとドレスアップしちゃうわよ!」
「ポーラ!?」
ポーラはメロディを見つけるやいなやその手を取り、一緒に帰宅した主人を放置してメロディを連れて屋敷の奥へと消えてしまった。
末端とは言え、貴族の主を相手になんとも肝の座った態度を取るメイドである。まあ、そういった畏まらない態度だからこそ採用したメイドなのだから、一概に文句も言えないが……。
「……しょうがない。俺もさっさと着替えるか」
レクトは溜息を吐くと心底面倒臭そうに自室へ向かった。
◆◆◆
遡ること五日前、レクトは主たるクラウド・レギンバース伯爵の補佐兼護衛として執務室にいた。
宰相補佐、クラウド・レギンバース、三十三歳。
文官でありながら騎士並に鍛え上げられた肉体は、服の上からでも胸板の厚みがよく分かる。
絹糸のような美しい銀髪は、せっかくの美しさを活かさないベリーショート。側面も刈り上げられ、口元から顎、もみあげに掛けて薄く髭を伸ばしている。
鋭く光る紫の眼光は、王城を牛耳る『宰相府』の次席に相応しい威厳を醸し出していた。
美麗系ではないが、大変男らしい美丈夫である。少々怖い雰囲気はあるものの、そのワイルドな風貌が腰砕けになると、社交界のご婦人方には大人気であった。
何より、伯爵・宰相補佐の高い地位を持つ、顔も体もいい感じな、男盛り三十代の独身男性である。社交界の女性陣に人気がないわけがなかった。
そんな伯爵の仕事を手伝っていると、レクトは少々面倒な話題を持ち掛けられてしまう。
「私が今度の舞踏会にですか? 騎士爵程度、出席せずとも誰も気にしないのでは?」
「そう言って今までもほとんど出席しなかっただろう。いい加減お前の顔を見たいとご婦人方がうるさいのだ。今回ばかりは出席しなさい」
「……畏まりました」
伯爵ほどではないが、レクトも社交界ではご婦人達の立派なターゲットだ。
現時点では一代限りの騎士爵ではあるものの、彼は宰相補佐たる伯爵に信頼される逸材。いずれは正式な爵位を手に入れることもできるだろう。何より伯爵が目を掛けるに違いない。
それに見た目もよかった。短く切られた赤い髪と十分に整った顔立ち。伯爵に仕える騎士だけあって体躯も立派だ。
見た目が良くて将来も安泰な若い男――ぜひともお近づきになりたいという女性は多かった。
こんなことならお嬢様の捜索に無理矢理にでもついて行けばよかったと、レクトは嘆息する。
アバレントン辺境伯領から王都に帰還したレクトは、伯爵の想い人セレナの死を伝えた。愛する女性が既に亡くなっていたことを知った伯爵は一時呆然としていたが、伯爵と同じ髪色の娘セレスティがいることを知ると、すぐに正気を取り戻した。
レクトはアバレントン辺境伯領でセブレという相棒の騎士と別れ王都に帰還した。セレスティが隣国へ向かったという情報を得たため、セブレは隣国へ行きセレスティの捜索を、レクトはこのことを王都にいる伯爵に伝えることとなったのだ。
てっきり報告後すぐに自分も隣国へ向かうよう指示されると思っていた彼だったが、意外にも下された命令は伯爵の補佐兼護衛の任務だった。
向かわせるのは隣国の地理に詳しい者の方がいいという伯爵の判断だ。
セレスティの捜索は秘密裏に行われている。
愛するセレナについては今更素性の隠しようもないが、娘に関しては別だ。当時伯爵家の跡取り息子だった青年と元使用人の女性との間に生まれた庶子。
周囲の貴族から奇異の目で見られること必至である。
娘を引き取る気満々の伯爵としては、社交界で娘が好奇の目に晒されにことなどお断りだった。
だが、創作状況が進展したという報告はきていない。セレスティに関する情報は今のところ全く入手できていなかった。
まあ、実際いないうえ、向かってさえないのだから当然である……所謂無駄骨だ。
「本当は、娘が既に見つかっていればお前に舞踏会のエスコートをさせるつもりだったんだがな」
「私がお嬢様をエスコートですか?」
「うむ。お前なら護衛としては十分だし……何よりお前、女性に興味がないだろう?」
「……」
そんなつもりは毛頭ないのだが、伯爵にはそう思われているらしい……。
伯爵は社交界で一度もレクトの浮いた話を聞いたことがなかった。
モテる貴族男性は大きく二つに分けられる。モテることを利用して堕落した女性関係を楽しむタイプか、言い寄る女性に辟易して女性が苦手になってしまうタイプか……伯爵はレクトを後者だと認識していた。
だが、実際には違う。レクトは……結婚するなら平民の女性がいいと思っていた。
彼は貴族としての生活を少々煩わしく感じていたのである。これ
……残念ながらこれという女性にはまだ出会っていないが。
「ああ、レクト。舞踏会には女性の同伴者を連れてきなさい」
「なっ!? ど、どういうことですか!?」
渋々舞踏会への出席を承諾したレクトに、伯爵は追い打ちを掛けるような命令をくだした。
舞踏会に同伴させられるような女性の知り合いなどいないというのに、なんという無茶振りか。
「先程も言ったが、私がお前に舞踏会への参加を命じたのはいい加減ご婦人方の催促が煩わしかったからだ。レクトよ、もしお前が一人で舞踏会に来てみろ……ご婦人方がなだれ込んでくるぞ?」
伯爵の脅迫じみた言い方に、レクトは思わず喉を鳴らす。
「私も爵位を継いでからはずっと姉上に同伴をお願いしている。一人でいればひっきりなしにご婦人が寄ってくるのでな。この時ばかりは先立たれた義兄上に感謝しているよ」
亡くなった義兄に対し随分と失礼な物言いではあるが、伯爵には姉くらいしか面倒のない同伴者はいないらしい。爵位を継いで初めての舞踏会で相当酷い目にあったそうだ。
「誰でも構わんから同伴者を見繕ってきなさい。できることなら舞踏会に出して恥ずかしくない振る舞いのできる女性が好ましいな、本人のためにも。女性の同伴者がいれば早々不躾に言い寄っては来まい。まあ、押し寄せるご婦人方のお相手をしたいと言うなら一人でも全然問題ないがな」
肩をすくめ苦笑する伯爵に対し、レクトは俯くことしかできなかった。
「……誰か探してみます」
◆◆◆
困ったことになったと、レクトは難しい顔をしながら帰路につく。
普段なら伯爵邸から自宅までは馬車で移動するのだが、同伴者について悩んでいたレクトは徒歩でゆっくりと帰宅した。
歩きながら適当な相手がいないか考えてみるが――誰も思い浮かばない。
貴族の女性に知り合いらしい知り合いなどいないし、迫りくる貴族女性の防波堤の役割をしてもらう同伴者に、舞踏会での振る舞いを知らない平民女性を連れて行くのは気が引ける……というか可哀想だ。
「……そうなると、ポーラにでも頼むしかないか?」
ポーラとはレクトが雇用している
元々商家の出なのだが、実家が潰れてしまい今はメイドとして身を立てていた。商家出身であるためかなかなか肝の座った少女で、貴族であるレクトに対してもいい意味で平等に接する気概を持っている。
彼女なら、舞踏会に出席しても怯えることなく最後まで同伴者を勤め上げられるかもしれない。
「――っと、もう着いてしまったか」
考えがまとまり切る前に屋敷に帰り着いてしまった。
「……風呂にでも入ってしばらく考えてみるか」
仕方なく正面玄関を開けて屋敷の中に入ったレクトは使用人達に帰宅を告げることなく、そのまま風呂場へ直行した。
風呂場に到着すると、既に湯殿の準備は済んでいた。
湯殿の温度が脱衣所にも伝わり仄かに部屋を温めてくれている。
「ほぉ、ポーラにしては気が利くじゃないか」
いつもこちらから催促してからでないとポーラは風呂の準備をしない。もちろんそれは主に入れたてのお湯で風呂に入ってもらえるようにというポーラなりの気遣いなのだが、レクトには全く伝わっていなかった。
ここ最近、レクトは精神的疲労を蓄積させていた。主の想い人の死、見つからない主の娘、そして五日後の舞踏会への出席命令。それも女性同伴で……。
蓄積された心労はレクトの判断力を鈍らせていく。
ここ最近は伯爵の補佐をしていたため帰宅が日没以降になりがちだった。だが、今日に限って早く仕事が切り上がり、日暮れ前の帰宅時間となっている。
普段の帰宅は馬車を利用している。そのため使用人達は屋敷の前で停車する馬車の音で主人の帰りを察するのだが、今日に限ってレクトは徒歩で帰宅した。そのため誰も彼が帰ったことに気が付かなかった。また、レクト本人も帰宅を知らせようとしなかった。
本来なら、ポーラが風呂の準備をしているはずがないのだ。だがレクトはなぜポーラが風呂を準備したのか、それを疑問に思わなかった。
脱衣所で全ての服を脱いだレクトは、生まれたままの姿になる。
疲れを露わにするような大きな溜息を吐いて、彼は風呂場の扉を開けた――。
………………そして彼は、停止した。
「――は?」
「――え?」
水を含み、艶やかな光沢を放つ美しい銀糸の髪。
吸い込まれるように神秘的な、瑠璃色に輝く二つの宝石が、あどけなくも
その手に持つのは大きめの布切れ一枚のみ。その身に纏う物はなく、自身と同様、一糸纏わぬ生まれたままの姿をした――あまりにも美しく神々しい少女が佇んでいた。
首筋から流れる水滴は鎖骨に溜まり、溢れる雫が胸元へ吸い寄せられ――。
視線を逸らすことができない。自身の喉が大きく鳴ったことにも気が付かず、レクトはその光景をただ呆然と眺めていた。
「――美しい、天使だ……」
………………そして彼は、完全に停止した。
一瞬、全ての視界が真っ白になったかと思うと、全身を鋭い針のような物が駆け巡り、レクトの意識はスッパリ刈り取られてしまった。
だが、意識を失う直前、少女の歌声が聞こえたような気がした……。
『い、いやああああああ! 全てを忘却の彼方へ!『
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