第15話 いざ王城へ そしてメイドは……

 メロディが転生したこの世界の暦は、原則的に日本――ひいては地球と酷似している。


 一年は三百六十五日。

 週や月の概念も同じで、王立学園入学式を迎える現在は四月、春である。

 中世ヨーロッパを思わせる世界観ながら、入学式を春に開催するとはこれいかに。

 一般的にヨーロッパでは入学式は秋に開催されるイベントなのだ。


 やはり日本製の乙女ゲームに酷似しているせいだろうか。


 とはいえ、日本の学校文化を持ちつつも、貴族制度を有するテオラス王国には社交シーズンというものが存在する。期間は十二月から八月で、四月現在は社交シーズン真っ盛りであった。


 それに伴い王城では国王主催の舞踏会が年三回開催される。

 社交界シーズン開始の十二月と終了の八月。

 そして、王立学園入学式が開催される四月である。


 特に四月に開催される舞踏会は特別で、満十五歳を迎え王立学園に入学した貴族子女の社交界デビューの場でもあった。


 デビュタント――社交界デビューを迎える娘達は、こぞって美しい衣装を身に纏い舞踏会へ足を運ぶことが慣例となっていた。


 ただし、『貧乏貴族』と名高いルトルバーグ家には、いくら社交界デビューとはいえ娘を着飾らせる余裕などあるはずもなかった。



 あるメイドが現れるまでは――。



 入学式を終えたルシアナ一行は、全ての行程を終えるとその足で帰路についた。

 ルシアナに忘れ物を届けに学園に来ていたメロディも彼らの馬車に同乗させてもらった。

 昼食を終えたルシアナとマリアンナはすぐに舞踏会の衣装合わせを始める。

 女性の着付けには時間が掛かる。夕方の五時には迎えの馬車が来るのだから、すぐにでも始めなければならないのだ。


「我が身はひとつにあらず『分身アルテレーゴ』」


 この時ばかりはメロディも分身を要する。

 乙女の支度に『パパっと』などありはしないのだ。

 ルシアナとマリアンナはそれぞれの部屋で肌のお手入れやマッサージなどを受けると、ドレスに着替えた。

 それが終わると化粧を施し、最後に髪の毛を整えれば――。


「完成です!」


「……これが、私?」


 姿見に映る自身の姿を、ルシアナは呆然と見入っていた。

 それはまさに、『舞踏会クオリティー』と言って間違いない完璧な仕上がりだった。

 ひと目で分かる瑞々しくハリのある白い肌。

 かつての乾燥肌の痕跡などどこにも残っていない。

 白いながらも血色よく見える頬はコーラルピンクのチークだろうか。

 ベビーピンクの口紅が彼女の愛らしいくちびるに自然なツヤとぷるんとした柔らかさを演出している。


 陽光を思わせる金の髪は、ラメを散りばめたわけでもないのにキラキラと輝いて見える。

 きつめにカールされた髪は、耳から上の後ろ髪をひとつにまとめられ、優雅な巻き髪が背中で揺れている。

 おかげで、華やかで大人っぽい印象を生み出すことができた。

 身に纏っているのは淡い水色と碧色を組み合わせた、グラデーションが美麗なオフショルダーのドレスだ。背中も肩甲骨のあたりまでぱっくり開いてなかなか大胆な作りになっている。


 鏡の前でくるくる回るルシアナ。さながら森で踊る妖精といったところだろうか。


「お嬢様、大変お綺麗です」


「……ありがとう、メロディ」


 メロディがいなければ、これほど美しい出で立ちで舞踏会に臨むことはできなかっただろう。


 ルシアナの心を込めたお礼の言葉に、メロディは優しく微笑むだけだった。


 後に訪れた伯爵夫妻は、娘の見事な仕上がり具合に感嘆の声を漏らす。

 二人もまたメロディに礼を告げるが、それに対しても彼女は「恐れ入ります」と返礼するだけだった。


(よし、かんぺき! 初・舞踏会仕様メイク! 奥様もお嬢様もいい仕上がりだわ!)


 慎み深い優しい微笑みの下で結構浮かれているなど知る由もない三人であった。


 ちなみに、マリアンナは淑女らしく髪を後ろにまとめ、濃い緑色と白色を組み合わせたドレスを身に纏っている。

 メロディのおかげで女性陣のドレスはまるで新品のよう……なのだが?


「今日の二人のドレスは初めて見るね? そんなドレスを持っていたかな?」


「ふふふ、気になるの? ヒューズ」


「ふふふ、どうしたと思う? お父様」


 ルシアナとマリアンナは悪戯っぽい瞳をヒューズに向けた。


「……まさか、舞踏会のために……ド、ドレスを新調したのかい?」


 先程まで妻と娘の美しさに浮かれていたヒューズであったが、とたんに青ざめてしまった。

 王都で任官されたとはいえ伯爵家の財政はまだまだ明るくない。

 娘の舞踏会のためと考えれば多少の出費はこの際仕方がないが、二人のドレスの出来栄えを見る限り、とても安物とは思えなかった。


「ご安心ください、旦那様。これは当家に元々あったドレスです」


「ほ、本当かい? いや、でも、こんな美しいドレスに覚えは……」


「違うのよ、ヒューズ。これはね……」


「メロディが二つのドレスを使って新たに仕立て直したドレスなのよ。凄いでしょ!」


 そう告げるとルシアナとマリアンナはヒューズの前に並んでくるりと回ってみせた。


「仕立て直した?」


「お二人のドレスは、元々お持ちだった二着のドレスを魔法で再縫製し、新たに一着のドレスに仕立て直したものです」


「二着のドレスを、一着に?」


 舞踏会に向けてルシアナとマリアンナはメロディにドレスの相談をしていた。

 贅沢だとは分かっていたが、せっかくの舞踏会だ。

 新しいドレスで臨みたいと思うのは仕方のないことだろう。

 一般的に、舞踏会へは新調したドレスで赴くのが貴族としての当然の嗜みなのだから。


 これに対しメロディが出した答えは、新しいドレスを作ってしまおうというものだった。

 元々メロディの魔法『再縫製リクチトゥーラ』は青いワンピースを白黒のメイド服に作り変えてしまうほどの高度な魔法だ。

 手持ちのドレスを新しいデザインに作り直すことなど造作もなかった。


 その結果、出来上がったのがこれらのドレスなのである。


「……メロディには驚かされてばかりだな」


「どうかなさいましたか? 旦那様」


「気持ちは分かるわよ、ヒューズ」


「それはみんな同じよ、お父様」


「――?」


 メロディにとって、家人のためにドレスを仕立てることは仕事の範疇であり、これも単なるドレスのリメイクである。三人が何に驚いているのか全く理解できなかった。


 頭にクエスチョンマークを浮かべるメロディを見て、三人は眉根を下げて微笑むだけだった。


 ちなみに、ヒューズの正装もしっかりリメイクされているのだが、最後まで三人はそれには気が付かなかった。まあ、リメイクと言っても燕尾服なので大して違いはないのだが……。


「私達の馬車も五時頃に来ることになっている。ルシアナの馬車を見送ってから出発するよ」


「はい、お父様」



◆◆◆



 身支度を終えた三人は食堂でお茶を飲みながら馬車を待つことにした。


「それにしても、ルシアナのエスコートをしてくれるマックスさんって、どんな方なのかしら?」


「メロディは優しくて紳士的な美人の先輩だって言ってたけど?」


「いくらメロディの知り合いとは言え、いきなり見知らぬ男に娘を預けるのは心配なのだが……」


「そういうセリフはエスコート役を用意してから言ってください、お父様」


「む、むう……」


 屋敷に帰る馬車の中でエスコート役の話を聞いた伯爵夫妻は驚愕と困惑に包まれた。

 舞踏会に出席する社交界デビューの女性にエスコート役が必須であることを完全に忘れていたのである。

 社交界デビューでさえなければ相手役はシャペロン(お目付け役の女性)でもよかったのだが、この国ではデビュー初日の舞踏会だけは男性がエスコートする決まりになっていた。


 そのことを失念していたヒューズには、反論のしようもない。


「お嬢様、お茶のおかわりはいかがですか?」


「いただくわ、メロディ」


 実際、現時点で困惑し不安を感じているのはヒューズだけだった。

 マックスを知るメロディはもちろんのこと、ルシアナとマリアンナは「まあ、メロディの言うことだし」と既に受け入れてしまっていた。

 よくよく考えてみればメロディがルシアナに害になる人間を連れてくるわけがないのだ。

 ヒューズとてメロディのことは信頼している……が、こればっかりは娘を持つ男親の宿命だった。


(メロディには悪いが、もし性根の悪そうな男だったら問答無用でぶっとばしてやる)


 ……そんなことをすれば、伯爵家はおしまいである。


 三人に紅茶のおかわりを注ぐメロディ。

 ルシアナは淹れ直してもらった紅茶に口をつけながらメロディを見てふと思い出した。


「そういえばメロディ。私達が出発した後はお友達のパーティーに出席するんだっけ?」


「はい。でも本当によろしんでしょうか? お屋敷が無人になってしまいますが」


 王都に来て既に二ヶ月。それだけ時間があればメイド業務に勤しむメロディであっても友人の一人や二人くらいはできるものだ。少し前に知り合った友人からパーティーへ誘われたため、伯爵に尋ねたところ、出席の許可が貰えたのである。


「構わないさ。むしろ少しくらい遊んできなさい。聞けばうちで働きだして一日も休んでいないのだろう? あまり遅くなりすぎなければ好きにするといいよ」


 メロディがルトルバーグ家に雇われ始めて約二ヶ月。

 その間、メロディは一日たりとも休みはしなかった。

 むしろ毎日メイド業務を楽しんでいたので休むという発想自体なかった。


 だが、これは由々しき問題である。

 仕事に励むことは大切だが休むことも重要だ。メロディにしてみれば年中趣味にあけくれているようなものなのだが、だからといって週七勤務はよくない。


 世間一般の労働基準の観点から言えば……はたから見れば完全に『ブラック』である。


 世間話に一区切りついた頃、ドアノッカーを叩く音が響いた。

 五時には少し早いようだがマックスが来たらしい。

 四人はすぐに食堂を出て玄関ホールに足を運んだ。

 そして、正面玄関から現れた少年の姿に目を見開いて驚くこととなる。


 ルシアナとマリアンナは少年のあまりの美しさに、ヒューズは見覚えのある少年の風貌故に。


「リ、リリ、リクレントス宰相閣下の!」


「三日ぶりですね、ルトルバーグ伯爵殿。本日ご息女のエスコートを引き受けさせていただきます。リクレントス侯爵家長男、マクスウェル・リクレントスです。よろしくお願いいたします」


(ええええええええ!? メロディの友人って、侯爵閣下のご子息!? 何そんな大物のご子息とお友達になっちゃってるの、うちのメイドは! ……これじゃ殴れないだろう!)


 てっきり子爵か男爵くらいの下位貴族の子息だと思っていたのに、まさか王国指折りの大貴族の長男が娘のエスコートに現れるなど、誰が予想できるだろうか。


 というか、メイドの友人が宰相のご子息って、何なの!?


 今日一番の驚愕と困惑を必死で顔に出すまいと耐えながらヒューズはメロディへと顔を向けた。

 メロディはいつも通りのほほ笑みを浮かべながら扉のそばに控えている。

 マクスウェルが玄関ホールに入る際に、メロディの方をちらりと覗いていたが、それにも反応を示していなかった。


(侯爵って、宰相って何!? マックスさんってそんな上位貴族だったの!? 教えといてよ!)


 今のメロディは完璧にメイドを演じていた。ただし、メイド服の下は汗びっしょりである。


「はじめまして、ルシアナ嬢。本日はよろしくお願いします」


「――え? あ、ああ! は、はい! よろしくお願いしまっしゅ! ……!?」


 思わず吹き出しそうになるのを耐えるマクスウェル……笑顔が歪んでいる。


 この中で誰が一番驚いたか――もちろんエスコートを受ける張本人、ルシアナである。

 思わず噛んでしまっても誰も責めやしないだろう。顔を真っ赤にして俯いてしまった。

 だが、マクスウェルはマクスウェルで、ルトルバーグ家を訪れて驚きを隠すのに必死だった。


(一体どこが『貧乏貴族』だというんだ? この屋敷、どう見たって新築じゃないか)


 小さいながらも屋敷の手入れは完璧で、『貧乏貴族』を連想させるところはどこにもなかった。そのうえ、出迎えてくれたルトルバーグ家に面々の出で立ちにも全く貧乏臭さが見当たらない。


 シックだが新調したてのような伯爵の燕尾服。

 とりたてて高価な素材を使っているわけではないが、それでも高貴な雰囲気を醸し出している夫人とご息女のドレス。

 特にルシアナの姿など上から下まで全く隙のない可憐で清楚な美しさだ。

 まさに妖精と言っても過言ではない。


「……こんなに美しい少女がこの世にいたとは」


「――え? 今何かおっしゃいましたか?」


「……いえ、なんでもありません。それでは参りましょうか、あなたの舞踏会へ」


 ポツリと呟いたマクスウェルの言葉はルシアナには聞き取れなかった。

 気を取り直したマクスウェルは右手を差し出す。

 ルシアナは、顔を赤らめつつも笑顔を浮かべながら自身の手を重ねた。


「――はい、よろしくお願いします」


「それでは伯爵殿、お先に失礼いたします。後ほど会場でお会いしましょう」


「……承知しました。娘をよろしくお願いします」


「お任せ下さい」


「行ってまいります、お父様、お母様」


「ああ、楽しんできなさい。後でな」


「今日はあなた達デビュタントが主役よ。社交界の花になってきなさい」


「はい! 行ってくるね、メロディ」


「いってらっしゃいませ、お嬢様」


 ルシアナの手を引き屋敷を出る瞬間、マクスウェルはメロディへ微笑みかけたが、彼女は笑みを浮かべたまま一礼するだけだった。

 マクスウェルは少々残念そうに肩をすくめると、ルシアナを馬車に乗せ一足先に王城へと向かった。

 ほどなくして伯爵夫妻の馬車も到着した。


「では、行ってくるよ、メロディ。戸締まりだけはしっかり頼むよ。君も楽しんできなさい」


「メロディなら大丈夫だとは思うけど、夜の独り歩きは危ないから気をつけてね」


「お気遣いありがとうございます、旦那様、奥様。いってらっしゃいませ」


 メロディが見送る中、伯爵夫妻もまた王城へと向かった。


「さて、私もすぐに準備しなくっちゃ」


 家人達が屋敷を出ると、メロディはすぐに食堂を片付け、屋敷中の戸締まりを確認した。

 友人からは特に何も用意する必要はないと聞いていたので、この格好のまま裏門で迎えを待つ。

 やがて裏門に一台の馬車がやってきた。二人乗り、一頭立ての小さな馬車だ。

 馬車は裏門に立つメロディの前までくると静かに停車し、中から一人の男性が降り立った。


「すまない、待たせたな」


 本当に申し訳ないと思っているのだろうか?

 感情のこもっていない、呟きのような謝罪を告げる男性にメロディは気にした様子もなく笑顔で返す。


「いいえ、私もさっき出てきたばかりですから。じゃあ、行きましょうか――レクトさん」


 ショートヘアの赤い髪、眠そうな金の瞳を持つ青年。

 以前、王都行きの定期馬車便の乗り場をメロディに教えてくれた青年が、彼女の前に立っていた。

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