第14話 王太子の私室にて
例年、厳かな雰囲気で開催される王立学園の入学式。しかし昨年度に開催されたそれは、とても厳かとはいえないものだった。
一見すると静黙を保つ新入生、その保護者達であったが、ある一人の少年が壇上に上がった瞬間、声なき黄色い声援が会場中を埋め尽くしていた。
蕩ける瞳で少年を見つめる女生徒達。隣に腰を下ろす夫を一瞬忘れ、少年の美貌に惚ける奥様方。男性さえもその美しさに諦観と羨望の眼差しを向ける彼の名は――。
「はじめまして。マクスウェル・リクレントスと申します。僭越ながら新入生代表挨拶を務めさせていただきます」
現宰相にしてリクレントス侯爵家当主、ジオラック・リクレントスが長男、マクスェルであった。
誰に向けられたわけでもない彼の魅惑的な視線に、老若男女を問わず多くの者達が魅了された。
そして、今年もまた王立学園の入学式は厳粛な雰囲気を保つことはできなかった。むしろ昨年以上に入学式に出席した全員が、かの少年が壇上に上がる瞬間を今か今かと心待ちにしていたのだ。
彼の名が呼ばれ涼やかな返事が会場に響くと、誰もが口をつぐんだ。決して彼の声を聞き漏らさぬようにと、真剣な眼差しが壇上へ向けられる。
繊細にして艶めかしい黒い髪、海の煌きを彷彿とさせる
壇上に上がる後ろ姿でさえ、ある種の神事なのではと錯覚してしまう――そんな神秘的な美しさを感じさせる少年が、壇上に上がり出席者全員に向かい合っていた。
「はじめまして。私の名はクリストファー・フォン・テオラス。テオラス王国王太子たる私が、若輩者ながら新入生代表として挨拶をさせていただく」
朗らかに、清々しい声が会場中に響き渡る。誰もが王国始まって以来の神童に耳を傾けた。
第一王子、クリストファー・フォン・テオラス。
年明けに、正式に王太子に任じられた彼は、王国に生まれた次代の名君として、既に王都中の話題の的であった。
国内全域に渡る定期馬車便の設立や、低所得者を救済する商業ギルトへの働きかけなど、若干十五歳にして彼が国民にもたらした利益は計り知れない。
誰もが羨む美貌と頭脳、そして王族としての高い決断力と、身分の差に拘らない柔軟な発想力を兼ね備えた彼は、貴族、平民を問わず名実ともに憧れの的であった。
だが、彼らは知らない。
入学式を終え、夜の舞踏会の準備のために王城に戻った王太子が――。
「世界を救う聖女が、ヒロインが現れないんですけど! 魔王、復活するんですけど!」
などと自室で喚き散らしていることなど……。
「またか……」
メロディとの歓談を切り上げ、王城にあるクリストファーの私室に赴いたマクスウェルは、いまだ暴走状態の『テオラス王国の次代の名君』を見つめながら寂しい溜息を吐いた。
入学式では綺羅びやかな王太子を演じていたというのに、落差が激しすぎる……。
王国始まって以来の天才、王太子クリストファーには時折このように意味不明なことを叫ぶ発作のようなものが見受けられた。
やれ『魔王』だの、やれ『聖女』だの、はたまた『ヒロイン』やら『攻略対象』など、いくら聞いてもマクスウェルには全く理解できない内容だ。
これに対処できるのはただ一人の令嬢だけだった。
呆れた様子のマクスウェルは、叫び続ける彼を他所に王太子付きの侍女達へ向き直る。
「すまないが、いつものようにヴィクティリウム侯爵令嬢を呼んできてくれるかな? おそらく今夜の舞踏会に向けて最後の衣装合わせをしているはずだから」
「畏まりました」
もはや慣れっことなった年配の侍女達がマクスウェルの指示に従い、王太子婚約者候補筆頭たるヴィクティリウム侯爵令嬢を呼びに行った。
ある事情により、正式な婚約者でないにもかかわらず、王城には彼女のためにあてがわれた私室が存在する。
その理由というのが王太子の宥め役であった。
「まあ、殿下。またそのように叫ばれて……一体どうなさいましたの?」
クリストファーの私室にやってきたのは美しい女性だった。
燃えるような赤い髪は腰よりも長いストレートヘア。
凡庸な宝石では到底太刀打ちできない、切れ長な翡翠の瞳。
均整の取れた顔立ちと、ふっくらとした朱色のくちびるは十五歳にして既に大人の色気を醸し出している。
その肢体は襟首までしっかりとドレスで隠されているにもかかわらず、
少々気の強そうな顔立ちをしているが、それもまた男心をくすぐる妖艶さに繋がっていた。
まさに男の理想を体現したかのような絶世の美女、アンネマリー・ヴィクティリウム侯爵令嬢がマクスウェルの頼みにより王太子の私室に足を運んでいた。
幼い頃からの幼馴染である彼女だけが、なぜか発作を起こす王太子を宥めることができるのだ。
「まったく、わたくし衣装合わせをしておりましたのに……」
「残念ながら君でないと今の彼は静まりそうになくてね。悪いが頼むよ」
苦笑を浮かべながら頼み込むマクスウェルを見て、アンネマリーは小さくため息を吐く。こちらに気づく様子もなく叫び続ける王太子を他所に、いつも通り部屋にはクリストファーとアンネマリーの二人きりにしてもらうと、扉に手をかざし息を整え呪文を唱えた。
「平静と沈黙を保て『
アンネマリーには魔法の才能があるようだ。
これでもう何をしても外に音が漏れる心配はない。アンネマリーが何をしようと、何を語ろうと、それを知ることができるのはクリストファーただ一人。
そう、クリストファーが秘密を漏らさなければ、アンネマリーが何をしても問題ないのだ。
彼女は部屋の隅まで来ると、飾られている甲冑騎士のオブジェから剣を抜き取り、王太子へ向けてダッと駆け出した。
「チェエエエエストオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
「このままヒロインちゃんが現れてくれないと、俺達みんな死ん――うぎゃあああああああ!」
みっともない絶叫が部屋全体に響き渡る。だが安心してほしい。王太子の恥ずかしい叫び声が他の者達に聞かれる心配は既に対処済だ。
一人暴走を続けていたクリストファーは首筋に迫る横一閃に気が付き、反射的に仰け反るとみじめな絶叫をあげた。剣閃を避けることで精一杯だった彼は、受け身のことなど考えることもできず、勢いよく脳天から地面に叩きつけられることとなった。
「ぎょおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
何が起きたのか理解できず頭を押さえながら地面を転がるクリストファーの姿を見て、アンネマリーは心底落胆の表情を浮かべる。
「……もう本当にガッカリ。こんなのが攻略対象の筆頭だなんて、マジありえないわ……」
「ア、アンナ!? お前いつからここに! というか、さっきのはお前か!? 殺す気かよ!」
「そうね、それもいいかも。一度死んでくれない? そうしたら、もしかするともっと王子様に相応しい素敵な誰かが転生してくれるかも」
「ひ、ひでええよおおおおおおおおおおおお!」
ようやく痛みも収まり我に返ったクリストファーは、剣を持ちながら侮蔑の視線を向けるアンネマリーに気がついた。それに文句を言うが、返ってきたのはさらなる言葉の凶器であった。
「『攻略対象』の自覚が足りないのよ、クリストファー。いえ、栗田秀樹!」
「そっちこそ、『悪役令嬢』なんだから王子には優しくしてくれない!? 朝倉杏奈!」
この二人、元日本人の転生者であった。
今世どころか前世でも幼馴染だった二人は高校三年生の春、登校中に交通事故に遭い、二人仲良く王子と侯爵令嬢に転生してしまったのである。
六歳の頃に初顔合わせをした瞬間、二人は前世の記憶を取り戻し、今の関係に至っている。
ちなみに、彼らの会話から察せられる通り、この二人に恋愛感情は皆無である。幼馴染だからといって友達以上恋人未満などという甘い関係には早々なれるものではないのだ。
現実は厳しいのである――。
「それで何? あんたまさか、ヒロインちゃんとの出会いシーンを逃しちゃったって言うんじゃないでしょうね?」
「いやいや、俺は何も悪くないぞ! 俺は指定された場所、時間でヒロインちゃんの登場を待っていたんだ。でも、ヒロインちゃんは現れなかったんだよ!」
クリストファーが正気に戻ったので、早速二人はソファーに腰を下ろし相談を始めたのだが、クリストファーの発言にアンネマリーは顔をしかめてしまった。
「この世界が私達の知っている乙女ゲーム『銀の聖女と五つの誓い』の世界だというなら、あんたとヒロインちゃんの出会いでシナリオが始まるはず。その出会いがなかったと?」
「に、睨むなよ! 現れなかったものはしょうがないじゃん!」
乙女ゲーム『銀の聖女と五つの誓い』とは、アンネマリーが前世でハマっていた女性向け恋愛シミュレーションゲームである。
母親を亡くし生きる希望を失ったヒロインの元へ、父を名乗る伯爵の遣いが現れる。
父親に引き取られ伯爵令嬢となったヒロインは、命じられるままに王立学園へ入学し、様々な人達との出会いの中で、生きる希望を見出しながら攻略対象となる男性達と恋に落ちる王道乙女ゲームである。
彼女がよく知るそのゲームに、この世界はあまりにも酷似していた。アンネマリー自身もまた彼女がよく知る登場人物の一人なのだ。
アンネマリー・ヴィクティリウム侯爵令嬢。ヒロインのライバル役――所謂『悪役令嬢』である。
クリストファー・フォン・テオラスも、もちろんゲームに登場している。
むしろヒロインと恋仲になる可能性がある五人の男性陣の一人――所謂『攻略対象』と呼ばれる存在だ。
クリストファーもまたこのゲームについてはある程度の知識を有していた。
前世の彼には一歳下の妹がいたのだが、彼女もこのゲームにハマっており、妹経由でいろいろとゲーム知識を刷り込まれていたのだ。
というか、秀樹の記憶では妹と杏奈は一緒にゲームをしていたはずだ。
「ヒロインちゃんが現れないという状況がどれだけまずいか分かってるの?」
「分かってるよ! だからどうしようって悩んでるんじゃねえか! このままヒロインちゃんが現れなかったら、後に復活する魔王への切り札がないってことなんだからな!」
乙女ゲーム『銀の聖女と五つの誓い』には、ヒロインにある設定が用意されていた。
それが『聖女』である――。
王城の最下層、『古の書庫』にのみ記録が残る世界の厄災『魔王』。
ゲームを進行していく中でヒロインは様々な災難や災害、はたまた怪奇現象に遭遇し、攻略対象達と苦難を乗り越えてゆく。
それらは全て魔王復活の前兆であり、ゲーム終盤で魔王が復活するのだ。
『古の書庫』の記録には魔王に対抗できる唯一の存在についても記載があった。
「魔王が復活する時、聖女の誓いが闇の力を祓うだろう」と。
その『聖女』というのがヒロインである。
王立学園で魔法の適性検査を受けたヒロインは、多大な魔力を持つと判明したにもかかわらず、魔法を使うことができなかった。
しかし、魔王が復活し、攻略対象者が命の危機に立たされた時、聖女の愛の誓いが魔王を祓う救済の魔法を生み出し、世界が救われるのだ。
ヒロインの心の全てを埋め尽くす強い決意と誓いの言葉が、天へと届き聖なる祝福を与える。
『私は、生きます! ずっと母を亡くした悲しみを忘れることができなかった。でも、忘れられなくても……あなたと、あなたと生きられるなら! 私はあなたとともに歩むために、生きたい!』
『……自身のため、そして誰かのための誓い……全てが揃った。聖なる乙女に祝福を』
『――え!?』
というのが、誰を攻略対象に選んでもヒロインが告げる誓いの言葉なのだが……。
「……これを見て」
「何だこれ?」
アンネマリーは数枚の書類をクリストファーの前に差し出した。
「……これは、今年度の王立学園の新入生名簿か?」
「出来たての最新版よ」
「――おい、これって……ヒロインちゃんの名前が載ってないじゃねえか!」
「そうよ。一応ヒロインちゃんに関する情報は調べられるだけ調べておいたの。商業ギルドの情報網を借りてね」
表沙汰にはなっていないが、王太子の功績にはアンネマリーも深く関わっている。
彼らの功績のひとつに商業ギルドの改革がある。
低所得者救済の目的はもちろん含まれるが、彼らの本当の目的は商業ギルドの幅広い情報力との繋がりを作ることだった。
何をするにも情報が命であることを、現代日本人の記憶を持つ二人はよく理解していた。
王族直属の優秀な情報機関はあるが、彼らに隠れて情報を収集する必要がある場合に備えて、商業ギルドの情報網を取り込んでおこうと考えたのだ。
「結論から言えば、ヒロインちゃんについては何も分からなかったわ。あえて言うなら、ヒロインちゃんはまだ表舞台に立っていないということくらいかしら?」
「どういうことだ?」
「ヒロインちゃんの名前は覚えてる?」
「確か……『セシリア・レギンバース』だ。レギンバース伯爵の隠し子だろ?」
「隠し子というか、母親の方を探したら子供がいたことが発覚して引き取ったのよ。でも、商業ギルドを通してここ最近の伯爵家の購買記録を確認してみたけど……女物の商品の取り扱いなんて全くなかったわ」
「……つまり、レギンバース家は未だにヒロインちゃんを見つけ出していない?」
「その可能性が高いわ。……これでは探しようがないわね」
アンネマリーは眉間にしわを寄せて大きく溜息を吐く。
「で、でもヒロインちゃんの名前は分かってるんだから、探せば見つかるんじゃないか? それに容姿だって、銀の髪と瑠璃色の瞳だろ? どっちも珍しい色だからすぐに見つかるだろう?」
「……容姿はともかく、名前では無理だわ。だって、その名前は伯爵家に入ってからのものだから」
「そうなのか?」
「ヒロインちゃんの母親は元々伯爵家のメイドだったのよ? いくらなんでも体裁が悪いわ。娘が奇異の目に晒されないように、あえて新しい名前を付けたってわけ」
「えーと、じゃあその前の名前は……?」
「残念ながらゲームでは登場しないのよ。元々どこの生まれなのかもゲームでは語られていないのよね。前世では夏に販売するファンブックでその謎も解けるはずだったのに!」
アンネマリーは「くっそおおおおおお!」と叫びながら心底悔しそうに天を仰いだ。
「もう! せっかくヒロインちゃんの顔を拝めると思ってたのに! どうして現れてくれないのよ、ヒロインちゃん! あの神秘的でキュートな笑顔を生で見れるって期待してたのに!」
「……お前って、マジ可愛い女の子好きだよな?」
クリストファーは心持ち体を反らしてアンネマリーから身を離した。
正直怖いと思っている。
「見れるのが好みでもなんでもないなよっちい王太子のアホ面だけだなんてあんまりだわ!」
「それ、俺に対してあんまりすぎない!?」
「せめてレクト様! 私の推しカプ、ヒロインちゃんの護衛騎士、レクト様が見たいわ! 細いだけのクリストファーと違って、真に引き締められた細マッチョイケメンなのよ!」
「俺だってお前なんかよりヒロインちゃんと婚約したいわ! 俺はお前みたいなボンキュッボンじゃなくてヒロインちゃんみたいな清楚なスレンダー体型の方が好みなんだよ!」
もはや売り言葉に買い言葉である。
女性にスタイルのことで文句を言うなど、男の風上にもおけない――制裁必須である。
「なんですって……私がこのモデル体型を維持するのにどれだけ苦労してると思ってるのよ!」
「ぎゃあああああああああ! あっぶねえええよ! マジ死ぬから! やめろって!」
「うるさい! 死ね!」
「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」
アンネマリーは未だに剣を手元に置いていた。クリストファーから発せられたデリカシーの無い発言にブチ切れたアンネマリーは、今世で身につけた類まれな剣技を王太子に惜しげもなく披露する。
少しでも油断すればクリストファーの首が飛ぶ。死にたくなかったら何がなんでも必死で避け続けるしかなかった。
アンネマリーがどうやって暴走するクリストファーを宥めるのか……?
それは優しく諭すわけでも、前世の記憶を持ち続ける者同士で慰め合うわけでもない。
日々のお嬢様暮らしから生じるストレスを、クリストファーで解消しようとするアンネマリーから全力で逃げ回ることで、暴走する気力を欠片も残さないようにしていたのである。
◆◆◆
しばらくして、王太子の部屋の扉が開かれた。
扉の前で二人を待っていたマクスウェルはいつものことながら聞かずにはいられなかった。
「……君達、いつも中で何をしているんだい?」
「何って……わたくしはただ、殿下を宥めていただけですわ」
部屋から出てきたアンネマリーは、頬を上気させ少し汗ばんでいるようだ。
心地よい疲れからくる息遣いが妙に艶めかしい。女性に辟易しているマクスウェルですら一瞬ドキリとするほどだ。
対するクリストファーは、何かを搾り取られたように疲れ切った顔をしている。
だが、アンネマリー同様息を荒げ、頬を上気させ彼女以上に汗だくだ。
恥ずかしいのか、決してアンネマリーの方を見ようとしない。
マクスウェル達が外へ出ると、すぐに魔法によって遮音がなされた。
しかし、音は消えても扉や床が揺れているのは見れば分かる。
扉がギシギシと揺れるほど、中で一体何をしていたというのか?
「……君達、どうして正式に婚約しないんだい?」
マクスウェルにしろ侍女達にしろ、もはやそうとしか思えなかった……ナニとは言わないが。
「いやですわ、マクスウェル様。わたくしと殿下が婚約だなんて……」
「……ありえないよ、マクスウェル」
クリストファーは部屋に残り、アンネマリーは衣装合わせのために私室へ戻っていった。
「いつも二人一緒なのに、どうして婚約しないんだろうな? 陛下も侯爵も何をしているんだ?」
まさか二人が正式な婚約を水面下で阻止していることなど知る由もないマクスウェルだった。
「結婚なんてしてみろ……初夜にはもう未亡人だっつーの」
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