第11話 わりと過激な親子の再会 メイドの惨劇再び
ルトルバーグ伯爵領。王国の北方に位置するそこは本来、国内でも十指に入る広大な領地だった。しかし、先々代伯爵が事業に失敗したせいで、その借金を返すために多くの領地を手放すことになった。今では当時の五分の一程度しか残っておらず、ルトルバーグ伯爵家は高位貴族でありながら『貧乏貴族』の代名詞とまで呼ばれるようになっていた。
ここ数十年で借金返済こそ達成できたものの、残っているのはこれといった特産品もない小さな領地のみ。領民の生活もギリギリで、伯爵家再興の道は未だ厳しい状況だった。
貧乏貴族と呼ばれる伯爵家だが、領民からはとても慕われていた。伯爵家が貧乏なのは何も領地が貧しいからだけではない。領民を慮る伯爵が、必要に応じて税率を下げるなどの救済措置を取っていたからだ。
特にここ数年は不作が続いており、税率は下がる一方だ。税収の不足分は全て伯爵家の負債として残ることとなるが、そうしなければ餓死する領民がいたのも事実で、貧しくとも領民を愛し守ってくれる伯爵に、領民達はとても感謝していた。
清貧を重んじる現当主の名は、ヒューズ・ルトルバーグ伯爵。
先々代の過ちから手堅い領地経営を学び、伯爵家のせいで貧しい暮らしを余儀なくされた領地を救うために粉骨砕身する姿は、領民からも彼の家族からも尊敬されるものだった。
そんな伯爵に転機が訪れる。
昨年の全国的な不作の際に、手堅い領地経営のおかげで餓死者を一人も出さなかった件が宰相及び宰相補佐の目にとまり、宰相直属部署『宰相府』への任官を命じられたのだ。
娘のルシアナの進学とヒューズの任官が同時期であったこともあり、ルトルバーグ一家は総出で王都に住まうことになったのだが、出発直前に領内でトラブルが発生したため急遽ルシアナだけが先に出発することになった。入学手続きの関係で遅れるわけにはいかなかったのである。
伯爵はルシアナをたった一人で王都へ向かわせた。まさか向かわせた王都邸がボロボロの幽霊屋敷とは思いもせずに……。
「な、なんだ……これは……」
娘のルシアナを先に王都へ送り、一ヶ月後にようやく領地のトラブルを解消して王都に辿り着いたヒューズ・ルトルバーグ伯爵は呆然とした様子で王都邸の玄関ホールに立っていた。
ふわりとした短い金の髪とブラウンの瞳の美丈夫だが、口をポカンと開けて残念な容貌だ。
「これが……うちの、王都邸?」
ヒューズの妻、マリアンナもまた同様に口をポカンと開いて玄関ホールを眺めていた。
ブラウンの髪と碧い瞳の美しい女性だが、せっかくの美貌が勿体無いことになっている。
辿り着いた王都邸はとても人の住めるような屋敷――どころではなく、貧乏貴族のルトルバーグ家には不似合いなほどに美しく、立派なお屋敷であった。
「お待ちしておりました、旦那様、奥様」
そのうえ、年若く美しいメイドが二人を出迎えてくれた。メイドはもっと高齢では?
「いらっしゃい、お父様、お母様!」
「ルシアナ!」
聞き覚えのある少女の声に伯爵夫妻が我に返ると、ルシアナが飛び込んできた。伯爵は最愛の娘の腰を抱きかかえ、嬉しそうに笑った。マリアンナは娘の行動に驚きつつも、喜びを全面に押し出す娘の表情に自然と笑みをこぼす。
正直、夫妻は不安に思っていた。仕方がなかったとは言え、可愛い娘を一人王都へ向かわせて大丈夫だろうかと。だが、娘の様子を見る限りその心配は杞憂だったようだ。
「久しぶりだね、ルシアナ。息災のようだな。何事もなかったようで安心したよ」
笑顔で告げる伯爵に、ルシアナもまた笑顔で応える。ルシアナは笑顔のまま伯爵から離れると、右腕を肩から背中に回し――目にも留まらぬ速さで右腕を振り下ろした。
「んなわけあるかあああああああああああああああああああああ!」
スパーーン! と、それはそれは小気味よい音が玄関ホールに響いた。
「ぶうううっ!」
「あなた!?」
突然、脳天に衝撃を感じた伯爵は気がつくと息を吐きながら地面を眺めていた。どうやら何かで頭を叩かれたらしい。なかなか迫力のある衝撃音だったが、痛みは大したことはないようだ。
俯いていた顔を上げ、伯爵は娘に大声を上げて抗議した。
「いきなり何をするんだ、ルシアナ!」
「そ、そうよ、ルシアナ! お父様になんてことをするの!?」
突然のことに困惑して注意する二人を他所に、対面するルシアナは全く悪びれる様子もなく不機嫌そうに伯爵を睨みつけていた。頬まで膨らませて不機嫌さをアピールしている。
彼女の右手には、おそらく伯爵をはたいたであろう武器が見えた。武器と言うか……紙の束だった。紙をジグザグに折って束ねたのだろうか? 見たことのない武器だ……いや、武器か?
「……な、なんだ、それは?」
「これは相手を傷つけずに懲らしめるための拷問具『ハリセン』よ!」
「拷問具!? ルシアナ、あなたなんて物を……」
「大丈夫よ、お母様。言ったでしょ? 相手を傷つけるものではないわ。私だってお父様を傷つけるつもりはないけど、こればっかりは我慢できなかったのよ!」
「我慢って、何を……」
「この屋敷のことよ! いくら我が家は『うっかり』やらかしてしまう家系とはいえ、今回のことはさすがに許容範囲を越えているわ!」
「こ、この屋敷のどこに不満があるというんだ? こんなに綺麗で――ぶふうっ!」
またしてもいい音が響く。両親が到着するまでの間、ハリセンを振る訓練をした甲斐があったというものだ。訓練に付き合ったメロディも満足気にその光景を眺めていた。
友人達とのお茶会の後、王都邸に来る両親に言葉だけでなく体で文句を表現してやりたいと言うルシアナの要望を叶えるために、メロディが『ハリセンツッコミ』を提案したのである。
ハリセンなら相手を傷つけずに全力が出せる。ハリセンを実演したところ、ルシアナは目を輝かせて「これだわ!」と喜々としてメロディからハリセン指南を受けていた。
「今の発言……つまり、お父様はこの屋敷の現状を全く把握せずに私を送ったってことじゃない! こんなボロ屋敷に一人娘を二ヶ月も放置するなんて、親として許されない暴挙だわ!」
「ボロ屋敷って……これのどこがボロ屋敷だっていうんだい?」
「そうよ、ルシアナ。とても我が家の屋敷とは思えないほどに素敵な屋敷じゃない」
「これは全部メロディが直してくれたのよ! でなきゃ私達、あの幽霊屋敷に住むことになっていたんだからね!」
「メロディ?」
ルシアナが指差したのは彼女の後ろに控える黒髪のメイドであった。年齢はルシアナとさして変わらないだろう。少女は美しい所作で礼をするとふわりと優しい笑みを浮かべた。
「お初にお目にかかります、旦那様、奥様。二ヶ月ほど前よりお嬢様のお世話をさせていただいております、
伯爵夫妻は一瞬息を止めた。さっきまで屋敷の様子に気を取られて気が付かなかったが、メロディと名乗る少女のなんと美しく可愛らしいことか。一番はもちろんルシアナだが、それに負けず劣らずの美少女だ。ルシアナに負けず劣らずの――。
「……ルシアナが物凄く綺麗になってる!?」
「今更よね!」
状況についていけなかった伯爵は、自分の娘の明らかな変貌にようやく気がついた。なんて鈍感な父親なんだと苛立つルシアナがハリセンを鳴らす。
ハリセンの音を聞いた伯爵は小さな悲鳴を上げた。軽くトラウマになったようだ。
「そういえばルシアナ。あなたのそのドレス、一体どうしたの?」
マリアンナの質問はもっともで、彼女は煌めくような青いドレスを身に纏っていた。見覚えのあるドレスだが、こんな美しいドレスをルシアナが持っているはずがない。まるで新品ではないか。
「これはお母様が半年前にくださったお古のドレスよ」
「ええ!?」
そう言われてドレスをよく眺めると、確かに以前自分が着ていたドレスによく似ているが……。
「あのドレスがこんなに綺麗なはずがないわ!」
「これもメロディが綺麗にしてくれたのよ。あとでお母様のドレスも綺麗にしてもらうといいわ。お願いできる、メロディ?」
「もちろんです、お嬢様。奥様のドレスもお任せください」
「えーと、一体どういう……」
「お嬢様、昼食の用意が整ったようです」
「分かったわ。お父様、お母様、詳しい説明は食事をしながらするわ。お父様、ちゃんと説明するからしっかり反省してくださいね!」
「あ、ああ……分かったよ」
「そ、そうね、お腹がすいてしまったわね」
メロディに先導され食堂へ向かった。途中、ふと気がついた伯爵はルシアナに尋ねた。
「そういえば、メロディは二ヶ月前に入ったと聞いたが、新しく追加でメイドを雇ったのかい? 常駐していたメイドはもっと年上の者だったと思うが……」
「そのメイドは腰を悪くして辞職してしまったの。メロディは後任よ」
ルシアナの説明を聞いた伯爵夫妻はともに首を傾げた。つまり、今もメイドは一人ということだ。では一体誰が昼食の用意をしているというのか。
「メロディはずっとここにいたじゃないか。一体誰が食事を作っていると言うんだい?」
「そんなの、メロディに決まってるじゃない」
ルシアナの回答に伯爵夫妻は再び首を傾げる。さっきも言ったが、メロディはずっとここにいたのだ。昼食を用意する時間など無かったと思うのだが……?
「最近はもう必要なかったんだけど、今日は彼女のことを説明するためにやってもらっているのよ」
「何をだい?」
先程からルシアナの説明が要領を得ない。何が言いたいのか二人には分からなかったが――。
「――は?」
「――え?」
「旦那様、こちらのお席へどうぞ」
「奥様、こちらの席へお座りください」
「お嬢様のお席はこちらです」
食堂に着いた伯爵夫妻は目の前の光景を、口を開いたまま硬直して眺めていた。そんな二人の様子をルシアナは苦笑しながら見つめている。
伯爵夫妻は自分の目を疑った。なぜか食堂にはメロディが――三人いた。ヒューズ、マリアンナ、ルシアナの席を下げるためにそれぞれの席に同じ顔の三人が立っていたのだ。
「……三つ子?」
伯爵は考えうる最も可能性のある答えを口にした。しかし、ルシアナはその言葉を否定する。
「……そんなことは言ってられなくなるわよ、お父様」
「それは一体どういう……ヒッ!」
ルシアナの真意が分からず聞き返そうとする伯爵だったが、目の前の光景に思わず声を上げる。
厨房の奥からまたまたメロディが現れたのだ。ワインを持つメロディ、グラスを用意するメロディ、前菜を運ぶメロディなど次から次へと同じ顔の少女が……。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
あまりの絶叫にルシアナは思わず耳をふさいだ。伯爵夫妻は許容限界を越え、体を硬直させたまま限界いっぱいの悲鳴を上げていた。
しばらく大声をだしていた二人だが、息も意識も限界が来たようで二人仲良く卒倒してしまった。
「きゃああああああああああああ! 旦那様、奥様!」
分身メロディ達はいつかのルシアナの時のように声をハモらせて伯爵夫妻の元へ駆け寄ると、四人一組で伯爵夫妻を持ち上げ、急いで彼らを寝室へと運んでいった。
食堂に残ったのはオリジナルメロディとルシアナだけである。メロディは青ざめた様子で運ばれていく彼らを見送っていた。
対するルシアナは未だ耳を塞いだまま呆れた様子で両親を眺めてこう言った。
「二人一緒に仲良く悲鳴をあげて気絶するなんて……本当に似た者夫婦なんだから」
「……似た者夫婦じゃなくて、似たもの親子だと思いますよ?」
青ざめたまま静かにツッコむメロディの言葉は、耳をふさいだままのルシアナに届くことはなかったはずだが、ルシアナはほんの少しだけ口角を上げていた。
王立学園入学式一週間前の、何気ない昼間に起きたささやかな惨劇であった。
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