第12話 想定外の『黒髪メイド』

「お嬢様、お忘れ物はございませんか?」


「大丈夫よ、メロディ。昨夜カバンの中身を全部出して確認したもの。完璧よ!」


 ルシアナは右手に持つカバンをポンと叩いて自慢気な微笑みを見せると、屋敷の前に待たせている馬車へ乗り込んだ。


 春麗らかな朝、とうとうルシアナが王立学園に入学する日がやってきた。


「行ってきます、メロディ。留守番よろしくね!」


「畏まりました、お嬢様。行ってらっしゃいませ、旦那様、奥様」


 メロディは馬車に向かって恭しい礼を取る。馬車の中には伯爵夫妻も搭乗していた。


「メロディも一緒に連れて行きたかったわ」


「それは無理だよ、マリアンナ。入学式に参加できるのは新入生とその家族だけだからね」


「分かっているわ、ヒューズ。あとでルシアナの勇姿を聞かせてあげるわね、メロディ」


「はい、心待ちにしております、奥様」


 マリアンナは今から劇場にでも向かうかのようにウキウキしていた。それに対し同じく楽しそうに返事をするメロディを見て、ルシアナは頬を赤くして抗議する。


「勇姿って、入学式に出席するだけだよ」


「ははは、娘の晴れ姿なんだ。入学式に出席するだけで私達親には『勇姿』なんだよ。かわいい娘」


「その通りです、お嬢様。式場に咲く眩い金の花を見られない私は不幸者です。奥様がお帰りになられたら是非事細かに教えていただかなくては」


「ええ、任せてちょうだい!」


「もう、やめてよ!」


 顔を真っ赤にして恥ずかしがるルシアナは大変愛らしい。

 ルシアナ以外の三人は声にせずとも気持ちをひとつにしていた。


 入学式に出席するルシアナは王立学園から支給された制服に身を包んでいる。


 深碧しんぺき色のブレザーと膝下丈のスカート。どちらも銀糸の刺繍が施され厳かな雰囲気を醸し出している。男性に生足を晒すことは固く禁じられており、女子は必ず黒タイツの着用を義務づけられていた。


 胸元には大きな赤いリボン。これは今年度の新入生を示す色で、二年生は青、三年生は黄色のリボンをつけている。

 力強い深い緑色の制服は、ルシアナの輝く金の髪をとても美しく引き立たせていた。

 ところどころ編み込んだ彼女の髪が制服の上にサラリと垂れる。

 それは緑生い茂る森林に差す、恩恵あふれる陽光を思わせた。


「さて、そろそろ急がないと遅れてしまう。出発しよう。メロディ、しばらく留守を頼むよ」

「畏まりました、旦那様」


 恥ずかしがるルシアナを余所に、馬車は王立学園を目指して走り出した。

 恭しく礼を取り馬車を見送ったメロディは、ゆっくり頭を上げるとそそくさと屋敷へ戻っていった。


「さて、まずは通路をサッと掃除した後、旦那様方とお嬢様の寝室のベッドメイクをしますかね」


 一週間前、伯爵夫妻に分身姿を見せて卒倒されたメロディだが、それで不採用とはならなかった。

 今では夫妻もルシアナ同様自分に優しく接してくれる。領地でも使用人とは同じ屋根の下で暮らす家族のような関係だったらしい。


 優しい一家の使用人になれて自分は幸運だと感慨に浸りながら、メロディは仕事に励んだ。

 ルトルバーグ家の気質から考えてその側面は当然あるのだが、メロディの費用対効果を考えれば不採用などありえないことだった。

 清貧を重んじる伯爵は、つまるところ効率重視の節約家なのだ。メロディを手放す損失を考えれば当然の結果であった――が、それは言わぬが花である。

 この事実はメロディ以外の者達による暗黙の了解として誰も口にはしなかった。



 一度五十人体制でしっかりと整備された屋敷は、それ以降大がかりな管理を必要としていない。そのため最近は分身など必要なく、メロディ1人で十分に屋敷を切り盛りできていた。

 一応言っておくと、他の屋敷ではありえない話である……他家のメイドが聞いたら泣きますよ?

 伯爵一家が起床する前に庭園など外の整備を終えていたメロディは、主人達が不在の昼間に屋敷の清掃をすることにしていた。


 一時間くらいで屋敷中の通路の清掃を終えるとパパッと伯爵夫妻の寝室の清掃を済ませた。

 伯爵夫妻の寝室を出たメロディは心なしか顔を赤くしている。

 数日おきにメロディはこのように顔を赤くして夫妻の寝室を出るのだ。

 理由は――秘密だ。主人の秘密を使用人は絶対に口にしてはいけないのである。


「さて、次はお嬢様のお部屋ですね」


 赤らめた顔をサッと元に戻し、メロディはルシアナの部屋へ向かった。

 明るくお転婆な印象のルシアナだが、存外彼女の寝室は綺麗に整理整頓されている。意外と几帳面なのだ。毎回「もう少し散らかしてくれてもいいんだけどなぁ」とメロディが心の中で愚痴っていることはもちろん秘密だ。

 サッとベッドメイクを済ませ、軽く床のゴミを掃く。大して汚れてもいないので本当に軽く済んでしまう。

 あとは机の上を水拭きすれば完了――というところで、メロディはここにあってはならない物を見つけた。


「これは……」


 机に置かれていたのは一枚の書類。


『王立学園 入学許可証』


 書類の隅には小さく注意事項が書かれていた。


『※本許可証は入学式当日に必ずお持ちください。新入生であることを証明する大切な書類です。入学式開始直前で確認させていただきます。お忘れになると、入学式への出席を許可できない場合がありますのでご注意ください』


 力が抜けてしまい、メロディは両手を机に置いて体を支えた。


『昨夜カバンの中身を全部出して確認したもの』


「……カバンから全部だして――全部を入れなかったんですね、お嬢様」


 何度でも言おう。ルトルバーグ家は肝心なところで『うっかり』やらかしてしまう一族なのだ。


「……持って行くしかないですね」


 既にルシアナ達が屋敷を出発して一時間以上経過している。王城の隣にある王立学園は馬車で二十分程度、歩けば一時間といったところか。

 走ったところで女の足では入学式に間に合うわけがない。幸い、ルシアナの入学手続きに付き添っていたおかげで学園までの道のりは知っている。


 座標さえ知っていれば、あの魔法が使えた。


「メイドはこっそり動くべし『通用口オヴンクエポータ』」


 ルシアナの部屋の真ん中に簡素な扉が出現した。

 その扉をくぐり抜けると、そこは王立学園と目と鼻の先の路地裏であった。

 本来は王立学園の内部であろうとメロディなら難なく侵入できるが、それは明らかな不法侵入である。何よりこの魔法は『人前』では使えないのだ。


「ちょっと面倒くさい縛りを作っちゃったかも……」


 貴族の邸宅には主人一家が使う扉と使用人が使う扉が明確に区別されている。

 使用人が使う通用口は屋敷の裏側と言えるもので、屋敷の家人や客人の目に入らぬように設計されているのだ。

 メロディはこの原則に従い、『通用口オヴンクエポータ』を『使用人以外の目に触れてはならない魔法』として作り上げてしまっていた。


 つまり、この魔法で移動している姿を他人に見られてはならないのである。

 とはいえ、物の数秒で王立学園に辿り着いたメロディは、門番に許可証を見せ事情を説明すると学園内部へと駆け出した。

 王立学園は国内中の貴族や才能溢れる平民達を通わせるだけあって、とても広大であった。

 一部の貴族や通学困難な平民のための寮も併設されているのだから当然だ。

 数え切れないほどの学舎に講堂、運動場や庭園まで、王都にもうひとつ小さな街があるようだ。


 学園内部の道順は入学手続きをした管理事務所しか知らないので、ルシアナの元へは直接足を運ぶ以外に方法が無い。門番によると入学式は学園中央にある大講堂で行われるらしい。式が始まるまで新入生は隣の控え室で待機しているそうだ。


「入学式まであと三十分もない。急がなくちゃ!」


 許可証を手に、メロディは大講堂目指して全速力で走り抜けた。

 だが、やはり学園内で走ったのが良くなかった。

 学園はつまり学校なのだ。当然通路を歩くのはメロディだけではない。自分以外の通行人を意識していなかったメロディは、曲がった角の先に人がいることに気がつかなかった。


「うわっ!」


「きゃっ!」


 相手の方が体格もよく体重も重かったらしい。ぶつかった相手は少しよろめいた程度だったが、メロディは勢いよく尻餅をついて倒れてしまった。


「いたたた……」


「すまない! 大丈夫か……あれ?」


 メロディに手が差し伸べられた。綺麗な手をしているがおそらく男性だろう。


「申し訳ございません。人がいることに気がつかなくって――わぁ」


 差し伸べられた手を取り、向かい合う男性の顔を捉えたメロディは感嘆の声を上げた。


 服装は金糸の刺繍が施された深碧しんぺきのブレザーとズボン。女性は銀糸の刺繍だが男性は金糸の刺繍らしい。胸元にあるのは赤いネクタイ。つまりルシアナと同じ今年度の新入生だ。

 だが、メロディが声を上げたのは彼の美しすぎる容姿のせいだった。

 六尺ほどありそうな高身長にスラリとした体躯。首筋や指先は男性的でありながら女性のようなしなやかさを感じる。


 黒い髪は耳を隠す程度に長く、メロディの本来の瞳よりも淡い青、浅葱あさぎ色の瞳は柔和で優しい雰囲気だ。全体的に中性的な顔立ちをしているが、確かに男性的な色気が醸し出されていた。

 つまり、とても美しい少年だった――。


「起こしてくださりありがとうございます……あの……?」


 助け起こされたメロディはすぐに少年にお礼を言った。だが少年は彼女の手を離さず、なぜか不思議そうな顔をしてメロディをじっと見つめていた。


 まるで『当てが外れた』と言わんばかりだ……。


「あの……どうかなさいましたか?」


 メロディが質問すると、ようやく我に返ったのか少年はようやく手を放した。


「――いや、済まない……。怪我はないかい?」


「はい、大丈夫です。ご迷惑をお掛けして申し訳ございません」


「気にする必要はない……が、君はメイドだね。こんなところにどんな用事だい?」


 言われてメロディはハッと思い出した。

 今こんなところでゆっくり話している場合ではないのだ。


「いけない! お嬢様が『入学許可証』をお忘れになったので届けに来たんです。早く控え室に行かなくちゃ!」


「それは大変だね。新入生の控え室はこの通路をまっすぐ行って、四番目の角を右に曲がった先にあるよ」


「ありがとうございます! 失礼します」


 少年に控え室への道順を教えてもらうと、メロディは早歩きでルシアナの元へと急ぐ。

もう走らない――同じ失敗は繰り返さないのだ。

 歩きだしたメロディはふと後ろを振り返る。少年は先ほどと同じ位置に立ったままメロディを見送っていた。


「あの、失礼ながらあなたも新入生では? 控え室に行かなくていいのですか?」


 少年が少し困った表情で「すぐに行くよ」とだけ答えた。

 これ以上答えがないと感じたメロディは美しいカーテシーで返礼し、控え室を目指した。


 メロディの姿が見えなくなった頃、少年は何度か先ほどの通路の角の奥に頭を出した。何かを待っているようなそぶりだ。しばらく通路の角で何かを待つ少年だったが、いくら待っても変化がないことを悟り、深いため息を吐く。


「なぜだ……なぜ……」


「ようやく見つけた! こんなところで何をなさっているんですか、殿下!」


 少年の後方から『殿下』と呼ぶ声が聞こえ、少年は振り向いた。

 なぜならそれは彼を呼ぶ声だったから……。


 彼の名前はクリストファー・フォン・テオラス。第一王子にして現王太子、その人である。

 クリストファーの元に現れたのは学園の生徒だった。

 だがネクタイの色は青色、一年先輩だ。後ろで結んだハニーブロンドの髪とエメラルドグリーンの瞳を持つ美しい少年。

 マクスウェル・リクレントス。現宰相の長男にして王太子の最有力側近候補であった。


「早く式場へお戻り下さい。今年の新入生代表挨拶は殿下がなさるんですよ? もう入学式が始まります」


 マクスウェルはクリストファーの手を引き、彼を式会場へ連れて行こうとするが、クリストファーはそれを拒む。


「待ってくれ、マクスウェル! 俺はここで彼女を待たなければならないんだ!」


「ヴィクティリウム侯爵令嬢なら既に会場にいます」


「違う! 彼女じゃないんだ!」


「はあ? 彼女はあなたの婚約者候補筆頭ではありませんか? 他の女性と密会だなんて……私が許しても陛下が許しませんよ。早く戻りましょう」


「いや、だって――『ヒロイン』が、『聖女』がまだ現れていないんだ! ぶつかったのは黒髪のメイドだしさ! 本当なら銀髪のヒロインが来るはずなんだよ!」


 マクスウェルは『またか』と面倒くさそうに呟くと、それきりクリストファーの言葉を無視して彼を入学式会場まで無理やり引きずっていった。


「本当なんだって! 本当ならベタな『遅刻、遅刻~』って感じでヒロインちゃんが俺と通路の門でぶつかって全てのシナリオが始まるはずなんだよ! でも、ぶつかったのは黒髪のメイドでさ! 確かにとびきり可愛かったけど、ヒロインちゃんじゃないんだよ! 何でだ!?」


 『黒髪のメイド』と言われ一瞬、マクスウェルはピクリと反応した。


(黒髪のとびきり可愛いメイド……まさかね)


 マクスウェルはふと二ヶ月ほど前に知り合ったメイド志望の少女を思い出した。


「このままじゃ魔王が復活するってのに、肝心のヒロインが現れないってなんでだよ!」


 王太子の意味不明な叫びは、ほとほと呆れるマクスウェルの耳にしか届いていなかった。

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