第10話 スパルタメイドに最大級の感謝を

 ドアノッカーを叩く音が届くと、メロディは隣に佇む少女に声を掛けた。


「お嬢様、いらしたようです。私が先に出迎えますので後からいらしてください」


 緊張の面持ちのルシアナはビクリと肩を揺らす。


「う、うん……緊張するなぁ」

「もう、何をおっしゃっているんですか。ご友人をお迎えするだけですよ?」


 そう、ルシアナは屋敷を訪ねた友人と会うだけだ。メロディは不思議そうに首を傾げた。


「いや、習った通りにできるかなって思って……」


 そう言いながらメロディから視線を逸らすルシアナ。メロディの瞳は細められキラリと光る。


「お嬢様ならきっと大丈夫です。ただ、もしお教えしたことができないようなら……」

「私はできる! 頑張るわ!」


 緊張していたはずのルシアナは突如自身を奮い立たせて虚勢を張った。そう、虚勢を。張らないわけにはいけなかった。もし、ここで再教育などという結論が出されでもしたら……。


「はい、お嬢様なら大丈夫です。では行ってきます」

「うん、よろしくね、メロディ!」


 メロディはルシアナに一礼すると、ルシアナの友人、ベアトリスとミリアリアを出迎えるために玄関ホールへ向かった。



「ご友人を招待したい……ですか?」

「そうなの、お茶会のリベンジをやりたいのよ!」


 メロディが屋敷で働き始めて五日目の朝、食後の紅茶を楽しむルシアナがそう告げた。


「ご友人というと、私が屋敷に来る前に招待したという?」

「そうなの。この前は本当に散々なお茶会だったから名誉挽回したいのよ。それに、そろそろ入学準備も忙しくなるから、お茶会に招待するなら今頃がギリギリなのよね」


 一週間前、ルシアナは王都邸が幽霊屋敷と化していることなど露知らず、親友二人を屋敷に招待してしまった。もちろん、満足できるお茶会など開くことはできず、散々な結果になった。


「二人とも気を使ってあえて家のことは言わないでくれていたけど、時折背後から聞こえる床のきしむ音とかに驚いていたもの。本当に悪いことしちゃったわ」


 ベアトリス・リリルトクルス子爵令嬢とミリアリア・ファランカルト男爵令嬢は数十年前に興されたばかりの新興貴族である。ルトルバーグ伯爵領とは隣同士で、先々代伯爵は大層毛嫌いしていた。それもそのはず、彼らの領地は元ルトルバーグ伯爵領なのだから。


 先々代の事業の失敗により、ルトルバーグ伯爵領は借金返済のために領地の大半を売り払ってしまった。そのうちの一部を購入したのがリリルトクルス子爵家とファランカルト男爵家である。

 ちょうど爵位を手に入れた時期と伯爵領の割譲の時期が重なった結果であった。ある意味ではこの二家はルトルバーグ家の借金返済に手を貸してくれた恩人といってもよい。

 しかし、短慮な先々代は自業自得であるにもかかわらず、先祖代々のルトルバーグの土地を彼らに掠め取られたと大いに憤慨していたそうだ。


 といっても、これで不機嫌だったのは先々代伯爵だけで、事業失敗を名目に早々に代替わりした先代伯爵は彼らと和解した。子爵家、男爵家も先々代のことは把握していたので先代伯爵に同情しつつ、互いの親交を深めていった。

 そしてその良好な関係は現伯爵の娘、ルシアナの代でも育まれていたのである。


「私は貧乏貴族だから床のきしみとか、薄暗い廊下とかは平気だけど、二人の家は裕福だから幽霊屋敷なんて怖かったでしょうね。なんとかそのイメージを払拭してあげたいのよ」


 ルトルバーグ家が手放した領地はどれも肥沃で緑豊かな土地だった。その恩恵をそのまま引き継いだ二家が裕福になるのは当然のことで、それを失ったルトルバーグ家がなかなか再興できないのも当然のことであった。

 本当に、つくづく先々代はやってくれたものである。


「どうかな、メロディ? できれば近いうちに二人を招待したいんだけど……」


 椅子に腰を下ろすルシアナは、隣に控えるメロディに上目遣いで訴えた。

 ふわりとウェーブの掛かった輝く金の髪、シミひとつない白い肌は大層瑞々しく、あおい双眸は宝石のように美しい。

 若草色の鮮やかなドレスを纏う少女、ルシアナは今や貴族の令嬢らしくとても愛らしい姿をしていた。メロディが初めて会ったルシアナとは大違いである。


 メロディは屋敷全体の修繕を三日で完了させると、次にルシアナの美容に手を付けた。元々素材の良かったルシアナは、メロディのヘアケア、スキンケア、フェイスケアの指南を受けて、今となっては完璧な美少女へと大変身していた。

 ちなみに、このあたりのケアにはメロディの魔法は関与していない。前世の知識を利用した美容テクニックである。ただし、化粧品の製造には魔法の手を借りたが。


 加えてルシアナのドレスの直しも行った。以前使用した魔法『再縫製リクチトゥーラ』に加えて洗浄の魔法でドレスを綺麗に洗い上げ、繊維一本一本のシミや汚れ、ほつれや毛羽立ちなども完全に直したのだ。

 今、ルシアナが纏っている鮮やかな若草色のドレスは、メロディと初めて会った時に身に着けていたあの黒ずんだ深緑色の、みすぼらしいドレスなのである。


「畏まりました、お嬢様。お屋敷の修繕もあらかた終わりましたので、今から招待状を送って一週間後にお茶会を開くというのは如何ですか?」

「来週ね、分かったわ。ありがとう、メロディ!」


 ルシアナはメロディが来てからというもの、嬉しいこと続きだった。荒れ果てていたボロ屋敷は今や新築のようにピカピカで、毎日の食事など領地にいた頃よりも充実している。まあ、ちょっと食事マナーについてうるさく言われるが、それくらいは許容範囲だ。

 ルシアナ自身の見た目も美しく整えられ、華やかなドレスを身に纏う。どこから見ても恥ずかしくない貴族令嬢となった。


(それに一緒にいてくれるメイドはとても優しいしね!)


 喜色に富んだ顔を浮かべるルシアナに、メロディは優しく微笑む。幸せな気持ちでいっぱいのルシアナが安請け合いしてしまったのは、おそらく仕方のないことだった……。


「メロディ、お茶会にはぜひテラスを使いたいわ。メロディが直してくれたあの庭園、とても素敵なんだもの。二人にも自慢したいわ」

「畏まりました。ではテラスでお茶をできるように準備いたします」

「うん、お願い!」

「ところでお嬢様、お茶会をするにあたってお嬢様にしていただきたいことがあるのですが……」

「私にしてほしいこと?」

「はい。以前おっしゃられていた礼儀作法の手ほどきの件です。せっかく仲の良いご友人と会うのですから、今から訓練をしてご友人の前でお披露目をされては如何ですか?」


 メロディの提案に数秒考え込んだルシアナはパッと表情を明るくさせて微笑んだ。


「そうね……それ、いいかも! もうすぐ入学式と夜会だものね。今から練習をして、二人の前で披露すれば予行演習にもなるわ。二人の前でなら、最悪失敗しても大丈夫だし。うん、やろう!」

「ふふふ、失敗だなんて――そんなこと、絶対にさせませんよ」

「ええ、そうね。よろしくね、メロディ!」


 そしてルシアナの……地獄のマナーレッスンが始まった。




「ひええええ! 無理、無理だよ、メロディ! 首の骨が折れちゃうよおおおおおお!」

「大丈夫です、お嬢様。たかだか頭に本を十冊乗せた程度で折れたりしません。さあ、ウォーキングの練習を続けますよ。ワンツー、ワンツー」


 リズムよく手を叩くメロディの前で、ルシアナは涙目になりながらあごを引き、視線を真っ直ぐ保ち、首をプルプルと震わせながら広い玄関ホールを歩く。


「腰が曲がってます。重心は後ろへ! 直線をまたぎながら歩くイメージです。足を内側へ運ぶようにリズミカルに歩いて下さい!」


 首が重くてとてもじゃないがメロディのリズム通りには歩けず体をふらつかせるルシアナ。慣れない歩き方のせいか、途中で足がほつれバランスを崩すと本を撒き散らしながら転んでしまった。


「いったーーい!」

「さあ、お嬢様すぐに立ってやり直しですよ!」


 転んだことを心配もしてくれず真剣な眼差しでこちらを見つめるメロディの姿に、ルシアナは驚くしかなかった。あれは本当に私の知っているメロディなのだろうか――と。


 何かとルシアナに優しいメロディだったが、教育に関しては完全なるスパルタだった。


 だがそれも仕方が無い。こればっかりは魔法でどうこうすることはできないのだから。

 もちろん、魔法で教育・訓練の手助けはできる。しかし、礼儀作法や勉強を覚えるのはあくまでルシアナ自身の仕事だ。魔法で覚えるなどということはできないし、たとえできたとしてもそれをするつもりはメロディにはなかった。


 技術や技能とは、自身の努力によって手に入れてこそ役に立つと彼女は信じていた。今の今までメイドになるべく多くの技術を学んできたメロディの、ある意味人生観に繋がる教育だった。

 褒める教育ではなくスパルタを選んでいるあたりが、メロディのメイドへの意気込みを物語っている……が、ルシアナにはいい迷惑である。




「し、失敗したらこの一週間の努力が水の泡……やるのよ、ルシアナ」


 そしてルシアナはたった二週間で変貌を遂げた、元幽霊屋敷を見て放心している友人達の元へと優雅に現れた。


「ようこそ我が家へお越しくださいました。歓迎致しますわ」


 それは、とても美しいカーテシーであった。笑顔の裏で「再教育絶対お断り!」とルシアナが思っていることなど、メロディにも分からないほど完璧な所作であった。


 結果を言えば、今回のお茶会は大成功だった。友人には喜んでもらえたし、幽霊屋敷のイメージも完全に払拭できたに違いない。

 それに、彼女達は以前からルシアナの夜会のドレスのことを随分と気にかけてくれていた。メロディのおかげで手持ちのドレスでもまるで新品のような美しさだ。友人にお金の貸し借りを作らずに夜会に臨むことができて安心した。

 だが何より、途中で地に戻ってしまったものの、メロディからは一切お咎めを受けずに済んだことに、一番ホッとしたのは言うまでもない。


 覚えたマナーは絶対に忘れない――ルシアナは決意を新たにした。


 お茶会後、夕食前にルシアナの髪を梳きながらメロディは質問をした。


「そういえばお嬢様、どうして屋敷の修繕の件を秘密にしたんですか?」


 お茶会の間、友人達はルシアナに何度かこの屋敷の変わりようについて質問し投げつけていたが、ルシアナは全てを『秘密』で通していた。普通に「メイドがやりました」と言えばいいのに、なぜ秘密にしなければならないのだろうか……どのへんが普通なのかはこの際無視しよう。


「だって、変にメロディのことが広まって他から誘われたりしたらイヤだもの。あの二人はそんなことしないだろうけど、噂って何があるか分からないじゃない?」

「そんな、大げさですよ。まだまだ私なんて世界最高のメイドには程遠いですからね。もっとたくさん精進しないと」


 少しばかり眉根を下げて申し訳なさそうに笑いながら、メロディはルシアナの髪を整え続けた。だが、ルシアナは自分の判断が間違っているとはとても思えなかった。


(メロディはああ言っているけど、魔法に詳しくない私でもメロディの技術と魔法はかなり凄いと思うんだけどなぁ)


 メロディに会って二日ほどは『そんなものか』と思っていた彼女の能力だが、さすがに屋敷を三日で完全に修復してしまうというのは常識はずれだった。

 とはいえ、メロディ自身は隠す様子もなく当たり前のように屋敷を直し、楽しそうにルシアナの世話をしていた。あまりにも自然な態度のためメロディに直接聞こうとは思えなかった。


(なんか、その事実を知ったらメロディがいなくなってしまう気がして怖いのよね……)


 自分の常識が実はそうではなかったと知った時の衝撃は計り知れない。王都に来たルシアナがそうであったから。

 貸し馬車で一人、王都に辿り着いたルシアナは自身が如何に貧乏であるかをようやく理解した。領地では領主も領民も皆貧しく、助け合いながら暮らしていた。だというのに、王都へ来てみれば平民でさえルシアナよりも素敵なドレスを身に纏っていたのだ。

 二人の裕福な親友がいたので、ルトルバーグ家が貧乏であることは知っていたがまさか平民にさえ劣るとは思ってもみなかった。


 終始明るい態度のルシアナだが、メロディと出会う直前にはかなり気落ちしていた。豪華な邸宅が並ぶ中、自身の棲家は平民さえも怖がるであろうボロ屋敷。仕える使用人はたった一人の老齢のメイドで、それもとうとう辞めてしまった。

 親友達にも気を使われ、二人との間に溝を感じたのはおそらく気のせいではないだろう。

 貴族なのに、貴族として振る舞えない自分に、ルシアナは少なからず矛盾と理不尽を感じ始めていた。


 そしてそこへ……奇跡のようなメイドが現れたのだ。


「さあ、お嬢様。御髪が整いましたよ」

「うん、ありがとう。ねえ、メロディ」

「はい?」


 鏡台の前に座るルシアナの視線は鏡に向いていた。その視線の先にメロディが目を向けると、二人は鏡を通して目が合った。


「うちに来てくれてありがとう……ずっと、ずっとうちにいてね。大好きよ」

 ルシアナはその瞳に感謝の心をめいっぱい詰めてメロディに礼を言った。

 ルシアナの気持ちが伝わったのかは分からないが、メロディは優しく微笑みながら「はい」とだけ告げた。

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