第8話 悲鳴をあげるメイドとお嬢様

 テオラス王国の貴族子女は十五歳になると三年間の就学義務が生じる。王都にある王立パルテシア高等教育学園に通うのだ。ここには才能を認められた平民も通うことになっており、王国の将来を担う若者達が一堂に会すことで互いに親交を深め、将来の国家運営を円滑にさせようという国家戦略のひとつである。

 もちろん今年で十五歳となったルシアナもこの王立学園への入学が義務付けられていた。


「それでご両親より先に王都へ来たはいいけど、まさかの幽霊屋敷だったわけですか?」

「ぷふ、幽霊屋敷だなんてぴったりね! その上常駐していたたった一人のメイドさんはお婆ちゃんだったのよ。しばらく一緒に頑張ってくれたんだけど、とうとうぎっくり腰になって予定より早く引退することになっちゃってね。

 まさかこんなボロ屋敷だとは思ってなかったから、王都に来る前に友人を招待しちゃったのが良くなかったわ。急いで二人で準備をしたんだけど、結果は屋敷を見れば分かるわよね?」

「散々な結果に終わったってかんじですねぇ……」

「その通りよ。お婆ちゃんには悪いことしちゃったなぁ」


 現在メロディとルシアナは使用人食堂で楽しくお茶会……をしているわけではない。家政婦ハウスキーパーがいないこの屋敷では屋敷の業務の申し送りは家人であるルシアナにしてもらうしかなかったのである。世間話をしているようだがしっかりメイドの仕事の引き継ぎ中なのだ。


「――とりあえずこんなところかな? 他に知りたいことはある?」

「いいえ、大丈夫です。ありがとうございます、お嬢様。それでは早速お仕事を始めさせていただきますね!」

「ええ、よろしく」

「では、メイドの制服はどちらに?」

「……制服?」

「……あれ?」


 シーンと静まり返る使用人食堂。メロディの笑顔は消え、心なしか青ざめていた。


「もしかして、メイドの制服が……」

「というか、使用人の制服自体ないわ。前のメイドも私服とエプロンで働いていたし……」

「そんなああああああ!」


 メロディは意外と形から入る子だった。ショックを受けてヨロヨロと倒れ込んでしまった。


「メロディ!?」


 なぜか失意のどん底に落ちてしまった顔つきのメロディを見て困惑するルシアナ。制服がないことがそんなにショックだったのだろうか? とはいえ、制服などすぐには用意できないし……。


「まさか今から作るわけにもいかないし……」

「今から作る……? そうか! 作っちゃえばいいんですよね!」


 さっきまで気落ちしていたメロディは、あっという間に復活して立ちあがった。


「え、今から作るの!? そんなの何日も掛かっちゃうし、生地だって何も……」

「大丈夫です! この服をメイド服にしちゃいますから!」

「その服をメイド服に?」


 メロディが身につけているのは鮮やかな緑色のワンピース。簡素な平民の服ではあるが、まだ下ろしたてなのだろう。ルシアナが身に纏っている古いドレスよりは今時で素敵に見える。


「その服をメイドの制服にするの? 確かに可愛い服だとは思うけど……」

「いいえ、メイドといえば黒いドレスと白いエプロン、そして白いキャップです! 我が身に相応しき衣を『再縫製リクチトゥーラ』」

「ええ!?」


 ルシアナは目の前の光景に目を疑った。突然、メロディのワンピースが糸状にほぐれ、空中を漂い始めたのだ。縫い付けていた糸はもちろん、生地まで全て糸に戻りメロディの周囲を舞い踊っている。つまり今、メロディは完全にすっぽんぽんなのだが……。


「……肝心なところはバッチリ見えないわね」


 ちょっと気になるルシアナだったが、空中を舞う糸は乙女の秘密をきっちりガードしていた。糸はメロディの――まるで舞のような――動きに合わせて糸を織り直し始める。機織り機を使っているわけでもないのに、空中でメロディの体に合わせて糸が生地へと生まれ変わる。糸の色も緑から黒と白へ変色し、ドレスとエプロン、キャップを作り出していった。

 そう、その様子はまるで……『魔法少女』のようであった。見えそで見えないところとか……。

 ツッコむ日本人よ、なぜこの場にいてくれないのか!?

 残念ながら、この場には美しく舞い踊るメロディを眺めるルシアナただ一人だけだった。


「完成です! どうですか、お嬢様?」


 クルリと回るメロディの格好はどこから見ても古き良きメイドである。足首まで長い黒いドレスと、簡素な見た目ながらもしっかりと編み込まれた白いエプロンとキャップは清楚で上品だ。


「やっぱりメイド服はこうでないと。絶対領域なんて邪道ですよ、邪道! ふふふ」

「ゼッタイ? よく分からないけど素敵よ、メロディ! 魔法ってこんなこともできるのね!」

「ありがとうございます、お嬢様。なかなかいい制服ができました。これ、見た目だけじゃなくて強度にもこだわったんですよ? 防刃、防弾、耐火に耐水、魔法も防ぐし、絶縁性も付与したので感電の心配も低減です! あと、防汚効果と消臭効果もつけちゃいました」


 嬉しそうに説明するメロディだったが、ルシアナには半分も理解できなかった。

 ルトルバーグ家は代々魔法の才能を持たない家柄だった。先々代の頃に魔法に関する書物も全て売り払ってしまったため、ルシアナは魔法に関してはほぼ無知なのだ。

 だから、ルシアナはメロディの魔法の異常性に全く気が付かなかった。

 魔法で衣服を再縫製する技術の高度さにも、縫製と同時に染色をする難しさにも、そもそも元のワンピースより今のメイド服の方が生地量が多くなっているという不可解さにも全く……。


「では只今より業務を開始させていただきます、お嬢様」


 下ろしたて(?)の黒いドレスを両手でつまみ、メロディは美しいお辞儀を見せた。正直、自分よりも余程美しいカーテシーを見て、ルシアナは感嘆の息を漏らす。


「……メロディのカーテシーって素敵ね。後で綺麗なやり方を教えてくれないかな? 王立学園の入学式の日の夜は、私達新入生は社交界デビューなのよ。貧乏貴族のうちには家庭教師もいなかったから礼儀作法も微妙なのよね。まあ、この喋り方を見ればわかるとは思うけど」

「まあ、社交界デビューですか? 畏まりました。それまでにお嬢様の淑女教育もしっかりみっちりきっかりやらせていただきます。ふふふふふ……」

「……メロディ、なんだか笑顔が怖いよ?」

「怖いだなんて、酷いです! でも、ふふふふ、まさか女家庭教師(ガヴァネス)のお仕事までさせていただけるなんて、本当に素敵なお屋敷に来ることができました。ふふふふ」

「お、お手柔らかに……ね?」


 メイドに没頭するメロディの笑顔はちょっと怖かった。ルシアナは引き攣った笑顔を返す。


「じゃあ、私は夕飯の買い出しに行ってくるから、他をお願いね」

「畏まりまし……ん? ちょっと待ったああああああ!」

「きゃああああああ! な、何なの、メロディ!?」


 玄関へ行こうとしていたルシアナは、突然メロディに肩から引っ張られ悲鳴を上げた。


「お嬢様こそ何をしてるんですか!」

「いやだって、私も手伝わないと……」

「夕飯の買い出しは私の仕事です! お嬢様はお嬢様の仕事をしてください!」

「そりゃあ、学園に入学する前にひと通り予習をした方がいいけど……」

「だったらそれをなさってください。私達メイドはお嬢様のそういったお仕事を手伝うためにいるんです。全ての雑事は私に任せて、お嬢様は貴族令嬢としての責務を全うしてください」

「メロディ……」


 ルシアナは感動した。今まで領地でだってそのようなことを言われたことはなかった。貧乏貴族と名高いルトルバーグ家では、たとえ伯爵家のご令嬢といえども立派な労働力だったのである。


「分かったわ、メロディ。私、自室に戻ってしっかり勉強するわ!」

「はい、頑張ってください、お嬢様!」


 そしてルシアナは自室へと駆けていった。自分を気遣ってくれたメイドに応えるために。


「……ふぅ、危ないところだった。ふふふ、買い出しもメイドの仕事だもんね!」


 メロディがバスケットを振り回しながら楽しそうにしていたことは、ルシアナには秘密である。


「さて、早速仕事を始めますか。とりあえず今日中に屋敷の中をどうにかしないと」


 とりあえずバスケットをテーブルの上に置いたメロディは、右手を掲げて魔法を使った……。



 あれから二時間勉強をしてルシアナの集中力が切れ始めた頃、ドアをノックする音がした。


「お嬢様、お茶をお持ちいたしました」


 ワゴンにティーセットを乗せて、メロディがルシアナの部屋にやってきたのだ。


「ありがとう、メロディ。でも忙しいだろうから無理しなくていいんだよ?」


 メロディの気持ちは嬉しいが、自分にお茶を用意する余裕などメロディにはないはずだ。だというのに、メロディはメイドらしい優しい微笑みを浮かべながらルシアナのお茶を用意してくれた。


「無理なんてしてませんよ、お嬢様。そろそろお茶の頃だと思ってご用意させていただきました」

「うん、ちょうど飲みたいと思ってたの」


 やはりメロディが淹れてくれたお茶は美味しい。自分で淹れた時とは雲泥の差だ。メロディに悪いと思いつつも、メロディにお茶を淹れてもらいよかったと思うルシアナだった。


「それでは失礼いたします。夕飯の用意ができましたらお呼びしますね」

「ええ、分かったわ。ありがとう、メロディ」


 ルシアナが礼を言うと、メロディは満面の笑みを浮かべながら礼をして退室した。


「さて、それじゃあもう少し勉強を頑張りますか……う、ちょ、ちょっとお手洗いに……」


 言わなくてもいいのに、ルシアナは恥ずかしそうに独り言を呟くと部屋から出た。


「あれ、メロディ?」

「はい、お嬢様」


 さきほどワゴンを持って部屋を出たはずのメロディが、ルシアナの部屋の前の廊下の掃除をしてていた。ワゴンを片付けて戻ってくるには速すぎないだろうか?


「通路の掃除をしていたの?」

「ええ、お嬢様のお部屋の前ですから最優先で掃除を行っております。何か御用ですか?」

「いいえ、ちょっとお手洗いに……」

「ああ、お手洗いですね。そちらの方も大体終わってますので大丈夫ですよ」

「そうなの、ありがとう」


 メロディに礼を告げるとルシアナはトイレへ向かった。


(メロディって本当に仕事が早いのね。通路がピッカピカだわ)


 トイレに向かうまでの廊下は全て完璧に清掃されていた。床も壁も全てピカピカに掃除され、女性には手が届かないために放置されていた天井のクモの巣も取り払われていた。


「あれ、メロディ?」

「はい、お嬢様」


 トイレに着くと、なぜかそこにメロディがいた。確かルシアナの部屋の前の通路を掃除していたはずでは……?


「お手洗いの清掃はたった今全て完了しました。いつでもお使いいただけます」

「そ、そう。ありがとう」


 メロディはペコリと一礼するとその場を後にした。

 それにしても、メロディはずっと屋敷の掃除をしているが、夕飯の準備は大丈夫なのだろうか?確かに屋敷を綺麗にしてもらええるのはとても嬉しいことだが、そろそろお腹も減ってきた頃だ。


「お掃除に夢中で夕飯のことを忘れちゃってるのかも。やっぱり手伝った方がいい気がする」


 トイレを出たルシアナは「よしっ」と意気込んで厨房へ向かった。

 そして、そこでありえない光景を目にした。


「スープ担当の私、ちょっとそこのお塩をちょうだい」

「うん、分かった。あ、メイン担当の私。そのお肉、少し余るでしょ? スープに入れるからちょっとちょうだい」

「いいよ」

「水場担当の私、食器は洗い終わった? そろそろ完成なんだけど?」

「大丈夫だよ! もう終わるところ」


 厨房では、なぜか三人のメロディが夕飯の準備をしていた。


「きゃああああああああああああ!?」

「「「どうしたんですか、お嬢様!?」」」


 悲鳴をあげたルシアナに気がついた三人のメロディは声を揃えてルシアナを呼んだ。それが余計にルシアナに恐怖心を与えた。


「きゃあああああああああああああああ!」

 「「「どうかなさいましたか、お嬢様!」」」


 メロディの声は背後からも聞こえた。ルシアナが振り返ると、そこにはやはりメロディがいた。

 ほうきを持つメロディ、ハタキを持つメロディ、雑巾を持つメロディなど、厨房の三人どころではなく、屋敷中からルシアナの悲鳴を聞きつけた無数のメロディ達が厨房に押し寄せていた。


「きゃあああああああああああ……っはぁ」


 ルシアナはたくさんのメロディを見て再び悲鳴をあげたが、堪えきれず気を失ってしまった。


「「「きゃあああああああああああ! お嬢様!」」」


 屋敷中のメロディが一斉に悲鳴を上げた。今、ルトルバーグ王都邸は本当の意味で幽霊屋敷となったのである……て、おい!

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