第7話 ルトルバーグ伯爵家メイド、メロディ誕生!
テオラス王国の王都パルテシアは、王城を中心に円状に広がる巨大な城塞都市である。
中心部に行くほど標高が高くなり、大きく三階層に分けられる。中心部はもちろん王族が住まう王族区画。それを囲うように貴族区画が、そして外縁部を平民区画が埋めていた。
定期馬車便乗り場や、商業ギルドが設置されているのは平民区画であり、メロディがたった今到着した、メイド募集先のルトルバーグ王都邸は貴族エリアの丁度中間くらいの位置に立っていた。
下町のような活気あふれる平民区画と違い、貴族区画は閑静な高級住宅街である。
歩道を歩く人もまばらで、貴族の主な移動手段は馬車のようだ。今もメロディの背後を四頭立ての立派な馬車が静かに通り過ぎていった。
十分に手入れされた、平民の家の何倍もある大きな邸宅が軒を連ねる中、ルトルバーグ王都邸だけは異彩を放っていた……悪い意味で。
「……幽霊屋敷?」
キョトンとした顔で首を傾げるメロディ。
入り口の門は錆びついてしまい開門に苦労した。正面玄関までの石畳は何ヶ所もひび割れており、気をつけなければ躓いてしまう。屋敷を囲むように生える木々は、全く手入れをされていないせいで生い茂り過ぎ、屋敷全体を覆い隠していた。そのせいで敷地内はかなり薄暗い。
正面玄関まで来たメロディは周囲をキョロキョロと見渡した。
屋敷は外観を見るだけでも荒れ果てていることが分かる。外壁は一部崩れているし、塗装もかなり禿げていた。幸い、パッと見た限りでは割れているガラスはないようだが、くすみと汚れがかなり酷い。玄関のドアにも傷が目立つうえ、真鍮製のドアノブやドアノッカーは酸化して黒ずんでしまっている。
もう何十年も屋敷の手入れなどしていないのではと思う荒れっぷりであった。
もはやメイド一人が加わったところでどうにかなるものではない状況だ。外観だけでこうなのだから屋敷の中もさぞや荒れ放題なのだろう。普通のメイドであれば即回れ右である。
「いやあ、これはこれは……やることが多すぎですね! 困りました、どうしましょうか?」
もちろん、メロディは(本人の自覚は別として)普通のメイドではないので回れ右などは考えもしなかった。「困った」などと言いながら頬を上気させ、口元を緩め、瞳をキラキラと輝かせながら周囲を見回していた。
もし職業斡旋所でこんな職場を紹介されたら百人中九十九人は、つまりメロディ以外は絶対にお断りである。「私、何か悪いことしました!?」と神様に文句を言うこと請け合いだ。
「こんな良い職場、早く
家政婦とは女性使用人の最高位者のことであり、メイドの管理・監督を任される役職だ。
上機嫌で正面玄関に手を伸ばそうとしたメロディは咄嗟に動きを止めた。
「いけない、いけない。ここは正面玄関なんだから、通用口を探さないと」
貴族のお屋敷には原則二つの出入り口が存在する。ひとつは今メロディが立つ正面玄関。ただし、ここを利用してよいのは屋敷の家族とその客人のみである。
もうひとつは屋敷の裏手にある通用口。使用人や商人、配達員など、正面玄関を利用出来ない者達は全員ここを利用する。
雇い主と使用人の立場をお互いにはっきり自覚するための大切な決まり事だ。
メロディは通用口へ行こうと玄関から一歩下がった。
すると、正面玄関がガチャリと音を立てて開き、中から一人の少女が姿を見せた。
「ふぅ、とりあえず夕飯の買い出しだけはしておかない……と? あなた、誰?」
「えーと……」
メロディに前に現れたのは、黒ずんだ深緑色のみすぼらしいドレスを身に纏う少女。
メロディと同年代くらいだろうか。整った顔立ちと宝石のように美しい
両手にバスケットを持つ少女は、これから買い出しにでも行くつもりなのだろうか?
だが、解せない……。
(買い出しに行くなら私と同じ
メロディはペコリと一礼して自己紹介をした。
「正面玄関から失礼いたします。商業ギルドでメイドの募集を見て参りました。メロディ・ウェーブと申します。今、通用口から改めてご挨拶に……」
「来てくれたの!?」
「伺わせて……え!?」
「昨日募集を出したばかりなのに、もう来てくれるなんて! ありがとう!」
「え、あの、えええ!?」
自己紹介の途中でメロディは目の前の少女にガシッと抱きつかれた。突然のことに驚き、動けないでいるメロディから離れた少女は、メロディの手を引いて屋敷の中へ戻ろうとする。
「さあ、入って! とりあえず食堂で話をしましょう!」
「あ、あの! 使用人が正面玄関から入るなんていけませんよ! 私、ちゃんと通用口から……」
「いいわよ、そんなの! 私がいいって言ってるんだから、いいのよ!」
「え? 私が……?」
どういう意味か分からず聞き返すメロディを見て、少女は「あっ!」と何かに気づき足を止めた。
「そうだった! こんなみすぼらしい格好じゃ、分かるわけないよね、私の名前はルシアナ・ルトルバーグ。ここに住む、一応伯爵令嬢よ! よろしくね!」
少女改め伯爵令嬢ルシアナ・ルトルバーグはニカリと笑みを浮かべると、再びメロディの手を引いて食堂へと向かった。
(え? ……えええええええええええ!?)
メロディは驚きのあまり声も出さずに心の中で絶叫していた。
「じゃあ、ここに座って」
「え? あの……」
「今お茶を淹れるわ」
「そんな! お嬢様にお茶を淹れていただくなんて……」
「大丈夫よ。領地でも自分で淹れていたんだから、私にもできるわ!」
「いえ、そういう問題ではなくて……」
しばらく若干の放心状態だったメロディは、ルシアナに手を引かれるまま食堂に案内された。
お嬢様が食堂と言ったのでてっきり家人の食堂かと思いきや、まさかの使用人食堂だった。
使用人食堂は厨房と繋がっており、屋敷の外観にしては手入れができている。ルシアナは戸棚から紅茶の茶筒を取り出すと蓋を開けそのままポットの中へ茶葉を――。
「ちょっと、待ったあああああ!」
「え!? な、何?」
「お嬢様、やっぱり私にお茶を淹れさせて下さい!」
「で、でもせっかくだから私が……」
「お嬢様、とびっきり美味しい紅茶をご用意いたします!」
「とびっきり美味しい紅茶……?」
「ええ、とびっきり美味しい紅茶です。飲みたくないですか?」
「……うん、飲みたい。じゃあ、お願いしようかな?」
「お任せください!」
(危なかったぁ。まさかポットとカップの湯通しもせず、適当に茶葉を入れようとするとは……)
メロディは戸棚を確認してティーセットを用意すると、まずは瓶の水を確認した。
「お嬢様、ここの水はいつ汲んだ水ですか?」
「ああ、それは昨日裏の井戸から汲んだ水だからまだ使えるわよ」
「うーん、残念ながら紅茶を淹れるには向いていませんね。じゃあ、自分で出しますね」
「え?」
「清き水よ今ここに『
メロディは
「あなた、魔法が使えるの!? 魔法なんて初めてみたわ!」
「少しだけ使えるんですよ。すぐに淹れますので少々お待ち下さい」
ちなみに少しではない。軽く百、いや千リットルくらい水を生成できるのだが……。
紅茶を入れる際は汲みたての水を使うとよい。汲みたての水には新鮮な空気が多く含まれている。この空気が、お湯をポットの中に注いだ際に対流運動を発生させ、茶葉をゆっくり上下させる。
これを『ジャンピング』と呼ぶ。
これにより茶葉の成分が十分に抽出され、美味しい紅茶になるのだ。
「もちろん他にも手順はありますが、ジャンピングの成否は紅茶の味にとても影響するんです」
「そうなんだ……わ、凄い! 本当に茶葉が上がったり下がったりしてる! 面白い!」
「さあ、完成です。ご賞味下さい」
ルシアナの前にティーカップが置かれた。いつもと同じ紅茶とは思えない芳醇な香りが漂う。
「うそ、これがいつもと同じ茶葉で淹れた紅茶なの? ――ゴクン……!? 美味しい!」
紅茶を一口飲んだルシアナは頬を赤く染め、感嘆の息を漏らした。
貧乏貴族のご令嬢、ルシアナ・ルトルバーグにとっては、この紅茶は衝撃の味であった。
「紅茶って……こんなに美味しい飲み物だったのね」
この世界の貴族には、紅茶を嗜むべしという義務のような常識が存在していた。
貧乏貴族とはいえ、ルトルバーグ家も立派な貴族。紅茶を飲まないわけにはいかなかったが高価な紅茶など買えるはずもなく、最底辺の紅茶を飲むしかなかったが……あまり美味しいものではなかったのだ。
最底辺の紅茶が淹れ方ひとつでここまで美味しくなるのかとルシアナは感激していた。
「ありがとう、とても美味しかったわ……えーと、確かメロディだったわよね?」
「はい、左様です、お嬢様」
慎ましくルシアナに微笑みかけるメロディ。
実は今、彼女は心の中で歓喜に震えていた。
(これ! これよ! 私がやりたかったのはこれなの! これぞメイドとお嬢様! 私は今メイドをしているんだわ!)
もちろん、そんな顔はおくびにもださないが……。
「えっと、うちで働いてくれるってことで……いいのかな?
「はい、もちろんです!」
メロディは即答した。実際この屋敷以外にメロディの希望に叶う職場はなかったのだから他に選択肢などないのだが、メロディは気さくで人当たりの良いルシアナを気に入ってしまったのだ。
「よかった! これからよろしくね、メロディ!」
「はい、お嬢様! では一度
「――え? 聞いてないの?」
「何をですか?」
キョトンとするメロディの目の前でルシアナは顔を青褪めた。一体どうしたというのか?
「……あのね、メロディ」
「はい……?」
「あなた……一人なの……」
「……ひとり?」
一人とは何のことだろうか? メロディにはルシアナの言いたいことが分からなかった。
「一人って募集定員のことですか? もしかして、他にも希望者がいるんですか?」
そうだとすれば一大事だ。だが、ルシアナは大きく首を振って否定した。
「……違うの。その……あなた一人、なの……うちで働くメイド、というか使用人は……」
「私一人?」
メロディは周囲を見渡した。近隣の屋敷と比べれば小さな屋敷ではあるが、少女一人が管理するには大き過ぎるのは明白だった。屋敷の管理とルシアナのお世話。買い出しや客のもてなしなど、やることは山積み。
正直言って、メイド一人が背負える仕事量ではない……普通なら。
「あの、お嬢様。私が全ての業務をするんです、よね?
「全部なんてできるわけないって、分かってるの。だから、メロディにできる範囲でいいのよ。私もできることは手伝うわ。だから……」
ルシアナはそれでもメロディはこの仕事を断るだろうと思っていた。いくらやれる範囲でと言っても、やらなければならない仕事は山積みだ。同じ雑役女中にしても、これなら一般家庭の雑役女中の方がまだ楽というものだ。
だからルシアナはメロディを引き止めつつも、明日からどうやって一人で頑張ろうかと悲嘆に暮れながら考えていた……のだが。
「わあ! ありがとうございます、お嬢様! 私、今日から頑張ります!」
「……え?」
返答は、まさかの快諾。メロディはこれでもかというくらい満面の笑みを浮かべていた。
「……本当にいいの? 一人でうちを切り盛りしなくちゃいけないんだよ?」
「もちろんです! まさか全ての業務を任せていただけるなんて……感激です!」
(あ、あれええええ? どうしてこんなに嬉しそうなの、この子?)
(
怖いのはお前の思考回路だ! と、誰か言ってやってください……。
「よろしくお願いしますね、ルシアナお嬢様!」
「えーと、うん、よろしくね、メロディ!」
こうしてルトルバーグ家に新しいメイドが雇われることとなった。
この出会いによってルシアナ、いや……ルトルバーグ家に起きるはずだった『悲劇』が事前に回避されていたことなど、この時は誰も知るはずがなかった。
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