第6話 ルトルバーグ家のメイド募集
商業ギルドとは、国営の商業支援組織である。小売業や運送業に金融業など様々な種類があるが、口頭や手紙くらいしか連絡手段のないこの世界では同業者間での情報交換すらなかなか難しい。
商業においては最新情報をいかに早く得られるかが勝利の鍵を握っている。商品の需要と供給、価格相場や取引相手の信用度など、知っておくべき情報は多岐にわたる。
商業ギルドは会員にそれらの情報を開示することで商取引が円滑に、かつ効率的に進められるように支援しているのだ。他にも商人と直接取引や、起業の融資、職人の教育など、商業に関する支援制度が充実していた。
支援を受けるには年会費を支払いギルド会員となる必要がある。しかし、年会費はそれほど安い額ではないため、支援制度があっても低所得者には手の届かない話だった。
だが約六年前、商業ギルドは非加入者向けの支援制度を開始した。
そのひとつが『職業斡旋制度』である。要はパート・アルバイトの募集であり、特別な技術を持たない低所得者の就業支援制度だ。
非加入者とはいえ、彼らも立派な労働力であり、利益生産者だ。年会費が支払えないからと彼らを放置することは、商業ギルドが掲げる商業支援の理念に反するとしてこの制度が開始された。
「これも王太子様が考案してくださった制度なんですか?」
「そうよ。今まではこういった求人はほとんど雇用側が
「へぇ、六年前なら九歳の時ですね。やっぱり凄い方なんですねぇ。じゃあ、このギルドでは王太子様が一番人気なんでしょうね」
「あら大変。今のセリフ、国王陛下にはとても聞かせられないわ。ふふふ」
「そうですね、ふふふ」
「さて、世間話はこの辺にして本題に入りましょうか」
「はい、お願いします!」
馬車乗り場でマックスと別れたメロディはその足で商業ギルドの受付へ向かった。受付嬢の名前はエステルというらしい。母セレナと同じ茶色の髪のお姉さんだ。二十歳くらいだろうか?
「あなたはメイド職を希望していて紹介状はない――これで間違いない?」
「はい、間違いないです」
「それなら、入り口右手の求人掲示板を見るといいわ。あそこは紹介状を必要としない使用人の求人情報を掲示しているから」
エステルの指差す先には大きなコルクボードのような掲示板が設置されていた。
「紹介状が必要な仕事の場合は受付で管理するけど、そうでないものは掲示板に貼ってあるの。気になる仕事があればここに持ってくるといいわ」
「はい、ありがとうございます!」
掲示板の前に立ったメロディはメイド募集のメモ用紙をいくつか確認した……が。
「これ、全部短期募集ですね。それに、お仕事の内容が……」
掲示板にあるメイドの求人内容は全て短期募集で、せいぜい二ヶ月程度のものばかりだった。それに、内容も
(どの仕事も魅力的なんだけど、それしかさせてもらえないのは……イヤだなぁ)
メロディは洗濯女中や家女中の仕事が嫌いなのではない。むしろそれらの仕事も率先してやりたいと思っている。だが、メイドに憧れる少女、メロディはできることなら全ての仕事をしてみたかった。
洗濯も掃除もしたいし、料理だって作りたい。旦那様やお嬢様の身だしなみを整えたり、奥様にお化粧をしたり、お客様をもてなしたりもしたかった。
(あとお洋服も作りたいし、なんだったらお嬢様専用東屋を作ってみたりとか! あ、奥様の化粧品や装飾品、旦那様の書斎を新調するのも素敵! ハァ、メイドの仕事を全部したいなぁ)
誰か……『それはメイドの仕事ではない!』と大声で言ってくれないだろうか……。
メロディの中で、メイドという職業はあまりにも美化(?)されていた。
「やっぱり今の時期にメイドの仕事なんて全然ないねぇ」
「そりゃそうよ。メイド募集のピークなんて先月で終わりだもの。紹介状がいらない募集なんて求職者が多い王都ではすぐに決まっちゃうんだから。今掲示されているのは一時的な人手不足の手伝いよ。つまりデガラシよ、デ・ガ・ラ・シ!」
「だったら他の仕事にしましょうよ。半年くらいしたらまた求人も出るでしょう?」
「そうね、そうしましょう。短期募集のメイドなんて、要は雑用だもの。そんなのイヤだわ」
メロディの隣で話し合う二人の女性は、他の求人掲示板へと去っていった。
これを聞いたメロディは思わず顔をしかめた。つまり、自分がメイドになると決めたあのタイミングが、王都でのメイド募集最盛期だったのだ。
「うう、もっと早く来ていればよかった……」
すぐに行動しなかったことが悔やまれて仕方がなかった。
(王都ならメイドの求人もたくさんあって選り取りみどりだと思ったのに。現実っていつも厳しいなぁ……どうしよう。しばらく短期募集のメイドで繋いで、いつか来る正規の募集を待つ? それとも、募集が始まるまで他の仕事をして待つ方がいい?)
短期募集のメイドが悩ましい原因のひとつが低賃金であることだ。おそらく誰でもできる簡単な仕事なのだろう。しかし、あの賃金ではかなり生活が厳しい。住み込みでもないため住むところを探す必要もある。小遣いが欲しい人向けの仕事と言っていいだろう。
メイドの仕事はしたいが、王都に来るまでに貯金は使い切った。これからの生活を考えると即断で短期メイドを選ぶわけにはいかなかった。
魔法を使えば、メロディなら生活費ゼロでも全然余裕で生きていけるのだが、やはりその結論には思い至らないようだ。
「お嬢ちゃん、ちょっとごめんね」
「え?」
掲示板の前で悩むメロディの前にギルドの女性職員がやってきた。女性職員は掲示板の前に立つと新たな求人用紙を貼って受付へと戻っていった。
「新しい求人募集? 何かいいのがあるかも!」
メロディは早速新たな求人用紙の中身を確認した。新しく掲示されたのは全部で五枚。メロディは一枚一枚確認した……が。
「ここまで四枚全部、男性の使用人募集ですか……」
残念ながらメイドの募集ですらなかった。料理人や庭師の手伝いなど男性向けの募集だ。
「あと一枚……なんだけど、高いなぁ」
めいっぱい腕を伸ばしてもどうしても届かない。
先程の女性職員はかなり背が高かったため、全ての用紙が高い位置に貼られていた。幸い、四枚目まではなんとか見ることができたが、最後の一枚だけはどうしてもここからは見えなかった。
「伸びろ、
はたから見れば掲示板からメモ用紙がはらりと落ち、それをメロディが拾っただけだ。
メロディは力属性魔法で架空の腕を作った。実際にそこに腕があるわけではない。力属性魔法が、まるでそこに手があるかのような絶妙の力加減で発動しているだけで……。
つまり、メロディは魔法の手を伸ばして掲示板からメモ用紙を引きちぎったのである。
実態のない不可視の腕は壁の向こうでも発動可能で……諜報・工作がやりたい放題だ。
だが、メロディがこの魔法を作った理由は……。
『タンスの奥に落ちた指輪を拾うのって大変なんですよね。これでもう安心です!』
まあ、その程度の軽い気持ちからである。
メモ用紙を手に入れたメロディは改めて求人内容を確認した。
「えーと、雇用主は……ルトルバーグ伯爵家。あれ? 貴族の求人?」
通常、貴族が使用人を雇う際は紹介状が必要だ。貴族は責任ある立場にあり、場合によっては王族とも関わる可能性がある。つまり、その貴族の元で働く使用人にもある程度の責任と信頼が必要なのだ。その判断基準の最低条件が『紹介状』というわけだ。
が、このルトルバーグという伯爵家の求人は紹介状不要の掲示板に張り出されていた。
「……場所は伯爵家の王都邸。定員は一名。仕事内容は……
メロディが驚くのも無理はない。場所、定員は特に問題ない。しかし、高位貴族にあたる伯爵家が雑役女中を雇用することは普通では考えられないことだった。
雑役女中はメイドの中では最も地位が低く、使用人を多く雇う余裕のない下級貴族や平民の中流層に雇われることが多い。
貴族屋敷で働くメイド達の仕事は基本的に分担制だ。そうしないと、広い屋敷の徹底した管理が行き届かないからである。台所を担当する
しかし
その雑役女中を、ルトルバーグ伯爵家はなぜか求人しているのである。
普通であれば絶対にお断りの求人だ。伯爵家で雑役女中など、どれほどの仕事を言いつけられるか分かったものではない。まして、紹介状不要ということは身分の低い人間でも問題ない、つまり何かあっても責任を取るつもりはないと雇用側が暗に告げているようなものであった……のだが。
「これ……これよ……これだわ! 私がやりたかったのは、この仕事だわ!」
メロディはメモ用紙を掲げて喜んだ。あんまり嬉しそうに大きな声をあげるので周りの人間は何事かとメロディを見るが、彼女はそれに気がつくことなく求人用紙を持って受付に向かった。
「これをお願いします!」
「あら? 良いのがあったの? 今の時期はあまりいいのがなくて……え?」
受付のエステルはメロディの求人用紙を見て少しばかり目を開いた。
「伯爵家が紹介状不要のメイドを募集……?」
やはりこれはエステルにとっても疑問の内容だったが、メロディには関係のないことだ。
「あの、問題なければ早く処理していただきたいんですけど……」
「え? ああ、そうね。少し待ってね」
少々気になる内容ではあるが特に問題があるわけではない。メロディに急かされたエステルはルトルバーグ伯爵家宛の紹介状を書いた。
「ありがとうございます! それじゃあ!」
「頑張ってね……て、もう行っちゃった。やる気のある良い子だったわね。ルトルバーグ家の先輩メイドが面倒見の良い人だといいのだけど……あれ? ルトルバーグ?」
どこかで聞いたことのある気がするが……どこだっただろうか?
「エステル、この書類のことなんだけど……」
「何か用、サリア?」
長身の女性職員サリアが書類仕事の件でエステルに質問をしに来た。エステルが説明するとサリアが納得したようで、奥に戻ろうとした。
ただ、エステルの方からもサリアに質問があった。
「サリア、求人情報の掲示はあなたの担当だったわよね? ルトルバーグ伯爵家のメイドの求人なんだけど……」
「ああ、ルトルバーグ家の奴? 誰も受けないだろうと思って上の方に貼っておいたわよ? あそこの年配のメイドさん、とうとうぎっくり腰で仕事ができなくなったみたいね。貴族なのに紹介状なしの求人なんて、あそこも大変よね。でも、あの条件じゃあなかなか新しいメイドなんて見つからないんじゃないかしら」
「ルトルバーグ……思い出した! 貧乏貴族の代名詞『ルトルバーグ』!? 貴族なのに雇っているメイドがたった一人しかいないっていう、あの……」
「今更どうしたの、エステル? ちょっと、顔が真っ青よ?」
エステルはギルドの入り口の方に顔を向けた。だが、もちろん既にメロディの姿はなかった。
確か、メロディという少女はこれが初めてのメイドの仕事だと言っていた。初就職先があのルトルバーグ家だなんて……もう彼女は今後メイドを続けようとは思わないかもしれない。
やらかしてしまった……商業ギルド受付職員エステルは顔面蒼白になってそう思った。
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