第5話 馬車旅は一人より二人の方が楽しい

 今から約七年前、テオラス王国は周辺諸国で初めて、個人の長距離移動を支援する『国営定期馬車便』という公共事業を始めた。日本で言う電車やバスにあたる公共交通機関である。

 日本のものほど綿密ではないが発着日時と運賃があらかじめ設定され、野営道具や宿泊施設の手配、移動中の護衛も運賃に含まれている。

 不特定多数の人間を一度にたくさん運ぶため、個人が馬車を借りるよりも余程安い。個人が馬車を借りようとすれば馬車の費用だけでなく、野営、宿泊、護衛なども考えなければならない。

 正直、定期馬車便が始まるまで庶民の長距離移動手段は徒歩一択であった。


「それを改善してくれたのが当時の第一王子、現王太子様なんですか?」


「そうだね。始まったのは七年前だけど、事業の提案をしたのは更に一年前らしいよ? 今も交通網を拡大させるべく乗り場と街道の整備を進めているらしいね」


「王太子様って確か私達と同い年ですよね。八年前というと……六歳ですか!?」


「殿下はもう十五歳になっているから、一応当時は七歳かな?」


「大して変わりませんよ! ハァ、世の中には物凄い人がいるんですねぇ」


「ふふ、そうだね」


「面白いお話をありがとうございます、マックスさん」


「いやいや、俺も君と話せて楽しいよ、


 馬車の旅が始まって今日は三日目。セレスティ改めメロディは、王都行きの定期馬車に同乗している同い年の少年、マックスと歓談しながら旅を楽しんでいた。


◆◆◆


 今から四日前、トレンディバレスに着いたセレスティは早速宿屋へ向かった。街のみんなには、まもなく出発する隣国行きの定期馬車に乗ると伝えてあったが、実際に乗るのは王都行きの馬車だ。

 馬車が出るのは二日後。それまでセレスティはこの街で待たなければならなかった。


「いらっしゃいませ。ご宿泊ですか? それともお食事ですか?」


「宿泊でお願いします」


「それではこちらへご記帳をお願いします」


「はい……あ」


(そういえば、今の名前のままだとダメなんじゃ……)


 宿帳にペンを走らせようとして、セレスティはようやく名前のことに気がついた。

 このまま『セレスティ』と記帳すれば痕跡を残すことになる。隣国へ行かなかったことも、今の容姿もバレてしまうかもしれない。このまま本名を書くわけにはいかなかった。


(何か違う名前を書かないと! でも、何がいいの!?)


 偽名を書くにしても少しくらいは今の名前の雰囲気を残したい。だが、残しすぎれば父親に見つかるかもしれない。どうしたらいいのか……?


(考えるのよ、瑞波律子みずなみりつこ! 何か良い名前を……ん? これは……?)


「……オルガン?」


 宿帳を前に悩むセレスティの耳に軽快な音楽が響き渡る。受付の隣の部屋、食堂からだ。

 ピアノではない。安定して持続する音、多彩な音色、音の強弱を各音の持続時間で表現するオルガンらしい魅力的な旋律が、こちらにまで鳴り響いた。


「あら、気が付きました? 凄いでしょう。うちは食堂に楽器を置いているんです。これのおかげでうちは食堂も大盛況なんですよ。音楽を楽しめる大衆食堂なんてうちくらいですから」


 受付嬢は自慢げに教えてくれた。この世界で楽器は高級品だ。音楽は基本的に、貴族などの富裕層が嗜む高価な趣味なのだ。前世ならともかく、今世ではセレスティも楽器に触れる機会はなかった。前世のアルバイト先にもあった楽器だ。とても懐かしく感じた。


(……綺麗な旋律。音楽なんて久しぶりだわ……そうだ! これにしよう!)


 ふいに思いついたセレスティはササッと宿帳に記帳すると、それを受付嬢に渡した。


「はい、ありがとうございます。えーと、メロディ・ウェーブ様ですね。宿泊期間は二日で間違いないですか?」


「はい、よろしくお願いします!」


 メロディ・ウェーブ。それが、セレスティの新たな名前。


 オルガンの美しい音色を聞いたセレスティは、旋律を英訳した言葉『メロディ』を新たな名前に選んだ。前世の名前『律子』とも繋がるし、語尾の雰囲気もセレスティと少し似ている。

 これから名乗る名前としてはピッタリだ。セレスティ……じゃなくて、メロディは得意気にそう思った。ちなみに、新たな家名『ウェーブ』は前世の名前『瑞波』の波から取った。


 それから二日後、宿を後にしたメロディはすぐに王都行きの馬車乗り場を目指した……が、なかなか見つけることができなかった。

 二日間、乗り場の確認もせずに市場巡りをしていたツケが回ったということだろう。


「もうすぐ馬車の時間なのに、どうしよう……」


 困り果ててキョロキョロと周囲に首を振っていると、後ろから声を掛けられた。


「どうした、お嬢さん?」


「え?」


 振り向いた先には馬を連れた長身の男性が立っていた。ショートヘアの赤い髪、眠そうな目つきの金色の瞳を持つ、整った顔立ちの青年だ。メロディよりも五、六歳ほど年上だろうか?


「あの、王都行きの定期馬車乗り場の場所が分からなくて……」


「ああ、それなら向こうだぞ」


 男性が指差した方を見ると、そこには『王都方面定期馬車』の看板が立っていた。看板の奥には大きな二頭立ての四輪馬車が見える。御者が搭乗客を案内しているようだ。


「ああ、本当だ! ありがとうございます!」


 メロディは満面の笑みで一礼すると定期馬車へと向かった。

 馬車乗り場に着くと、なんとメロディで最後の席だった。あと一歩遅かったら間に合わないところである。危ないところだった。


(親切なお兄さんに助けてもらえてよかった。あの人、まだいるかな?)


 彼は馬を引いていた。おそらく彼も王都方面に向かうのだろう。馬車に乗ってから街道に目をやると、先程の男性が馬に乗って先へと進んでいた。


(ありがとう、お兄さん。王都に行くならまた会えるかも。もし会えたらまたお礼を言おう)


 そして馬車は王都へ向けて出発した。


 馬車の旅が始まって三日目の現在、メロディは先程知り合ったばかりの少年マックスと他愛のない世間話に花を咲かせていた。


 後ろで結んだハニーブロンドの髪とエメラルドグリーンの瞳を持つ美しい少年だ。


 ちょうど立ち寄った先の馬車乗り場で、入れ違いに下りる客がいたのでマックスもこの馬車に乗ることができた。たまたま空いていたのがメロディの隣だったのだが、彼には幸運だったらしい。


 年頃の可愛い女の子の隣だから……ではなく、メロディが自分の容姿に全く反応を示さない少女だったからだ。自分が女性受けする容姿をしていることをマックスは自覚していたが、最近の女性の反応には少々うんざりしていた。


 モテない男子からすれば非難の嵐だろうが、同年代の女性全員から色目を使われては辟易するのも仕方がない。その点、愛や恋よりメイドが大事なメロディはマックスの容姿のことなど全く気にすることなく、ただ純粋に彼との会話を楽しんでいた。


「今日は良い馬車に乗ったよ。メロディのおかげかな?」


「私もマックスさんとのお話は楽しいです。マックスさんって本当に物知りですね」


 何の裏もないまっすぐな笑顔を見せられてマックスも自然と笑みをこぼす。自身を偽らずに笑えることのなんて楽なことかと、マックスは内心で感動していた。

 だが、今自分が楽なのは気持ちからだけではないようだ……。


「それにしても、この馬車の御者はどんな腕をしているんだろう? ……凄いな」


「何がですか?」


 突然御者を褒めだしたマックスに、メロディは首を傾げる。


「馬車が全く揺れていないんだ。このあたりの街道はまだ整備が進んでいないから馬車が結構揺れるはずなんだけど、今はそれを全く感じない。これは凄いことだよ」


 マックスがちらりと外を覗いた先に見えるのは未舗装の土の道路。古く凝り固まったわだちの跡や、取り除かれていない大小様々な砂利石が目に留まる。この状況で馬車が揺れないように手綱を引くなどできるはずがないのに、とマックスは不思議でならなかった。


 マックスの疑問を聞いたメロディは、何気なくボソリと呟いた。


「二日目は死ぬかと思いましたもんねぇ……あ、そろそろ効果が切れそう」


「ん? 何か言ったかい?」


「いいえ、何でもないですよ! ……揺れることなかれ『大地水平オリゾンターレ』」


 自動車に必須の部品『サスペンション』をご存知だろうか? コイル状のバネをイメージしてもらうのが一番分かりやすいだろう。段差を走る際の上下の衝撃、ブレーキを掛ける際の前後の衝撃、方向転換する際の左右の衝撃など、全ての衝撃を吸収する自動車のとても大切な部品だ。

 さて、中世ヨーロッパ風のこの世界の馬車に果たしてサスペンションがあるだろうか?


 もちろん答えは『否』である。


 馬車の旅も一日目は良かった。隣国に接するアバレントン辺境伯領は有事に備え領内の街道はほぼ完璧に整備されていた。石畳の街道は多少揺れるものの、メロディも特に気にならなかった。

 しかし二日目になって辺境伯領を抜けると、そこからは地獄だった。


 ある意味、辺境伯領で育ったメロディにはカルチャーショックである。自分達の小さな街の周辺ですら、街と街を繋ぐ道路は石畳で舗装されていたのだ。てっきりこの国はインフラが充実している立派な国だと思っていたのに、とんだ勘違いであった。


 未舗装の土の道を走るたびに、小柄なメロディは何度も転がりそうになる。頭を、体をこれほど揺さぶられた経験は今世どころか前世でもなかった。

 そして当然のように、メロディは車酔いになった……。


(まずい、まずいよ~。このままじゃ乙女の尊厳が……うっぷ!)


 しばらく我慢していたメロディだったが、車酔いにより危険物が喉元まで迫っていた。これ以上馬車が揺れれば、確実にやらかしてしまう。

 だからメロディは魔法に頼ることにした。


 簡単に言えば『サスペンション』を代行したのだ。重力や浮力などを操る力属性魔法で馬車の内側に伝わる全ての衝撃を完璧に相殺してしまったのである。

 外から見れば馬車はしっかり振動しているが、その衝撃が馬車の乗客に届くことはなかった。実際には馬車は揺れているのに、中にいる乗客達が全く感知できないというのは一体どういう状態なのだろうか? 全く原理が分からないが、メロディにはどうでもいいことだった。車酔いさえ収まればどうでも良いのである。


 もしこの馬車を盗賊が襲い、矢を射たとしても、剣を突き立てたとしても、絶対にその攻撃が通ることはないだろう。衝撃は全て相殺されてしまうのだから。揺れを抑えるつもりで発動させたメロディの魔法は、実は馬車を守る絶対防御の結界の役割も担っていた。

 知らないって本当に怖いことである……。



◆◆◆



「いやあ、あんたの腕は大したもんだ! 良い馬車旅だったよ、ありがとな!」


「へ、へえ。ありがとう、ございます?」


 馬車の旅が始まって十日、馬車はようやく王都パルテシアに到着した。馬車を下りる際、御者は乗客達に何度もお礼を言われたが何のことだか理解できなかった。

 魔法は馬車の内側にしか効果がなかったので、御者にとってはいつも通りの旅だったのである。

 馬車を揺らさない凄腕御者として……彼は今後苦労するかもしれない。謝れ、メロディ!


「わあ、ここが王都なんですね! トレンディバレスなんて比較にならない大きさです!」


 王都に着いたメロディは大はしゃぎだ。これでメイドになれる! そんな感動でいっぱいであったが、マックスからの質問で一気に青褪めてしまった。


「メロディはこれからどうするんだい? 確かメイドになるんだよね? 紹介状は持ってる?」


「いいえ! 持っていません……どうしましょう」


 よくよく考えれば、メイドは貴族に仕えることもあるのだ。特に上層の家で働くなら信頼のおける者からの紹介状は必須であった。しかし、メイドになることばかり先走っていたメロディはその考えにはいたらず、何の用意もなしに王都まで来てしまった。どちらにせよ、庶民でしかないメロディが紹介状など用意できるはずもないのだが……。


「だったらこの先の商業ギルドに行くといいよ。紹介状のいらない中流層の使用人の斡旋もしていたはずだから、まずはそこのメイドをするといいんじゃないかな?」


 マックスが指差す先には確かに『商業ギルド』と書かれた看板を掲げる大きな建物があった。

 先程青ざめていたメロディは、マックスの助言を聞くと一気に頬を上気させて彼に礼を告げた。


「ありがとうございます、マックスさん! 私、行ってみますね!」


「うん。とても楽しい旅だったよ、メロディ」


「私もとても楽しかったです! それじゃあ、また! さようなら!」


 メロディは大きく手を振りながら満面の笑みでマックスに別れを告げた。マックスもメロディが見えなくなるまで優しい笑みを浮かべて彼女を見送った。


「おかえりなさいませ、マクスウェル様」


「やあ、ユーティス。迎えに来てくれたのかい?」


 メロディが見えなくなった頃、マックスことマクスウェルの背後から執事風の青年が現れた。


「旦那様のご命令でして」


「ふふ、信用ないな。迎えなんて寄越さなくてもちゃんと帰るのに」


「置き手紙だけ残して二ヶ月も国内を一人旅する方が何をおっしゃいますか」


 ユーティスが呆れたようにため息をつくと、マクスウェルは苦笑して再び商業ギルドの方を見た。


「ねえ、ユーティス。新たにメイドを一人雇うなんてこと、できないかな?」


「本年度分の使用人の新規雇用契約は全て完了しております……無理、というか不要ですね」


「一人くらいねじ込めない?」


「無理ですね。旦那様……宰相閣下は無駄がお嫌いな方です。必要以上の使用人を雇うことはお許しにならないでしょう。それよりも、マクスウェル様もお覚悟を。無断でなされたこの旅が不要な物だと旦那様がご判断されれば、お叱りは避けられませんよ?」


「ハァ、分かっているよ……うちで雇ってみたかったなぁ」


 テオラス王国宰相ジオラック・リクレントスが長男、マックスことマクスウェル・リクレントスは、彼専属執事ユーティスの手配した馬車へと歩を進めた。

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