第2話 メイドを決意した聖なる乙女
「お母さん、あのとっても綺麗なお姉さんは誰？」
「綺麗なお姉さん？」
買い物中、唐突に娘が雑貨屋の方を指差した。そこにいたのは、黒いドレス、白いエプロンとキャップを被った女性がいるだけ。
特別綺麗な服を着ているわけでも、殊更に美しい容姿をしているわけでもない。娘はなぜあの女性をとても綺麗だと思ったのだろうか？ ただの……メイドだ。
「あれはメイドさんね。きっと町長さんのお屋敷のメイドじゃないかしら？」
「……メイド」
（雑貨屋で買っているのは……洗剤？ じゃあ、彼女はお屋敷の清掃と美化を担当している
その瞬間、雷に打たれたように、セレスティの脳裏に前世の記憶が蘇った。
（私の、名前は……
それは、ほんの一瞬の出来事だった。母親が八百屋でキャベツとニンジンを購入している短い時間で、セレスティは律子としての記憶を取り戻した。
今世と同じ六歳の時、メイドという存在を知ったこと。二十歳まで、ずっとメイドとなるべく全力投球で生きてきたこと。そして、次の仕事で衣装選びやお化粧の仕事ができると喜んで帰る途中、運悪く交通事故に遭い死んでしまったこと。
夢のメイドまでもうすぐ、あと一歩！ と、いうところでの死だった。
「もうすぐ、メイドになれるはずだったんだけどなあ」
前世の記憶を取り戻し、律子としての自覚が強まった直後、ポツリと呟いた。
「どうかしたの？ セレスティ？」
「ううん、何でもないわ。お母さん」
セレスティは、雑貨屋を後にするメイドの後ろ姿を羨望の眼差しで眺めながら、母に手を引かれ我が家へと帰っていった。
帰宅したセレスティはまず自分の状況を把握することに努めた。
前世、
家族構成は母セレナと娘セレスティのみ。父親はいない。
そういえば、今まで母から父親の話を聞いたことはなかった。生きていようが死んでいようが、愛する夫がいるのなら少しくらい話をしているはずだ。
それが無いということは……そういうことなのだろう。
娘のセレスティから見ても美しく麗しいと思う母の容姿を見ればなんとなく事情を察するというものだ。
父親については、母から話があるまでこちらからはしないでおこうとセレスティは決めた。
そして、セレスティはここが地球ではない異世界であると結論づけた。
確かにここはヨーロッパの赴きを感じるが、水道の代わりに井戸、電灯の代わりに蝋燭やランプを使うというのは流石におかしい。
何より、地球には『魔法』など存在しないのだ。それを当然のように利用しているこの世界が地球のどこかの国だと言われても信じられるわけがなかった。
そして、その魔法は母セレナも少し使えるようだった。
「優しく照らせ『
日が暮れるとセレナは燭台に、火ではなく光を灯した。母にはこれくらいしかできないそうだが、この魔法一回で蝋燭一晩分を補えるのだから家計には大助かりであった。
ちなみにセレスティは魔法が使えない。
魔法の才能の有無は五歳くらいには判明する。教会にはそれを診断する技術が確立されており、昨年、セレスティも確認してもらっていた。
『残念ながら、セレスティには魔法の才能はないですな』
これが神父に告げられた言葉だった。魔力はあるようだが、魔法を使うための『何か』が足りない。それが何なのかは不明だが、その足りない物が補われない限り、セレスティには魔法は使えないだろうと教えられた。
当時は母と同じ魔法が使えないことが意外とショックだったが、前世の記憶を取り戻した今となっては正直どちらでもよくなっていた。
（だって私はメイドになるんだから、別に魔法が使えなくても問題ないのよね！）
前世の記憶を取り戻したセレスティは、メイドの夢が再燃していた。ずっと望み続けて叶わなかった夢だ。それを果たす機会を手に入れたというのに無視することなどできはしなかった。
（次こそは、この人生こそは、絶対にメイドになってみせる！）
セレスティとして生まれて六年。これほどまでに情熱を感じたことはなかった。久しぶりに感じるこの感覚に、ついつい頬が緩むのは仕方のないことだった。
「どうしたの、セレスティ？ 今日はご機嫌ね」
「ふふふ、今日は良いことがあったの！」
「あら、なーに？」
「ひーみーつ！」
「あら？ ふふふ。そう、秘密なの？」
「うん！ その時が来たら教えてあげるね、お母さん」
「あらあら、楽しみにしているわね」
「うん！」
メイドを目指すことは、今はまだ秘密にしておく。セレスティはそう決めた。
正直、今の年齢でできることは特になかった。
読み書きに関しては既に母から教わっていたし、前世の記憶が戻ったことで今のセレスティの知識はこの世界の学者並みに高められていた。
まあ、前世で本人がいろいろと学びすぎたということも一因ではあるが。メイドになるのにどうして建築学や工学、医学に理学まで学ばなければならないというのか。
『あなたの中でメイドってどういう存在なのかしら？ 多分間違っていると思うのよね……』
前世で一度、
前世で学んだ知識と技術が継承されたおかげで、メイドの基礎知識は完璧だった。あとは実際にメイドになった時に実地で学べばいい。
だが、六歳の身では流石にメイドになれるわけもない。だからセレスティはメイドになれる適正年齢までは母との人生を楽しむことにした。
メイドになると伝えるのはその時で良い。当時はそんな風に考えていた。
……だが結局、母にはメイドの夢を伝えることは叶わなかった。
「お母さん！ お母さん！」
「……ごめんね、セレスティ」
「いや！ いやだよ！ お母さん！」
「チェストの中に……手紙があるわ……読んで……ちょう……だいね……」
「お母さあああああああああああん！」
セレスティが十四歳になってすぐ、突然の流行り病でセレナは天へ召されてしまった。
十五歳で成人したら母にメイドのことを告げ、いろいろと相談するつもりでいたのに……。
前世で両親はいろいろと相談に乗ってくれていた。きっと今世の母も話していれば相談に乗ってくれていたに違いない。そう確信できるほど、母は優しく、そしてセレスティは大好きだった。
悲しみに暮れつつも、近所の人達の手を借りてセレナの葬儀はしめやかに執り行われた。
未成年のセレスティをどうするかと近所の者達は相談したが、幸い、母が残してくれた蓄えと、針子の仕事のおかげで一人でも生活することができた。
前世を含め、大切な人を失ったことのなかったセレスティには、唯一の家族を失った悲しみは想像以上に大きかった。それは、母の最後の言葉である手紙のことも、メイドになる夢も思い出せないほどに……。
セレナの死から半年、セレスティは母の部屋に一度も入りはしなかった。
そしてある日、たまたま家の前を通る郵便屋さんを見て母が手紙を残したことを思い出した。
「私、どうしてこんな大切なことを……」
セレスティはすぐさま母の部屋へと駆け込んだ。
半年間放置していただけあって、母の部屋はほこり塗れだった。ベッドの脇に置いてあるチェストの引き出しを開けると、そこには一枚の便箋が入っていた。
『セレスティへ
この手紙が読まれるということは、私は助からなかったのね。
ごめんなさい、セレスティ。あなたを残して逝く私を許してちょうだい。
もっとあなたと一緒にいたかったわ。
大人になるあなたを見てみたかった。
あなたの夢、メイドになる姿をこの目で見てみたかったわ。
驚いた？ あなた、隠しているつもりだったものね。
でもね、お母さんにはバレバレだったわよ。
街でメイドを見かけては憧れるように目をキラキラさせて見ていたものね。
それに、私に隠れてお辞儀や歩き方の練習もしていたわね。
とても優雅で綺麗だったわ。いつの間に習得したの？
でも、ちょっとくらい話してほしかったわ。相談くらい乗ったのに。
あなたはきっと良いメイドになるでしょう。
お母さんが保証するわ。だって、私も昔はメイドだったんだもの。
でも、気をつけてね。華やかに見えてもメイドの世界は大変なの。
あなたが生まれたこともメイドをしていたからとも言えるわ。
当時、私が務めていたお屋敷の若君があなたのお父さんよ。
名前はクラウド・レギンバース様。伯爵家の跡取りよ。
いえ、確かもう爵位を受け継いでいるはずだから今は彼が伯爵ね。
一応言っておくけど、私とお父さんは愛し合っていたのよ？
身分の差はどうしようもなかったの。
私達の関係が先代伯爵様に見つかって、私は暇を出されたわ。
あなたを身籠ったことを知ったのはその後。
だからお父さんはあなたのことを知らない。お父さんを責めないであげてね。
ただ、最近彼が私を探しているという噂を耳にしたわ。
セレスティは本当にメイドになりたい？ もしそうなら、この家を出なさい。
お父さんに引き取られたらあなたは伯爵令嬢よ。
絶対にメイドにはなれないわ。でも、あなたの家族はもうお父さんだけよ。
家族といたいというのなら、それを止めるつもりはないわ。
それに噂だしね。実際は探していないかもしれない。
私はあなたの気持ちを尊重します。あなたの想いに従いなさい。
あなたが選んだ未来なら、私は空の上からあなたを応援しているわ。
愛しているわ、セレスティ。
またいずれ空の上で会いましょう。
でも、しっかりお婆ちゃんになってから来てね。絶対よ。
セレナより』
「お母さん……」
便箋の上に涙が零れた。半年前に枯れるほど流したと思ったのに、母を思えば涙などいくらでも溢れてくる。セレスティは便箋を胸に改めて決意した。
「お母さん、私、メイドになる！ お父さんが気にならないわけじゃないけど、私、メイドになりたい！ ずっと、前世からずっとなりたかったんだもの！ お母さんもしたメイドに、私はなる！」
誰が聞いていたわけでもない。決意の言葉を聞いたのはセレスティ自身。
これは自分に向けた宣誓。
今はなき母へ向けた約束。
私は、自分のために、そして母のためにメイドになる！
『……自身のため、そして誰かのための誓い……全てが揃った。聖なる乙女に祝福を』
「……え!?」
今一瞬、誰かの声が聞こえた気がした。それは、初めて聞くような、いつも耳にしているような不思議な声。セレスティはあたりを見回すが、当然そこには誰の姿もなかった。
そして、燭台が目に入った。いつも母が魔法で光を灯していた燭台。
魔法の才能のないセレスティにはどうしようもなかった燭台。
だというのに、なぜだろう。セレスティは不思議とその燭台に手を伸ばし、言葉を紡いだ。
「……優しく照らせ……『
次の瞬間、母セレナの部屋に、溢れんばかりの眩い閃光が放たれた。
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