第3話 メイドになるために

「どうして私に魔法が……?」


 光が収まった後、セレスティはへたり込んで呟いた。数年前に神父から魔法の才能がないと言われていたはずなのに、ふと思いついて呪文を唱えると、閃光の魔法が放たれた。

 しかし『灯火ルーチェ』とは本来、閃光を放つ魔法ではない。


 間接照明のように部屋ひとつを優しく照らす程度の下級魔法だ。先程セレスティがしたような眩い光を放つ魔法ではない。余程膨大な魔力を注がない限り、あれほどの魔法にはならないのである。

 カーテンで閉め切られた部屋で助かった。光が漏れていれば人が押し寄せているところだ。


「それに……これが、魔力?」


 セレスティは体内を巡る異質な『何か』の存在を感じた。『何か』は血管のように、神経のように体中に張り巡らされ体内を循環し、細胞のひとつひとつにまで浸透している。


 初めての感覚に最初こそ戸惑ったが、セレスティはそれを魔力――魔法を使うための力――だとすぐに理解した。その力は莫大にして繊細。先程の閃光の魔法に使われた魔力など、全体の千分の一にも満たない。本来の『灯火ルーチェ』の百倍以上の魔力が込められていたというのに……。


 魔力とは繊細な力だ。強い魔力を持つ者ほど力の制御に苦しむ。この国で十指に入る魔法使い達もその強大な魔力故に、若い頃は魔法の制御に苦労したと皆、愚痴っていたそうだ。

 そして、セレスティの魔力は彼らの比ではなかった。もはや、比べることがおこがましいとさえ言えるほどの圧倒的な魔力差である。五倍や十倍ではとても収まりきらない。


 もちろん、比べたことのないセレスティにその事実を知る術はない。


 その気になれば、セレスティの住む街など一瞬で灰燼と化すことも、難しくないほどの魔力だ。

 はっきり言って、まだ十五にも届かない少女に扱いきれる力ではなかった。初めての魔法を機に、彼女の体内で目覚めた魔力は外の世界へ出ようと次々に生まれ、溢れ出そうとしていた。

 それは氾濫する大河のように、噴火して流れ出る溶岩のように、人の手で止めることのできない災害のような力だ。


 自身の魔力を認識したセレスティは、本能的にその事実に気がついた。このままでは魔力が無尽蔵に溢れ、町の人達を傷つけてしまう。まずい! と……。

 だが、それを止めることなどできるはずがない。この国最強の魔法使いですら、その強大な力を完璧に使いこなせるまで十年の月日を費やしたのだ。ついさっき、ようやく魔力を認識したばかりの少女に、どうにかできるわけがないのだ。


 そして、溢れ出た魔力はこの世界と溶け合い、暴走し、望まぬ破壊の魔法が連鎖的に発動する。

 セレスティの住む街を、全ての住人を巻き込む、世界的な大災害として彼女の名前が歴史のページに刻まれる……はずだった。


「……危ないから仕舞っとこ」


 シュンッ!


 たったひと言。たったひと言で、あの暴走寸前の魔力は体内に押し戻された。


 もしこの場に魔法使いが立ち会っていれば、目の前の光景を夢だと思うだろう。

 あまりに常軌を逸した事態だ。

 セレスティは魔法の才能に目覚めてたった一分で、自身の魔力を完全に掌握した。

 一般的に、魔力の弱い者でもその制御には一週間程度は掛かるものだ。一日で習得できるだけでも凄いことなのだが、魔法に詳しくないセレスティがその事実を知るはずもなかった。


「優しく照らせ『灯火ルーチェ』」


 セレスティの呪文に応え、再び燭台に光が灯った。しかし、今度は閃光ではなく、部屋全体を優しく照らす普通の光だ。先程、百倍の魔力を注ぎ込んだ魔法を、セレスティは二回目で完全に使いこなしていた。何度も言うが、ありえない事態である。


「うんうん、上手くいった!」


 光を灯す燭台を眺めながらセレスティは満足げに頷く。

 続いて大小様々な水球を生成したり、蝋燭程度の小さな火を空中にいくつも灯したり、風を操って部屋中のほこりを集めたりと、様々な魔法を同時に発動させた。

 それらの魔法はひとつのミスもなく正確に発動し、セレスティの想像通りの成果をあげた。


「魔法って凄い! こんなことまで簡単にできるなんて!」


 何度も言うが、魔法はそんなに簡単ではない。魔法には相性があり、相反する属性の魔法を両立させることは大変難しいのだ。火属性魔法が得意な者は水属性魔法が苦手なのが普通だ。

 だというのに、セレスティはそれを両立させていた。


「これなら……この力があれば……」


 今この世界に、真の意味で世界最大の力を有する魔法使いが誕生した。


 国が彼女の存在を知れば、何が何でも国お抱えの魔法使いとして召し抱えていたことだろう。その魔力を持ってすれば、王国を襲う脅威『魔物』を一掃できるかもしれない。

 この世界には魔物と呼ばれる害獣が存在する。『魔障の地』と呼ばれる、森や山などの魔物が住む領域から、時折人間を襲いにやって来る猛獣だ。魔力を有する奴らを倒すにはやはり魔力でしか対抗できず、国が抱える魔法使いの多くは魔物に対抗するための戦闘要員がほとんどだ。


 特に『灯火ルーチェ』のような光属性魔法による攻撃は魔物とは相性が良かった。


「私は……」


 灯火さえ閃光に変えてしまうほどの力を持つセレスティが光属性の攻撃魔法を使えば、おそらくどんな魔物であっても一撃のもとに倒すことができるだろう。

 もしかすると、今は忘れられた古い伝承にある魔物の長『魔王』さえ討伐できる可能性も……。

 即ちそれは『魔王』とともに忘れ去られた、神の光を携えし伝説の聖なる乙女『聖女』の復活を意味していた……のだが。


「この魔法で、世界最強のメイドになれるわ!」


 残念! 『聖女』は、誕生しなかった……。あれ?


 せめてあの時、カーテンが開いていれば、母の手紙を見るタイミングが例えば夜であれば、閃光が誰かの目に留まり、彼女の異常な魔力を察する者が現れていたかもしれない。

 しかし、残念ながらというべきか、運命はセレスティに味方した。


「きっとお母さんが神様にお願いして、私に魔法の才能を与えてくれたんだわ! メイドになるために! お母さんの手紙を読んだ直後に魔法が使えたんだもの。間違いないわ! ありがとう、お母さん! ありがとうございます、神様! こうしちゃいられないわ。すぐに行動を開始しないと!」


 セレスティは今の今まで発動させていた魔法を止めると、自分の部屋へと戻っていった。


「魔法を開発しなくちゃ! メイドの、メイドによる、メイドのため……じゃなくて、ご主人様のための魔法『メイド魔法』を開発しないと! ふふふ、これから忙しくなるわよ!」


 それから約一ヶ月、セレスティは『メイド魔法』の開発に没頭した。




「今まで大変お世話になりました!」


 革製の大きな旅行カバンを両手に持つセレスティは、見送りに来てくれた街の住人達に深々と頭を下げた。街の入口で彼女との別れを惜しみに来た人達の表情は様々だ。

 可愛い娘を見送る親の心境の大人達。大切な友人との別れを惜しむ友人達。いつか、もしかしたらと、セレスティとの将来を夢見ていたヘタレ男子達など、本当にいろいろだった。


「本当に気をつけてくれよ、セレスティちゃん?」

「ありがとうございます、トマさん。でも安心してください。私は大丈夫です!」


 八百屋のトマは、常連客であったセレスティを姪っ子のように思っていた。屈託のない笑みを浮かべ挨拶をしてくれるセレスティを、彼だけではなく、街の住人達はみんな大好きだった。

 いずれは自分の息子の嫁になってくれれば、などと多くの父親達が考えていたことなど、セレスティは知らない。彼女にその話が行く前に、住人達が互いを牽制しあっていたから……。


「隣国へ行くんですって? 豊かで治安のいい国だとは聞いているけど、心配だわ。国内ではダメなの? 途中で盗賊にでも襲われたらと思うと……」

「大丈夫ですよ、バジリィさん。護衛付きの定期便で行きますから安全です!」


 不安の声をあげるトマの妻、バジリィに対してセレスティは楽しそうに答えた。あまりに嬉しそうに語るセレスティを見て、バジリィを含めた全員が苦笑した。「もう、しょうがないなぁ」と。

 実際、セレスティが言う定期便はここ数年盗賊に襲われていないので反論はできなかった。

 セレナの手紙を読んでから一ヶ月後、メイドになるための準備を終えたセレスティはみんなに別れを告げて街を出ることにした。


 目的はもちろんメイドになるためだ。メイドになるだけなら町長の屋敷で雇ってもらえるだろうが母の手紙にあった通り、この街にずっと留まれば父が探しに来るかもしれないので、そういうわけにはいかなかった。

 そして、大好きな街のみんなに対してであっても、メイドになるために街を出るとは言わなかった。父に情報が漏れるのを防ぐためだ。


 だから、みんなには「諸国漫遊の旅に出ます!」などと大ボラを吹いた。よく信じてくれたものだと今でも思う。みんなセレスティのことを信じ過ぎである。

 などと、セレスティは思っていたが、もちろん全員それが嘘であることなど見抜いていた。だが、街のアイドルであったセレスティの言うことだ。きっと何か事情があるのだろうと、全員で彼女の嘘に付き合ってくれていた。


 セレスティは……すぐ顔に出るのだ。ポーカーフェイスはメイドの時しかできないのである。


 もちろん引き止めはした。街のアイドルが突然街を去ると言うのだ。止めないわけがない。

 しかし、彼女の決意は固く、結局今日この日を迎えてしまった。一部の男子陣は号泣である。


「それじゃあ、もうすぐ定期便が来てしまうので行きますね!」


「たまには手紙を寄越してくれよ!」


「そうよ。いつでも帰ってきていいからね!」


「危ないと思ったらすぐに誰かに助けてもらうんだぞ!」


「やっぱり俺も一緒について……イテッ!」


「何バカなことを言ってんだい、あんたは! 元気でね、セレスティちゃん!」


 見送りに来てくれたみんなは思い思いの言葉をセレスティに贈った。生まれ育った街を去るのはセレスティも寂しかった。引き止めてくれたことは嬉しかったし、それでも街を去ろうとするセレスティを優しく見送ってくれるみんなの心が嬉しくて、涙が出そうになる。


 でも、ここは涙を流すところではない。笑顔でさよならだ。


「みんな、今までありがとうございました! また会いましょう!」


「「「おお! いつでも待ってるぞ!」」」


「「「そうよ! いつでも帰ってきてね!」」」


「行ってきます!」


 涙を堪えながら、セレスティは笑顔で生まれ育った街を後にした。

 そして、隣国への定期馬車の待合所まで……行かずに、近くの森に姿を消した。

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