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 康太たちが三人でスキーに行くようになったのは、大学一年の春休みからである。最初のゼミの自己紹介で趣味にウィンタースポーツを掲げた同士が意気投合、そのままゼミでもお馴染みの三人組となった具合だ。ゼミで集まる日はことある毎に行動を共にしたし、休日には定期的に飲み会を開いたりもしたが、やはり三人の思い出の多くはゲレンデに詰まっていた。

 裕揮は、上背があって頭身の高い、スキーウェアの似合う色男だった。そしてなによりスキーが上手かった。しなやかな長い両脚でレーシング用の細めの板を操り、クロスカントリーじみた平地からこぶのあるコースまでを、器用に滑りきる。もちろん、真紀のスピードホリックにも互角に渡り合えるものだから、二人はよくゲレンデでレースを始めたりした。上級者どうし、お互いの血が騒いだのだろう。

 そんな二人にくらべれば、康太は冴えない、普通に趣味で滑っているというのが相応しいスキーヤーである。彼らが競争など始めるとあっという間に置いていかれ、先に着いた二人に並んで見守られながらようよう降りるのが常だった。そして康太が追いつくと、待ちかねたように二人が一緒のリフトに乗り、一つ二つ遅れて康太が独りで追随するのだ。彼はその瞬間だけは面白くなかった。別に、先に降りた二人でそのままリフトに乗るのは自然なことだし、彼らが康太を蔑ろにしたつもりなどなかったのだろうが、裕揮に対する敗北感はそれと関係なしに湧いてきた。

 それでも康太は三人で過ごすゲレンデが楽しかった。そもそも三人の間にその手の浮ついた感情はないものとされていたのだ。真紀も裕揮もゲレンデにいる間は純粋に滑りを楽しみに来ているだけで、だからこそ息が合った部分はあるのだろう。ただ康太だけが、本来あるまじき想いを時折ゲレンデに持ちこんでいたに過ぎない。


 ゲレンデは、降りるのに対して登る時間があまりにも長い。その、ほんの短い滑降の快感を得るために、スキーヤーやスノーボーダーは大半の時間をリフトに費やす。

 だから、リフトが停まるのは快感の対価となる時間が無為に引き伸ばされることを意味し、歓迎されるべきものではない。それを歓迎できるのはリフトに座る時間を和気藹々と潰せるような間柄の人たちだけ。

「あーもう! 早く動けっつーの!」真紀が露骨に苛立ち始め、足をバタバタさせる。「言うほど風吹いてないじゃんー」

「足やめろ、余計に運転すんの遅くなるだろ」

「だってー」

 彼女のこの態度は、隣に裕揮が座っていたときから変わっていない。二人とも滑りたがりだから、リフトが停まれば二人揃って機嫌が悪くなる。康太としても、その間は目の前の男女に対する嫉妬など消え、微笑ましさと不安が入り混じった気持ちになったものだ。

「大学の頃もそんなだったよな、リフトが停まると裕揮と一緒になって――」

「なんで今あいつの話が出んの」

 彼の名前を出すと、少し険のある声が返ってきた。

「まだ怒ってんのかよ」

「知らねーよ、あたしら置いてハネムーンしてる奴のことなんか」

 相変わらず足をぶらぶらさせて、拗ねたように真紀が言う。裕揮は去年結婚したばかりの妻との新婚旅行があると言って、久々のスキーを断った。相手はサークルの同期で、ウィンタースポーツはさっぱりだけど料理が上手い、そんな人らしい。大学二年のときに向こうから告白、四年付き合って彼からプロポーズ。絵に描いたような成功街道である。

「いっつも要領良いんだよね、裕揮って。就職も真っ先に決めたし――なんか置いてかれた感じがするな、あいつに」

 真紀が呟くと、それを合図にしたようにリフトが再稼働しだした。冷たいそよ風が頬に当たって、少し寒い。


 長く座ったリフトからようやっと降りると、二人は細長い連絡コースを通って、大きい箱型のゴンドラ駅に到着した。ここからロープウェイ式のゴンドラに乗れば、全長数百メートルのチェアリフトとさほど変わらない所要時間で、一気に山頂まで登ることが出来る。

「最後の年はなんだかんだ乗れなかったから、四年ぶりってことになるかな、このゴンドラ。ほんと、今日晴れてて良かった」

 なんだかんだで康太は気分が高揚していた。大学時代でさえそうしょっちゅうは乗らなかったゴンドラに、四年ぶりに、絶好のロケーションで乗れるのだ。お天道様の気まぐれにとことん感謝した。

 隣から、んっふっふ、と笑いをかみ殺した声がした。

「良かったねー、康太」真紀がしたり顔で康太の顔を覗き込む。「ニヤけてたよ、よっぽど楽しみだったんだね」

「……まぁ、ね」

 康太はさすがに恥ずかしくなった。

 入り口を全開にしたままゆっくりと乗り場を流れるゴンドラに、二人はそれぞれの相棒を抱えて飛び込んだ。そのあとに、家族連れや大学生くらいのグループが何人か乗り込み、十数人分の椅子があらかた埋まったところでドアが閉められる。ひと頃は多かった中国人のツアー客は、今はほとんど見当たらない。三年ぶりに訪れても変わり映えのしないこのスキー場でも、客層は少なからず変化しているらしかった。

「うわっ、キレー!」真紀が身体をひねって、一面の樹氷原に感嘆の声を上げた。

「そんなに? ――うわっ」倣って振り向いた康太も、言葉を失う。「大学のときも、こんなの無かったよな」

 二人とも、しばし変な姿勢で雪景色を見下ろしていた。雪で覆われて白く盛り上がった無数の針葉樹が、日光を直に浴びまるで揚げたての天ぷらのように光りながら、空の群青色と鮮やかなコントラストを造り出している。吹雪の中の逞しい樹氷の姿とはまた違った、芸術的な風景美がそこに広がっていた。つい、ここが人工的なレジャー施設の一部であることを忘れてしまうほどの説得力。康太も真紀も、雪山にこんな可能性があることを知らなかった。

 康太がふと振り返ると、他のスキー客も、それぞれのコミュニティ同士で思い思いの楽しみ方をしていた。大学生と思しき男が、ゴンドラの窓を開け、スマホを外に突き出して写真を撮り始めると、彼の仲間たちもそれを見てはしゃぎ出す。危なっかしいことをするな、などと思いつつ、そう言えば自分たちも大学のころは純粋に景色を楽しむことはなかったのではないか、とも感じていた。今はしゃいでいる大学生たちだって、本当に楽しんでいるのは景色よりも仲間といる空間の方だろう。彼らはゴンドラの窓を開けてスマホを突き出す男の行為に冒険心を感じ、そうやって撮った写真は「冒険の記録」として保存されるのだ。

 康太の隣でも、カシャリ、と控えめなシャッター音が鳴る。真紀は景色を写メに収めて満足したのか、それきり向き直って、また退屈そうに脚をぶらぶらさせた。

「いやーこんだけ晴れてたら滑り心地サイコーでしょ!」

 やはり真紀の最大の関心事となると、目の前の景色より足元のコンディションということになるらしい。社会人になってもその辺は一向にブレないようだった。

「そうだなー、これなら山頂コースで滑れるかも」

 今にも滑りたそうにしている真紀を横目に、康太は目に焼き付けるようにもう一度樹氷原に目を落とした。

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