第11話 介入

 結論からいえば、俺たちは間に合わなかった。

 雑木林のようになった古い道に入り、廃墟となった病院の建物近くに、場違いな新しい女性ものの鞄が落ちていた。周囲を見回しても人影はなく、紗羽と手分けして建物周囲を見て回ることにした。総合病院だっただけはあり、敷地は広い。雑草が生えてアスファルトが割れ、かつては白かったであろう外壁も落書きとともに、苔に覆われつつある。

 しばらく歩いていくと、雑草の間から白いものが見えた。日はずいぶん傾き、木々が光を遮るなか、この日のうちに見つけられたのは幸いだった。おそらく夜が来てしまえば、見つけるのに苦労しただろう。

「三浦さん、三浦陽さん!」

 雑草に突っ伏すように倒れた女性。声をかけても反応がないので、そっと首筋に指を当てて脈をみる。拍動を感じてほっとするものの、意識がない。急いで紗羽を呼び通報したのだった。

 現場はすぐに救急車とパトカーで騒然となった。通りから入っているとはいえ、地元住民にとってはかつて利用した者も多いかつての病院だ。すぐに野次馬も集まってしまった。

 そんな中、運ばれていく三浦陽をなんとも言えない気持ちで見送る。

「気を落とさないで、眞木くん。どうしようもなかったわ」

 救急隊員の様子から、ジャックによる意識障害の可能性が高いと告げられた。詳しく病院で調べてみなければ確定はできないが、場合によっては町の総合病院ではなく、さらに高度医療が施せる拠点病院に移されるかもしれないことも。

 紗羽から慰めの言葉をもらうが、後悔しかない。もっと早く彼女に連絡を取っていたら、違う未来があったかもしれないのだから。それは紗羽も同じ──いや、それ以上なはずだ。三浦陽からの証言は、もう得られない可能性だってあるのだ。柳沢の死を皮切りに、真実が遠くなるばかり。このままでは紗羽の追う事件は、闇に葬られることになるだろう。

「次は、どう動きますか」

 自分の問いに、紗羽は少し考えてから言った。

「篠田教授にアポを取るわ。どうしても聞かないと。迫さんに報告がてら、相談してみるわ」

 紗羽が電話をかけていると、三浦陽の兄の家で待機していた警官がやってきた。第一発見者でもあるし、今回の経緯について調書を取りたいから署まで来てくれとのことだった。こうなっては当然だろうと、諦めるしかない。とりあえず仕事で来ているので、会社に電話をさせてもらい、その後署に向かうことを約束する。それから……すっかり暗くなった空を見上げて、ため息をつく。この時間から、宿はとれるだろうかと。


 向かった警察署で、俺たちは三浦陽の容態を聞かされることになった。搬送された先の病院で、脳死の疑いがあると診断されたのだそうだ。

 最悪の事態に、俺と紗羽は言葉を失う。

「通話記録を確認したら、あんたらが最後に話した相手だそうだ。どちらからかけて、どういった用件で、どういう会話をしたのか、簡単に説明してくれる?」

 向かった富士吉田警察署で俺たちに事情を聞いてきたのは、初老の刑事だった。

「取材で知り合い、なにか情報があればと渡した名刺に載せた番号に、三浦さんから連絡をもらいました。ちょうど編集室で受け取ったので、途中からですが通話は社員が何人も聞いています。録音もあるので、必要なら提出しますが」

「あぁ、いいよいいよ。どうせうちで聞いても、もってかれるから」

「もってかれる?」

 紗羽と顔をみあわせると、初老の刑事が面倒くさそうに教えてくれた。

「例のジャック被害は広域なんで、情報は警視庁に全部もってかれる予定らしい。捜査も主導は警視庁。製造会社の本社と通信会社なんかも所在地が東京だからね」

「ああ、そういうことか。でも捜査はするんだろう?」

「一辺通りはな。だがどこまでできるかはまだ不明だよ。本当にやってらんないっての。被害にあってるのは地方の人間で、家族だってそうだ。どうして遠方で管理されるんだか」

 その憤りはもっともだった。

「刑事さん、三浦さんは誰かに追われていたと言っていたんです。でも通話では誰に追われていたのかは分からず終いでした。現場に争った様子はなかったんですが、そういう可能性は?」

 紗羽が疑問に思っていたことを尋ねる。だが刑事は顎を手で擦りながら、なかなか答えようとしない。それでもいくつか唸ったあと、重い口を開いた。

終われていたそれという言葉自体、錯乱したためともとれる。医者の見立ては、襲われたことによる外傷はないそうだ。もちろんそのへんも詳しく調べるが……彼女がこうなった原因がジャックである以上、三浦陽当人以外から彼女を追いかけ回した人物を探して欲しいと言われても、それは無理だ。こういうのは客観的被害があるのが前提で、そうでなかったら本人がそう証言し、相談してくれなきゃどうにもならない。調書には書いておくが期待はしんでくれ」

 この刑事の言う通りなのは分かる。警察の立場も頭でわかってはいるが、疑問は疑惑として残り、モヤモヤが募るばかりだ。

 そんな調子で調書作成に協力したのち、刑事から警視庁四ッ谷署の黒崎から電話があったことを教えられる。

「指定暴力団、三衆会の関係者が、こっちに来てるはずだから注意しろって」

「三衆会……いったい何が目的で?」

「さあな、でもあんたらに伝えてくれってことだから」

 また、三衆会。見たばかりの九条の横顔を思い出して、黒く苦いものがこみ上げる。その俺の反応をうけてか、さっきまで飄々とした対応をしていた刑事が、鋭い視線を向けてくる。

「あんたら、危ないことに首つっこんでるんじゃないだろうな? 三衆会といや、新興派閥だけあって、無鉄砲な奴等が多いって噂だ。記者だからって手加減してもらえる相手じゃないぞ」

「……わかってます」

 痛い目には、既にあっている。仕事がからまなければ、二度とかかわり合いになるつもりなどなかった。いや、仕事であってもあいつが出てきたら、目につかぬよう逃げたい。それが偽らざる本音だ。

「本当かねえ……引き際は見極めないといかんぞ。警告もなしに、いきなり消されることだってあるんだからな」

 恐ろしい言葉に、身を引き締める。俺だけではなく紗羽も黙ったままではあるが、年配の刑事の忠告を真摯に受け止めたようだった。

 その後は特に何も言われることなく解放された。いくら取材相手からの電話とはいえ、東京からわざわざやってきた状況はかなり怪しいと思うが、黒崎からの電話が身分証明として効いたのだろう。

 署を出たときには既に、時刻は十九時を回っていた。

 警察署を出てすぐに喫茶店に入り、軽食を取る。すぐに山梨を出て東京に戻るかどうかも含め、いったんこれまでの情報を整理してから、今後の対応を検討することにした。

 三浦陽に接触をしたかったのは、篠田教授と柳沢、それから不審な男との関係を確認したかったからだ。暴力団関係者らしき男が三衆会の者ならば、一通り写真で目通ししてもらえばいいくらいの、軽い気持ちで考えていた。まさか三浦陽がこのような状態に陥ると思わず……。いや、ジャックの騒動に巻き込まれなければ、簡単に済むことだったはずだ。

「葬儀に訪れた九条は、誰の関係者だったかはまだ分からないわ。篠田教授だという可能性は、三浦陽さんの証言がなければ、当然亡くなられた逢坂先生、もしくは親族と考えるのが普通だもの……眞木くんには申し訳ないけど」

「分かってます、それくらい。だが恭一郎もあいつと俺の因縁は知っているから、個人的に付き合いがあったとは思いがたい。例え患者として受け入れざるをえないとしても」

「むしろ考えられるのは、瀧社長よね」

「まあ、訴訟の件での製薬会社としての対応を考えると、かなりお粗末というか、よく言えば昔ながらのトップダウンな会社だし分からなくもない」

「だったら、やっぱり瀧氏と篠田教授、二人には一度話を伺わなくちゃね。まずは関係者の話を載せられれば、連載の掴みにはちょうどいいと思うの」

 紗羽の言葉に頷く。我々は警察でもなければ、探偵でもない。起きた事件を分かっている限り正確に伝え、疑問は疑問として提議することも大事なことだ。だがそれは適当でいいわけではなく、地を這ってでも事実を求めるからこそ、人は金を出して買ってくれるのだ。

 ここ数日に集まったメールなどを整理しようとスマホを眺めていると、ちょうど着信があった。

 恩田の名が画面に現れ、紗羽に目配せをしてから出る。

『マキちゃん先輩、琉音です』

「どうした?」

『どうしたじゃないです、心配したんですから! 連絡してくれるってマキちゃん先輩が言ったのに!』

「ああ、悪い。色々ありすぎて」

『まあ、事情は迫さんから聞きました。それよりいまどこですか? まだ警察署ですか?』

「吉田署を出たすぐの、喫茶店だ」

『じゃあもう署で聞きましたよね? 三衆会九条の手下、金子という男が、そちらに行ってるようなんです。実は別件で三衆会主要構成員の足取りを追っていたので分かったんですが、どうも三浦陽さんを追いかけ回していたのが、金子だったようです』

「ずいぶん情報が早いな、まさか泳がせてたのか?」

『そういう訳ではないんですが、すみません詳しい理由は言えません。ですが金子の乗った車を追って調べると、三浦さんという方に接触している可能性があるんです。マキちゃん先輩、これだけは言えます、先輩はこれ以上その事件に関わったらダメです』

「……おまえはいつも、難しいことを言うな」

『仕事と人生を同じに考えちゃダメです。仕事は替えがあるけど、マキちゃん先輩の人生は違うんですよ。またあんなやつらに、めちゃくちゃにされて欲しくありません』

 いつになく真剣な恩田の声に、別れを告げたばかりの、血の気のない恭一郎の顔を思い浮かべる。

「なあ、恩田。?」

『言えません』

「警告するなら、理由くらい言えよ」

『言ってもマキちゃん先輩は手を引くとは思えません。だったら公権力を使います』

「おいおい、おまえなあ」

警察わたし一般市民せんぱいを守るのに、躊躇する必要がありますか』

 恩田が警察官を志望したときは、恭一郎とともに驚いた覚えがある。恭一郎はまだインターンで忙しく、俺も行き先を無くしてフラフラしていた時期だった。あまりルールに従う方ではなかった奔放な恩田が、警察のような縦の縛りがきつい組織に身を投じることに、揃って不安を感じた。あいつらしさが潰されるんじゃないかと危惧し、本当にそれでいいのかと何度も聞く恭一郎だったが、恩田は最後まで意志が揺れることはなかった。

 だから恩田がこうなったら、テコでも折れないことは知っている。ならば問いを変える。

「恭一郎が、三衆会と関係あったんだな?」

『なんのことですか、突拍子のないこと言わないでください』

 恩田が動揺したのが分かった。声音はほとんど変わらないが、ほんの少し早口になる。それが彼女が嘘をつくときの癖だ。

「じゃあ篠田教授か? 柳沢医師の遺体を引き取る手続きに、手を貸したのも教授じゃないのか? 恭一郎を瀧社長の娘に引き合わせたのも篠田教授だったのか?」

『……マキちゃん先輩、待ってくださいそれは』

「待たない。お前も俺と同じように、恭一郎はなにかに巻き込まれていたと考えているんだろう? あいつが関わっていて、どうしたら手を引けると思うんだ」

『そんなの分かりきってます、マキちゃん先輩が大事だからですよ!』

 電話口の向こうで、恩田が叫んだ。

 漏れ出た声に、向かいに座っていた紗羽が顔をあげる。目があって俺は席を立つ。がらんと空いていた店内を見回し、とりあえず玄関を出る。

「落ち着け、恩田。俺はなんともない、ただ事件の記事を……起こった事実を書くだけだ。だからおまえの心配するようなことはしないから」

『先輩は甘いです。三衆会あいつらはすぐそこまで来てるんですよ? とにかく、今すぐ手を引いてください、マキちゃん先輩のスマホに金子の写真を送ります。いいですか、警察こっちも動いているんです。だから金子とは遭遇しないよう、すぐに東京に戻ってください』

「……分かった分かった、もうこっちで出来ることはないんだ、どちらにせよすぐ戻る。だから心配すんな」

『約束ですからね!』

 そう言って恩田はようやく電話を切る。

 恩田には悪いが、このとき俺はまだ取材から手を引く気などさらさらなかった。恩田の言いたいことはよく分かる。かけがいのない友を亡くしたばかりなのだ、俺が恩田の立場なら同じことを言っていたかもしれない。

 すぐに来た恩田からのメールに気づき、すぐにファイルを開けると写真が五枚入っていた。

 写真はどこかの監視カメラの画像なのか、上から撮影したものだった。黒のセダンにナンバーが分かるものと、運転席のサングラス姿の男の横顔。それから路地を歩く同じ男の姿。短髪で痩せ気味、歩く姿の連写が三枚。どこかびっこを引いているかのような、不自然な傾きがある。

 それを見ながら紗羽の元に戻ると、紗羽もまたスマホで撮影した写真を見せてきた。事件がからむ取材のときは、周囲の様子も写真に納めておくようにしている。今回も紗羽は救急と警察車両が三浦陽が運ばれていく現場周辺を、何枚か撮影していた。観光地だけあって観光客も車を止めて様子をうかがっているが、そのなかに黒い大型セダンがあった。運転席がちょうど影になっていて見えない。

「次の写真も、見て」

 紗羽に促されて次の画像を出すと、そこに通りかかった車のライトに照らされたのか、セダンの中が鮮明に写っている。俺は慌てて、恩田から送られてきた金子の写真を紗羽に見せた。彼女はそれを食い入るように見る。

「これって……同一人物よね? どういうこと?」

「恩田に忠告された、三衆会の金子という男だそうです」

「また三衆会ですって?」

「この件から手を引けと……どうやら三衆会絡みは確かなようです。警察が動き始めました」

 紗羽の顔色が変わった。

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