第10話 ジャック

 社屋を目の前にして鳴り響く電話を無視し、編集長はデスクに急いだ。用件なんて分かりきっている、それよりも来週の紙面を差し替えるための情報集めに取りかからねばならない。迫編集長の顔が、鬼に変わる瞬間だ。

「なんでもいい、情報持ってこい」

 編集長の帰社に、騒然とした室内が引き締まる。

 デスクに着くと同時に、副編集長の宮地みやじが総務相の会見データと、今後の官邸の動き、それから報道されたテレビ、ネット記事を集めて持ち込む。

 編集長はそれらを一通り目を遠し、社内にいる記者たちを集める。

「ジャック持ってるやついるか」

 仕事用で持たされているのはごく普通のスマホだが、取材相手次第で対応するために、私用のものを併用している記者も多い。編集長の問いかけに名乗り出たのは、五人。続けて事務処理や編集補助のデータ管理をしている、女性社員にも聞けば、さらに三人。

「今後ジャックの使用は控えるように。連絡手段のないものには、社のスマホを持たせるから、手続きしてやってくれ。それじゃ担当分けするから」

 迫編集長の指示で、次の号に対応するための人員配置を決められた。あまりないことだが、こう事件が立て続けだとうちのような小さな編集部では、柔軟に対応していかなければ回るものじゃない。

 臓器事件に人員の多くを割いていたので、当面はそちらと兼務してもらうことにしたようだ。ジャックユーザーである茂さんをリーダーに、今日はとにかく情報収集に尽くす以外ない。

 この騒動は、紗羽にとっては災難に違いない。自分の記事を形にせねば実入りはないのだから。悪くすれば今日明日は、彼女の取材の手伝いはできないのかもしれない。そう思っていると。

「眞木、おまえは変更なしだ。片桐くんについて看護師と接触しろ」

「……いいんすか?」

「ああ、取材ができたら報告してくれ。どうも気になるんだよ、そっちも」

 編集長は神妙な顔で、デスク前に立つ俺と紗羽を見上げる。

「私としても眞木くんをこのままお借りできるのは助かりますけど、本当によろしいのですか? 死者が出るとあっては、今後おそらく日本どころか、世界を揺るがす事態になるかと」

 紗羽も俺と同様、編集長の考えが読めないのだろう。

「分かってる。だが、おかしいと思わないか?」

 迫は既刊の新聞、雑誌を広げ、ネットニュース画面を立ち上げて俺たちにモニターを向けた。臓器強奪事件と、紗羽が書いた医療事故訴訟の記事、柳沢のインタビュー記事に、恭一郎の自殺を扱うテレビの映像と、九条の切り抜き。

「どれもこれも、旺華大学がかかわっているんじゃないのか。しかも篠田教授が」

「疑っているんですか、篠田教授を」

 十年以上前からの付き合いだと、聞いている。よく酒を飲みにいく仲でもあるのは、自分でなくとも知っている事実だ。

「なにがしかの関与、もしくは事情を知っているのかもしれん、そういう疑念は放っておけないのが記者だ。たとえ友人親族でもな」

「オヤジらしいっちゃ、らしいが、普通は嫌われるの怖くて躊躇するもんだ」

「茂さん」

 支給されたスマホをいじり初期設定をし直しながら、茂さんがにやりと笑う。

「悪かったな、迷いなくて。そういや茂、娘も持ってたな、大丈夫か?」

「ああ、かみさんに連絡したら、学校でも使用を中止するよう通達してくれてると、連絡網メールがきたそうです。まあそっちの心配はいらないでしょう、これだけ報道されてるんで」

 モニターから流れる速報で、ジャックが関係する意識不明患者の数が、十五に

増えた。午後のワイドショーはどこものきなみ特番となり、注意喚起を呼び掛けている。

「じゃあ眞木、おまえは例の看護師と連絡をなんとか取りつけろ。片桐くんは今後も足に使ってくれ」

「わかりました、助かります」

 紗羽とともにデスクに戻ろうとしたところで、ポケットでスマホが鳴る。取り出せば相手は非通知。紗羽に目配せしてから電話に出ると、女性の声だった。

『もしもし、もしもし! わ、私、三浦です』

「三浦さん、看護師の三浦陽さんですか?」

『そう、眞木さん?』

「そうです、どうしたんですかそんなに息を切らして」

『い、いま、知らない車に追いかけられてるみたいなの、助けて!』

「追いかけられてるって、今どこにいるんですか?」

『やだ、うそ、やっぱりついて来る! ねえどうしたらいいの?」

「落ち着いてください、今、どこに?」

 紗羽が俺の様子に異変に気づき、メモでこちらに訊いてくる。相手は三浦陽か?と。すかさず頷けば、再びメモに書きなぐる紗羽。

『私がなにしたっていうのよ、どうして……』

「三浦さん? 追いかけてくるのはどんな車ですか、ナンバーは分かりますか」

『ナンバーは分からない、分からないよ、黒塗りの大きなセダン、スモークガラスで見えない』

 紗羽が持つメモ、ジャックなら止めさせて! その走り書きにハッとする。

「三浦さん、ニュース見ましたか、ジャックの使用は危険ですから、すぐにやめてください。どこか店に入って……」

『や、やだ、あの男がきた!』

「三浦さん?」

 紗羽がスマホを奪い取り、通話をスピーカーにした。

「三浦さん、どこにいるの、助けにいくから教えなさい!」

『び、病院。行くつもりで……田舎の、だって、こんなとこまでどうして』

「田舎? あなた確か山梨県出身よね、そっちなの?」

『やだ、私なにもしてな……』

 次の瞬間、甲高い悲鳴。

「三浦さん? 三浦さん!」

『なに? なんか聞こえる、誰?』

「三浦さん、私よ覚えてる? 片桐です、ほら眞木くんもそばにいるわ」

 紗羽に促されて再び声をかける。しかし三浦陽の混乱は収まらず。

『違う、小さな子供が……』

 何度呼び掛けても反応はなく、すぐに通話が切れた。

 あまりの不可解なやり取りに、どう判断したらいいのか分からなかった。それは自分だけでなく、居合わせた編集室の面々も同じようで、一様に凍りついた顔をしている。

 だが最初に動いたのは紗羽だった。

「眞木くん、バイク出す準備して。私は東宮総合病院にかけあって三浦さんの実家を教えてもらうわ。編集長、警察と連携してもらってもいいですよね、彼女がジャックを使用している最中に意識を失った可能性があると言えば、動いてくれるはずです」

「あ、ああ……そうだな。片桐くん、頼む」

 紗羽は頷いて手帳を取りだし、電話をかけはじめる。

 それと同時に編集長が受話器を持ち上げたところで、俺はようやく正気に戻った。

「編集長、恩田の電話番号を渡しておきます。もし動きが悪ければこっちへ連絡してください、あいつ今は研修で他に回っていますが、本来は情報処理班です。ジャック関連には詳しいので、おそらく駆り出されることになると」

 早口でまくし立てながら、メモに恩田の携帯番号を書き込んで渡した。

「気をつけて行け眞木、なにかあったらすぐに連絡を入れろ」

 編集長が礼服のネクタイを緩めながら、再び椅子に座るのを尻目に、俺は急いでロッカーに駆け込んだ。

 山梨といっても場所によっては明るいうちにたどり着けるか分からない。なるべく準備はしておいた方がいい。防寒も考えながらジャケットを着替え、更衣室を出ると。

「待ってたわ、三浦さんの実家が分かったの。事情を話したら、婦長さんが個人的判断で教えてくれたわ。河口湖近くらしいから、二時間くらいで着くね。もっと遠かったらどうしようかと思った」

「……紗羽さん、もしかして」

 にこやかに立つ紗羽は、ジーンズに長袖のジャンパーを羽織っている。暑いこの季節にその姿ということは……

「もちろん私も行くに決まってるじゃない。眞木くんが手伝ってくれることになってすぐ、用意しておいたの、ほら早く!」

 そうして押されるようにして俺は紗羽を乗せて、バイクで山梨に向かうことになった。

 

 

 恭一郎が灰になったその日、メディアでは意識低下した患者の数をカウントしはじめ、解説者はジャックの欠陥を糾弾することに終始する。

 サービスエリアで休憩をとる間に、いまだ情報が錯綜し、テレビでは速報は流れ続けていることを知る。

 当然ながら一般市民の混乱は大きく、正義に燃えたメディアにより吊るし上げられるようにして、ジャック日本版の製造販売元であるラニアス・ジャパンの社長の会見が始まる。元々ラニアスはアメリカにある会社だったが、ジャックの日本発売に合わせて技術提供を受けて、新たに作られた。既存のスマホを製造していた各社からも出資を受けていて、新たに独自技術を加えるために大学や通信会社、もちろん政府のお墨付きも得てまさに順風満帆。それが昨日までの、ラニアス・ジャパンへの評価だった。

 SAの休憩コーナーで、コーヒーを飲みながらスマホで会見の様子を眺めていると、食器トレイを片付けに行っていた紗羽が戻ってきた。

「始まった?」

「ようやく。面子は社長と開発担当者、広報ですか。とりあえず端末が人体に有害な影響を与える可能性がかぎりなくゼロであることを、説明するつもりみたいすね」

「まあ、当然の対応といえば、そうだけど。納得するかしら」

 小さな画面からも、フラッシュの光が凄まじいのがよく分かる。

 技術開発者の説明では、ジャック事態には通信で得た情報を信号に変えて、脳に伝える単純な機能しかなく、その受け取った信号自体が危険なものである可能性が高い。通信情報をジャック仕様に変換する過程、もしくは全く予期せぬ外部からの干渉があったことを示唆して終える。もちろんそれは言い換えれば、通信会社のセキュリティーへの、問題の丸投げにしか聞こえない。当たり前だが、会場は騒然となっていた。

 俺は憤りとともに、苦いコーヒーを飲み干す。

「次は通信会社、そして政府、責任の堂々巡りにならなきゃいいが」

「まあ、なるでしょうね。加えて省庁の方も」

 紗羽の言うとおり、ジャックを監督するのは総務相だが、そこだけで済む問題ではなくなるだろう。

「……そろそろ発たないと。暗くなったら動けなくなるんで」

「そうね」

 後部席に紗羽を乗せ、再び高速道路に合流する。その脇、追い越し車線を救急車が走り抜けていった。

 平日午後とはいえ、車の数は少ない。がらんとしたなかでその白い車体が、なおいっそう非常事態なのだという印象をもたらす。

 紗羽も同じ思いなのだろうか。腰に添えられた手に力が入ったように感じられ、心を引き締める。間に合わないかもしれない。だが、放置することはできない、三浦陽という女性の安否を確認するために。俺はスピードを上げた。


 中央道富士五湖道路の河口湖インターを降りてすぐ、富士河口湖町に三浦陽の実家がある。両親は土産物屋をしていたようだが、あまり商売上手ではなかったようで、店はたたみ今は陽の兄夫婦と暮らしているのだという。陽はあまり実家とは連絡をとっていなかったようで、東宮総合病院を辞めたこともつい先日知らされたらしい。休憩で寄った最初のSAで、紗羽が頼んで婦長から実家に連絡してもらったという。陽はしばらくこちらで仕事をして、また金を貯めたら東京に戻ると言い、仕事の面接に向かったという知らせを得た。だが家族から電話をしても、繋がらない。心配した家族からも、警察に相談するよう助言がいっているらしく、もしかすれば俺たちの出番はないのかもしれない。

 だがそれでいい、無事であれば、生きてさえいれば聞ける。彼女の無事が確認できたら、どうしても聞きたいことがあった。

 高速道路を出てすぐのことだった。料金所を出てからずっと、黒いセダンがバックミラー越しに追ってくる。煽ってくるわけでもないが、なぜか気になってとっさに目に入ったスタンドに入ると、こちらを気にする様子もなく通りすぎていった。

「……どうしたの?」

「いえ、気のせいだったみたいです」

 どのみち帰りのことを想定し、今のうちに給油しておくのはおかしくない。手短に給油を済ませて再び車道に出る。

 町役場らしき建物のそばを脇に入り、山手の住宅街のなかのうちの一件だそうだ。道はまっすぐではなく、たどり着けるかと心配しながらだったが、どうやらそれは杞憂だった。

 静かな田舎町の家の前に、パトカーが停まっている。嫌な予感がして家の前にバイクをつけ、バイザーを上げて見上げれば、表札には「三浦」の文字。

 すかさず紗羽が降りて、パトカーの横をすり抜け声をかけていた。素早すぎる行動にいつも驚かされる。エンジンを切り、俺もその後に続く。

 玄関から出てきたのは、陽の兄嫁と、その後ろには通報を受けて来たらしい警官が一人。

「突然おじゃましてすみません、東宮総合病院の婦長さんから連絡してもらうようお願いしました、片桐です」

「あの、わざわざ来てくれたんですか? 両親と夫がいま手分けしてはるちゃんを探しに行ってるところなんです」

「ちょっと、事情を聞かせてもらってもいいですか?」

 ぬっと後ろから出てくる警官は、あからさまに自分達をじろじろと見下ろす。そういう扱いは、事件や政治記事を扱う雑誌記者になってからは、もう慣れっこだった。二人そろって名刺を渡し、三浦陽から電話をもらってからの経緯を説明する。すると迫編集長が話を通してくれたおかげか警視庁からも連絡があったのだろう、すぐに納得して状況を説明してくれた。

 三浦陽は、こちらで面接を受けるために外出したのは間違いないようだ。しかし行く先として告げた総合病院では、そのような面接の約束はしていないと回答があった。そもそもちょうど新規採用が済んだばかりで募集はしていないそうだ。

「じゃあどこへ」

「それが分かれば簡単なんだが。あんたら何か聞いてないのか?」

「どこにいるのか聞いても、パニックになるばかりで答えてもらえなかったんすよ。ただ田舎の病院としか……」

 警官によると、陽は車ではなく徒歩で出かけているらしい。近くの総合病院以外は、小さな医院が何件かあるくらいなので、いま警察がしらみつぶしに回っている。

 それでもそろそろ探しはじめて一時間らしいので、いれば見つかるはずなのだがと兄嫁はこぼす。

「本当ならもっと人員を回せるんだが、申し訳ない」

 陽の義姉に、警官が申し訳なさそうに頭を下げる。

「それはやっぱり、ジャックの対応で?」

 紗羽の問いに、中年の警官は渋い表情で頷く。

 どうやら田舎ほどジャック利用者の多くは若年者らしく、異常を訴える者への対応と被害拡大防止のための見回りと注意喚起に、今はとにかく多くの車と人員を割かざるをえないのだという。もちろん陽のように、ジャックを持っているはずだから、行方を探して欲しいという市民も多く、対応に追われているようだ。

「なら私たちも捜索に加わってもいいですか? バイクで来ているので小回りもききますし、面識もあるので」

 紗羽が出した提案に、義姉はもちろん、警官も反対することはなかった。

 さっそく探しに町に出ることにしたが、先に陽の両親や警察が回っているところを行っても仕方がない。どこから探そうかとなったときに、ふと気になることが。

「病院って、昔からあの病院……十全病院といいましたか、あの一ヶ所だけだったんですかね?」

 町の規模からすればそんなものだろうが、ここに来る前に見かけた建物はまだ新しく、立派なものだった。

「……あ」

 俺の言葉に何かを思い出したような顔をした、陽の義姉。

「どうしました?」

「あった、あったのよ、病院! 昔……私もここの出身なんだけど、子供の頃は別の場所に病院があって、みんなそこで風邪も怪我も見ててもらってて、昔は病院って言ったらそこのことでした。他の医院はみんな名前呼びなんですけど。だからもしかして……」

 パニックを起こしていれば、場所を聞かれてとっさに子供の頃からのくせで、『病院』と告げたというのか?

「それ、場所はどこですか? 行ってみる価値はあるかもしれません」

「ええと、地図、地図は」

 紗羽がスマホの地図を出して、マークを入れさせる。山手側、少し住宅のある地域から離れている場所だった。

 一分一秒でも時間が惜しいと急いでバイクにまたがる俺たちに、警官が声をかけてくる。

「おい、気を付けて行けよ。あの辺はもう使わない道だから、落ち葉とひび割れが多くてえらく滑る。捜索に入ってる警官にも知らせておくから、なにかあったら電話して。もし見つけたら迷わず救急車ね!」

 俺はそれに頷いてバイクを出した。

「山道、平気?」

 このあたりの道は狭く、ほとんどがカーブの続く山道だ。紗羽に聞こえるよう大声で問えば、越しに回していた右手の親指を、俺に見えるように上げる。

 この人は苦手なことがあるのだろうか。

 俺はメットの中で苦笑し、スロットルを開けたのだった。

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