第9話 囁き
恭一郎の葬儀が行われる式場内は、外の騒然とした雰囲気とは違い静かだった。
斎場は百人以上入れる広さであったが、立ったまま葬儀を見守る者もいたほどだった。自死の葬儀は、通常ならば密葬のような形を取ることが多いのかもしれないが、恭一郎の立場上それもままならなかったのだろう。
式が始まる直前には、迫編集長が声をかけて篠田教授に声をかけることができた。
二年ほど前に、恭一郎の紹介で会ったことはあるが、その時すでにかなり白髪が目立っていたが、ずいぶんと老け込んだ印象だ。痩せた老人はそれでも現役で研究を続ける権威として、大学で君臨しているという。
いや、君臨という表現は正しくない。恭一郎いわく、教育者としてだけでなく、難病を患う患者にも信頼さら、人徳者すぎてすげ替えられる人材がいないとのことだった。
篠田教授は、恭一郎の上司である病院の院長と、大学の医局関係者とともに訪れたようだ。死のだ教授は彼らを待たせて、旧知である迫編集長のそばにやってきた。
「惜しい方を亡くしました。とても良い先生と伺ったばかりでした」
「迫くん、こうして逢坂くんを失い、僕はすっかりやる気を失ってしまったよ」
「そんなこと言わんでやってください、篠田教授」
気落ちした様子の教授だったが、それでも今日はかわいい教え子を送ってやらねばと、なけなしの気力を奮い立たせてやって来たのだという。それともうひとつ、どうしてもやらねばならないことがあるからと。
篠田教授が半歩、編集長に歩み寄り小さい声で告げた。
「迫くん、後で少し時間をくれんか?」
「それはもちろんかまいませんが、部下も同席しても?」
篠田教授は俺と紗羽を見て、頷く。
「それじゃ、後で」
何事もなかったように同伴者の元に戻る篠田教授。
「行こう、始まる」
編集長に促され、顔を見合わせていた俺と紗羽は後に続く。
末席にちょうど三席空いていて近づけば、ジャケットを脱いで身分証だけを下げた恩田がいた。どうやらここに座れということかと、俺たちは誘導に従い席につく。編集長を列の内側に、間に紗羽を、そして通路壁そばに自分と、警備を装った恩田が立つ。
同時に僧侶たちが入ってきて、すぐに経を上げ始めたのだが、わずかに背の向こうにざわつきが感じられた。ちらりと振り向こうとすると。
「先輩、前を」
緊張したような恩田のひそめる声に、動きを止めた。
恐らく、あいつが入ってきたのだろう。天井の高いホールに響く経と混じって、靴音がゆっくり近づいてくる。前を向いたまま、耳にすべての神経が集まるのが分かる。自然と息をひそめ、手足に力が入る。
動かさない視界の端に、明るい色の長髪をした背の高い男の後ろ姿が入る。黒い仕立てのいい礼服に身を包み、いつものようにサングラスをしているようだった。
二年前に会ったときにも思ったが、幹部というにはずいぶんと若く、鋭い目付きといかにもな格好をしていなければ、どこかのモデルでもしているかのような容姿。
場違いな弔問客に、会場は困惑した空気に包まれる。その異変に気づいたのか、経を唱えていた中央に座る年配の僧侶がちらりと後ろを気にする仕草をした。だが経を途切れさせることなく続け、九条は前列の空いていた席についた。浅く座り、背を椅子にもたれさせて、長い足を組むのを見て、俺は苛立ちを覚える。
「先輩」
「分かってる、なにもしない」
どうして分かるのか、俺の苛立ちに気づき、すかさず声をかけてくる恩田。
だがその恩田だとて、いつになく口を引き結び、苦虫を噛み潰すような顔をしている。その様子に、俺がしっかりしないと、そう思い直して深く息をつく。
そんな俺の握りしめた拳に、紗羽の柔らかい手が乗せられた。どうしたのかと顔を上げれば、気遣うように小さく頷く紗羽。彼女なりに慰めてくれているのだろうか。しばし彼女の温もりを味わっていた。
しばらくして経が止み、葬儀屋の指示で焼香に立つ。親族が先に済ませて次に弔問客という順番だ。親族席のすぐ後ろに座った九条は、係員の声にも小さく手を振り払うしぐさで拒否をし、座席に座ったままだ。 次第に促されて、末席の俺たちも促されて席を立つのだが。
「マキちゃん先輩、あいつとは目を合わさないでくださいね」
「ああ、そうする」
長い列が出来て、再開された読経のなか、順番に焼香を済ませていく。その後について並べば、行く手の通路そばに座る九条の側まできた。
どっかりと座る九条の脇を歩き、祭壇の前。順番がやってきて恭一郎の両親に頭を下げ、それから五つほど並ぶ焼香台に歩み寄った時だった。
「お客さま、お並びください」
後ろから声が聞こえたと思えば、ふいに左隣に気配を感じ、そちらに視線を向けると、そこに立っていたのは九条だった。
あまりのことに驚き、息を詰める。
どうして──そう思ったところで、動揺した姿を見せたくなく、そのまま俺は恭一郎の遺影に向かい直し、手を合わせる。たまたま気が向いたのだろう、そうだ、偶然だ。
右隣にいる紗羽も、こちらを見て気づいたのか、肩を揺らした気配がした。
俺はそんな紗羽にも動揺を気取られないよう、香を摘まみ香炉に落とす。
「久しぶりじゃないか、面白いところで会う」
突如聞こえてきた低い囁きに、香炉の上で手が止まる。だが囁きは止まることはない。
「嬉しいよ、あんたとはまた会いたいと思っていたところだ」
俺は会いたくはなかった。そう思いながら、返事はすることなく、再び香を指で摘まむ。そうして再び手を合わせる。さっさと終わらせて、
その横で、九条はその筋の男らしからぬ、繊細そうな指で香を取った。
「逢坂先生もかわいそうにな、口封じで殺されるなんて」
乱暴に香炉に振りかける九条を九条を仰ぎ見れば、サングラスの向こうで笑う目。
こいつは、何を言っている?
頭が白くなったその瞬間、恩田の声がかかる。
「お客様、どうぞ、後が支えますので」
会場係りを装ってはいるものの、恩田の顔に焦りが見えた。それでようやく冷静さを取り戻し周囲を見れば、椅子に座っていた弔問客たちの視線、それから渋い表情の編集長の顔。隣にいた紗羽に促され、俺は九条の後ろを通って通路に出る。
だが背中越しに、再び声がかかる。
「祭りがはじまる。またすぐ会えそうだな、眞木くん」
「──っ」
硬直する俺を編集長が押し出すように促した。そうしてなんとか座席に戻った時には、額から汗が吹き出ていた。
紗羽にハンカチを差し出され、それを断って手でぬぐう。
ほんの一分ほどの出来事だったはずが、解放されてみれば全身に力が入っていたようだった。どっと疲れて体が重い。
九条はそのまま中央の通路を通って、会場を出るようだ。入り口付近で待機していた、強面の手下を引き連れて去っていく。その姿が見えなくなると、俺ばかりではなく式場そのものの空気がいくらか軽くなったようだった。
喪主である恭一郎の父親も、ほっとしたような顔だ。
それから滞りなく葬儀は終わり、恭一郎とは別れの時を迎えた。九条が立ち去ったこともあり、恩田も警察の代門を脱ぎすて、俺とともに棺に花を添えた。
あっという間に蓋が閉められ、車にのせられていくのを見守る。あまりにも早く、あまりにも突然の別れ。多くの涙に送られ、恭一郎を乗せた車は、式場を後にした。
「いいかげん、泣き止めよ」
思っていた通り、自前のハンカチでは拭いきれなくなった恩田の涙を、今は俺のハンカチが受け止めている。それでも恩田は、警官として立っていたときは、涙を流すことはなかった。だからしょうがないかと、ハンカチの回収は諦めることにした。
だが恩田は思ったより早く、涙を引っ込めた。
「……何を、言われたんですか先輩」
鼻も目元も赤くして、無理すんなと言えば。
「無理だってします、あいつに目をつけられたら、マキちゃん先輩を守りきるの難しいですから。これ以上、私は大切な人を失いたくないです」
「大袈裟だ、からかわれただけだろう」
「それは聞いてから判断します。私からは離れていて、すべては聞き取れませんでした。ちゃんと教えてください、マキちゃん先輩!」
「……わかったよ。あいつは恭一郎がかわいそうにと言ったんだ。口封じされたんだって」
「口封じ?!」
声が大きいぞと、恩田の口を押さえる。恩田もハッとして声をひそめる。
「本当ですか、それ?」
「ああ、でもさっきも言った通り、からかわれた可能性も高い。俺の名も覚えていたからな。そういう奴だろう?」
「それはそうですが……他には?」
「最後に、またすぐ会えると……」
言いかけた時、篠田教授に声をかけに行っていた迫編集長と紗羽が戻ってきた。
「悪いが行くぞ、眞木。篠田教授に少しだけ時間をもらった」
「わかりました」
親族が火葬場に向かったとはいえ、斎場での仕事の話は憚られる。そういうことで、篠田教授を斎場からすぐそばにあるホテルに連れていくのだという。
編集長は鼻が赤くなった恩田を見て「眞木も残ってもいいが」と言う。しかしそれを遮り、恩田には後で電話をするからと告げて別れた。
恭一郎が亡くなる前の状況を聞くなら、篠田教授がもっとも適任だと思ったのだ。
しかし、ホテルのロビーで俺たちを待っていたのは、篠田教授ではなく付属病院の院長を務めている佐々木だった。
肩透かしをくらった俺たちは、佐々木院長からその訳を聞くのだが。
「あなたがたマスコミに個人的に何かをお話するわけにはいかないんですよ、今は特に。篠田教授もお年ですし、愛弟子の逢坂くんを失い、少々気を落としております。また後日、騒動が一段落してからお会いになったらどうでしょうか」
「それは篠田教授がおっしゃったんですか? さきほどはお会いしてくださると、教授の方から」
「だから、お疲れですので後日と、申し上げるために私がわざわざこうして伝えに来たんでしょうが、分からない人ですね」
佐々木院長は苛立ったように言う。そのやり取りは見ていないが、教授と言葉を交わした後、何かあったのだろうか。
「そういうことですので、私はこれで」
とりつく島のないまま、佐々木は席に着くことなくホテルを出ていってしまった。
迫は頭をかきながら、やれやれといった顔だ。
「しかたない、社に帰るぞ」
「そうですね」
紗羽はなにも言わなかったが、篠田教授とは挨拶できたのだろうか。
タクシーを拾って編集室に戻るさなか、その疑問に紗羽に問えば。
「名乗ることはできたので、今日は十分よ。それより、眞木くんは……大丈夫?」
言いにくそうにしているのも仕方ないことだろう。恩田には聞こえていなくとも、すぐ側にいた紗羽には、あの囁きは聞こえていないはずはない。
「ああ、またおかしな事になったな。坂くんの葬儀にあいつが来る理由について、眞木はなにか心当たりないのか?」
「いえ、さっぱり。恭一郎も例の件はすぐそばで知っていたので、自ら関わりを持つとは思えない。なら、職場関係かと思い、篠田教授に聞けるかとも思ったんですが……」
ふと、思い出したのは、東宮総合病院の裏手で会った看護師のこと。
篠田教授とともに来た、暴力団らしき筋の、若い男?
まさか、と頭を振る。
だからといって、恭一郎とは繋がらない。教授の関係者だからといって、わざわざ葬儀に?
「何を悩んでる?」
迫編集長が、紗羽を越えて向こうから睨む。
「いえ、突拍子もないことなんで」
「いいから、疑問があるなら言ってみろ。今追ってる訴訟事件のことか? それとも逢坂くんの?」
「訴訟の方です。昨日事情を聞いた看護師の話のなかで、暴力団らしき男が篠田教授とともに、柳沢医師の見舞いに来たらしいんですが、もしかしたら九条なんじゃないかと」
「どう思う?」
編集長は紗羽に問う。
「篠田教授がどういう人物かによりますが、可能性としたらゼロではないと。一度、三浦さんに確かめてみる必要はあると」
「そうだな、連絡先は?」
「あ、俺が」
手帳を取り出し、メモを取り出してアドレスを見てから思い出す。
「そういえば彼女もジャックでした」
「スマホからでも繋がるだろう?」
「そうですね、連絡してみます」
三浦陽のアドレスを入力して、VR通信アプリにアクセスする。従来のメールでのやり取りでは、システムがあまりにも違うので、仲介アプリが必要になる。少々面倒に作られているのは、ジャックへの早急な普及を望む、通信会社の策略なのだろう。
本文に、聞きたいことがあるのでメールもしくは電話をくれと、こちらの情報を載せて送信ボタンを押す。
「たしか、最後に会った日が退職日だって言っていたわよね?」
「これから転職先を探すって言ってましたから、すぐに連絡がくるんじゃないですかね」
「そうね、眞木くんにご執心だったものね」
紗羽はそう言って、ふふと笑った。
「なんだぁ? 取材にかこつけて色目つかったのか眞木のくせに」
「ち、違います」
「そうですよ、編集長。どちらかというと、眞木くんが狩られそうになったんです。彼女、肉食系でしょう?」
「分かってて差し出したんですか」
「なんだ、そういうことか。眞木のことだから、まあそんなものか」
「どういう意味ですか」
編集長が鼻で笑いながら納得顔で言えば、紗羽もまた笑う。そうしてタクシーが藤文舎のビルに到着する直前だった。タクシーから流れるラジオから、臨時ニュースが流れてきた。
『……現在のところ、患者数は確認されているだけで十二名、うち二名が脳死状態に陥ったとのことです。今後も増える可能性があります。繰り返します』
編集長が運転手にボリュームを上げるよう伝える。
『患者の多くが、新型VR通信器、通称ジャックを使用中に意識を失ったとの情報があるようです。まだ正確に事態は把握しきれておらず、政府はなるべくジャックの使用を中断するよう通達しました。周囲にも使用している人がいたら、通信の切断ならびに電源を切るよう注意喚起をしていくとのことで……』
まくしたてる声が、車内に響いた。
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