第7話 証言

「眞木くん、時間、まだある?」

 最初に無気力から立ち直ったのは、やはり紗羽の方だった。

 時計を確認すると、時刻は二時。

「もちろん、まだ昼間っすよ、どこまで?」

「東宮総合病院」

「すぐ近くじゃないですか。乗ってください」

 ヘルメットをかぶり直し、再びエンジンをかける。エンジン音が響くなか、メット越しに彼女の声が届く。

「通夜の時間までに終わらせるわ。まだ遺体が病院にあればいいのだけれど」

 通夜なら多少遅れても恭一郎は文句を言うまい。そう思ったが、彼女はきっときかないだろう。スモークかかったバイザーが隠してくれるのをいいことに、俺はそんな彼女らしさを素直に笑った。

 そうして東宮総合病院に急いで向かったのだったが、柳沢の遺体はすでに搬出された後だった。

「誰が引き取ったんですか、彼の親族は面会すら拒否していたはずでしょう?」

 紗羽が担当医の木内に食ってかかる。

「そんなの君に教えられるわけないだろう?」

「じゃあ、死因は? 昨日は普通に話をしてたじゃないですか」

「普通? 君にはあれが普通に見えたの? だったら君こそどうかしている!」

 斜に構えたような雰囲気はあったものの、理性的に感じていた木内医師が、紗羽に激昂している。

 午後の外来終了時間とはいえ、受付のあるロビーで大声を出せば、何事かと見舞い客はぎょっとした顔でこちらをうかがう。かかわり合いになりたくないのか、ナースたちがチラチラとこちらに視線を送っている。

 木内医師もその視線に気づき、咳払いをして自らを落ち着かせる。

「……とにかく、個人情報だ。今までは本人の意思をくんでやっていたにすぎない。あいつは死んだんだ、もう僕から君に教えてやれることは何もない」

「憶測は、流れますよ。たとえ私が書かなくても」

「何が言いたい?」

「病死ですか、それとも」

「病死だ!」

「診断書を書いたのは、木内先生ですか」

 紗羽はじっと木内を見上げる。その目はさきほど舌を出して失敗を誤魔化した、素の彼女からは想像できないほど鋭かった。

「……いや、僕じゃない。早朝だったため、当直の医師が」

「誰ですか?」

「だから、きみに言うことはできない」

「……わかりました。それだけ伺えれば充分です」

 困惑した様子の木内医師に、紗羽は頭を下げてから退いた。それがよほど拍子抜けだったらしく、木内はあきらかに動揺してみせた。

「な、なにを企んでいる? まさか何か知ってるのか?」

「とんでもない。私の情報網なんて……あ、そうだ木内先生」

「な、なんだ?」

 紗羽はにこやかに鞄から名刺入れを出すと、木内医師に一枚押し付けた。

「お話ししたくなったら、いつでも歓迎します。それではお忙しいところ、お呼び立てしてすみませんでした」

 紗羽に引きずられるようにして、病院を出た。

 もっと食らいつくのかと思ったのは、木内も同じだったのだろう。拍子抜けしたような顔で俺たちを見送っていた。

 俺もまた物足りない。このままあっさり引き下がってしまうのだろうかと思いつつ、彼女の後について玄関を出る。するとそのまま駐輪場に向かうのではなく、敷地内の庭を横切り、裏口に回る。そこは反対側の道路に面していて、救急車両の受け入れ玄関にもなっている。

 やはり彼女は簡単に退くつもりはなかったようだ。

「裏口でなにをする気すか」

「いいから、眞木くんはここで座ってて」

「は?」

 紗羽に両肩を掴まれて、日に焼けたベンチに座る。打ち合わせか? そう思って隣を開けようとしたら、そうではなかったらしい。

「何のためにこれまで通っていたと思うのかしら。眞木くんにしかできない仕事をしてもらうわ」

「俺に? いや、仕事ならなんでもするけど」

「うん、よろしくお願いするわ。東宮病院は事件からこっち、ずいぶん人で不足なのよ。看護師の質もずいぶん落ちて……いや違うか。少々問題のある子は転職先がないから、残ってるのかも。少々言い方が悪いけど、噂好きで口が軽い人たち」

「……なるほど」

「受け付け近くでこちらを見ていた看護師を、覚えてるかしら?」

「なんとなく二人は覚えてる。少し大人しそうな背の高い子と、三十代くらいの胸が大きな」

「そうそっちの人……ふうん、しっかり見てるのねぇ、眞木くんでも」

 彼女が言わんとしている意味が分かり、否定もできず苦笑いを浮かべるしかなかった。目がいくものは仕方ない。

「眞木くんみたいなタイプが好みだって言っていたから、来ると思うのよ。ちょうど今の時間、シフト交代だから」

「シフトって、よく調べてるんすね」

「当たり前よ、何度通ったと思っているの。それじゃよろしく頼むわ」

「え、いや、ちょっと待って」

 鞄を持ち直し、その場を離れようとする紗羽の腕を、慌てて掴んだ。

「何を聞けば」

「あらゆることよ。昨日から今日の院内の様子、それから彼女の考える真相とかね」

「院内の様子は分かりますけど、なんで看護師の考えなんて」

「女の勘って、さほど馬鹿にできないわよ。真実に遠くても、意外なツッコミどころは弁えていたりするから。そういうことで、私は隣の店に話を聞きに行ってくるから、後のことよろしく」

 そう言って紗羽はさっさと裏門の見える位置にある、小さな商店に行ってしまう。

 俺はただ待機するしかなく、日焼けしたベンチの背もたれに寄りかかりながら、従業員出入り口であろう、小さな扉を眺めていた。

 七階建ての病棟の影になる裏口は、小綺麗に掃除されてはいるものの、植木は細々と枝を伸ばし、根元は苔むしていて、古くなったコンクリートはヒビ割れの跡がある。都心にある旺華大学付属病院とは、雲泥の差だ。

「あの、まだいたんですね」

 声をかけられて見上げれば、紗羽が予想した通り、受け付け近くでこちらを伺っていた看護師がいた。丈の短いスカート姿に着替え、まとめていた髪を下ろして片側に流している。ブランドバックを下げて、高めのヒール。どうやら自分の長所は分かっているタイプらしく、こちらを伺うように大きく開いた胸元を向けている。

 口紅をしっかりひいたふくよかな唇を弧に描き、隣は空いているかと聞いてくるので、「どうぞ」とばかりに端に寄る。

「ありがとう、お連れは?」

「あっちに。買い物ですよ、仕事終わりですか?」

「ええ、そう。これどうぞ、暑いし」

 鞄の外ポケットから取り出した飴を、差し出してきた。小さく頭を下げて受けとると、彼女もまた一つ袋を破いて口に入れる。

「元々ここは喫煙所だったのよ、ほら、あの通りは表とは違う路線のバス停があるからさ。でも最近は喫煙コーナーすら作れないの、笑っちゃう」

「まあ、病院ですからね」

「あなたは吸うの? ガタイ良いわねぇ。なにか運動してたの? 名前は?」

「学生時代に少し」

 ジャケットのポケットから名刺を取り出して、女性に渡す。すると女性は裏口すぐの警備員室の方をちらりと気にしてから、体を詰めてきた。

「へえ、お堅い雑誌じゃない。眞木さんっていうのね、私は三浦陽みうらはるっていうの、よろしくね」

 見た目は普通だったが、思いの外近い距離感に、苦笑いを噛み殺すのを苦労する。紗羽の言っていた通り、かなり節操のない人物のようだ。有無を言わさず腕を組み、豊満な胸をわざと寄せてくる。

「いいんですか、根掘り葉掘り聞かれるんですよ」

「ふふ、あなた格好良いいから。それに、興味があるでしょう? 私、昨日も早朝からの勤務だったから、眞木さんとあの女が来ていたの知っているわ」

「……あの女って」

「眞木さんの上司なの」

「彼女はフリー記者で、協力関係にあるだけです」

「そうなんだ、じゃああなたに教えてあげる。何が知りたいの?」

「……柳沢医師のご遺体が既に運び出されたそうですが、誰が引き受けたんでしょうか。彼は親族がいないと聞いてますが」

 三浦陽は、そんなことかと鼻で笑う。相変わらず腕は奪われたままだ。

「いないんじゃなくて、拒否されてただけよ。だから旺華大学が引き取ってくれることになっていたわ」

「旺華大学が? なんで」

「献体契約でも結んでいたんじゃない? ここの病院って、旺華の派閥って知らないのね、記者さんなのに」

「派閥?」

 彼女の言葉を聞いて昔、恭一郎から聞いたことを思い出す。難しい患者の搬送や医師の融通などの面で、連携しているのはやはり大学の人脈が大きいのだと。

「そ、大学教授ってラスボス級に強いのよ、だいたい柳沢先生だって、事件直前まで旺華大学付属病院にいたんだから」

「そうなのか」

 もらった資料に、書いてあっただろうか。見落としたとしたら、とんだ醜態だ。

「じゃあ事件のことは旺華でも注目されてたのか……」

「そうでもないんじゃない?」

「どうしてそう思う? 教え子の失態はさすがに問題だろう」

「こっちに来た時にはもう、捨てられてたんじゃないかって噂だもの。元々脳神経科なのに、こっちでは精神科。おかしいでしょ」

「脳神経科? じゃあ師事してたって篠田教授?」

「あら、よく知ってるのね。そうそう、あの先生一度見舞いに来たことがあって、そのとき日勤明けだったの。背が高くて素敵な若い先生連れてたわよ、その人が後釜なんでしょうね、だから要らないって思ったのかも。それからすぐに病気が進行しちゃったから」

 篠田教授と、若い医師。もしかして、それは恭一郎なんじゃないだろうか。根拠もないのにそう考えて、否定する。篠田教授の教え子はいくらでもいる。外来勤務が入っている恭一郎をわざわざ連れ出すはずがない。

「あのさ、他にも連れがいたのよね。黒いスーツ着た強面でちょっとハンサムな人。でもどう見ても裏の世界の人で……」

 三浦陽はそこで言葉を切って、再び通用口と裏門、それから建物など周囲を見回してから、声をひそめた。

「私見ちゃったの。柳沢先生の容態が急変したとき、その強面の人がまた来てたのよ。担当の木内先生なら、鍵を持っているから裏口から招き入れられるけど、今朝はいなかった。だから内側のナースステーション通らなくちゃ、病室には入れないはずなのに」

「その人は、柳沢医師の病室にいたのか?」

「ううん、先生がかけつけて救命処置が始まって、ふと廊下を見たらいたの。すぐに逃げてしまったけど、処置中だから追いかけられないし、うやむやになっちゃったけどね」

「それを、他の看護師や医師には?」

「言ったわよ。でも見間違いじゃないかって。警備員に確認しに行ってくれたけど、カメラにも写ってないって。幽霊見たんじゃないって笑われちゃった」

 彼女はそう言って笑い、鞄からもう一つ飴を取り出して、口に含んだ。

 ガリガリと飴を削る音を響かせながら、俺の腕を解放してベンチに背をつけ、足を投げ出す。

「その黒いスーツの男は、本当にあっちの人なのかな」

「病院ってね、当たり前だけど、けっこう来るのよそういう業界の人。だからきっとそう」

 いくら噂好きの問題ある看護師でも、そうそう情報をすんなり渡してくれるとはどういうことだろうか。紗羽が言っていたことを思い出し、尋ねてみる。

「今回のこと、どう思いますか? 柳沢医師の突然死も驚いたけれど、あまりに早い対応で遺体を運び出すなんて、少し常軌を逸していると自分は感じました」

「……私、推理小説は読まないけど、ドラマなら好き。眞木さんが刑事だったら萌えたのに」

 へらへら笑いながらそう言うと、彼女は立ち上がった。

「私ね、今日で最後なんだ。辞めるの」

「転職するんですか」

「そのつもりだけど、まだ決まってないわ。ねえ、この名刺のアドレスでまた連絡してもいい?」

 先ほど渡した名刺を手に訊かれたので「もちろん、何か情報があればいつでも」と答えると、彼女はポケットから取り出したジャックを耳に装着する。

「……なんだ、記者のくせに遅れてるのね、まだスマホアドレスって」

 笑いながらVR機能でアドレス登録しているようだ。さすが噂好きの女性だ、操作も躊躇することなくスムーズに登録し、すぐに尻ポケットに入れていた俺のスマホが鳴動した。

『VRメール着信、送信先ハル』と表示されている。

「じゃあ、またね。次はお洒落な喫茶店でおごってよ」

「ええ、もちろん」

 満足そうに頷き立ち去ろうとしたのだが、彼女は出しかけた足を止めた。

「ねえ、あの片桐さんは抜きでお願いね。そうじゃないと応じないから」

「え? それは、かまわないけれどどうして……」

 三浦陽は、少しだけ呆れたような表情で自分を見下ろし、そして今度こそ背を向けた。

「童貞かっての、男ってほんとバカねえ」

 声を上げて笑いながら、三浦陽は帰っていった。

 童貞と紗羽が何の関係があるか知らないが、情報提供者からの指定があるかぎり、それを守らねばならない。どのみち情報共有するのだから同じでなはいかと思うのだが、誰に喋るかというのは重要らしい。

 お喋りと聞いていたが、想像していたのとは少々タイプが違ったせいか、どっと疲れた。紗羽が戻る気配がないので、裏口入ってすぐにあった自販機で缶コーヒーを買って戻れば、ちょうど紗羽が戻ってきたところだった。

「首尾はどうだった?」

「遺体の搬送先は分かりました」

「どこ?!」

「旺華大学付属病院、献体に同意していたらしいです」

「献体? 薬漬けなのに? 他には?」

「暴力団関係者らしき男が、急変した時間帯に病院内にいるのを見たと言っていました。ただこれは、見間違いだろうと」

「見間違い? あの三浦さん本人がそう感じているってこと?」

 そうではなくて、確かに見たのに証拠がないと病院側に否定されたということを伝えれば、紗羽は眉を寄せて難しい顔で考え込んでしまう。

「それから資料になかったような気がするんですが、柳沢医師は脳神経科の篠田教授の教え子らしいですね。元々は精神科医ですらなかった。どういう経緯でこの東宮総合病院に来ることになったんすかね。見舞いにも来てるらしいんで、仲たがいして離れたわけでもないでしょうし、そもそもその見舞いに同行していたというんですよ、その暴力団らしき男が」

「……どういうことかしら。篠田さんは私も知っているわ、直接お会いしたことはないけれど、人格者で慕われている方だと聞いているのに」

「俺もです、恭一郎が……亡くなった親友の恩師なので」

「そうなの?」

「編集長の友人で、恐らく今日の通夜か明日の葬儀、どちらかには出席されるんじゃないかと」

 紗羽は難しい顔から驚いて目を丸くし、そして輝かせる。何を考えているのか、そろそろ分かるようになってきたかもしれない。

「眞木くん、私も同行していい?」

 ほら言うと思った。

「も、もちろん場を壊したりしないし、挨拶だけで終わってもかまわないから!」

 両手を合わせて、拝むようにする紗羽。

「それに、お焼香をさせて欲しいわ。眞木くんの親友なら私も会いたかったから」

 ダメ? と上目使いで恐る恐る訊かれたが、駄目なわけがない。

 時刻は三時を回った。着の身着のまま通夜に向かうわけにはいかないと、俺たちは急いで編集室に戻ることにした。

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