おとうさん
なんとか息を呑むようにして、弥生はそれだけ搾り出した。それだけで、喉はともすれば裂けそうなほどにカラカラに乾いた。意外だった。死んでも喉が、渇くだなんて。そんな冷静なことを、脳みその端っこで思ったりした。
その人物が、無い足を前後させ、こちらに近付いてくる。
「……いや、」
ほぼ反射的に、弥生はそう呟いていた。男性に届いたかは、わからない。
結局男性は、弥生の目の前までやってきた。
なにか、呟いた。
「ヤアヤヨイヒサシブリダネゲンキカイ」
その意味を、弥生は受け取ることが出来なかった。ただ呆然と、その男性を見上げることしか出来なかった。ただそうするしか、出来なかった。
なぜ、とすら思えなかった。
男性は、言葉を続けた。
「ズイブンオオキクナッタネイマコウコウセイカイガッコウデハタノシクヤッテルカイお母さんにはクロウカケタネデモボクガイナクテモ元気に――」
「……っざけるな」
知れず、呟いていた。
男性は、眉を寄せた。
「ドウシタンダイナニカボクハヤヨイノキニサワルコトヲイッタノカナダッタラアヤマルヨゴメンネデモボクハ今でもソシテずっと弥生のことを――」
「黙れ――――――――――――――――っ!!」
それは信じられないほど高音の、大音量だった。それに男性は言葉を詰まらせ、動きを止める。それを見留めてから弥生は、
「――お母さんには、苦労をかけた? ぼくがいなくても、元気にやってる? ぼくは今でも、ずっとわたしたちのことを――」
「想ってる、よ?」
弥生自身がびっくりするほど、その言葉にはカッときた。
思うより考えるより下手をすれば脳から発される電気信号の光より早く、弥生は言葉を撃ち、放っていた。
「よく言うわ、知りもしないくせに! わたしたちの苦労を、考えてもこなかったくせに! そうなら、そうだったら、なんで……どうして、なんで、わたしたち、を……!」
「すまない」
「ッ!!」
ただ謝られ、弥生は歯噛みした。どうしようもなく苛立ち、ただただ悔しかった。感情の高ぶりを、まったく抑えられなかった。
どうしようもなく、ぶつけるしかなかった。
だから、弥生は――
「お……おとう、さん?」
声が小刻みに、震えていた。そのままフラフラと、男のほうへと近づいていく。
男――弥生の父は、それにただ両手を広げた。娘のすべてを、受け入れる用意は出来ていた。弥生はその懐へと飛び込み――
「お、お父さん……」
「弥生……」
「の、」
「の?」
「バーカ」
渾身のロシアンフックが、その頬を打ち抜いていた。
「おうふっ!?」
それに父は吹き飛び、ゴロゴロと無様に地面を転がる。それを弥生は憤怒の表情で、仁王立ちして睨みつける。父は地べたに女の子座りして、殴られた頬を押さえて「え、えぇええ……?」と呻いていた。そこにズンズン、と弥生は迫る。
父、涙目。
「や、やや弥生……さん? ちょっ、あの、結構シャレにならないくらいの威力で、お父さん痛くて泣きそうなんだけど……?」
「うん、泣いて」
あっぱー。
「あおっ! が、かか、か……あ、アゴが……お父さんアゴが馬鹿になってるんだけど!?」
「うん、ばーか」
廻し蹴り。
「えひがッ! あ、頭が……お父さんすっごい頭痛いよ! 頭痛くて、割れそうで……骨が、骨が折れてるかも? お父さん、死んじゃうかも!」
「うん、死んで」
「あごらァッ!!」
最後に繰り出した飛び後ろ回し蹴りを直撃され、お父さんは4,5メートル先へ紙屑のように消し飛んでいった。それを見送り、弥生は背を向けた。そのままスタスタと、その場を離れていく。父は完全にノックアウトされたようで、大の字に倒れたままピクピクと痙攣するばかりだ。
「……ばか」
最後のつもりでもう一度だけ、弥生は呟いた。
「お前、なかなか強ぇえな」
ありえない声、パート2だった。
「……ろく、彦?」
背を向けたまま、弥生は尋ねた。それに間六彦の声は、淀みなく答える。
「大した左鉤突き、右下突き、左上段廻し、右飛び後ろ回し蹴りのコンビネーションだった。ご立派ご立派、正直手那鞠よりよっぽど筋がいいな。ひょっとして、お前も唐手を――」
「なんで、いるの?」
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