秘密基地

 跳ねていた言葉が、唐突に違和感のある尻すぼみなに変わり、間六彦は眉をひそめた。そして視線の先――出入り口を、視界に収めた。

 いつものように悪意なさそうに笑う柚恵が、そこにはいた。

「石柿坂……」

「わ――――――――っ!」

 耳をつんざく大声あげられて、間六彦は突き飛ばされた。さすがに、不意打ち過ぎた。咄嗟にバランスを取ろうとはしたのが、逆に良くなかった。トントンして他の机を巻き込み、窓まで至ってから限界を迎えてどっかん、と引っくり返って窓を割っての大騒ぎになった。当然先生も駆けつけ、問い質され、女の子に突き飛ばされたとは話せず延々一時間は説教を喰らった。

 五時間目の休み時間になってようやく解放されると、ふたりは入り口で並んで待っていた。片方は笑顔で、片方は手を組み俯いていた。

 ハァ、とため息が出た。

「ほら、まいなぁ。来たよぉ、六彦くん?」

「う、うん……」

 一歩、前に出てくる。げんなりしていたが、仕方ない。ひとつ息を吸う。

「な、なんだ?」

 微妙にビクビクしてる自分が、情けなかった。不意打ち一発でこれとは、修行が足りない。もうしてないが。

「あの……さっきは、ゴメン。その、突き飛ばしちゃって……」

「いや、だいじょうぶだ。大事ない。うん」

 なぜ一言付け足した自分?

「そ、そう? それならよかった、です……で柚恵――――――――っ!!」

 振り向きざま轟音を立てて、正拳上段突きが空を切った。フフフフ、と柚恵は笑っている。

 舞奈は怒髪天を衝く勢いだった。

「なに考えてんのよなんで毎回ひとりで行かせんのよ嫌がらせでしょそうでしょ信じらんないっていうか許さないっ!!」

「えーそんなことないよぉ? 気のせいだよぉ、勘違いだよぉ、怖いなぁ濡れ衣だよぉぉおお」

 ぶんぶんぶん、と突き蹴りが連続で繰り出される中、柚恵は普段とスピードを変えずのらりくらりと、躱し続けた。すげぇ、本当この柚恵って子は何者だと思う。自分のこれまでの悩みがとてつもなくちっぽけなものに思えてくる。

 しばらく矢継ぎ早に打ち続け、疲れ切った舞奈はハーハーと肩で息をし、その隙をついて柚恵はこちらに振り返る。

「それでこれがぁ、ホントの本題なんだけどぉ、六彦くんは本日の放課後ぉ、お暇ですかぁ?」

「ま……まぁ、な」「柚恵、まだ話は終わって、な――!」

「じゃあ是非ともゆえたちのぉ、とっておきの場所にぃ、来ていただけませんかぁ?」

「とっておきの場所、って……」

「とっておきの、秘密基地だよー」

 なぜか後ろから、右手を捕獲されていた。勘弁して欲しい。一次接触は、苦手なんだ。

 振り返ったその口には、やはりグレープフルーツが頬張られていた。


 結局そのまま、その秘密基地とやらに連行されることになった。とてつもなく不安だった。そもそも最初が、いきなり家に行くって言われて一時間弱も歩かされた上に御神木をぶっ叩けだなんて非常識極まりないことをさせられているのだ。間六彦の不安ももっともな話だった。

 その行く先は、またも圧倒的な自然が相手だった。

「……ここに、入るのか?」

「うん、そーだよー」

 気楽な口調は、弥生のものだった。そのまま躊躇無く、間六彦の手を引っ張っていく。その手はこの猛暑日にも関わらず冷たく、見た目どおりに繊細で柔らかく、間六彦はとても複雑な想いを抱かずにいられなかった。

 360度、緑しか見えないような深い森が今度の相手だった。まるで樹海かジャングルか、という中に入っていく。その下草の高さは自身の胸にまで達する。

 その高さにも及ばない身長の弥生は、果たしてだいじょうぶなのか?

「なあ?」

「なっ、あ……にっ、いー……っ!」

 ひゅんひゅんひゅんひゅん、次から次に迫ってくる巨大な茂みや木の枝をモノスゴイ反射神経で避けながら、当たり前に返事をしてくる。昨今の婦女子はどうなっているのかと、考えを改めざるを得なかった。感心を通り越して、尊敬すらする。

「いや……なんでもない」

 話しながら、間六彦自身は一切なんの対抗手段をすら取っ手はいなかった。必要が、無かった。すべて薄皮は切っていたが出血には至らず、目などの急所に向かうものは僅かにタイミングを外すことで躱すのと同様の効果を得ていた。

 振り返ると、なかなか修羅場だった。

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