忘れ方を忘れてしまった大人たちへ

 ―――罪は影のようなものだ。暗がりに居るとき、私はその存在に気がつかない。しかし一度日向に出れば私の後ろに影はできる。それはどこまでもついてくる。眩しく、残酷な光が私を照らしている限り―――



 私には過去の記憶がない。昨日何をしていたのか私には分からないし、いつからこうなってしまったのかさえ分からない。覚えているのは、妻の存在と自分が農夫であるということの二つだけ。人は受け入れがたい程の衝撃を受けると、自分の精神を守るためにそれを忘却してしまうというが、私には何かおぞましい秘密があるのかもしれない。それでも私は、恐らく昨日もそうであったように、今日も真っ白な状態でお天道様と向き合い、地を耕すのだ。


 深夜、私は私と別れを告げるその前に妻の机の上に置かれた手記を見つけた。開くと、身に覚えのない過去が丁寧な字で赤裸々に綴られている。それは平凡で少し神経質な男と女の歴史。私は分かった。罪とは私。歩き、言葉を発し、息をするだけで他者を傷つけてしまう己の存在自体であるということに。



 ―――影とは救いである。影は後ろにある。目を背けて生きることもできるだろう。しかし一度影と向き合ったならば、私は酷く苦しまねばならない。それでもいつの日か。足元に伸びる影は目前の誰かの救いとなるだろう。お前の影から見る太陽はこんなにも輝いていたのだから―――1995年10月12日

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