第3話 資料

 「――と、言うわけなんだよ」

 「いや、頼まれたのは青葉だろ。なんで俺に手伝いの要請が来るんだ」

 緑里は先ほど注文したメロンソーダを飲みながら不満げな表情で愚痴る。まあ、せっかくの休みの日にいきなり呼び出され、面倒な資料を整理したいから手伝えなんて言われたら、イライラするのは分かるのだが、せめてそのメロンソーダが僕のおごりだという事は忘れないでほしいものだ。そんな僕の内心を読み取ったのか、緑里は肩をすくめる。

 なぜ休日の昼間から奢ってまで緑里に資料の確認を手伝ってもらっているかというと、単純に行方さんからもらった資料の量が膨大過ぎたからだった。昨日資料を手渡されたときは数枚の紙束だと思い油断していたが、帰ってよくよく数えてみると紙は16枚もあって、しかも細かい活字で両面に印刷されているのだ。1人でこの情報量はさばききれないと悟った僕は、思わず資料を紙飛行機にしようとしかけたのだが、常温で揮発するようななけなしの理性を総動員して資料を台無しにする事態を避けたのだった。時間をかければいくら資料が膨大でもいずれは整理が終わるのだろうが、やはり2人でやったほうが効率がいいのは自明なので、行方さんの依頼を渋々ながらも受けたその翌日、僕は緑里とファミレスで資料の整理をしているのだった。

 「僕も1人で何とかしようと奮闘したけど、やっぱり人間には限界っていうものがあってね。……孤独な戦いはむなしいものだったよ」

 「馬鹿なこと言ってないで、資料を読み進めろ」

 机に並べられた資料から顔を上げずに緑里はそう指摘する。生真面目な奴だな、と頼んだことを棚に上げて思ってしまう。もちろん口にはしないが。

 代わりに、「了解。目標は後2時間以内だな」と返事をすると、そこからは特に会話もなく、僕と緑里は黙々と無限に羅列するかのような文字を追っていた。


 ファミレスでの集合から5時間ほど経過し、12時に集合したがいつの間にかもう17時になってしまっていた頃、僕たちはようやく資料をまとめ終えた。ざっと全体をまとめた程度で細かい所はまだまだだろうが、要点は押さえたつもりだ。5時間と言えば野球の試合をした後にサッカーの試合が通しで行えるくらいの時間だが、お昼を食べた時間も入っていると考えると、作業はなかなかハイペースだったんじゃないだろうか。流石に脳が疲れてきている。

 「やっと終わった。この資料、雑多な情報が多すぎるんだよ」

 と、緑里はだれが作ったのかもわからない資料に文句を言いながら、目のあたりをマッサージする。いろいろ情報は書いてあったが、資料の大半を占めていたのは、通り魔被害者の詳細なプロフィールだった。住所や学校、職場はもちろん、容姿・身長・体重、果ては入院履歴や旅行先など、プライバシーの保護から大きく外れた内容まで資料には載っていた。

 僕と緑里は要点をまとめた紙をそれぞれ手に取ると、

 「被害は2週間前から、被害者総数は6人」

 「はじめは素手による犯行だったが、4人目からは凶器としてナイフのような刃物を使用し始めた」

 「被害者に後遺症の残るような怪我はなく、被害はナイフによる複数の切り傷、もしくは素手による殴打に留められている」

 「被害者どうしに関係性はなく、性別・年齢・職種などにも共通点は見られなかった」

 「被害現場はこの町の中心部から半径5キロ以内に収まっているが特に一貫性はない」

 「犯行時刻は夕方から夜にかけての3時間程度で、それ以外の朝昼や真夜中という事はなかった」

 「犯人を特定する出来るような遺留品や、監視カメラの映像、目撃者の証言もなし」

 「被害者の中には逃げ切った人もいて、その後も再度襲われなかったことから個人に固執した犯行ではなく、あくまで無差別な通り魔であると考えられる」

 僕と緑里でそれぞれ分担してまとめたものを読み上げる。参考になりそうな情報も、役に立たなそうな情報も混在していたが、あの電子レンジの説明書より文字数が多いんじゃないかと疑うような資料をまとめたことに達成感を感じる。

 「とりあえずはこれで全部か」

 緑里がそう言って椅子の背もたれに体重を預けて目をつぶる。追加で高いパフェを頼まれたときにはキレそうになったが、本当に頑張ってくれた。特に被害者6人の接点まで調べてくれたのはありがたかった。僕1人では心が折れていたに違いない。

 「決定的な情報はない、か。……これからの行動は夕方に犯行現場になりそうな5キロ圏内を歩き回るか、被害者への直接の聞き取りと言ったところかな」

 「そんなところだろうな。あとは見回りに際して、カメラが無くて人通りが少ない、犯行に適当な場所を見つけるくらいだ」

 それはそれで面倒くさそうな作業が残っているようだった。しかし、監視カメラの位置に関する情報がなく、集中も切れてしまった今の状態ではどうしてもこれまでのような作業効率を期待できない。どんな作業もする気力がないので、とりあえず今日の所はランダムに町をぶらつくしかなさそうだ。

 「そうだ、資料を見て気づいてるかもしれないが、聞き取り調査にやりやすい被害者がいたぞ」

 「ああ、僕も気になってた。まさか同じ高校の同級生が被害にあっているとはね」

 当たり前だが、高校生が通り魔事件の聞き取り調査など、真面目に取り合ってもらえない可能性が非常に高い。しかしその中でも、同級生なら何か話してくれるしれなかった。

 「名前は堂島どうじません。俺らとはクラスが違うが、同じ1年生の男子だ」

 「悪いが、聞き取りの仕事。お前に任せてもいいか?」

 他人ひとと話すのは苦手だった。緑里は僕の事情を知っているから、僕からのこの提案も形だけのものですぐに了承してくれるはず――

 「いや、これはもともとお前の仕事だぞ。お前がこの堂島って奴に聞き取り調査をして来いよ」

 緑里からの予想外の返事に、一瞬息が詰まる。

 「…………嫌だと言ったら?」

 「はあ、まだ駄目なのかよ」

 「ああ」

 僕は頷いて肯定する。緑里としてはこれも予想していた答えなのだろう。ため息を吐いているものの、特に意外には思わなかったのか、「そうか」と簡単に答える。

 「ちなみに言っとくが、堂島は男だぞ」

 「違う。そういうわけじゃないんだ」

 あらぬ疑いに思わず勢いづいて答えてしまう。

 他人ひとを愛せない呪い。中学の終わりまでは幼馴染の少女が持っていた呪いだったが、それも今は僕の中にある。そしてそれが、僕が他人と交流したくない理由でもあった。

 愛せない呪い、と言っても友愛などは僕の中にちゃんと残っている。緑里と今でも仲良くできているのも友愛が残っている証明の一つだろう。この呪いが許さないのは唯一のみ。友愛も家族愛も隣人愛も同胞愛も博愛も存在する中で、恋愛だけがすっぽりと感情から切り離されているのだ。

 この呪いのせいで、僕は高校生活で他人と関わることを尻込みしている。今日常的に話している人と言えば、緑里と行方さんくらいのものだろう。それでも、行方さんとは違い、緑里には僕の呪いの事を話しているので、緑里はそれら全てを分かったうえで僕と一緒にいてくれているようで、一緒にいて安心感がある。

 「怖いんだよ」

 他人ひとを愛せなくなった自分が、化け物になったような気がして怖い。失って初めて分かったが、愛という機能は自分が人間であるという保証をしてくれていたらしい。恋愛を失くした先に自己愛が無くてよかったと思う。もしそうだとしたら、自分を嫌う事すら出来ていなかったのだから。

 「分かった。聞き取りは俺が行くよ」

 緑里は一見不満そうにそう言った。

 「すまないな」

 僕の謝罪に対して、緑里は気にするなとばかりにひらひらと手を振った。

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