第2話 依頼
「――ごめんなさい」
雪が舞い落ち、きらびやかにイルミネーションが町をいろどる夜、彼女はそう言って僕に頭を下げた。
「ごめんなさい」
「なんで……」
謝罪の言葉を繰り返す彼女にいたたまれなくなった僕は、女々しくもそう聞き返す。あの時と全く同じ会話だ。中学3年生のクリスマス。それは僕と彼女が最も近づき、そして同時に致命的に遠ざかる事になる夜だった。
「……」
目の前の彼女は何かを口にしようとしてはためらうという事を繰り返している。そのためらう表情まで、あの時と変わらない。そこでようやく僕は夢を見ているのだと気づいた。そもそも今は4月の終わりごろなので、雪が降っているはずもない。これはただの過去にあった出来事の繰り返しだ。
「それは私が」
ああ、覚えている。今にも泣きだしそうに目じりに涙をためた彼女から、どんな言葉が飛び出すかを。
「
――彼女が無理矢理に作った笑顔は、まだ僕を許してくれないらしい。
キーンコーンカーンコーンという古典的なチャイムの音が、過去の雪景色を引き裂いた。
「……」
授業終わりのチャイムで目を覚ました僕は、目元にたまった涙を袖で拭く。4ヶ月ほど前の出来事だったのに、もう随分と懐かしい思い出だった。
「よお、熟睡だったじゃないか」
授業の教材をいち早くかばんに詰めて、僕に話しかけてきたのはクラスメイトの緑里公大。中学からの付き合いで昔からもう一人の幼馴染を加えて、3人でよく遊んでいた。高校の入学式から一ヶ月弱、人間関係の開拓に尻込みしていたため、仲良くしているのは中学からよく遊んでいたこの緑里だけだ。
「授業が退屈だったんだよ」
「へっ、そんなこと言える成績じゃないくせに」
うるさいな。言っておくが、絶対評価では確かにそうかもしれないが、相対評価では少なくともお前には勝っていることを忘れるなよ。
そう言うと面倒くさそうだから口には出さずに心の中で反論する。すると黙っている僕に緑里が、そういえばと前置きをすると、
「今日どこかで遊ばないか? 最近遊んでなかったし息抜きにさ」
「いや、今日は先約がいるんだ。悪いな」
本音では遊びたかったが仕方ない。机から今にも落ちそうになっていた筆箱をかばんに入れて立ち上がる。周りを見ると人が入り乱れる放課後特有の喧騒が、教室や廊下にあふれていた。
「じゃあしょうがないな」
緑里は息を吐くと、少し残念そうにそう言った。
緑里と別れた僕は、とあるマンションに来ていた。駅前の商店街や住宅街からも少し外れた場所という交通の便の悪いところにあって、マンション自体いかにも安そうな外観をしている怪しい場所だったが、何度か来たことのある僕は特に何も思わずに中に入る。部屋は会社のオフィスなどに使われていることが多いらしい。これから行くところもそんな場所だった。
階段を上がり2階の角部屋へ足を進める。やはり不思議と他の利用者に出会わないことと、壁が薄そうなのに中の音が一切聞こえないことが、このマンションの不気味さを助長しているようだ。壁についている血痕のような跡を見ながら僕はそんなことを考えていた。
目的の部屋を見つけた僕は、一応ノックをして、返事を待たずに中に入る。これは中にいる人の好みで、なんでもいちいち玄関まで応対するのが面倒くさいらしい。
「お邪魔します」
そう言いながら部屋に入ると、デスクで何やら作業をしていた女性が、手を止めて顔を上げる。
このマンションを拠点に活動している、自称解消家。解消家が何を意味しているのか、僕には見当もつかない。しかしそれを言うと、そもそもこの人については分からないことが多すぎるので、僕はそれらについてあまり考えないようにしているのだった。
「ああ、青葉か。時間通りだな」
行方さんは赤い眼鏡にスーツ姿といつもの格好だったが、慣れないデスクワークに疲れたのか、心なしか少し憔悴しているように見える。行方さんはスーツを着ていて20代半ばくらいの仕事が出来るOLのような外見だが、実は書類と格闘するよりも人間と格闘する方が得意という恐ろしい人なのだ。これは僕も実際に見て確認したから間違いない。
「今日はどうしたんですか?」
「ちょっと頼みたいことがあったんだ」
尋ねる僕に、行方さんは早速とばかりに話を切り出した。
「面倒なのは勘弁してくださいよ」
ため息を吐きながら言うが、なんやかんや助けてもらった恩もある手前、行方さんの依頼は無下にはできない気持ちがある。
「まず、今話題になっている通り魔事件って知ってるか?」
行方さんの口から面倒事の予感どころか、身の危険すら感じるキーワードが飛び出してくる。もういっそ何も聞かなかったことにして、Uターンして帰ろうかと思ったが、そういうわけにもいかないだろう。まあ、あの人は出来ることと出来ないことの区別はついている方なので、僕が精いっぱい最善を尽くして辛うじて出来ることまでしか頼んでこないはずだ。それはそれで嫌だが、まさか通り魔を退治しろとは言うまい。
「いえ、知りませんね。家でも新聞はあまり読んだりしませんし、テレビもドラマを見るくらいにしか使ってませんから……」
僕は素直に知らないと首を振った。
「そんなものがこの町にいるんですか?」
「そうだ。被害が顕在化したのは2週間ほど前からだが、もう5人は被害にあっているらしい」
「渡した資料は後で目を通してくれ。今は先に説明をさせてもらう」
そう言って行方さんは数枚の紙束を渡してくる。左上をホッチキスで止められたそれは、パッと見る限り顔写真のついた履歴書のようなものに見えた。
「今回の頼みたいことは通り魔事件の調査だ。具体的に言うと、通り魔の正体を特定する、次に通り魔が発生する時刻と場所を特定する、通り魔がこれ以上事件を起こさないという確証を得る、のどれかをやってもらいたい」
「つまりは通り魔を好きにさせるなってことですか」
思ったより難しそうな依頼だ。正体を暴くと言って、頑張って足で稼いでも、結局出会えるかどうかは運でしかない。
「行方さんじゃダメなんですか?」
行方さんだったら、通り魔を発見次第即座に排除することもできるだろうが、特に荒事の心得もない僕にはそれが出来ない。なんにせよ僕が行くよりも行方さんが行くに越したことはなさそうな案件だ。
「私は今別の仕事があって忙しいんだ。人手がまるで足りなくてね。なるべく手助けはしようと思うが、苦労をかけるな。頼めるか?」
「……危険だと思ったら逃げますよ」
僕が仕方なしに、不承不承といった様子でそう言うと、行方さんはそれに小さく微笑んで答える。
「それを期待してるんだ。ありがとう。助かるよ」
行方さんの信頼するかのような笑みを見た僕は、面倒な依頼を受けたなと、行方さんに微笑み返した。
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