えぴそ~ど18 「凡介のいない、とある金曜日」


「ん……だめ、だめだよ、そんなに無理やりするなんて……。あっ、凡介、本当にだめ、だめだって――あぁ……硬い、硬いよ、凡介のそれぇ。そんなに無理やりしたら、こわれちゃうっ、こわれちゃうよぉっ。あぁっ、それ以上はだめええええええええっ!!」


「うるさいな。何なんだよ、お前」


「……いや、そんなに無理やり入れたらケース壊れちゃうかなって」


「普通にしゃべろ。ところでうまく入ったぞ、ほら」


 凡介がスマホケースに入ったスマートフォンを私に見せる。

 スマホケースは茶色い無地のありきたりな物だった。


「入ったのはいいけど、平凡なケースね。今更平凡を前面に出してどうすんだか」


「今更とはなんだ。俺はいつ何時なんときも平凡であることを忘れたことは――」


「はいはい、分かったわよ、平凡系男子君。早く学校に行ってらっしゃい。遅刻するわよ」


「お、おい――」


 私は凡介を追い出すように、外へと出す。

 そして憮然ぶぜんとした表情の凡介に手を振ると、ドアを閉めた。


「なぁにが平凡よ。“えぴそ~ど17”までで、一度だって平凡だった試しがないじゃない。……ところでスマホかぁ。私も欲しいな、スマホ」


 天界に通話という概念がいねんはない。

 テレパシーで会話が可能だからだ。

 でも下界では逆にテレパシーという概念がないようで、遠くの人と話すにはケータイとか、スマホが必要とのことだった。


 バイト仲間にスマホ持ってないって言ったときは、びっくりされたっけ。

 やっぱり必要よね、スマホ。

 持ってないとなんだか肩身が狭いし、恥ずかしいし、バイト代がでたら買っちゃおうかしら。

 

 そうそう、ところで今日は猪瀬さんとショッピングだったわね。

 そのときにどんなスマホがあるのか、お店でチェックしーよおっと。


 十時にわざわざ家に来てくれる猪瀬いのせさんを待たせるわけにはいかない。

 私は朝のうちにやることを片付けるべく、行動を開始した――。



 ◆



 ――これでやることは最後ね。


 私は洗い終わった洗濯物をベランダに干しはじめる。

 凡介の洗濯物を前にして、その後ろに私の下着を隠すように干す。

 そして干し終わったところで、もう一度、下着が洗濯ばさみでちゃんと固定されているか確認した。


 よし、大丈夫ね。

 この前、洗濯ばさみが緩かったのか、パンツが風で飛ばされちゃったのよねぇ。

 もう、失えないわよ。価値ある女神のおパンツ。

 ……ところで、お隣の『201号室』って誰か引っ越してこないのかしら。


 凡介の話によると『201号室』は、一ヵ月ほど前から空き室とのことだった。

 その話をふと思い出して、何とはなしに気になっただけなのだけど――、


 

 ゾワリ。



 突如、全身に悪寒が走った。

 まるでその『201号室』が、、そんな予感がして。


 私は気味が悪くなって、急いで部屋に戻ろうと窓を開ける。

 でも立ち止まった。


 隣室といえばあのキモオタ、部屋にいるのかしら……。


 私はベランダから顔を出して、今度は『203号室』を覗き込む。


 

 カーテンが開いていた。

 窓から見える部屋は、私が一度入って拉致られて見たときと同じ気色の悪い女神御殿。

 志湖しこシコ郎はいないけれど、その女神御殿の奥にあるテレビに何か映っていた。

 私は『女神聖眼ゴッデス・セイントアイ』を使用して、目を凝らす。



 “女神っ娘しすたぁず☆召喚しちゃうぞ、スペシャルLIVE”


 

 そう書かれた文字が見えた。

 次に、その“女神っ娘しすたぁず”らしき女の子が数人現れたかと思うと、笑顔で歌いだした。


 ――と思ったら、いきなり部屋の死角からフレームインしてきたシコ郎。

 ハチマキを巻いて長めの赤はっぴを着たシコ郎は、両手に光る棒を持って激しく踊りだす。


 え? なになに、何が始まったのよっ? いきなり踊りだしてんだけどっ!?

 しかもぽっちゃりのくせに、すっごい、体のキレっ! 

 あれ? これ最近テレビの特集で見たことがあったような……。

 確か、オタ、オタ、オタ……そうっ、オタ芸よっ。

 

 向こうを向いてオタ芸を繰り広げる志湖シコ郎。

 カーテンくらい閉めてやれよ、というツッコミはさておき、私はその一種異様な光景を見続ける。


 すると途中から、降水液体が見え始めた。


 え? 雨? 

 いや違うわよ、屋内だもの。

 じゃあ天井から降るあれは一体…………はっ!?


 あれもテレビの特集でやってたわ。

 確か、オタ、オタ、オタ……そうっ、オタ汁よっ。

 汗が蒸発して天井にのぼったのち結露して、そして降り注ぐっていうやつね。

 

 でも蒸発して降り注ぐほどの汗って何よ。

 あいつの着ている服とか汗でべっちょりなんだろうなぁ。

 もちろん下着もぐっちょりよね。

 

 それにしても、キモオタに履かれるパンツも不幸よね。

 パンツに感情があったら、絶対“今すぐ殺してっ!”って叫んでるはずだわ。

 ホント、可愛そう。

 まるでレイプよ。パンツレイプ。

 ――あ、もうそろそろ終わりかしら。


 映像の“女神っ娘しすたぁず”達が、中央に集まってポーズを決める。

 するとシコ郎の動きも同時に止まる。

 と思ったらこれが最後なのか、窓のほうこちらを向いて不可解な決めポーズをした。


 シコ郎は、赤はっぴの下にパンツしか履いていなかった。

 それは、



 いやあああああああああああああっ!!



 ◆



 犯されたパンツのショックが幾分和らいだところで、声が聞こえた。


「あ、ロゼリアちゃん、わざわざ外で待っててくれたんだ」


「うん、もうそろそろかなぁと思いまして」


 猪瀬さんが笑顔を向けてくる。

 猪瀬さんは天界ではほとんど見かけない、好感度の高いナチュラル美人。

 仕事の教え方も優しくて、歳も一緒で気も合うことから、私は猪瀬さんのことが大好きだった。


「今日行くアウトレットは電車に乗ってすぐのところなんだけど、駅まではバスで行く? それとも歩いていく?」


「歩きにします。そのほうが猪瀬さんとたくさんおしゃべりできますから。地球のこととかたくさん教えてもらいたいです」


「地球のことって……。あ、それと敬語は止めてほしいな。だって歳一緒だし」


「え……いいんですか? 歳は一緒でも先輩ですよ? 天界だったら絶対あり得ないですよ、後輩が先輩にタメ口きくなんて」


「て、天界? それはよく分からないけど、やっぱり敬語は止めてほしいな。ロゼリアちゃんとは、その……もっと距離を縮めたいなって思ってるから」


「距離、ですか?」


「うん。だから[猪瀬さん]も止めて[綾乃ちゃん]って呼んでほしい」


 ほんのりと顔を赤らめる猪瀬さん。

 それがとっても可愛くて私の胸がキュンとなる。


「い、いいんですか? 敬語を止めて、今ので本当に呼びますよ?」


「うん。……呼んで」


「あ、綾乃……さん」


「“さん”じゃなくて“ちゃん”だよ。もう一回」


「あ、あ…………綾乃ちゃんっ」


「ロゼリアちゃんっ」


 私と綾乃ちゃんは手を握って見つめ合う。

 なんだかとても大事な幸せをつかんだような気がした。

 それは、他者との競争しかない天界では絶対につかめないモノ。


「行こっか、綾乃ちゃん。今日はたくさん遊ぼうね」


「うん、そうだね、ロゼリアちゃん」


 下界って案外楽しいところかもしれない――。

 それは一ヵ月近く住んでみて思った、私の正直な感想。

 転移者を連れていくだけの世界って思っていたけれど、そんなことはなくて、全てひっくるめて


 いい、悪いじゃなくて、その面白さがとっても新鮮でなんだか――。


 私は立ち止まる。

 言いようのない罪悪感からだった。


「どうかした? ロゼリアちゃん」


「う、ううん、何でもない。今日は晴れてよかったよねっ」


「そうだね。多分、私がてるてる坊主を十個作ったからかもしれない」


「そんなにーっ? ハハハハ」


 私は心の底から笑った。


 ――そう、今を楽しむことは別に悪いことじゃない。

 




◆次話から第2章に入ります。引き続きお楽しみ下さいませ♪ 

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