第12話:自分に出来ること

 寝床まで戻ってきても、ミウの表情は優れなかった。イズルたちの保存食にも手を出さず、夜を迎えてもその場から動くことはない。

 仮眠を取っていたとはいえ、夜通し祈り続けていたことやシズリたちとの騒動、そしてディーパから伝えられる真実に彼女も肉体的にも精神的にも疲れていることだろう。

 泣き晴らした赤い目を何度も瞬きしながら、彼女は膝を抱えて座っていた。巻き付けていた毛布が更に哀愁を助長させる。殻にこもるような姿がいまの彼女の心情を表しているようだ。


 イズルは疲れたことを言い訳に先に横になり、暫くしない間に小さないびきをかく。今までの働きぶりを見れば当然と言える寝つきの良さである。

 起きていたのはシズリとミウだけ。橙色に染まる部屋に2つの影が伸びていた。2人は火鉢を挟んで向き合うが、互いに何も言えずにいる。

 ディーパが居れば、この空気を見かねて何か声を掛けただろうか。今いないモノを想いながら、シズリは気まずい空気に対してどうしようか悩む。

 しばらく悩んでいたところで、何かがこみ上げてきていた。


「へっくしょい!!」


 鼻をすすり、そういえばコートを着てなかったと身震いしていた彼に、ぼそりと声が掛けられる。


「大丈夫ですか?」

「あはは。大丈夫大丈夫――――へっくしょぃ!」

「……本当に大丈夫ですか?」

「いやあ、どこかで噂されてるよ。それより、そっちこそ体調はもう大丈夫? まだ全快ではないでしょ?」

「少し頭痛がするだけです。もう大丈夫です」

「そう。それなら良かった」

「……その、すいません」

「へ?」

「今までのことです。あなた達は渡り屋なのに、私のため迷惑を掛けています」

「そ、そんなことないよ!」


 申し訳なさそうに謝罪するミウにシズリは笑顔を見せる。


「成り行きもあるけど、何より俺たちが好きでやっているだけだから。それに色々なことを知れた」

「…………」

「あ、ごめん! あの親子がどうだったとかじゃなくて、今までの世界のことだから」

「今までの世界……」

「うん。少しだけ分かった気がする。きっと多くの人は最期の瞬間まで知らずに生きていたんだなって。だからこそ、今のこの世界があるんだって」


 きっと事前に世界の大部分が海に覆われることを知っていれば、もっと違った世界があっただろう。多くの人々が暮らし、そして技術はまだ生きていたはずだ。

 そしてそれが出来なかった理由にディーパの言葉が当て嵌まる。


――――イヴォイドノ故障ガ考エラレマス


 分かる事は人々がイヴォイドに対して絶対的な信頼を寄せていたことと、イヴォイドがその期待を裏切ってしまう結果となったこと。

 イヴォイドと呼ばれた遺物。彼らにはその名称さえ理解できていない。そしてその実態も脅威も不明。人にとって味方だったのか、敵だったのか。


 それが何か分かるのは幾つの街や陸を見つけなければならないだろうか。

 途方もない長い時間と移動を要することに若干苦笑してしまうシズリを、ミウは膝を強く握りながら見つめていた。


「これからも、探し続けるのですか?」

「そうだね。ここから少しずつ、出来ることをやりたい」

「怖くは、ないのですか?」

「怖い?」


 ミウは悲しげに目を伏せる。


「私は何も知りませんでした。良いことばかりじゃない。悲惨な過去があって、今日みたいな出来事があり得るということを、考えてもいませんでした」

「……」

「この世界で過去を探すということがどういうことか、私は分かっていませんでした」

「それはそうかもね。きっと知ろうとすればするほど、見たくないことも見えるかもしれない」

「なら、」

「でも……怖くなんかないよ」


 シズリは彼女の言葉を切り、彼女の抱えている想いと違うことを告げた。

 ミウは眉を潜める。


「……はっきり言い切りましたね。なぜそこまで情を寄せることが出来るのですか?」

「だって怖いんじゃない。辛いから」

「え?」


 意外な言葉にミウは少しだけ顔を上げた。


「辛いのですか?」

「うん。誰にも看取られることも、見守られることなく、ずっと孤独なまま。そんな人や物、技術が沈んでしまう。そんなのあまりにも辛くて、嫌なんだ」

「……」


 ミウはシズリの悲しみを込みながらも揺るぎのない瞳を見て悟った。

 彼女は自分を助けてくれた時を思い出し、そして同時に彼の信念を知る。


「だから渡り屋になろうと思ったのですか」

「兄貴からは甘いって言われてるけどね。でも自分の今のやり方が間違ってるなんて、思ったことはない」

「自分らしい渡り屋、ですか」

「うん。沈みゆくこの世界だからこそ、見つけてあげたい」

「……凄いですね」


 ミウは自分には信念がない劣等感に苛まれる。祖母から、母から受け継ぐように舞姫となった彼女は、ただ行事として一生懸命舞い続けて使命を全うしていた。

 そこに強い意志はない。天や集落を理由とした他人から受けた意志はあるが、自らがこうしていきたいという意志はなかった。


 自分らしい舞姫が無い。だからシズリと比べ、劣ると感じてしまう自分がいた。

 自分がやりたいことに悩んでいた彼女に彼は笑いかける。


「ねえ、あの親子のために舞うことは出来ない?」

「舞う?」

「ほら、舞姫って死者を弔う時もやるって言ってたからさ」

「……私がですか?」

「あの親子はずっとつらい目にあった。だからちゃんと送ってやりたいんだ」


 彼女は躊躇い、よわよわしく首を横に振る。


「しかし、私はもう舞姫ではありません。それでは意味がないと思います」

「舞姫なんて関係ない。彼らを知り、悲しんだミウだからこそ、意味があるよ」

「私、だから……?」


 火鉢の中で微かに揺らめく炎が彼女の瞳を照らし、そして迷いを映し出す。

 逡巡した後、「……分かりました。やってみます」とぎこちなく答えた。


「ありがとう。我儘に付き合ってくれて」


 こうして2人は巻き付けていた毛布を脱いで立ち上がる。

 シズリは部屋の中から外の様子を確認して、舞う場所は屋内でも可能かどうかミウに尋ね、了承を得た彼は松明を手にして移動を始める。ミウは自らの居住まいを正し、深呼吸をしてから彼の後に続く。部屋に残されたイズルのいびきを聞きながら、シズリは隣の部屋の扉を開けようとした。


「シズリさんは先に入っていてください。私はやることがあります」

「え?」


 そう言われて背中を押された。急いで振り返るよりも先に扉を閉められる。

 いまは彼女の言葉を聞いておくしかない。そう判断した彼は松明を使って部屋の中を見渡す。松明で照らされた灯りと差し込む夜の灯りで照らされた部屋は大きめで、物は回収された閑散とした場所である。床は光沢のある石で出来ていて、松明の火を若干反射していた。ここなら彼女もやりやすいだろう。


 シズリは外の様子を確認する。雨はようやく小降りになってきたか、雲の厚みが薄くなっていた。月明りも雲を通して海面を照らすことが出来ているようだ。

 天候は収まった一方で、波浪はまだ荒れているようだ。風の影響もあるのだろう。未だに壁越しからでも風切り音が聞こえてきた。

 暫くその様子を眺めていると、数回のノックの後に彼女が入ってきた。


「お待たせしました。えっと、何をしていたのですか?」

「天候の確認だよ。ミウこそ何を……持ってるんだ?」

「彼女たちの髪の毛を頂いていました」

「え? それを何かに使うの?」

「私たちは葬魂の儀と呼ばれる演舞を行います。この遺髪を燃やすことでその者を天へ送ると言われています。そのために用意しました」

「あーなるほど」

「しかしこれも簡略式ではあります。本来であれば、その後水葬を行うのですが……」

「まあ急な話だからね。準備はそれぐらいしか出来ないってことか」


 丁重に扱うそれは手の平ぐらいの大きさの布に包まれていた。だがその中身についてミウは言及しない。ただシズリはミウの眼に不安の色が見え隠れしているように見えた。

 包みを部屋の真ん中に置くと彼女は「やりましょう」とシズリから松明を受け取る。

 その際、シズリはポケットを弄りながら彼女を呼び止めた。


「ミウ。これを置いてもいいか?」

「え、缶詰ですか? 今になってどうして」


 どうしてか尋ねる彼女にシズリは缶詰を開けようと爪を立てる。


「きっと今なら、一緒に食べることが出来るだろうから」

「……ぁ」

「2人とも、仲良く食べてくれると嬉しいね」


 彼女に向けて笑いかける。シズリは渡り屋として出来ること、そして自分に出来ることを彼女に伝えていた。

 必要なのは、相手を想い、自分のことを見つめること。それはきっと単純だけど、とても大切な想いだ。


 胸の中にある温かな思いを受け、彼女は一度舞を止めて目を閉じる。そして暫し考えた後にゆっくりと開けた。心なしか、彼女の表情が柔らかくなっていた。不安そうだった表情も消えている。


「そうですね。きっと出来ると思います」


 部屋の真ん中に立ったミウは大きく頷いた後、深いお辞儀と共に口上を述べた。


「多くの刻を彷徨えし者に、われ天への導き手となり沈みゆく魂を救い出そう。求めるは喜び、願うは無垢な新生――――」


 輪廻を唱えながら彼女は両手を広げる。凛とした姿から身体を大きく動かして、掬い上げるような舞を見せる。指や腕をしなやかに動かして、松明を波描くように振り回す。環境音もない、ただ彼女の台詞と炎の揺らめきだけが奏でる空間。それはまるで魂の徘徊を表現しているようで。彼女は回転を駆使しながら、動きを大きくしていった。

 時に軽快に、時に雄大に舞っていくそれは、子供の無邪気さと母親の優しさを描く。

 喜び、悲しみ、迷い……彼らが感じていた全てを彼女は見たものを表現し、そしてその時の気持ちに愛を持たせて舞っていた。全ての想いを受け取り、彼女は彼らを導こうとする。


「これまで多く辛いことがあったでしょう。悲しいことがあったでしょう。私はそれを知ることが出来ました。伝えることが出来ます。どうか、これからは私に……私たちに任せてお休みください」

「ミウ……!」


 シズリの眼に、ミウの頬に伝う一筋の涙があった。

 ただひたむきに。親子たちのこれからを願い、寄り添う姿を描きながら、舞い続ける。

 その姿に魅了されるのは決してシズリだけではない。

 いつしか雨雲は晴れ、月明りが彼女を照らし、風や波は穏やかになり、彼女の舞に合わせて音を立てる。自然の1つ1つが彼女に寄り添い、世界の全てが彼女の舞と共に、変わっていく。それは奇跡と呼べるほどに。


――――空や見る者を涙させ、時に魚を招くほどの影響を与えたとされます


 今の彼女を見れば、その伝承も嘘ではないことが分かる。それほどまで美しく、そして優しさに満ちたものであった。


 そんな彼女の演舞が終幕を迎える。舞い続けた彼女はゆっくりと動きを止めた。だがまだお辞儀や身体の力を抜いている訳ではない。彼女の双眸は彼らの髪の毛を包んだ布に注がれる。

 折り畳まれて置かれているそれに彼女は近づいて、そして自らの毛を一本抜いて添える。

 そして少しだけ息を整えた後、布を手に持ち、火をつけた。

 松明から移った火は布と中にある髪の毛を燃やそうと勢いを増す。彼女が手放し、布を宙へと放るとそれは燃えカスとなり消えて、それと合わせて彼女は松明の火を消していた。そして布が燃えたことによる少し焦げた匂いだけが残り続ける。


「……ありがとう、ございました」


 ミウは汗と涙で崩れた顔を袖で拭いながら終わりを告げ、そのまま暫く何も言えずにいる。終わってもなお、彼女は動こうとしない。

 シズリはその様子を眺めた後、立ち上がって外の様子を確認した。久しぶりに見る月明りに目を細めながら、彼は彼女に向けて言葉を掛ける。


「俺からも、ありがとう。あの二人を導いてくれて」

「いえ、別に……」

「天もあの舞を見て、感動したのかもしれないね。きっとあの親子も嬉しかったと思う」

「本当に、あの親子は嬉しいと思ってくれたのでしょうか」

「きっとね。だって自分たちのために、泣いてくれた人がいるんだからさ」

「あれは、その……」


 恥ずかしくなったのか、少しだけ頬を赤らめた彼女は目元を抑えていた。


「やって良かったよ」

「え?」

「どうだった? やってみて?」

「え、えっと。それは……」

「まだ、自分は贄になるべきだって思う?」


 ミウの眼が少しだけ大きくなる。彼がなぜ提案したのか、その真意が分かったからだ。

 そして胸中に生まれた大きな想いが、彼女の何かを突き動かしている。


「…………卑怯です、シズリさんは」

「迷った時はまず行動。やってみないと分からないことは俺も同じだからさ」


 ミウは胸に手を当てて、自らのこれからを問う。

 自分の中にある気持ちや想い。そして先ほどの舞で出来たことやこれから出来ること。

 色々考え、そして導き出される答えは1つだった。


「先ほどまで、舞姫としてでなく、自分の想いで出来た気がします」

「うん」

「それと、私にもまだやれることがあるのかもしれない……そう思えました」

「そう。それならきっと、ミウにとって大切なことだと思う」


 シズリはそれを表情から察する。そこにあったのは出会ってから見せていた無垢な笑顔だ。


「……ありがとうございます。色々なことが分かりました」

「ならそれをみんなに伝えないとね。自分のやりたいことが何か」

「そう、ですね。……おばあさまを説得するのは骨が折れると思います」

「うーん。ま、兄貴なら、何とかしてくれるって信じてる」

「そこでイズルさんに任せるのは違うと思いますよ」


 2人は顔を見合わせ、苦笑いで済ます。

 その時だけは今の状況も、これからのことも忘れて、ただ喜びを嚙みしめていた。

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