第二話 少女との契約
コクリと頷いたところを見て、どうやら本当に見られてしまったらしい。
俺は今は原型も無い二足歩行の見ず知らずの生き物を喰った。この行動を見て、彼女は俺のことをこう思うに違いない。
生き物の肉を喰らう化け物……ゾンビだと。
普通の人間ならば、担任が喰われたときにとったクラスメイトの行動みたいにゾンビを見たら真っ先に逃げるハズだ。
でも目の前の少女は逃げようとはせずに俺と対峙していた。
無表情から送られてくる視線は警戒しているように見受けられ、明らかに俺を始末しようとしているのが目に見えて分かる。手に持っているナイフがそれを物語っているからな。
小さいのに、随分と勇気がある少女だと思った。
でも、この状況は俺にとっては問題だ。
俺の身体が……たとえゾンビになったのだとしても意識がある。意識があるうちは何としてでも俺は死ぬわけにはいかない。
家族に会いたいし、親友にも会いたい。そんでもって、夢を諦めきれない。
だとすると俺がとる行動はただ一つ、逃げるのみだ。
もし彼女が俺を殺そうとし、抵抗でもしたらゾンビになったことで得たこのパワーのせいで怪我を負わせてしまう可能性がある。
それだけはしちゃだめだ。
生憎相手は少女だ。今の俺の身体の調子はすこぶるいいし、体力のある大人ならいざ知らず、今の俺には少女相手ならば余裕で逃げ切れるだろう。
今の俺がゾンビではないと弁明したとしても、喰ったシーンを見られちゃったわけだし、どう弁明したとしても信じて貰えるハズが無い。
うん、よし。逃げるぞ。
「そうか……見たか……」
「見た」
少女は俺の言葉に無表情で返す。
「あはは……見ちゃったか……あまりに美味しそうだったからさ~食べちゃったんだよね! じゃそゆことで!!」
と意味の分からないことを言って俺は逃げた。少女から背を背き、自身の持てる力で森の中を駆ける。
剣道部舐めんなよ! これでも俺は50m走6秒台なんだ!
少女には追い付けないスピードだろう。
折角こんな見知らぬ森の中で出会えた人だけど、出会い方が最悪だった。人が居たってことは多分近くに人里があるってことだし、自宅も近いのかもな。
俺は人里目指し、我武者羅に走る。のだが、
「逃がすと思う?」
可愛らしい、凛とした声が後ろから聞こえた気がした。
それもかなりはっきりと聞こえた。
俺はそのはっきりと聞こえた声に驚き、後ろを振り返る。
直ぐ近くに少女が居た。少女は俺を追いかけてきていたのだ。
「何でキミがっ……!!」
「≪
「え? ……ギャッ!」
少女が何かを唱えた。その後、俺は何かが足に絡まり、そのまま地面に倒れてしまう。
何が起きたのか分からなかった。またしても木の根にでもつまずいたのかと思ったけれど、どうやら違う。
俺の両足が、何かによって縛られたのだ。
「え、な、何で!?」
何で両足が縛られたのか分からず、驚きが隠し切れなかった。嫌な汗が噴き出ている気がする。
「≪
「ま、魔法?」
魔法って……あの? ファンタジーなやつ?
少女は今度は俺の両手首を魔法? とやらで縛り、俺の身動きをとれなくしてから俺に近寄ってくる。
グッ! ほどこうとしてもほどけない。打つ手なしだ。逃げることも敵わないと理解する。
少女の可愛らしい顔は森の影と相まって、なんだか不気味に見えた。多分、少女の顔が無表情だからだろう。
少女は俺に冷たく言い放つ。
「貴方は何故話せるの?」
それは俺が生きてきて、人生で一度たりとも言われたことも無い質問だった。
何故話せるのかって……? 決まっている。
「……そりゃ……俺が、人間だからだよ」
本当はゾンビになっちゃったっぽいんだけど、俺は嘘はついていない。
俺の魂は未だに人間だ。
「嘘。貴方はゴブリンの肉を食べていた。それも生で、生きたまま」
「そ、それは……て、ゴブリン? 俺が食べたやつか? あれって本当にゴブリンなの?」
「当たり前」
少女は森に放置されている、俺の手によって残骸と成れ果てた生き物の死骸を見つめてそう言った。
嘘をついている気配は無い。ゴブリン、やはり俺が喰ったのはゴブリンという生き物らしい。本当にゴブリンだったのかよ!
だとするとここは日本じゃないのか? 少女の言葉に疑問が生まれる。
「ちょっと待って。ここは日本じゃないのか?」
「日本? 何訳の分からないことを言ってるの?」
日本を……知らない?
「いやいやいやここのことだよ。じゃ、ジャパンとかは? 聞いたことない?」
「…………」
無言でナイフを向けて来た。そんな質問するよりもさっさと私の質問に答えろってことなのだろう。
俺は葉の隙間から差し込む光によって照らされたナイフを見て、俺は声を押し殺す。
これ以上言ってもダメだ。彼女は本当に日本を知らないらしい。だったら何で日本語を話してるんだろう? あああ、わっかんねぇ!
「わ、分かった。落ち着いて。ナイフをこっちに向けないで」
「なら変なこと言わないで質問に答えて」
「ちょ、ちょっと待て! もう一つ質問させてくれ! そうしたら素直に答えるから!」
「……何? 変なこと聞いたら……」
そう言って少女はナイフをちらつかせた。あああ、おっかねぇなぁおい!
「変なこと……と言えばそうなのかもしれないけど俺は真剣だからな。日本って言うのは俺の故郷のことだ。俺は日本生まれなんだよ。でも君が言うには日本を知らないらしい。……だとしたらここは何処なんだ?」
何言ってるの? みたいな顔で俺を見つめる。そりゃそうだ。
だけど、俺が真剣に尋ねたのが分かったからだろうか、少女は答えてくれた。
「……ここはガルド王国の南に位置する『ライフ』という街近くの森。日本と言う場所ではない」
「ライフ……」
あちらは日本を知らないようだがこちらもガルド王国なんて国、聞いたことが無い。
彼女のいうことが正しければ……この見知らぬ森だとか、紫の蜜柑とか、俺を拘束したこの変な魔法? だとか辻褄があう。
ここは異世界だ。どうやら俺は異世界に転移してしまったらしい。
しかもゾンビのままで……だ。
不思議と驚きは無かった。というか、今までのことが驚き過ぎて感覚がマヒしてしまったのかも知れない。
俺はいったん目を伏せて、考える。素直に話すべきか、否かを。
信じてくれるだろうか? というか信じてくれないような内容だ。俺でも多分信じられない。
でも実際に起こったことなのだ。俺は、この少女に話すことに決めた。
「ありがとう。これでようやくわかった。次は俺のことを話すよ。信じられないだろうけどさ……」
俺は日本で起こったこと、ゾンビに噛まれたこと、そして……ゾンビになってこの世界に来たことを少女に告げた。
ただ、俺は怪しい者では無く、人間を襲う気が無いし、キミのことも襲う気は無いよと強く言った。
少女は俺のあり得ない話に耳を傾けて聞いてくれる。
一通り話し終え、少女は何か考えるように唸ると、俺の話をまとめた。
「つまり、ゾンビは人を襲う化け物で、貴方は日本と言うところでゾンビになった。けど、貴方には意識がある。で、目を覚ますとこの森に居て、ゾンビの力が使えるようになった」
「そ、そうだ。信じられないと思うけど本当の話なんだ」
「そう」
少女は何かを考える仕草を見せる。「むー」と考える姿が、何か可愛く見えるぞ。
俺は彼女の返答を待つ。俺は拘束されてて何も出来ないからな。彼女の返答次第で俺の生命は……どうなるか左右されるのである。
数十秒後、少女は頭の中で何やら結論を出したようで、俺に向けて言った。
「……貴方の話、信じる」
「ほ、本当か!? だったらこの拘束を――」
「だとしたら……」
少女は手に持つナイフに力を込めていた。え? ちょっと、待って。え?
「貴方はどうやら魔物みたい」
「え、ちょ、魔物?」
「そう、魔物。魔物は人間に仇為す存在。貴方が食べたゴブリンも魔物の一種。私の仕事は、そんな魔物の討伐が主」
え、えええええええええええええ!!??
いや、異世界だから何となく魔物が居ることは分かってましたよ!? ゴブリンとかいたし!
でも俺が魔物認定された!?
彼女は俺の行動+話を聞いて俺を魔物判定したのだと思う。
馬鹿正直に話し過ぎたかもしれない!
「話聞いてた!? 俺は人間を襲わないんだって、だから俺は魔物じゃない、ゾンビだけど人間なんだって!!」
「そんな保証はない」
「えええええええええええええ」
無慈悲な言葉に思わず涙が出る。このままじゃ殺される? それは嫌だ。
考えろ。俺が人を襲わない保証を探すんだ。
えーと、えーと。
……そうだ! 保証さえあればいいんだよな? だったら俺の残った道は交渉しかない。交渉で、保証をもぎ取ればいいんだ。
「キミは魔物の討伐が仕事なんだろ? 見るからに、かなりの強者と見た!」
俺の走る速さよりもこの少女は速かったし、俺の力では振りほどけないくらいこの≪
強者ツワモノと表現してもあながち間違ってないと思う。
俺の読みは正しかったのかどうかは分からないが、彼女はちょっとうれしそうに俺の言葉に反応した。
「それが?」
「だったら! もし俺が誰かを襲いそうになったら直ぐに殺してくれても構わない。それまでは、生かしておいてくれないか?」
「無理」
「即答!?」
少女は俺に跨ると、ナイフの刃を振り上げる。
あ、ヤバいマジで。
「君の行為は人殺しだぞ!?」
俺は思わず叫んでいた。
「君は俺を魔物認定したようだけど、俺の姿は人間。傍から見たら人殺しにしか見えないだろ!?」
「……なに」
少女はピクリと反応を示した。少女が反応したことに対して俺は安心する。
俺が撒いた誤解の種だからな。正論で回収するしかないようだ。
俺は一息整えると、言う。
「確かに君にとってみれば俺は魔物かも知れない。馬鹿正直に話した俺にも非があるけどな。でも魔物認定するには早すぎるんじゃないか? 現に君に対しても襲わずに逃げると言う判断をとったし、俺が喰ったのだって人間に仇為す魔物のゴブリンだろ? 魔物だと判断される理由もないし、俺に殺される理由がないじゃないか」
「でも貴方が言ったんじゃない。私は人間を襲うゾンビですって」
「いや言ったけど! でも語弊だよ。俺には意識がある。俺が言ったゾンビとは意識がなく、本能のまま襲ってきたゾンビのことだ。だから俺はゾンビとは別物だと考えてくれ」
「……しかし」
「話を聞いただけで人を勝手に魔物と判断された俺の気持ちにもなってみろ。俺だって自分がゾンビだってこと信じられないんだぞ? せめて数日様子を見てから害があるかを判定してほしい! 君には俺を殺す力だってあるはずだ。そうだろ?」
かなり焦って言ったが、意図は伝わっていると思う。俺は真剣だ。俺は少女の眼を見ながら問いかける。
少女は少し、考えてから言った。
「分かった」
「本当か!」
と。俺はその言葉に歓喜する。
ただ、少女の方にも条件があった。
「確かに今の貴方を魔物とは断言できないし殺す理由もない。だからと言って私が貴方の様子を見て害があるかを判断するメリットもない。私の行動が縛られるだけ」
「……メリット」
そうだ。この少女にメリットがない。そのことについて全然考えてなかった。俺はお金とか持ってないし、出来ることだって限られる。
この少女を満足できるメリットが思い浮かばない。え、マジでどうしよう。
「な、何でもするから命だけは……」
「今何でもするって言った?」
「え?」
な、なにをさせる気なんだ? このちびっ子は。
「なら私の仕事を手伝って。だったら私は貴方の提案を受け入れる」
ほっ、仕事の手伝いね。なら安心――って彼女の仕事は魔物の討伐だ。
俺に出来るかどうかは分からないけれど、拒否権は無いので素直にうなずく。
「あ、あぁ。分かった」
と返事を返した。一時はどうなるかと思ったが俺と少女の交渉は成立した。
どうやら俺は生き残ることが出来たらしい。安堵のあまり、ふぅと溜息が漏れる。
ただ……俺は本当に生き残っても良かったのだろうかと今になって思えてきた。いや、俺は確かに生きたいんだ。
ふと今、あの衝動が頭に浮かんできたのである。もし、あの衝動を抑えきれなくなったら……と思うと身震いする。
あの衝動とは、肉を喰いたいと言う欲求だ。先ほどはゴブリンを喰うことで解決したが、この衝動の矛先が人間に向くとも限らないのだ。
「なぁ」
「なに」
この少女を、信用するしかない。
「……もし、俺が本気で人を襲いそうになったら殺してくれ。頼むぞ」
「わかった」
少女の返事には何となく安心するものがあった。
俺はゾンビになり、そして異世界に転移した。
理由は分からないが、生きている限り俺にはチャンスがある。家族に会うこと、親友と再会すること、そして……人を助けることが出来る警察官になることだって。
森に吹く風が心地いい。
取りあえず、俺は害のないゾンビとしてこの異世界に生きていくことに決めたのであった。
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