プロローグ Ⅲ

「は、はは……モノ太、これ、やばい」


 みっつんは口を押えながら言う。彼が言うには、来栖さんが担任を喰ったらしい。

 今なおぐちゅぐちゅと嫌な音が聞こえる。

 来栖さんは先生を喰い続けているようである。明らかに異質、これは、まさか――


「ぞん、び……?」


 誰かが呟いた。しかし、そう呟かれた途端、この異質な現象をようやく理解したクラスメイト達は叫んだ。


「うわああああああああ!!!」

「キャアアアアアアアア!!!」

「ゾ、ゾンビィィィィィィィ!!!!」


 その声を聞いたのか、先生の肉を咀嚼していた音が止まる。

 そして、立ち上がる音が聞こえて来た。


「モノ太、ヤバい」

「ど、どうした……」

「来栖さんが友達を喰った」

「……は?」


 どうやら来栖さんは先生から狙いを変えて友達の女生徒に噛みついたらしい。

 女生徒の叫び声が響く。

 その瞬間、前で見ていたクラスメイト達は俺らに身体を向けて走って来た。


「うわあああああああああああ!!!」


 聞こえてくる叫び声。

 クラスメイトたちは目の前の光景の恐ろしさに耐えきれず逃げ出していた。大声を喚き散らしながら全力で。立ち向かうこともせず、ただただ自分が助かりたい一心で逃げ出していたのである。

 こちらに向かってくる生徒たちの顔は恐怖でゆがんでいた。


「教室に戻るぞ、みっつん!」

「!? お、おう!」


 俺は今の現状を理解するとともに、急いで行動に移す。

 取りあえずはこの人の波に呑まれないことだ。俺とみっつんは人に押されないように教室の中に戻ると、扉を閉めて鍵をかけた。

 教室の中には生徒の姿は少数しか居なかった。廊下の様子を見に行かず、何が起こったのか分からないと言ったような表情を浮かべている。


「皆! そこの扉を早く閉めろ! ゾンビだ!」

「ゾンビ?」


 黒板側の教室の扉が開いていたので近くに居る男子生徒に声をかけた。

 だが、彼は何言ってんだ? と表情を浮かべる。


「何でこんなにみんな逃げ出してんだ?」

「だからゾンビなんだって!」

「モノ太、ゾンビなんてこの世にいないんだぜ? あれか? 小介が言ってた昨日テレビでやってた映画の話か?」


 馬鹿にしたようにへらへらと笑う男子生徒。確か、名前は田中だ。


「おいおい、いい加減にしろよな。そんな冗談……」


 と言って教室から出る田中が叫び声を漏らした。

 止める暇も無かった! 俺は急いで自分の席に戻ると、カバンの近くにある黒い入れ物に手を伸ばす。

 練習用の竹刀だ。重さ、実に5kg。この馬鹿みたいに重いのは、両親特製の竹刀である。

 なんでも、重い竹刀を振ったほうが筋力ついて練習になるだろと俺に持たせた一品である。当然、人に当てると怪我をさせてしまうので人が周りにいないとき以外には使用しない。

 が、今はそんなこと言っている暇はない。


 俺は竹刀を取り出すと、田中の元まで走る。田中は担任に首筋を喰われていた。


「先生、ゴメン!」


 と俺は先生の顔に向かって突きを放つ。高校からでないと使用できない危険な技だ。

 俺の竹刀は先生の額にクリティカルヒットすると、田中から離れた。

 が、今度は俺目がけて追いかけてくる。竹刀の威力では足りなかったみたいだ。

 俺は担任との距離を離すために竹刀を教室の中に投げて拳に力を籠めた。


「おっるぁぁぁあ!!!」


 俺の拳に先生は為すすべなく吹っ飛ばされた。

 吹っ飛ばされて壁に激突すると数秒うめき声を上げたのち、立ち上がろうとしていた。


「ま、マジか……」


 担任の行動に呆然とする。

 人が泡吹いて気絶するぐらい全力で殴ったのに未だに俺を狙っているのだ。


「早く戻れ! 閉めるぞ!」


 みっつんの声で正気に戻った俺は急いで教室に戻ると、あらかじめ閉める準備をしていたみっつんによって扉は閉じられた。

 俺は息を整えながらどこか怪我していないか見る。

 うん、何処にもけがは見当たらない。そんな様子の俺を見てみっつんが呟いた。


「すげぇな、モノ太……」

「まぁな。力だけはあると思うぜ」


 その直後、ドンドンドン!! と教室の扉を突き破ろうと何度か担任がタックルしてくるのを感じるが、今は壊れる気配は無いようだ。

 だが、木製なのでミシミシと音を立てている。数分の内に扉が破壊される恐れがあると思う。


 この様子を見た、教室に残っている生徒は絶句する。担任がゾンビになっていたのだ。

 当然、全員が田中が喰われる光景を目の当たりにしていた。


「ぐぁ、いてぇ、いてぇよ……」


 涙目で田中が呟く。肩は肉がぐちょぐちょになるくらい喰われている。

 生きてるのが奇跡と言えよう。血が、溢れるほど肩から流れていた。


「お、おい、田中も外に出した方がいいんじゃないか? 今、担任にくわれたよな?」


 今の光景を見て絶句していた一人の男子生徒が言う。

 ゾンビと言えば皆に知識があるくらい有名な化け物だ。

 一般的に有名な映画で言うと「バイオハザード」だろうか。他にもB級映画なんかによく現れる。

 ゾンビは人の肉を喰らい、仲間を増やすことで有名だ。アンデッドとも呼ばれ、死んだ人間が生き返って人を襲うのである。


「そ、そんな……! 俺はゾンビじゃねぇ…!」


 田中は苦しそうな顔を浮かべながら答える。


「そ、そうだ! お前が居たら――」

「シッ!!」


 みっつんが口に指を当てて、田中を追い出そうとするクラスメイトを黙らせた。


「黙れ……! 声に反応してもっとゾンビが来るかもしれないだろ!」

「……スマン」


 教室に静寂が訪れる。聞こえるのは教室の扉を壊そうとガシガシ叩く担任の音だけだ。

 ただ、静寂なのは教室内だけ。扉を叩く音以外に聞こえる音がある。

 人の叫び声だ。助けを呼ぶ声、痛みを叫ぶ声、色んな声が聞こえて頭がおかしくなりそうになる。


「外、見ろよ……」


 みっつんが窓の外を指さした。

 そこは地獄絵図だった。一つしか昇ってなかった煙の数は数えきれなくなり、グラウンドではゆっくりとした足取りで人を追い詰めているゾンビの姿があった。


「なんだ、これ」


 俺は外の光景を見て呟いてしまう。まるで一瞬で起きたかのようなこの悲劇に、俺は絶句するしかなかった。


「モノ太、いまいいか? さっき廊下に出たとき、他にゾンビは居たか?」

「え? いや。見てない。さっき田中を助ける時に来栖と来栖の友達の……なんとかさん? の姿は見当たらなかったけど」

「そうか」


 みっつんは廊下側の窓を見る。曇りガラスで廊下の風景は見えないが、人影は見られない。

 多分、彼女たちはクラスメイト達を追いかけたのだと考えられる。クラスメイト達が無事でいてくれたらいいのだが。

 外の景色を見ると、考えたくなくなるな。


「取りあえず、俺たちだけで生き残るぞ」


 とみっつんは声を抑えながら言う。

 教室に居るのは俺を含めて5人だけ。一人は田中で、田中を追い出そうとしたのが鈴木くん。そして、委員長の氷藤さんが居た。


「で、これからどうするの?」


 透き通った声でそういう氷藤さん。大和撫子を想像しちゃうくらい美人だと思う。

 人に声をかけないことでも有名な氷藤さんに話しかけられ、俺はちょっと驚いてしまった。

 が、話しかけたのは俺では無くみっつんだ。何か少し悲しい気持ちになってしまう。


「どうするか、か……。取りあえず、田中に関してはどうしようもできない……。包帯とかこの教室、ないよな?」

「分からない……けど、運動部はほとんど引退してるからな……持っている人はいないと思う」

「モノ太はまだ剣道部だよな? 包帯持ってるか?」


 そう言ってみっつんは俺に顔を向けた。そう、俺はまだ部活は引退していない。

 けど、言いづらいなぁ!!


「持ってない。いつも持ってるんだけど、今日、切らしてて……」


 本当にタイミングが悪い。昨日使い切ってしまい、まだ補充してなかったのだ。


「そうか。田中、大丈夫か?」


 みっつんが声をかける。田中は苦しそうにしつつも大丈夫と漏らした。


「……悪いが、田中は安静にしててくれ。俺たちは一応田中から離れとこう」


 田中は完全にゾンビに感染していると思われる。

 ゾンビ映画なんかでは噛まれたら感染するというのはみんな知識として持っているからなおさらだ。

 噛まれた先生がゾンビ化したからな。


 本当なら田中も教室の外に出した方がいいのだろう。でも、流石にそんなことは出来なかった。

 多分、みっつんも同じ考えだ。どうしようもできないからこそ、安静にしろと、そういう結論に至ったのである。

 見捨てるなんて、出来なかったのである。


「取りあえず、今はこの状況が何かを調べるぞ。携帯で各々調べてくれ」


 氷藤さんはスカートのポケットから今どき珍しいガラケを取り出す。

 鈴木君もスマホを取り出して、今の状況を調べる。

 俺もみっつんもスマホを取り出して今の状況を調べた。


「……ゾンビ」


 氷藤さんがそう漏らす。すると鈴木君がスマホを俺らに見せつけながらこう言った。


「今、全国でゾンビが人を襲っているらしい。俺らの学校だけじゃない。全国だ」


 鈴木くんが俺らに見せたのは某SNSだった。画像、映像、呟きが「ゾンビ」と言うワードから凄い勢いで投稿されている。

 俺らも調べてみるが、何処もSNSに書いてあったのと同じようなニュースしか分からない。


『――ががっ、ガガガ』


 氷藤さんのスマホが鳴った。

 俺たちはびっくりして安藤さんを見る。


『こちらラジオ放送です。日本全国でゾンビが発生しております。住民は自衛隊の指示に従いすみやかに行動してください、繰り返します――』


 どうやらラジオを聞いていたみたいだ。

 でもこれで俺らは理解する。ゾンビが突如出現した。学校だけではない、全国にである。俺たちに……逃げ道はあるのだろうか?

 氷藤さんは携帯を切ると静かに言った。


「携帯で警察にかけてみたけど、繋がらなかったわ。当然親にも」

「こ、これからどうするんだよぉ……!」


 と鈴木君が狼狽える。

 その声に反応してドンドン! と教室の扉を叩く音が強くなっている。このままでは、扉が壊れるのも時間の問題かもしれない。

 みっつんもかなり焦っているのが分かる。……だったら俺たちに残されている選択肢は一つだけだ。


「取りあえず、この教室から逃げるぞ。担任に扉を破られるのも時間の問題だ」


 俺の言葉に驚いたようにみっつんが俺を見た。


「でもモノ太、何処に逃げるんだよ……!」

「2階の調理室だよ。家庭科の」


 氷藤さん含め、全員が頭に?を浮かべている。


「取りあえず、俺らに必要なのは食料と武器だ。確か、調理室には包丁がある。それに食堂で出される食材を保存する冷蔵庫があったはずだ」

「そこで立てこもるのか……?」

「ま、それが一番の選択肢だと思う。でも一番の目的は……これだ」


 そう言って、俺は鍵を取り出した。


「この鍵、何?」


 氷藤さんが俺に問う。


「担任の車のキー。さっき殴ったときに担任が落としたのを拾っておいた。ここに自動車メイカーのシンボルが掘ってあるし、間違いないと思う」


 俺はニヤリという。

 皆、え? と困惑しながら俺を見つめていた。


「調理室は先生たちが止めている駐車場から近いだろ? もし、調理室で何かあった時もこの鍵を使って逃げ道を探そう。問題はそこが二階ってところだけど……二階から飛び降りても死ぬことは無いと思うから」

「そうか、そうだな」

「でも車の運転は誰が出来るの?」

「俺に出来ると思う。あの某幼稚園児ギャグアニメのしんちゃんでも出来たんだぜ。俺にだって出来るよ」


 みっつんは俺の肩を組みながら言った。

 氷藤さんは呆れたように息を吐いたが、みっつんの言ったことは本当だ。みっつんなら車の運転ぐらい容易いだろう。

 俺達のこれからの行動が決定した瞬間だった。

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