1-6 襟名さんとの時間

 誰だってそうさ。緊張したら言わなくていいことを言ったり、言いたかったことを言えたのに後悔したりするんだ。僕は襟名さんに伝えたくて告白をした。それは良かったんだけど、本当に教室で告白して良かったのかって不安になった。


 襟名さんは恥ずかしそうにしている。教室中に騒がしい声が響いている。男女お構いなしだ。なんで。どうして。今? みんなも普段の日常から横道を逸れて、非日常の世界をふわふわと漂っている。疑問と好奇心が渦を巻いてぐるぐる螺旋を描く。


「襟名さん。また勝手で申し訳ないんだけど、良かったら僕と教室を出ない?」


 正直言ってダメ元だった。僕は手を伸ばして、襟名さんの顔を見たんだ。すると襟名さんはくすくすと笑ってさ、僕の差し出した手をぎゅっと握ってくれた。行くよ、と手を引っ張ったら頷いてくれて――何故か僕は泣きそうだった。


「どこまでも付いてくよ」


 些細な一言。それが僕にとっては何よりも嬉しい言葉だった。


       *


 襟名さんと屋上に来たのは二度目だ。あの時は襟名さんが僕の手を引いてくれた。でも、今日は僕が襟名さんの手を引いた。同じようなやり取りだ。殆ど変わりない日常の一つ。変わったのは僕の気持ちだ。僕は……襟名さんを意識している。


「朝から教室で告白なんて……どうかしてるよ」


 襟名さんは僕を変人扱いする。その度に僕は傷付く。


「仕方ないよ。僕は変人だからね」


 だから僕は、自分から言う。もう気にしないでと。


「伊勢君……さ、あれって、本気? それとも……ぎくしゃくしてたから?」


 本気だ。冗談じゃない。ぎくしゃくしてたのも理由の一つだ。今の僕ならすぐに説明出来た。襟名さんへの気持ちは本物なんだ、って。でもね、言葉ってのは結構信用出来ないんだ。ちょっとしたことで色々おかしくなるし、面倒臭くもなる。


 どうせ告白したんだもの。ここまできたら返事の仕方も決まっている。


「返事して欲し――んぅぅ……っ」


 ファーストキスは何の味? そんなものは分からない。唇と唇が触れ合った感触。ほんのりとあたたかくて柔らかい何か。襟名さんは驚いている。唇を重ね合っているだけ。逃げようと思えば逃げられた。でも、唇はずっと同じ場所にあった。


「……嫌だったら突き飛ばしてよかったのに」


 唇を離した僕は、わざと襟名さんに悪態をついた。もっとムードを大切に出来たらいいんだけどね。残念ながら僕にそんなセンスは無いんだ。好きな人とキスをしてさ、ずっと黙り込んだままでいるなんて無理だよ。だって気まずいんだもの。


「嫌じゃ……なかったから。私も伊勢君のこと……」


 ドキドキするよね。好きな人が僕を見ながら顔を真っ赤にするんだ。その態度だけで何を言いたいのかぐらい分かるんだけどさ、どうせならちゃんと聞きたいよね。好きな人から好きって言葉を聞けたら、この先何があっても乗り越えられそう。


「私も?」


「うっ、うう……っ」


 あと少しなのに。襟名さんは急に言葉を失ってしまった。僕も緊張したからね。襟名さんが今どれだけ大変かってこと、よく分かるよ。でも助けない。僕だって聞きたいんだ。襟名さんの二文字を。お互いの関係性をはっきりさせる魔法の呪文を……。


「私も……何?」


「……伊勢君は性格が悪い」


「知ってる」


 多少評価が下がっても良い。それでも聞きたいんだ。


「…………き」


「えっ?」


「……好き!」


「……誰が?」


「伊勢君なんかだいっ嫌い」


 しまった。からかいすぎた。襟名さんがそっぽを向いてしまった。あまつさえ嫌いとまで言われてしまったじゃないか。どうしたらいいんだろう。土下座かな?


「僕は襟名さんが好きだよ」


 意識はしていなかったんだけどね。無意識に好きだって言葉がこぼれ落ちたんだ。


「……知ってる。私も好きだよ、伊勢君のこと」


「…………うん。ありがとう」


 好きだって言われたくてもさ、いざ言われたら恥ずかしいんだよね。


       *


 結果だけ言うとさ、僕と襟名さんは両思いだったんだ。僕は気付いてなかったけど好きだったみたいで、襟名さんは分かっていたけど言わなかったんだって。もっとすんなりお互いの気持ちに気付けていたら……ここまで苦労はしなかったのにね。


 何はともあれお互いを理解した今は、自然と手を繋いじゃったりふとした拍子に見つめ合ったりしながら下校している。今日も授業は少なくてね。六時間目に体育って書いてあったけど、僕はホームルームの間違いだと思っている。


「よし、着いたよ。襟名さん、今日こそお話ししよう」


 まさか自宅の前でこんなに緊張するなんて思いもしなかった。昔からあるただの古い一軒家。土地はそれなりに広いけど、我が家が裕福かっていうとそうでもない。ご先祖様がちょっとお金持ちだったってくらい。道で百円玉を拾うぐらいの幸運。


「うん……。大丈夫。私、覚悟は出来てるから」


 覚悟も何も話を聞くだけなのにね。襟名さんはどうも緊張しているみたいだ。さっきから僕も緊張しっぱなしだから、あまり人のことを言えないんだけどね。でも仕方ないと思わない? あの時はクラスメイト。それが今は両思いのクラスメイト。


「……襟名さん。もし、僕が暴走しかかってたら思いっきりどついてね」


「……うん。その時はちゃんと……息の根を止めるつもりで……」


 これが二人で交わした最期の言葉だった――なんて未来だけは勘弁して欲しいね。

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