1-5 襟名さんの居る教室
もしも襟名さんと一生会えなかったらどうしよう。僕は帰ってからもそんなことばかりを考えていて、ベッドの上でごろごろ転がっては何度も頭を打った。僕が悩んだところで何も変わらないと気付いてからはぐっすり寝たね。気分は最悪だったけど。
ちょっと憂鬱な気持ちで学校に行ったら教室に襟名さんが居た。入り口で目が合ったのにさ、僕は気まずいやら恥ずかしいやらで目を逸らしちゃったんだ。そこでオハヨウって言って、今まで通りの会話をしたら良かったのにね。
自分が情けなくてさ、今日も僕は生徒会室に逃げ込んだよ。
「――王寺さん、僕はどうしたらいいと思う?」
今日の王寺さんは僕の顔を見るなり仕事を止めた。僕が相談したがっていることに気付いたのかな。丁寧にお茶まで用意してくれたし、どこの国で買ったのかも分からないようなお茶菓子を出してくれた。……後で金を請求されなきゃいいけど。
「まだ女の子が来ないんですの?」
「いや、来たよ。来たけど気まずくて逃げちゃった」
「……女の子に逃げられたということかしら」
「違う。僕が逃げたんだ」
「……そう。あなた、少し顔を近付けてくださる?」
王寺さんは向かいあう僕に顔を近付けて、優しそうな笑みを浮かべた。他の人ならここで恋に落ちるのかもしれない。でも僕は違う。なんかね、嫌な予感がしてた。
「こ、こう?」
一瞬だったね。王寺さんの顔が近付く。そこに僕の顔も近付く。すると王寺さんの手のひらが僕の頬を思い切り叩く。顎が外れるかと思ったよ。文句の一つでも言ってやろうと思ったのにさ、何故か王寺さんが泣きそうな顔をしていたんだ。
「あなたが気まずいのも分かりますわ。ですが、あなたが逃げるのは許されません。その女の子が頑張って登校したのを分かっていますの? あなたがその女の子を嫌っているのなら今のままでも構いませんわ。私は納得できませんが」
王寺さんは泣き顔のまま僕の頬をつねってきた。それがやけに痛かった。
「あなたが仲直りしたいと考えているのなら。その女の子を大切に思っているのなら。それなら……今すぐ教室に戻るべきですわ。人目なんて気にせず、誠心誠意謝ってみせなさい。あなたの気持ちが通じれば……きっと仲直りできますわ」
王寺さんは目元を制服の袖で拭うと、僕を力尽くで立たせた。腕を引っ張って生徒会室の扉まで移動させると、扉を開けて僕の背中をどんと押した。僕はよたよたしながら廊下に出て、王寺さんの顔を見た。その時の王寺さんは笑っていた。
「早く行きなさい。生徒会長命令よ。生徒を傷付けたままだなんて許しませんわ!」
「……うん。ありがとね、王寺さん」
僕だって生徒の一人じゃないのとか。今さっき思いっきり暴力を振るわれたとか。王寺さんに文句を言ってやろうって気持ちはたくさんあったんだけど、背中を押してくれたのは王寺さんだから。今日は悪態をつかなくてもいいかな、って。
襟名さんが。襟名さんは。僕は自分に言い訳をしてた。この気まずさは襟名さんのせいだって。変な人だなんて心外だって。本当はそんなに気にしていなかったのに。
ただ。何故か。襟名さんにそう思われたのが、少しだけ――ううん、違う。かなり嫌で。だから襟名さんのせいにしていた。襟名さんから変だと思われたくなくて、襟名さんが変だと決めつけようとして、何もかも押しつけようとしていた。
僕はエルフに興味がある。ファンタジーが好きだ。だから舞い上がっていた。でも、それだけじゃない。僕が舞い上がっていたのは、襟名さんにここまで興味を持ってしまったのは。それは――襟名さんが襟名さんだからだ。
本当にごめんね、襟名さん。僕のせいで。
*
教室に戻ってすぐ、僕は襟名さんの席に向かった。また居なくなっていたらどうしよう――なんて思っていたんだけど、襟名さんは座っていた。授業の準備をしながら、体調を心配するクラスメイトに囲まれていた。
「……伊勢君? おはよう」
僕に気付いた襟名さんは挨拶をしてくれた。それが凄く嬉しくて、僕は僕の取った行動を恥ずかしいと思った。最初からこんな風に挨拶が出来ていればよかったのに。
「襟名さん」
もう自分に言い訳はしない。二度と嘘は吐かない。誰かのせいになんて、しない。
「僕は……襟名さんに変な人だと言われて辛かった。だからってあんな態度を取っちゃいけないんだけど、どうしても堪えられなかった。襟名さんの前では余裕なんてなかった。これまでも、多分……これからもずっと。僕に余裕なんてない」
ああ、どうしよう。言ってもいいのかな。ここって教室なんだよね。そろそろ授業も始まるし。気付いたら近くのクラスメイトだけじゃなくて、教室中の目線が僕に向いているような感覚。ちょっと怖い。違ったドキドキが鼓動を早めるよ。
でも、今じゃないと駄目なんだ。僕のこの今日の勇気は、明日には無くなっている。
「傷付いたのは本当だし、気にしてないとも言えない。でも、それで良い。襟名さんが今の僕を変だと思っていても、いつまで経っても変なままでも良い」
どうでもいいことなら言えるのに。いざとなったら舌が回らなくなってくる。
「僕は、だって――」
だって? それからどうするの。何を言いたいんだっけ。参ったね。たった二文字。簡単な言葉が出て来ない。喉の奥にしがみついて離れないんだ。みんなよく言えるよね。振り絞って、決心して、そこまでしてようやく出てくる言葉。
「――僕は、襟名さんのことが好きだから」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます