1-4 襟名さんの居ない教室

 襟名さんとの話はどうなったかって言うと、当然話は弾まなかったね。僕は気にしてない……と思いたかったけど、実は物凄く気にしていたんだ。襟名さんも自分の言葉を気にしていてさ、笑顔を貼り付けて僕の顔色を窺おうとするんだ。


「私……帰るね」


 やっぱり気まずそうな顔をした襟名さんが頭を下げて、僕には引き留めることもできなかった。待ってとも言えないし、どうしてなんて聞けるはずもない。だから僕も頷いて、また明日――と返すのが精一杯だった。


 そうして迎えた今日、教室に襟名さんは居なかった。


「お前昨日一緒に居たよな。何か知ってる?」


「まさかお前が何かしたのか?」


 ホームルームが終わってすぐ、僕の日常に小さな波が立った。次々と話しかけるクラスメイトに、ちらちらと僕を見ながら話すクラスメイト。彼らの気持ちも分かる。真相を知りたいのは僕だって同じだ。僕も襟名さんが気になっている。


「襟名さんとは一緒に居た。でも、欠席の理由は知らない」


 今日の教室は居心地が悪い。だから僕は生徒会室に逃げたんだ。


       *


「げっ……」


 嫌な予感はしていた。生徒会室の鍵は開いていたし、そろそろ生徒会の仕事が忙しくなるような話も聞いていた。だからこんな時間に生徒会長が生徒会室に居るのもおかしくない。おかしくはないんだけど……今日は居ない方が嬉しかった。


「言うに事欠いて『げっ』とは何ですか。ここは生徒会室ですのよ」


「うん。その通りだよ。王寺さんの言う通りで文句の一つも言えやしない」


 生徒会長の王寺おうじ陽菜ようなさんは結構なお嬢様で、よく分からない使命感に燃えて自ら生徒会長になった変わり者だ。名前があまり好きじゃないみたいで、いつもヨウナじゃなくてヒナと呼んで欲しいと言っている。どっちでもいいのにね。


「あの時の約束通り、作業の邪魔は許しませんわよ。私が認めたのは、生徒会が利用していない時のみの利用です。邪魔をするようなら鍵も返して貰いますわ」


 王寺さんは少し釣り上がった目をしていて、いつも威圧的だから怖いイメージを持っている人が多い。でも僕はそう思わない。本当は泣き虫で、誰にだって優しくする性格なんだって知っている。だから……どんなに怒られても怖くないんだ。


「邪魔はしないよ。ソファを借りるだけ。できれば今日一日」


 僕はソファに寝転がってぼーっと天井を眺める。そこには何も面白いものなんてないけど、人の目線を浴び続けたり、ひそひそと話されたりするよりはずっと良い。


「あなたね……まだ授業も始まっていないのよ。それにどう言い訳するつもり? 授業を受けたくないから生徒会室で寝転がっていました――なんて言わせないわよ」


「一日ぐらい言い訳しなくても何とかなるって。それじゃお休みなさい」


 眠くはないよ。でもすることがないからね。


「ちょっと! あなた学校を何だと思っ――」


「はいはいすみませんにゃー。ごめんにゃー」


「……っ」


 王寺さんが黙り込んでしまった。一体どうしたのだろう。怒ったのかな。まあいいか。これで眠れる。会話が無ければ邪魔にもならないだろうし。お休みなさい。王寺さんは王寺さんのお仕事を頑張ってね。あ、いびきを掻いたらごめんね。


「全く……。後で鍵は閉めておきますわ」


 邪魔しかしていない僕に対してもこの態度。王寺さんは人が良い。この人の良さなら一つぐらい質問しても怒られないよね。もし怒っても質問には答えてくれるはず。


「王寺さん。女の子を家に招いて気まずくなって、翌日学校に来たらその女の子が休んでたらどう思う? というか、女の子はどんな心境だと思う?」


「……あなた、一体何をしたんですの?」


「それが何もしてなくて。女の子を一人にして、ちょっと離れてたんだよね。リビングに戻ったら――あ、二人でリビングに居たんだけど。そこに戻ったら女の子が外を見ながら『伊勢君は変な人』だって言ってて。気まずくなってお帰りに」


 改めて考えてみると酷い話だなあ。年頃の男女が二人きりになって、どうしてこんなに色気が無いのか。もっと色々あってもいいんじゃないの。


「あなたが変人なのは事実ですわ」


 もう生徒会の仕事を進めるのは無理だと思ったんだろうね。王寺さんは机に広げていた書類を一纏めにして、綺麗に並べていた。生徒会長の席とソファはほんの少し距離があるんだけど、真面目な王寺さんはわざわざソファにまで近付いてきてくれた。


「僕って変人かな。少しは自覚してたつもりだけど」


 寝転がる僕の正面にあるソファに腰を下ろし、王寺さんはため息を吐いた。


「あなたの自覚以上に変人ですわ。お父様の付き添いでこれまで様々な方々とお話しましたが、あなたほど変わった人は他に居ません。ですが――」


 王寺さんは立ち上がるとスカートを手で払い、そのまま生徒会室の扉に歩いて行った。少し話は変わるけど、王寺さんはお嬢様の重圧というものを多少は理解している。だからお嬢様らしい振る舞いというものを日々研究している。


「――あなたは変わっていますが、悪い人ではありませんわ」


 たまにこうして演技がかった仕草を見せるのは、参考にしている映画やミュージカルのせいなんだろうね。こういうところが面白くて、僕はついつい王寺さんをからかってしまいたくなる。そうだね、例えばこんな風に。


「王寺さんは優しいね。僕が好きなの?」


「っ――! あなたなんかだいっ嫌いですわ!」


 力強く開かれた扉からはバタン、と古典的な音がした。すぐにがちゃがちゃと鍵を施錠する音が響いて、これでようやく僕だけになったとほっとした。


「どう接したらいいのかなんて、よく分からないんだよね」


 襟名さんはエルフだ。


 でも、入学式以来仲の良いクラスメイトでもある。エルフだとは思っていたけど、そうだという確信は無かった。だから、僕の中で襟名さんはエルフっぽい女の子だった。それがエルフそのものに変わって、二人の関係まで変えてしまった。


「やだなあ……本当に」


 胸がちくちく痛む。この気持ちが何なのか……その時の僕には分からなかったね。

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