1-3 襟名さんと放課後

 放課後に襟名さんと二人で一緒に居られる。そのことを考えただけで退屈な授業だって堪えられた。いつもは何一つ興味が持てない古文だって、考え方を変えたらヒエログリフみたいなものなんだって思えたんだ。古文は象形文字。良いよね、それ。


 授業終了のチャイムが鳴ってさ、クロブチがホームルームを進めるんだ。どうでもいい話は聞き流して、放課後の予定を考える。襟名さんに何を聞こうとか。襟名さんはどんな生活を送っているのだろうとか。まるでストーカーみたいにね。


「……帰ろう?」


 ホームルームが終わって一人二人とクラスメイトが教室を出て行く中、襟名さんはそっと僕に近付くと僕の腕を引っ張った。なにこれ。まるで彼女みたい。顔を真っ赤にしてさ、恥ずかしいならもっと遠慮したらいいのに。あ、僕は嬉しいよ。


「うん。襟名さんのことを色々聞かないとね」


 そのまま二人ですっと教室を出たら、教室の中に残っていた人達が楽しそうに騒ぎ始めた。付き合ってるの? 知らない。いつから?……ってな具合に会話内容は全部筒抜けだった。でも僕は無視した。襟名さんがますます顔を赤くしそうだったから。


「……伊勢君は、どうしてそんなに強いの?」


 隣り合って歩く生徒で賑わう廊下。耳をこらさないと聞こえないような小さな声だった。僕と話しているなんて知られたくないのかもね。それか、緊張しちゃって声が思うように出ないか。でも、声が小さくても僕は割と耳が良いから気にしないよ。


「強いというか、何も気にしてないだけだよ。言いたい人には言わせたらいい。でも、ごめんね。僕のせいで変な噂を流されたら襟名さんが困るよね」


 僕が強いかどうかはともかく、僕と一緒に帰るだけで噂になると困る。襟名さんみたいに可愛い子が僕のようなやつと噂になると厄介だ。襟名さんが嫌かもしれないし、襟名さんを好きな人から僕が嫌がらせを受けるかもしれない。


「ううん。いいの……。私は困らないよ」


 襟名さんの顔は真っ赤だったけど、困らないと言った時の顔は力強くて可愛らしかった。やっぱり可愛い子って得だよね。ふとした仕草で人を虜にするんだもの。


「良かった。じゃあ……あれ? どうしよっか」


 僕は襟名さんのことを知りたい。だから昼休みに二人きりで話そうとした。でもそれが失敗に終わって、放課後また話そうと決めた。うん。そこまでは分かる。それで……僕はどうしたいんだっけ。一緒に帰るだけ? 立ち話ってどうなの?


「お話……するんじゃなかったの?」


 ほら、襟名さんも困惑してる。そりゃそうだ。何で誘ったんだって話だよね。


「そうだよ。うーん……どこか良い場所知ってる?」


「それ、私に任せるの?」


「うん。だってほら、僕の家に呼ぶわけにもいかないし」


「私は……それでもいい……けど」


「本気で?」


「……本気」


 世の中って不思議だよね。


       *


 冗談だよね? 僕は何度かそう尋ねたんだ。結構教室では話してたけどさ、それは教室だからってやつでさ。同じ場所に居るからこそのやつなんだよね。学校があって、授業を受ける。だから学校に行って教室で出会う。それで会話をする。


 あくまでも主目的は授業なんだ。授業を受ける為に集まった場所で、それなりに知った人と会話を交わす。社交辞令みたいなものかもしれない。でもさ、家だよ。会話なんてどこでも出来るのにさ。僕の家? 一体どういうことだろうね。


「なっ、何か飲む……?」


 本当は自分の部屋に呼んでも良かった。でも家族が居ない状態で部屋に二人きりなんて僕が堪えられそうになかったんだ。それでリビングを使ってるんだけど、場所をちょっと変えたぐらいじゃ気まずさは変わらないんだよね。


「だ、大丈夫。水筒あるから!」


「そっか、はは。そうだよね」


 良かった。意識しているのは僕だけじゃなかった。


「そうだ。ちょっと倉庫に行ってくるよ。だってほら、どうせ話をするなら資料があった方がいいよね。うん。そうだ、そうに決まってる。五分ぐらい待ってて!」


 僕は走ったね。気まずい空気ってやつが苦手なのさ。


「……行っちゃった」


 慌てて走り出した伊勢は意外と足が速かった。体育では手を抜いている姿しか見せていなかったせいで、誰もが伊勢は運動音痴だと思っている。勉強が人並み程度にできるその他大勢の一人。伊勢自身も周りからそう思われていることは知っていた。


(伊勢君と二人きりかあ……。家に連れてきて貰えるだけでもドキドキしてるのに、家族が居ないなんてどうしたらいいの? はあ……。どんなお話をするのかな?)


 緊張してソファに座ることもできず、襟名は窓の外を眺めてため息を吐いた。


「伊勢君って……変な人」


 小さく口角を上げると、襟名は視線をリビングへと戻した。するとそこには大量の本を抱えた伊勢の姿があった。視線に気付いた伊勢は襟名から目を逸らし、襟名は透き通る白い肌を真っ青に染める。気まずい空気は続いていた。


「……よく変人だと気付いたね」


 困ったなあ。本当に困ったよ。倉庫で大量の資料を手に入れて浮かれていたね。これを今から襟名さんと見るんだって。実在しないと言われていたエルフの話を、エルフ本人と出来るんだって。もう感動だよ。感動してたんだ。……本当にね。


「違うのっ! 深い意味は無くて……その、ごめんなさい……」


「強引に誘って悪かったよ。ごめんね、襟名さん」


 僕がどうして強いかって? 多分ね、傷付いたことがなかっただけなんだよ。

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