第1章

1-1 襟名さんはエルフさん

 今日も授業を聞いてもらえなかった。クロブチはそんな目をして教室を出て行った。当たり前といえば当たり前だろう。授業はつまらないものだ。ましてや歴史の授業なんて眠いだけで、過去の過ちを聞かされたって困るだけだ。


「さっきのやつさ、本当にテスト出るかな? 出たらサービス問題だよね」


 尖った耳にやたらと白い肌。妙に体の線が細く、一部の女子からは嫉妬されている襟名さんだ。襟名さんは何故か俺に興味があるらしく、こうやって時々会話を交わす。入学してからまだ一ヶ月も経ってないというのに奇特な方だ。


「出る……んじゃないかなあ」


「やっぱり? だよね! 最初のテストだから良い点取りたいなー」


 何がそんなに楽しいのか、襟名さんはくるくると回っている。どうしても気になって一度聞いてみたら首を傾げられた。どうも本人は無意識らしい。割と目が回る勢いで回ってるよ、とスマホで動画を撮って見せたことだってある。しかしスマホを奪われてしまい、盗撮は駄目だとデータを消されてしまった。理不尽だ。


「襟名さんに前から聞きたかったことが一つだけあるんだけど」


 そう。一つだけ確認しておきたかったことがあるんだ。


「……な、なに?」


「襟名さんってエルフだよね」


「違うよ! 絶対違う!」


 物凄い速さで否定されちゃった。なんだ、僕の勘違いか。そうだよね。異世界人なんて空想上の生き物だし、わざわざ異世界人が地球人の学校に通う意味が無いんだもの。あはは。僕って馬鹿だなあ――って、納得できるはずがない。


「この前見たよ。ハープだっけ。なんか神秘的な楽器。あれを演奏してたよね」


 ふと襟名さんの顔を見ると、額からは小さな雫が垂れていた。暑いのかな?


「ひ、人違いじゃないかなー……」


「いやいや、僕は騙されないよ。他の人達は分からないかもしれないけど、僕の家には昔のファンタジー小説なんかが一杯あるんだ。異世界禁止令が出ても必死に守り通した我が家の家宝だよ。中には漫画もあって、エルフならたくさん見――」


「伊勢君っ! ちょっと付き合って!」


 襟名さんの手がぐいと伸びて、僕の手を掴んで走り出す。引っ張られた僕の体は椅子から離れて、椅子は音を立てて倒れた。それでも襟名さんはお構いなしで、僕を廊下まで引っ張り出す。しかし廊下に出たかと思えば今度は階段まで引っ張られてしまい、あっという間に屋上で二人きりだ。襟名さんは結構力が強いらしい。


「……っ、はあ…………はっ…………」


 急に走らされた僕よりも襟名さんの方が疲れていて、力はあっても持久力は無いんだなあと僕は一人でうんうん頷いていた。その姿がどうやら気に食わなかったみたいで、襟名さんは僕を睨んで小さく唸っていた。


「何も深い意味は無いよ。襟名さんの持久力について考えてただけ」


「……そんなこと気にしないでいいの」


「そうだね」


 襟名さんは両手をうーんと横に広げて、大きく息を吸った。そのままゆっくりと息を吐いて、足りない酸素を必死に取り込んでいる。額だけに浮かんでいた汗は首筋にも増えていて、汗を掻いて深呼吸をしているだけの姿が妙に綺麗だった。


 何から言えば良いのだろう。そんな様子で襟名さんは、餌を欲しがる金魚のように口をパクパクさせながら、僕を見たり目を逸らしたりと忙しない。


「……あのね、私はエルフじゃなくてね」


「騙されないよ。みんなはあっさり騙されてたけど、その尖った耳はエルフの特徴だ。やけに白いのもそう。これはもしかしたら違うかもしれないけど、襟名さんがとびきり綺麗な整った顔をしているのだって、きっとエルフだからだ」


 そうだ。襟名さんはエルフだ。これは間違いない。彼女がどれだけ否定したって、僕はそうだと信じ続ける。勘違いだったら恥ずかしいけどね。


「……仮に。仮の話……。もし、私がエルフだったらどうするの……?」


 襟名さんは俯きながら、上目遣いで僕を見つめる。たまたまここに居るのが僕だけだったから良いものの、襟名さんはもっと自分の魅力について知っておくべきだと思う。うっかり好きになられて困るのは襟名さんだろうに。


「えーと……エルフだったら?」


 ごくり。襟名さんの喉からそんな音が聞こえた。胸に手を当ててじっとしている割には落ち着きがなくて、彼女の足は何度も床を踏んでいた。


「特に何も?」


「特に何も?」


 僕の言ったことを襟名さんがそっくりそのまま返してきた。やだなあ、これじゃまるでミスみたいじゃないか。ん? ミスって何だろう。訳が分からないや。


「うん。うひゃー、エルフだ! ファンタジーだ! 現実すげえ! と叫ぶぐらい」


「……それだけ?」


「うん。それだけ」


「あは、あは……あはははは……よかったあ…………」


 ほっとしたのかな。襟名さんは膝を曲げてそのまま座り込んで、大きな息を吐いた。座る瞬間に制服とは違う色の布が見えたけど、それを言うのは止めておく。襟名さんだって知らない方が幸せだろうし。うん。僕も縞々模様は好きだよ。


「……じゃあ、そろそろ教室に戻っていい?」


 襟名さんが力一杯引っ張ってきたから屋上まで付いてきたけど、実はもうそろそろ次の授業が始まるんだよね。別に授業を受けたいって程じゃない。でもとりあえず着席しておいて、真面目に授業を受けているふりぐらいはしたいんだ。


 でも襟名さんには意外だったんだろうね。きょとんとした顔で僕を見てるんだ。


「何か聞いたりしないの?」


 そりゃね、僕だって色々聞きたいさ。でもね、今は授業を受けないといけない。


「後でたっぷり聞かせてくれたらいいよ。ほら、今は急いで教室に戻らないと」


 そろそろ走らないと授業が始まる。襟名さんを置いていくのもどうかと思うし、僕はそっと彼女の手を掴んだ。一緒に走る。これは効率的だね。しかもほら、先にやってきたのは彼女の方だし。意趣返しってやつだっけ? 使い方合ってる?


「う……うん」


 座っていた襟名さんが立ち上がって、僕と一緒に階段を駆ける。たんたんと床を蹴る音が響いて、廊下を歩く人達が教室に入っていく姿が減っていくのを眺める。おっとチャイムだ。早く着席しないとね。僕はこれでも割と真面目なんだ。


「ねえ、伊勢君」


「なに?」


「そろそろ……手、離してくれる……?」


「……あ、ごめん」


 僕は急いで手を離した。襟名さんと手を繋いでいる姿を見られたんじゃないかって。後で誰かに噂されたら襟名さんが迷惑だろうな、とか。その時の僕はそんなことばかりを考えていた。だから聞こえなかったんだよね。襟名さんの言葉も。


「……私を受け入れてくれて、ありがとう。好きだよ、伊勢君のこと」


 聞こえていればよかったのにね、って……今でもそう思ってるんだ。

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