紳士たる者。
重く分厚い雲が空を覆い、荒波が岩をも砕く日本海の真冬。眠い目を擦りながら、始発の特急に乗り込む受験生。もちろん私でございます。第一志望の美術大学の入試の日でございました。画板、画材を抱え、制服に身を包み電車で睡眠不足を解消する事だけを考えて席に着いたのでございます。元来、何処でもいつでも眠れる私はふわふわのマフラーに包まれあっと言う間に眠りに落ち、ガタゴト揺れる振動が心地よく夢の住人と仲良く会話し始めた頃でございました。
「………………すか?」
話しかけられたような気がして目を開けますと背が高く恰幅のいい白髪混じりの髪に銀色のフレーム眼鏡の紳士が通路に立っておりました。
「隣、よろしいですか?」
……。なんでです??真冬の始発電車。自由席とはいえ、ガラガラですが…??不審に思ったのですが、お断りするのも面倒だったものですから、隣の席を指し、どうぞという仕草だけすると夢の続きを求め目を閉じたのでございました。
再び眠りに落ちた頃、今度はガサガサと新聞を広げる音がしてまいりまして、また現実に引き戻されたのでございました。気にせず眠ろうと思ったのですが、あまりにも、わざとらしい程に音を立てながら紙をめくる音がするので、
『迷惑です!』
と言う意思表示が伝わる程に訝しげに目を開けますと、その紳士はスポーツ紙の破廉恥極まりないページを私に向け、何食わぬ顔で視線を紙面に落としておりました。眠りを妨げられた上に、ほぼ全裸のメロンみたいな胸の婦女子のカラー写真を見せつけられ、穏やかな私も苛立ち始めました…。
『なんと言う恥知らずな…ま、寝てしまえばどうでも良いです』
三度ウトウトし始めた頃でございました。今度はお尻の辺りににモゾモゾと何やら動く気配が…。早朝の静かな車内、皆さん私と同じようにウトウトしている人が大半の車内。にもかかわらず、隣のオッサンときたら(紳士ではなくオッサンで十分です)、なんと落ち着きの無い!!おデブな上に分厚いコートを脱ぎもせずに羽織っているから動く度に私に当たるんですわ。迷惑な。
今度は、あからさまな冷ややかな目線を向け、しばらく窓を流れる景色を見ておりましたが、やはり眠気には逆らえずコクリコクリと夢の中へ…
睡眠を妨げられる事ほど腹ただしい事はございません。私、とにかく眠るのが大好きなのです。何より至福の時なのです。既に3度の安眠妨害を受け苛立ちが募ってはおりましたが、受験に備え、少しでも眠るのが優先でございます!試験中に睡魔に襲われては一大事!今更、お勉強したとて劇的に何かを成せる訳でもございませんし。
そして、また数分の時が流れ…またもや、左臀部にモゾモゾと動くものが…
怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒!
先ほどとは違い、かなり大胆に、座っている私の左臀部と椅子との接地面を尺取り虫風の動きで分け入るように奥へ奥へと進むオッサンの手。あっと言う間に私の左臀部はオッサンの手の甲に乗ってしまっておりました。
『おのれ!お主!やはりその手の輩か!!朝から、受験に向かう、繊細でか弱き女学生に忍び寄り、破廉恥、卑猥の類を見せ、事もあろうに、臀部を触るなどとは!!成敗してくれるわっ!!』
私の怒りは瞬時に沸点を超えたのでございました。
すくっと立ち上がると荷物を纏め、通路に出ますと、オッサンに軽蔑の眼差しを向けつつ
「この人痴漢でーす」
と、車内に響き渡る声で言い放ちました。
前の座席に座ってらした初老のご夫妻が、振り返り、少し離れた場所の青年が立ち上がり、ご婦人3人組が目を見開き、全ての方の目線が、私とオッサンに注がれました。
「この変態!!」
と、もう一言、言い放つと隣の車両へと座席を移動いたしました。
俯き、一言の反論も出来ずにその場に残されたオッサンはその後どうしたのでございましょうか??特急電車故、簡単には降りられませんしね。おほほ。他の乗客の冷たい視線を受け、羞恥心と言うものをお勉強なさってくださいまし。私の存じ上げている叔父さま方は、皆さま『紳士』でございます。美味しいものをご馳走してくださり、行く手にあります扉を開け、階段では手を差し伸べてくださり、重い荷物は持ってくださいます。
紳士たるもの、それがレディに対する態度でございます!!見知らぬ婦女子の臀部を触るなど、言語道断!!
何故そのような残念な歳の重ね方をなさったのでございましょうね。車掌さんに言わなかったのは、私の憐れみでございます。
こののち、年月を隔て、『紳士』の下心にようやく気付き始めた今日この頃でございますが、紳士たるもの、いつも優しく、穏やかに、余裕のある態度で婦女子に接するのが基本でございます。
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