ご祈祷。
旅の恥は掻き捨てと申しますが、神前で何故か赤面してしまったお話をいたしとうございます。
6月の末頃、梅雨の中休みで朝からお日様が輝くとても過ごしやすい日でございました。
実に良い日でございますこと。私はと言いますと、久方ぶりの休日、予定と言えば朝一番に病院で花粉症のお薬を処方していただく事くらいでございました。
休日の日は朝食を食べないので、温かなカフェオレをゆったりのんで、愛犬のご機嫌を伺い、軽く身支度を済ませました。9時に病院に着きましたが、お薬をいただき、会計を済ませた頃には10時を回っておりました。そのまま帰宅しようかと思ったのですけれども、急にお腹が空いてまいりましたので、喫茶店でお得な朝食をいただくことにしたのでございます。
前々から気になっておりましたお店の朝食は4種類ほどございましたが、散々悩んだ挙句、エッグスラットセットと申します、何ともハイカラな名前のものを注文することにいたしました。
「お待たせいたしました。ごゆっくりどうぞ」
の声と共に運ばれてまいりましたのは、可愛らしいガラスの器に、マッシュポテトを入れその上にデミグラスソースをたっぷりかけ、さらに卵を1つ落として加熱したお料理と、トーストで、何とも美味でございました。
『エッグスラット…3分後には忘れてしまうお名前ですわね…。そのお味は忘れませんので、安心なさいませ。』
一人で優雅にいただく喫茶店での朝食と、カフェオレ。爽やかに晴れ渡る空。このまま家に帰ってしまうのも勿体無い気がしてまいりました私は、以前、友達が進めてくれていた隣県の一ノ宮へ出向く事に致しました。
車で小一時間ほど走り、迷うことなくたどり着いた場所は、山間にあり、昨日までの雨のせいか、空気も淀みなく爽やかで、木々は青々としたまだ若い葉を艶やかに茂らせておりました。広い駐車場に車を停め、一の鳥居をくぐると、そこはまるで異空間でございました。樹齢1000年と言われても不思議ではないほどのご神木の数々、凛とした空気、静かで荘厳な石段。そこに生き生きと有る美しい苔。
『なんと見事な。なんと素晴らしい。私の邪念を一瞬にして取り去っていただけたような気がいたします。嗚呼、神様、ありがとうございます。てのは幸せにございます。』
頬に一筋の涙が……流れる事はございませんでしたが、そのくらいの感動に包まれておりました。
苔に覆われた緩やかな石段に木漏れ日が美しく差し込む中を、ゆっくり登りながら、脇を流れる清水のせせらぎに耳を澄まし、足を止めては振り返り、見渡し、大先輩の大木に敬意を払ってはそっと触れ、悟りを開いた聖人君子気取りで本殿に向かい歩んでおりました。
二の鳥居をくぐり、手水舎の清らかな水で手を清めて石段を登りきりますと、目の前にお社がございましたので、世界平和をお祈りいたしました。(私、神様の前に立ちますと、何を申し上げたらよいかわからずに、焦ったあげく世界平和という壮大な事をお願いしてしまう珍妙な癖がございます。。)
『また世界平和をお願いしてしまいましたわ、、このお願いをして、なぜだかいつも、少し反省してしまうのは何故なのかしらん』
などと考えながら、神門を通り抜け、本殿へと進んだのでございました。
本殿にてお参りをして、(今回はきちんと、日頃の感謝と私利私欲にに満ち満ちたお願いをいたしました)おみくじなど引きましてから(中吉、運気は上昇中)広い境内を心行くまで散策しておりますと、社務所にご祈祷受付の文字を見つけました。
『せっかく来たのですから、何かしていただこうかしら?もう少し散策した後に、、』
と、神馬舎を見付けた私はその木彫りの白馬をじっくり鑑賞しておりました。
暫しの時が流れ、ふと、横を見ると神門の前に、ただ者ではない空気を纏った殿方が仁王立ちしており、本殿を微動だにせず強い眼差しで見つめておりました。歳の頃なら30代前半といったところでしょうか。まるでこの国の現状を憂い、この国の未来を按じ、この国を救う決意をしているかの様な、強く、熱いものが溢れ出ておりました。小柄ながら、姿勢が良く均整の取れた引き締まった体型、お洒落七三に黒斑のインテリ風眼鏡、端正なお顔、白地に縦縞の半袖のシャツ、両腕には見事な和彫りの刺青、黄色い石のブレスレット、銀色に輝く時計、仕立ての良い紺色のスラックス。この殿方の目的はなにかしらん?ただ者ではございませんわ!!武士かしらん?現代に生きる侍かしらん??もう私の好奇心をどなたが止められましょうか!!吸い寄せられるように、その方のお近くまで歩み寄りました。近くで見る刺青は、実に見事で美しく(どういうわけか昔から刺青が無性に好きなのでございます。幼少の頃に見ていた遠山の金さんの影響でしょうか??自分の身体に入れようとは微塵も思いませんが、墨を入れた方を見るのは好きなのでございます)左腕には鮮やかな竹と虎、右腕には波、そのお洋服に隠れている全てを見せてはいただけないかしらん。嗚呼、一の鳥居をくぐった時より、私の煩悩と汚れは払われたと思っておりましたのに、、、、なりませぬ!!人様を背後からマジマジ観察するなど、清く正しい婦女子の致す事ではございません!!邪念を払って貰うべく、ご祈祷受付に向かい玉砂利を踏みしめ歩き始めたのでございました。
私がゆるゆると煩悩を振り切るように歩いておりますと、その殿方が私を追い越し、ご祈祷受付に、、、意に反して私はその殿方の後を追う形で受付する事になってしまったのでございました、、。
『貴方様の後を追っているわけではございません、たまたま、偶然にも、同じ場所に向かっているだけでございますからっ!』
何故か、心の中で言い訳をしてしまうのは、少なからず下心がある証でございましょう。
本殿の横にあります建物の中に先に入ったその方は、靴を脱ぎ、下足箱に収めようとしているところでございましたが、何処に収めるべきか思案されているようでした。
『何か、彼なり気遣いがあり思案しているのですね』
後から私が来て、とっとと靴を脱ぎ、目の前の下足箱に、なんの躊躇もなく収めたものですから、少し急かされた気分になった様で、下段の一番隅にその素敵な靴を収めて、無駄のない動きで受付のある部屋へと進んで行かれました。あまり距離を詰めるのも如何なものかと思った私は、廊下に展示してある民芸品などを眺めてから、受付へと向かいました。
入室いたしますと、先に行かれた殿方は受付中でございました。広い待ち合いでございましたが、受付のご夫人以外にはその方と私しかおらず、後ろに並ぶのも何となく気が引けましたので少し離れた場所の椅子に腰掛け待つ事にいたしました。
「今なら間に合いますが、どうされます?次は1時半からになりますよ。」
本殿からは太鼓の音が聞こえており、ご祈祷の儀式が始まっているようでした。
「どうされますか?」
その方は少し考えた後に
「1時半でお願いします」
と答えてらっしゃいました。
「では、お名前とご住所お願いいたします」
「東野 智成 お江戸は業平……」
『只者では、ないとは思いましたが、わざわざお江戸から!しかもお一人で。、益々、興味深い』
盗み聞くつもりなど毛頭ございませんが、聞こえて来るのですから、仕方ありません。
「……なさいますか?」
「………」
「かしこまりました。復唱いたします。東野智成様、お江戸の業平、、、心願成就でございますね」
「はい」
「御寄進は5千円よりとなります」
『心願成就!いったいどのような心願でございましょうか!きっと凡人には思い浮かばぬほどの壮大な心願なのでございましょう!』
全く興味がないふりで待合のテレビに映る芸人さんを見ながら感心しておりました。さて、その方が一旦、外へと出て行かれましたので私も受付をすることにいたしました。
「今日はどの様なご祈祷をなさいますか?」
『あの方の動向に夢中で何も考えておりませんでした!!』
「どの様なものがあるのでしょうか?」
「こちらです」
と、ご婦人が紙を差し出してくださいました。そちらには、
家内安全 身体健全 初宮詣
商売繁昌 病気平癒 七五三
営業繁昌 健康祈願 結婚式
社内安全 無病息災 安産祈願
航空安全 厄除(厄年祓) 学力向上
交通安全 災難除 進学心願成就
工事安全 開運祈祷 合格心願成就
海上安全 心願成就 報賽(御礼参り)
旅行安全 良縁祈願 方除祈願
大漁満足 必勝祈願 虫封祈願
ありとあらゆるご祈願が書かれておりました。これと言って確たる目的もなかった私は思わず
「良縁祈願を…」
と申したのでございました。
「かしこまりました。お名前とご住所お願いいたします」
「あいみての。田舎県田舎市稲賀……でございます」
「稲穂の稲に、祝賀の賀です」
「はい。承りました。御寄進は5000円からになります」
「はい。よろしくお願いいたします」
受付を済ませ、そのまま待合のテレビを見つつ時間が来るのを待ちました。政治家のくだらない揚げ足取りのお話を見ていると、
「それでは皆さま、拝殿の方へご案内いたします」
と呼ばれたのでございました。いつの間にやら先ほどの殿方も戻って来ておりました。案内されたのは、私、刺青の殿方、中年の紳士、1組のご夫婦と思しき男女。計5名でございました。
再び手水舎で手を清め、ぞろぞろと拝殿へ向かいました。最初に足を踏み入れたのは刺青の殿方、恭しく、一礼した後に入っていかれました。皆さまそれに習い後に続いたのでございました。
『何と礼儀正しい事でしょう。今では幻の様な日本男児とは、この方の為にある言葉ですわ』
大太鼓を打ち鳴らし、ご祈祷は始まりました。お腹にまで響いてくる音にしゃんと背筋が伸び、真っ直ぐ心静かに神鏡を見つめておりました。神主さんにお祓いをしていただき、祝詞をきいておりますと、、無知とは恐ろしいものです。
「かけまくもかしこき………」
と、ごく一般的と思われる祝詞が続いておりましたが、
「東野の智成、お江戸は業平より…心願成就を……」
『ふぇ??個人情報ダダ漏れ…しかも受付の順番を鑑みますと次は…私…しかも、良縁祈願!!しかもしかも、でごさいます!ここにいる方々で良縁祈願をしそうなのは私だけ??ふぇ??ふぇ??えーーー!!!なんとも言えぬ、この恥ずかしさ…どういたしましょう!!あの刺青の殿方の国を救いかねない真剣な心願成就の後に、良縁祈願!?!?私利私欲、煩悩の権化、取り消します!取り消します!世界平和をお祈りいたしますぅぅぅぅーーーーー』
と言う心の叫びを他所に
「あいみのての、隣県の西国、田舎県田舎市、い、い、いな?」
『なんて事!しかも、しかも、神主様が地名を読めないと言う失態…もう、もう、私のご祈祷などよろしいので、どうか世界平和をお祈りくださいましぃ』
「あいみのての、隣県の西国……」
『きゃぁぁ、もう一度初めから!?初めからなの!?いやいや、お相手は神様ですよ!?全知全能でございますよ!?全て察してくださいますから、言い直さなくてもぉぉぉ…』
私は、俯き何故か熱を持っていく頬を隠す事も出来ず、耐え忍ぶ事となったのでございました。なんでしょう…この恥ずかしさ…半ば放心状態で、私の為のご祈祷を聞いたのでございました…。
残りの方は商売繁盛と、交通安全祈願、どちらも何だか頷ける内容でございました。それに引き換え、私ときたら…そこそこの行き遅れ感満載の女が、良縁祈願……しかも1人で…必死かっ!?なんでしょう、なんでしょう、このお恥ずかしさ。
その後、巫女さんの舞や、雅楽の演奏などございましたが、私は一刻も早く立ち去りたい心持ちでございました…。
再び、大太鼓が打ち鳴らされ、
「これにて、皆様の、心願成就、良縁祈願、商売繁盛、交通安全祈願滞りなく、神様にお伝え致しました。車の運転などお気をつけてお帰りくださいませ」
トドメのお言葉を頂き、皆さんに続いて拝殿を後にいたしたのでございました……。
『私の願いはいつも世界平和でございますぅぅ……あれだけ連呼されたのですから、私の願いは神様のところへ確実に届いた事でしょう。そうに違いありません……』
と、まだ冷めやらぬ恥ずかしさを抱え、そそくさと駐車場を目指しました。私の先にはやはり、あの心願成就の立派な殿方……。人としての格の違いを感じつつ、先に鳥居をくぐった殿方は、おもむろに後ろを向き一礼なさったのでございました。そこにいるのは、神様ではなく、私利私欲、煩悩の権化、私、あいみてのでございました…嗚呼、何という事。かの方の心願成就さえ、私の穢れの餌食になったのではないでしょうか…。神様、かの方には何の罪もございません。どうぞ私の分まで心願成就のお手伝いをなさってくださいませぇ。私は、自力で頑張ります故、どうか…どうかぁぁぁ……
反面、まだまだその見事な刺青を鑑賞したい欲望を拭い切れないあいみでございました…
お気軽なお気持ちで神様の前に立つものではございません!!
かの方の願いが叶いますように。
嗚呼、お恥ずかしい限り。
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