オッシー君。



 職場の愛すべき頑張り屋さんのご好意により、8月のお盆休みを5日も頂けた私は、実家のある田舎へ帰省しておりました。

 

 高等学校時代からの親友と久しぶりのデートの約束をいたしまして、庶民の味方ファミリーレストランにて待ち合わせをしたのでございます。友達は年中さんになります、可愛い娘さんとやってまいりました。私はこの親子が大好きでございます。お昼過ぎからたっぷりと、会えなかった期間に起こった身の上話などいたしておりますと、あっと言う間に時間は過ぎ、時刻は4時くらいになっておりました。この頃になりますと、さすがに、お子様も退屈してきだします。大変良く頑張ってくれたのでございますが。


「どういたしましょう?」


 と、話しておりますと


「ヤギさんが見たい!」


 そうお子様が仰るので、近くにあります農園へ出向くことにいたしました。農園までは車で15分程です。そちらでは美味しい果物を育て、沢山の葡萄からワインを造り、素敵なカフェも併設されているキラキラした場所でございます。勿論、ご希望のヤギさんも数頭おります。

 次回、私がいなくてもたどり着けるように、曲がる交差点や、目印など説明しつつわいわいと山道を登り、ヤギ小屋のある頂上近くにたどり着きました。

 ヤギ小屋には、白いメスのヤギさんと、その年に生まれた子ヤギが餌をはみはみしておりました。とても人馴れしておりますので、人影を見るや否や、近づいてきて


『草をおくれよ〜』


『その草じゃなくて、そっちだよぉ〜』


『早く、草をおくれよ〜』


『こっちが先だよぉ〜』


『こっちだよぉ〜』


 と、柵の隙間から我先にと顔を出し、おねだりするのでございます。

 小屋の中にも草は生えてるのですが、そちらには見向きもせず、人の手から与えられる草を我れ先にとはみはみするのでございました。


「ヤギさん可愛いでしょ?」


「うん!!」


 なんて可愛らしいお嬢ちゃんなのでしょう。目をキラキラさせてお返事してくれるのでございました。

 しばらく、白ヤギさん達と戯れた後、そろそろ飽きたかしらん?と


「下の小屋にワンちゃんいるから、会いに行く??」


 尋ねてみますと、


「うん!ワンちゃん見るっ!!」


 と、またまた可愛らしいお返事をしてくれたのでございます。


 ワンちゃんは、お散歩中でなければ山の中腹にある作業小屋におります。元々は、害獣対策で飼われていたのですが、自動車を追いかけると言う妙な癖がある為に、お客さんのいる時間帯は犬小屋で留守番しているのでございました。


 私と、友達、お嬢ちゃん3人で車に乗り込み山を少し下りまして、作業小屋に続く短い坂道の下に車を停め、一応、施錠して、ワンちゃんの元に向かいました。


「ワンちゃんのお名前、ルーちゃんって言うのよ〜。」


「ルーちゃん!!ルーーーちゃーん!」


 空は高く晴れ渡り、心地よい風が畑いっぱいの葡萄の葉を揺らしておりました。


 車から降りて30メートルほど歩き、小さな平屋の作業小屋の脇まで、黒柴のお嬢さんの名前を呼びながら来ますと、小屋の入り口に続く木でできた通路に何やら動くものがございました。ノシッノシッと床を軋ませ悠々と現れたのは、雄ヤギのオッシー君でございました。


 !!!!!

 なぜ??なぜ外に??


 オッシー君は、こちらに暮らす唯一の雄ヤギで、作業小屋の隣に立ちますヤギ小屋で悠々自適な一人暮らし中のはずでございます。昼間には畑の脇の草をはみはみ除草している事もございますが、ヤギ小屋にいるはずなのに、なぜ、ここに??

 オッシー君は、この農園で生まれ育っておりますので温厚でとても人馴れしております。が、とは言えども、立派な雄ヤギですから、立派な角も生えておりますし、なかなか大きな体で、顔を上げると私の胸の高さくらいでなかなかな迫力でございます。


 その大きな雄ヤギが、私たちの黒柴ルーを呼ぶ声に反応して、出て来たのでございました。


 多少驚きましたが、ゆるゆるといつものペースで近づいて来るので、ご挨拶に出て来たのですねぇ。と此方に来るのを見守っておりました。

 お子様は興味津々、オッシー君に近づこうと致しましたが、オッシー君がどんな反応を示すか推測致しかねますので、お母さんである親友の後ろに下がるよう指示致しました。

 オッシー君の後ろでは、リードに繋がれた黒柴ルー嬢が尻尾をフリフリ目を輝かせておりました。


 オッシー君はゆるゆると私の前まで来ますと、頭を下げ腰の辺りに顔をスリスリしてまいりましたので眉間を撫で、ご機嫌を伺ってみました。が、実は私、ヤギがあまり好きではございません。あの、なんとも不気味な瞳孔の目が苦手なのでございます。おとなしく撫でられているオッシー君に安心しかけていたのでございますが、足下から ザッッ ザッッ と不穏な音がしてまいりました。

 音の理由をを確認する間もなく(想像はついておりましたが)オッシー君はそのご立派な角の生えた頭を低く下げ、2歩ほど後ずさりますと、前足で地面の砂利をザッッ ザッッと音を立てて掻き、軽く飛び跳ねたのでございます。その姿はまるで闘牛のようでございました。再び軽く飛び跳ね砂利を掻くと、想像通り私に角を向け体当たりしてきたのでございます!!もはや闘牛でございました、、、もちろん私はマタドールではございませんので、その頭突きを甘んじて腿に受けてしまったのでございます、、軽い放心状態の私に背を向けオッシー君の関心は少し離れた場所で、


「ちょっと!!大丈夫!?」


 と声を上げた親友親子に向けられてしまったのでございました。


『ダメダメダメダメ!そっちはダメ!!』


「きゃっ!どうしよう!こっち来るぅ」


「ママァ、怖いよ〜」


 お二人に近づかぬよう、もう一度こちらに関心を向けてくださいまし!!お子様の安全が最優先でございます!!


「オッシー!こっちこっち!こっちにおいで!」


 幸いにも、オッシー君は私の呼びかけに頭をこちらに向け、目を合わせると、またまた軽く飛びはね角を向けて向かって来たのでございます。頭突きもされず、親友親子を安全な場所に逃がす為の方策、、


『角を掴むしかございません!!!!』


『Take the bull by the horns!恐れず正面から問題に立ち向かえ!』


 私の両手は、しっかりと2本の角を掴んだのでございます。力一杯、精一杯、角を掴んでオッシー君の動きを封じるのでございます!!

 角を掴まれつつも、オッシー君は砂利を蹴り、頭を振りと抵抗いたしますが、私も負けるわけにはまいりません。いつ終るとも判らぬ力比べの火蓋が切られたのでございました。

 相手は四本足で地面を踏みしめており、その力は強く、ズリズリとサンダルが砂利の上を滑ります。なんとか踏ん張りながら


「ゆっくり逃げてください!走らないで!ゆーっくりです!」


 ヤギの全力疾走する姿を見た事などございませんが、逃げれば追うのがオスの習性であります。静かに離れるのが正解でしょう。


「車に入っててくださいまし!」


「うんうん。大丈夫??」


「たぶん…とりあえず、、、私はいいから逃げて〜」


 シータがパズーに言うが如く、私は叫びました。この様なセリフを現実に言う日が来るとは!!


「逃げて〜」


「うんうん」


「農園の人いたら、呼んで!」


「わかった!!」


 オッシー君の角を両手で掴み、力比べをしている私を残し、2人はゆっくり坂道を下っております。

 その2人の後ろ姿を見ながら、私は重大なミスに気づいたのでございました。


「きゃぁぁぁぁ!!!車の鍵、私持ったままぁぁでございます!!」


「えーーーーーー!!」


「興奮したら大変ですから、そのまま下に行ってくださいまし!!」


 その間にも、その立派な角に押されながら、ズリズリと砂利とサンダルが擦れる音がしております。


『諦めてはなりません!大丈夫!私はオッシー君に勝てる!勝ってみせるっ!!』


 角の根元を押さえ、なるべくオッシーの顔の振り幅を小さくしながら、力くらべは続きます。普段はおズボンの私が、珍しく踝まであるタイダイ柄の素敵な巻きスカートを着てカラッと晴れわたった夏空の下お出かけして来たのに、なんたる有様!万が一、この巻きスカートの紐がこの死闘により、はらはらとほどけてしまったならば…嗚呼、なんたる惨事…。今日のおパンツは、見られてもよいおパンツだったかしらん?


「オッシー、どーしたの??大丈夫よぉ〜」


 と声をかけてみたりしながら、何とか耐えておりますと、坂道の下から


「助けてくださぁい。てのちゃんがぁ〜てのちゃんがぁ〜」


 半泣きのお嬢さんの悲痛な叫びが届きます。

 あの可愛らしいお嬢さんの為にも私はこのお相撲に勝利しなければなりません!たとえ、巻きスカートが風に乗って飛んで行ってしまったとしても!!


 はっ!ムツゴロウ作戦!!幼少の頃、幾度となく拝見した、熊でも、虎でも、どんな猛獣でも手なずけるあの秘技!!


「よーっしゃあしゃあしゃあしゃあ〜

 よぉ〜しゃあしゃあしゃあ」


 両手でヤギの角を掴み、ムツゴロウさんの真似をする私。


「助けてくぅだぁさぁい〜」


 農園の中心で叫ぶお嬢さん。


 余りにも一生懸命な声に振り返りますと、偶然にも若い殿方が2人歩いておいでではございませんか!!


 嗚呼神様!!

 私は助かるのでございますね!!


「助けてくだしゃぁぁい。てのちゃんがぁぁぁ。てのちゃんがぁ。」


 お嬢さんが必死に訴える声が聞こえて参ります。親友の声も聞こえますが、聞き取るとこはできませんでした。



 砂利を踏む音が近付いてきて、


「あの、大丈夫ですか?どうしたらいいですか??」


 と、呑気な質問をされたのでございました…。


『これが、大丈夫な状況にお見えですか??男ならば、このヤギをねじ伏せ、ひょいと抱えて、ヤギ小屋に放り込みなさいませ!!』


 と内心叫びたい心持ちではございましたが、泣きながら必死に助けてと叫ぶ幼女、ヤギの角を掴み、ムツゴロウさんの真似をするけったいな女、たまたま通りかかっただけの爽やかな青年に頼める事と言いましたら…


「とりあえず農園の方を呼んできていただけますかしら?手が離せないのです」


 ご覧のとおり、私の両手は固い角でいっぱいでございます。


「どこにいますかね?」


「上のお店に誰かいると思うのですが」


「本当に大丈夫ですか?」


『全く大丈夫ではございませんが、貴方方が近づいてオッシー君が更に興奮する方が面倒でございます!!』


 と心の声は叫んでおりますが、出来る限り平然を装いながら


「ええ。なんとか。農園の方をお願い致します」


 そうお答えいたしますと、お二人の殿方は来た道を引き返して行きました。そうして、またオッシー君と私だけになりますと、再び秘技!ムツゴロウ作戦!!を開始したのでございます。とにかく宥めて、この力比べを終わらせねば。


「よーっしゃあしゃあしゃあしゃあ〜

 よぉ〜しゃあしゃあしゃあ

 いい子ねぇ〜

 よーっしゃあしゃあしゃあしゃあ〜

 よぉ〜しゃあしゃあしゃあ」


 お二人の爽やかな青年が立ち去った直後、すうっとオッシー君の力が抜け、頭を引いたのでございます。ムツゴロウ作戦が功を奏したのでございます!!幼少の頃、野球が見たい父親と泣いて叫んで戦い、勝ち取った『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』数十年の時を経て約に立ったのでございます。流石でございます!ムツゴロウさん!ありがとう!ムツゴロウさん!今は何をなさってますか?ムツゴロウさん?

 オッシー君は、そのまま背を向け、小屋の方に歩き始めたので、そーっと後ずさりつつ距離をとり、坂道を駆け下りることが出来たのでございました。


「あ〜〜。ての大丈夫だった?」


「大丈夫です。とりあえず、車へ!!」


「てぇのぉちゃ〜ん」


「ごめんねぇ。怖かったですよねぇ」


「車に入ってねぇ」


 店の方向に歩いていらっしゃった先程の青年に、お騒がせしたことを謝罪している所へ農園長たちがたまたま通りかかってくれたのでございました。あと10分早くきて下さっていたなら、、、


「お〜う。元気か?」


「元気ではございません!オッシー君が外に出てて、お相撲してましたよ!」


「わ〜はっはっ!あいつ、最近、柵を飛び越えて脱走するんだよ〜」


 先程までの出来事をかくかくしかじか、説明致しますと、


「あ〜それ、嬉しかったんですよ〜」


「へ??」


「飛び跳ねるのも、頭突きも、嬉しいとやるんですよ〜喜びの表現ですね〜」


「・・・・・。」




 あれが喜びの表現なのでございますか?闘牛は喜びの余りマタドールに向かって行くのでございますか?

 そんな疑問で頭がいっぱいの私と、安堵で涙目の親子を他所に農園長たちはいとも簡単にオッシー君を捕まえ、小屋に誘導したのでございました。


 うっすらとピンク色に染まりゆく空の下、先程の出来事を興奮気味に身振り手振り話すお嬢さんを乗せ、無事帰宅できる事に感謝したのでございました。


 ムツゴロウさんは偉大なり。



 **************

 沖縄に行ってしまったオッシー君にこのお話を捧げます。

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