お姫様抱っこ。


 これやこの 行くも帰るも 別れては


 知るも知らぬも 逢坂(あふさか)の関


      ***蝉丸***



 この類いの方々は、突然現れ、予測不能な言動をなさいます。運悪く出会ってしまったならば、お嬢さん、お逃げなさい。



 ********************


 まだ青い稲穂が心地よい風に吹かれ、波の様にうねり、サワサワと楽しげな音を奏でる。

 そんな夏休み直前に出会った不埒な殿方のお話でございます。


 ********************


期末試験も終わり、解放的な気分で夏休みの訪れを待つばかり。


お気楽女学生の私は、どの部活動にも属さず、授業が終りましたら即刻帰宅する日々を送っていたのでございます。


 いつもと同じ通学路


 少し長い坂道のカーブを下れば


 家まで続く一本道


 追い風が背中を押すから


 ご機嫌さん


下り坂の勢いで、何処までペダルを漕がずにいけるかしらん。


そんな楽しみを胸に秘め、海から吹く風を背に感じておりました。


一本道のずぅーっと先まで、人も車も見えません。まばらにあります数件の民家と広い田んぼ、杉の木に覆われた山々。いつも通りの田舎道にございました。


 坂道を下りきり、


 さぁこの調子で行け!行け!自転車!


 と、進む私を追い抜いた銀鼠色の(ちょと古風な)国産乗用車が、行く手を阻むように停車したのでございます。


ブレーキをかける事は私の意に反しますので、そのまま避けようと思ったのでございます。ですが、運転席のドアが開き中から若い殿方が降りてまいりまして、私を呼び止めたのでございます。


白いTシャツにジーンズ、若き日の吉田栄作スタイルの方でございました。ドアを閉めこちらを向いたその方、お召し物は吉田栄作風でしたけれども、中身はひょろりと背が高く、うねうねと纏まりのない髪型をされた、貧相なお顔の眼鏡さんでございました。


「あの、ちょっとよろしいですか?」


意に反してはおりますけれども、自転車を止めたのでございます。お困りならば手を差し伸べねばなりません。その様にするのが人の道であると、幼少の頃より教わってまいりました。


「はい?なんでしょう?」


道をお尋ねになるのですね。おまかせください!城址跡なら、こちら。飲食店ならあちら。温泉でしたら、あちらとあちら。と、お返事する準備をしておりました。


「実は、僕、大学生なんですが」


「はい。」


 自己紹介からなさるとは、なんと律儀なお方。さぁ、道をお尋ねなさいませ。どちらに行きたいのですか?


「友達とトランプゲームをしておりまして」


「???はい?」


 仰っている意味がわかりません。唐突に何を?


「そのゲームに負けたバツゲームで、、」


 ????


 わざわざ坂道を下る楽しみを胸に秘めた私を呼び止めて何のお話でございましょうか?

そのような無駄話の為に割く時間はございません。『華の命は短くて』『うつりにけりないたづらに』でございます。


「あの、僕50Kgしかなんですが、貴女はなんKgですか?」


 !?!?!?!?!?!?!?!?!?!?


 、、、、、。

 私の聞き間違いでしょうか??

 この方は、今、この初対面の幼気イタイケな女学生の私に体重・・をお尋ねになったのですか??

 婦女子に体重を尋ねるとは、なんたる暴挙でございましょうか。

 無礼千万!私が武士であったならば、有無を言わさず斬り捨てておりましょう。


 私の体重、、、その数字は身体測定をなさった先生しか知らぬ極秘事項でございます!!

 しかも50Kgと仰いますと、私よりはるかに軽いではございませんか!!


「はぁぁぁいぃぃ??」


これは、嫌味なのでしょうか?何かの憂さ晴らしなのでしょうか?

 返すお言葉も見つけられず、混乱しております私に畳み掛けるように


「あの、お姫様だっこしてほしいんです。出来ますよね?知らない人にお姫様抱っこして貰うって言うバツゲームなんです。できますよね?」


 ぬわゎぁ、、、ぬわゎぁ、、、ぬわゎぁ、、、ぬわゎぁ、、、

 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。


「、、、、、。」


 お姫様抱っこ!?!?


殿方が麗しき婦女子を抱き上げ、婦女子がその殿方の逞しい首に手を回し、頰を紅色に染める。

あのお姫様抱っこのことを仰っていらっしゃるのですか?

私は殿方ではございませんし、ましてや王子様でもございません。

 そもそも、貴方様はお姫様なのですか??

 ご自分をお姫様だと仰りたいのですか??

 それとも、

『僕と貴女を比べたら、僕の方が軽いのですから、貴女が抱き上げるべきですよね』

 と、遠回しに私の劣等感を刺激し、侮辱しているのでございますか?


 私はペダルに足を掛け、一刻も早くこの場を立ち去ろうといたしました。


「バツゲームなんで、お願いします。お姫様抱っこしたことありますよね?」


 くわぁぁぁ。したことがあるかと??これはやはり私に対する侮辱でございますか??

 あるもんかーいっ!



「、、、、、。」


 それの何処がバツゲームなのです?

 むしろ私のバツゲームではございませんか!?

 いいえ、すでに私はこのやり取りで罰ゲームを受けております!!


「友達に怒られるんで、お願いします。僕50Kgしかないんで、大丈夫ですから!」


「、、、、、、」


 意味不明でございます。

 支離滅裂でございます。

 しっちゃかめっちゃかチョモランマ級でございます。

 どうぞ、そのお友達とやらに怒られ、怒鳴られ、蹴り回されて、深海で得体の知れぬお魚のご飯になって二度と浮き上がって来ないでくたさいまし。


「お願いです。お姫様抱っこしてください」


 ええいっ!無礼者!それ以上、こちらに近寄るでないっ!!


「、、、、、、、、、」


 逃げましょう。

 とにかく逃げましょう。

 ペダルに足を掛け漕ぎ出しました。


 振り返ってはなりません!

 決して振り返ってはなりません!


相手はお車です。万が一追いかけられたら大変です。一番近くのお友達のお家までは、150mほどだったでしょうか?


全力でペダルを漕ぎ、お友達のお家の前まで来てから、振り返りますと銀鼠色のお車が引き返し遠ざかって行くのが確認出来ました。


本当に心底安堵いたしました。銀鼠色のお車が視界から消えるのを確認し、あと5分程で着きます我が家へと急いだのでございます。


ようやくたどり着いた我が家の軒先に、白い肌着に作業服を着て、頭にタオルを巻いたいつもの出で立ちの祖父が、農作業を終え、アイスキャンデーを頬張りながら立っておりました。


「おぉう。ての、お帰りぃ。今日も熱いのぉ。アイスキャンデーあるぞぉ。食べ。」


 祖父は、アイスキャンデーが大好きなのでございます。


その声に、また安堵した私はたった出会った不埒な殿方の話をしてみることにいたしました。


「お爺様、今、そこで変な殿方に声をかけられまして、お姫様抱っこして欲しいと頼まれました」


みるみる祖父の顔色が変わっていくのがわかりました。

怒った祖父は私の存じ上げている方々の中で一番恐ろしいのです。

伝えるべきではなかったのかしらん?


「どこや?どこでや?そいつはどこへ行ったんや?」


そう言いながら、腰にさしておりました刃渡り25㎝程のよく研がれた銀色に光る鎌を抜き、振りかざしますと、長靴をプカプカ鳴らしながら走り始めたのでございます。

プカッ プカッ プカッ プカプカプカプカプカ

 全力疾走でございます。お口にはアイスキャンディーが入れられたままでございました。


お爺様!!その鎌であの殿方を襲撃するおつもりですか!?勇敢なお爺様の事ですから、一撃で仕留める事ができましょう。けれども、もうあの不審な殿方はおりません!


「お爺様!!待ってください!もう、その方はおりません!てのも無事帰っております!」


生まれて初めて見た祖父の走る姿に、驚愕するとともに(走る祖父を見たのはこの時が最初で最後でございました。祖父が走る能力を有しているとは思っていなかったのでございます)祖父の深い愛情を感じたのでごさいました。


「まだ、おるかもしれんやろ!斬り捨ててくれるわ!!」


 なんと心強い…。しかし、今は平成でごさいます。斬り捨てるとは、何時の時代のお話ですかっ!その鎌では、斬り捨てる程の威力はございませんよ。


「もう、おりませんと申し上げているではありませんか」


「そんなよそ者は、悪さをする前に捕まえにゃならん!」


 戦前生まれは逞しいのです。


「駐在に行ってくる」


 そう息巻く祖父に


「何かされた訳でもありませんし、大丈夫でございます」


 と、訴え祖父の怒りが鎮まるのを待ったのでございました。


その後、夕食時にも可愛い孫娘に声にかけた不埒者に対する怒りが収まらずに、祖母にあーだこーだ、と話しておりました。


田舎の口伝による連絡網の素早さは、電波よりも早く確実な場合がございます。

翌日の夕方には、かの不埒者の車が何処に止まってただの、走っていただなどと新たな話も加わり、昨日の不埒者の行動がある程度読める程にございました。


田舎の方々は、ご近所の方の家族構成はもちろん、お付き合いされてる方や、遠方のご親戚のお車までご存知なのです。普段見かけぬお車や、人物、動物などにつきましては、朝昼晩と各所で行われます井戸端会議にて報告され、答え合わせや、推理などを交えながら、あっという間に拡散していくのでございました。


結果、かの不埒者のお車は、昼過ぎから、その界隈をふらふらしていたようでございました。お姫様抱っこをしてくれる方を探しておいでだったのでしょう。

 不埒者の情報は既に皆に共有されました。界隈に再び足を踏み入れようものならば、直ちに駐在さんが駆けつける事になりましょう。

 田舎の安全は、お爺様とお婆様達により守られているのでございます。



 それから2日ほど経った、お昼休みのことです。お隣のクラスの瑠美ちゃんが


「ねぇ、聞いてぇ、変な人に会ったのぉぉ」


 瑠美ちゃんは小柄で愛くるしいおっとりさんです。


「どんな人?」


「眼鏡でぇ、細くてぇ、お姫様抱っこしてくれ!って言うのぉぉ」


 あわぁわぁわぁぁ


「銀鼠色のお車ではございませんでしたか?」


「そうそうそーぅ!なんで知ってるのぉ?」


「私も遭遇致しました」


「!!本当にぃぃぃ!?」


「はい」


「抱っこしたのぉ?」


「まさかっ!いたしません!」


「気持ち悪かったよねぇ。びっくりしたぁ」


「、、、体重は尋ねられましたか?」


 うんうんうんうん。と瑠美ちゃんは首がもげそうな程に頷いておりました。


 やはり、、、、、、


 その瑠美ちゃんと私の共通点


 1.丸顔


 2.まん丸な目


 3.ぽっちゃり、、、、


 かの、不埒者の深く仄暗い意図が少しだけ見えた様な気がいたしました、、、、


この類方々は本当に不意に現れるのでございます。


 決して相手をなさらぬよう。


 万が一出会ってしまったならば、


 お嬢さん、お逃げなさい。


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