白い兎



 これは、まだ幼き私が赤いランドセルを背負い小学校へ通い始めたころの出来事でございます。


 その当時、私の父ヒロシ(仮名)は、大変な仕事人間でございました。家にいた記憶がほとんどないほどでございます。いつもは私がすっかり夢の中の住人になった頃に帰宅するのが常でございますのに、その日は私が就寝する前に仕事を終えて帰ってまいりました。滅多に見ない父親を見たものですから、眠気も吹き飛び興奮してしまうのも無理の無いこととお察しくださいませ。


 幼き頃の可愛らしい私が全力で喜び、じゃれ付く姿は父ヒロシ(仮名)でなくともメロメロになったに違いありません。ですが、その日の父ヒロシ(仮名)は様子が違っておりました。じゃれ付く可愛らしい幼き私の相手をせずに、台所に立っておりました母に神妙な面持ちで話始めたのでございます。


「お父さんさぁ、車でウサギをひいてしまったんだ、、、」


「あらぁ。どちらで?」


と母が尋ねると


「小学校の横あたりで急に飛び出して来て、避けられなかったよ〜。真っ白なウサギだった。」


と父ヒロシ(仮名)


「で、そのウサギどうしたの?」


との質問する母を遮り、私は


「ウサギさんどこ?大丈夫なの?」


と思わず尋ねたのでございます。


幼き私にとって、ウサギと申します動物は、その愛らしい姿で人々の心を癒し、大事に飼育される対象でありました。今も世間一般的にはそうだと思われますが。ここを重々踏まえた上で、父ヒロシ(仮名)の答えをお聞き下さいませ。


「あ〜、見たかったか?けど、今にも死にそうだったから、どうしようか考えて、大工さんの所に持って行ったよ。あの人ウサギとか好きだから」


その方は、一緒に小学校へ通う近所のお友達のお父様でした。幼き私は


「じゃあ、ゆうこちゃんの家に行ったらみられるの?」


と無邪気な質問をしたのでございますが、父ヒロシ(仮名)の答えは


「あ〜、もう遅いなぁ。今頃、捌かれていると思うぞ〜。」


!!!!!!!!!!!!!!!!!

  さ・ば・か・れ・て・い・る

!!!!!!!!!!!!!!!!!


幼き私ではございましたが、その意味は理解できたのでございます。


食卓に並ぶお魚と同じ扱いなのでございます。


私は言葉を無くしました。その後も両親は哀れなウサギについて話していたようでございますが、私はショックの余りなのか、月日が流れたせいなのか、何を話していたのか記憶がございません。

 

 そして翌日の朝でございます。いつもの時間に起き、いつものように母にせかされながら身支度を整えていますと、ゆうこちゃんがお迎えに来てくれたのでございます。


幼き私はとても、のんびりやさんでした。その私を優しい一つ上のお姉さん、ゆうこちゃんは自宅の玄関で、時には家の中で、私の支度が終りますのをいつも待ってくれておりました。

ゆうこちゃんはとても綺麗なお顔立ちの快活な女の子で、私の憧れでございました。


「ゆうこちゃん、いつも待たせてごめんね」


と、母が私を玄関先まで連れてまいりますと、ゆうこちゃんは


「おはよう」


と、微笑みをくれたのでございます。


「おはよう。ありがとう。」


と、少し恥じらいながら、私はいいました。幼き私は恥ずかしがりやさんでもございました。毎朝顔を合わせておりましても、何故だか恥ずかしいのでございました。本当にゆうこちゃんはなんて優しいのだろうと、いつも思っていたように記憶しております。


 しかし、ゆうこちゃんのお顔を見た途端に、私は思い出したのでございます。昨夜の哀れなウサギの話を。幼き私は、動揺いたしました。その動揺を隠す努力は怠りませんでしたが、大人になった今現在も他人様に感情を言い当てられますのに、その時の幼き私が、隠せていたとは到底思えないのでございますが。


とにもかくにも、


『あのウサギはもう食べられてしまったのかしら?ゆうこちゃんも食べたのかしら?』


という疑問を打ち消しながら、昨夜のテレビのお話や、面白いお友達のお話をしながら、学校へ向かいました。


 とは申しましても、所詮子供でございます。いつまでも同じ考えを巡らす事など出来ませんもので、学校へ着くころには、すっかり忘却の彼方でございました。ええ。そんなものでございます。ゆうこちゃんと下足箱の前でお別れし、教室へ向かったのでございました。


 それから、その当時の、暴れん坊の同級生たちとお勉強をし、遊び、お勉強をし、遊び、お勉強をし、給食を頂き、遊び、お勉強をし、あっという間に下校時間となったのでございます。暴れん坊たちの奇声が溢れる廊下で、上級生のお姉様方(幼き私にとりましては皆さんとても大人に見えたものでございました)が話している声に、幼き私は聞き耳を立てたのでございます。


「ねぇ、ウサギが1匹逃げたんだって」


『!!!お姉様!今、なんとおっしゃいました??』


「知らないよ。どの子?」


「あの、真っ白な子。わかる?」


『まっ・・まっ・・真っ白・・・と言いますと・・・昨夜の・・』


幼き私ではございましたが、その事実が何を意味するのか、、、理解できてしまったのでございます。


「あ〜一番かわいい子ね。本当に?何処いったんだろう?」


『しかも、一番かわいい、、

あぁ、お姉様・・・その白いうさぎさんは、昨晩、私の父ヒロシ(仮名)の車に跳ねられ、ゆうこちゃんのお父さんに捌かれ、今頃は、、、、、。』


などと、口が裂けても言えません。とてもとても言えません!!そのお話を聞いた時の、幼き私の衝撃はいかばかりか。急に表情が曇り、無口になりました私を、お友達は変に思ったかもしれませんし、心配してくださったかもしれません。しかしながら、学校のうさぎを父親が跳ねた上に、お友達のお父様が食したなどと、学校のお友達に告白できるわけもございません。


「さようなら、、」


と、幼き私は一人家路を急いだのでございました。

幼いなりに悩み、誰かにお伝えすべきか迷いましたが、どう考えを巡らせましても、幼き私の小さき世界の方々の誰にお話ししても、聞いた方が傷つくのでは?という結論に至ったのでございました。

誰も傷つけませんようにと、この事実を誰にも話さず、小さき胸にしまう決意をしたのでございます。 幼き私は可愛らしい上に、実に健気でございました。現在の私に爪の垢を渡しておやんなさい!!


かくして、幼き私は、学校の白ウサギ失踪事件の秘密を抱えて生きる決意をしたのでございました。この秘密はかなり大人になるまで守り通したのでございます。


 いえ。本当の事を申しますと、所詮、子供でございますから、すぐに忘却の彼方だったのでございますが、、、、。


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