結界?



 これは、私がとある盆地の住宅地に住んでおりました時のお話でございます。


 梅雨が明けるか明けないか、とにかく蒸し暑い、茹だる様な日々が続く7月の上旬でございました。盆地の夏はとても暑いのでございます。お風呂場に服を来たままいるような暑さでございます。


 私は毎朝8時すぎに自宅を出まして、徒歩8分ほどの距離にあります最寄り駅に向かうのでございますが、その日は世間一般の方々には休日にあたる日でしたので、駅へと続く道はほとんど人通りもなく、ご近所のご夫人が、植木などに水をやっている姿があるくらいでございました。

 私もお年頃でございますので、日に焼ける事を嫌い、紺色の、淵に白い貝殻模様の刺繍など施されました、上品な日傘を差し、スタコラ歩いておりました。日光を避ける余り、視界は数メートル先が見える程度でございました。そうして、いつもの様に高架をくぐり、どなたかが心なく捨てたファストフードの残骸を避けたりしつつ歩いておりますと、日傘の下から、夏には相応しくない黒い重厚な靴が見えたのでございます。


『はて?』


と、また私の好奇心がうずうずいたしまして、そうなったらもう、夏の日差しも、紫外線も気にしてなどおれません。

『お日様、おはようございます!』

と、日傘を徐々に上げたのでございます。


 広くなっていく視界とともに、その人物の姿も全容を現しました。

 

 先程見た黒い重厚な靴は、なんと!膝まであるロングブーツではございませんか!


『いえ、真夏と言えども、お洒落さんが、ブーツを履きこなす事もございましょう。』


と、視線をもう少しだけ上げますと、そのブーツの上に、同じく黒い膝下10センチほどの長さのタイトスカートの裾がヒラヒラと揺れております。


『私の目には、学校で生活指導の先生が、お召しになっているような冬物の重たいタイトスカートに見えますが、、、。ご冗談でしょう?いえいえ、きっと、この方は、こだわり屋さんのお洒落さんなのです。』


と、私は私を納得させる努力を開始いたしました。

しかし、その方が足を前に出す度に、スカートのスリットからは80デニールは確実にあると思われる、紺のタイツが見え隠れいたしております。


『正気でございますか??午前8時と言えども、私の体感温度は30℃を超えております!!ええいっ!』


と、上半身に視線を移しますと、黒い小さめのリュックを背負い、右手には生ゴミが入れてあると見受けられる(卵の殻が確認できました)某、年中無休四六時中のビニール袋、お尻まですっぽり隠れる象牙色のカーディガン(勿論、長袖でございます。)その内には紺の毛糸のとっくり(これまた勿論、長袖でございます)そして、黒のつば広帽を深く被っていらっしゃるではございませんか。

 しつこいようですが、時は7月上旬、場所は盆地にあります住宅街でございます。連日、猛暑日の最中でございます。毎日、ちびっ子と水遊びをして、カキ氷を食べ、麦酒などをグビグビ飲んで過ごしたい季節でございます。

 あまりの衝撃に、時が止まってしまった私は、立ち尽くしました。しばしの時が流れ


『いえいえ、電車に乗り遅れては、職場の皆様にご迷惑が!!』


と、気を取り直し歩き始めたのではございますが、私の先を行きます、3月の装いのご夫人が、その出で立ちに負けずとも劣らない奇行に出始めたのでございます。


 3月の装いのご夫人は、車道と歩道の間に立ちます電信柱に、おもむろに抱きついたのでございます。


『はてはてはてはて?????これいかに。』


その時の私の口は『ポカーン』という吹き出し付きで、完全に開いていたと思われます。乙女の端くれといたしましては、どなたにも目撃されていない事を願うばかりでございます。

と、同時に、その奇行のおかげで、3月の装いのご夫人のお顔が見えたのでございますが、、、、信じては頂けないかもしれませんが、いえ、既に信じて頂けてないかもしれませんが、これは事実でございます。白いマスクに大きなサングラスという、首から上は完全なる、強盗の似顔絵なのでございます。

 もう、最後まで、心行くまで、観察させて頂きましょう!私は、電車に乗り遅れる覚悟を決めたのでございます。そうして、私は歩幅を3月の装いのご夫人に合わせる事にいたしました。

 そうして、観察を始めますと、左右に蛇行しつつ歩道の脇に立ちます電信柱という電信柱に抱きつきながら歩いているではありませんか!更に興味深いのは、手に持つのビニール袋(生ゴミ入り)を電信柱に抱きつく度に右手から左手へ、左手から右手へと言う風に持ち替えていらっしゃるのです。益々興味津々となりまして、凝視しておりますと、新たな法則に気づいたのでございます。抱きついてらっしゃるのは、電信柱という訳ではございませんで、行く手にある柱という柱、棒という棒すべてにそのようにしているのです。

電信柱、道路標識、鏡すべてでございます。抱きついているように見えましたけれども、よくよく見ますと、柱、棒には、身体が触れぬよう慎重に手を回し、年中無休四六時中のビニール袋(生ゴミ入り)を持ち替えてらっしゃるのでございました。


 『おまじないでしょうか??都を守る結界でも張っているのでしょうか?とにもかくにも、3月の装いのご婦人なりのルールがあるのでございますのね。』


ここまで見届けて、ようやく私の好奇心も満たされたのでございます。本音を言いますと、何故このような奇行をなさっているのか、知りたいのでございますが、そこを知るには、3月の装いのご夫人に直接お尋ねするより他に方法はございません。しかしながら、そのような勇気までは持ち合わせておりませんので、諦めたのでございます。


 さて、好奇心も満たされ、これ以上の尾行は無意味と判断いたしました私に新たな問題が出てまいりました。


『この3月の装いのご夫人を追い越すか否か。』


1・電車には急げば間に合う時間でございます。

2・ぎりぎりまで見届けたい気持ちもございます。

3・しかしながら、この方に背中を見せても大丈夫なのでしょうか?


まず、1と2を天秤に掛け電車に乗る事を選びました。社会人として、遅刻はいけません。

問題は『3』でございます。私はまだ見ぬ奇行を恐れたのでございます。早朝からこのような奇特な方と追いかけっこをするような事態は避けたいですもの。

とにかく、私は周りの状況を確認いたしました。 

車道の反対側に、玄関の掃除をしている御夫人が一人いらっしゃいました。

私たちの前を歩くお嬢さんが一人、その先にもこちらに向かって歩いてくる眠そうなお嬢さんが一人見受けられました。3月の装いのご夫人以外の存在を確認いたしましたので、最悪の事態に陥った場合は助けを求めましょう。と、意を決して追い越す事にしたのでございます。

 この先にあります、電信柱、道路標識などを見まして、私はなるべく距離を取れる場所で追い抜ける様に思案いたしました。次の交差点が最良と判断いたしまして歩幅を調整いたしました。その交差点には、3月の装いのご夫人がおまじないをするべき柱が少なくとも4本見受けられたのでございます。

予想通りご夫人は、律儀なまでに手前の電信柱からおまじないをかけていかれました。私はここぞとばかりに歩く速度を上げたのでございます。

 そして追い抜きざまに、驚くべきおまじないの呪文が聞こえて来たのでございました。


「あ〜。あっつ〜。ほんま、暑いわ〜。なんでこんな暑いねん。あ〜〜。

あ〜あっつ〜。毎日、毎日、暑いわ〜。あ〜あっつ〜。」


『・・・・・・。』


『あなた様の、その格好が、一番の暑さの原因でございます!!!』

と、心の中で絶叫したのでございました。



ええ。世の中には奇特な方がいらっしゃいます。

温暖化による猛烈な暑さが、あの方をこのような奇行に走らせたのかもしれませんが。



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