8月15日 その3

 楽しみにしていた釣りも、皆で原っぱで遊んだ時間も、昼前のあの一件が頭の片隅から離れずに、ずっとこびり付いたまま残っていた。

 楓にはぼうっとしすぎと怒られ、好美には不審がられてしまったが、正直それらにも上手く返事をできていたかわからない。


 それでも体は勝手に動き、晩飯のバーベキュー用の火を起こすのも、食材の下準備も、楽しい夕食の時間でさえも気がつくと終わっていた。

 またしても勝手に動く体は、紙皿やコップを無造作にゴミ袋へ放り込んでいく。


 そうやって片付けに没頭していると、他のゴミを纏めた楓がこちらへとやってきた。


「太一あのさ、本当に大丈夫? 昼ご飯の後からずっとおかしいけど……」


 ゴミを俺へ渡しながら、楓はどこか遠慮がちにそう訊いてくる。

 しかしほいほい他人に話していい内容ではないので、どう答えたものかと言いあぐねていると、楓は話を続けた。


「せっかくのキャンプなのに、太一がこんなんじゃアタシも楽しめないし……」


 着たままのエプロンの裾を掴み、楓は拗ねた子供のように俯いてしまう。

 楽しげに話しかけてくれていたのに、俺が生返事ばかりしていたせいで楓に心配をかけてしまったらしい。誤魔化しがてらに楓の頭を撫でたが、それでも不満は消えないようだった。


「誤魔化されないよ。あの時会長さんに何か言われたんでしょ」

「そうなんだけど……なんつーか、俺もよくわからん」

「え?」


 実際、今までもし本当にそうだったらどうするか、なんて頭の悪い事この上ない思考を巡らせていたのだが答えなんて出なかった。少し前までならそれこそよくある青春の一ページとして、大いに俺の精神衛生を揺るがしたのだろうが、今となっては関心こそあれどむしろ答えなんて求めていないように思えた。


「楓は気にしなくてもいいさ。たぶん何も起きない」

「……そう」


 楓は口では納得する様子を見せたが、その瞳は明らかに俺を非難している。

 けれどもう大丈夫だ。少しばかり動揺しただけで、大事なものは見失っていない。

 この夏休みの始まりにも似たような葛藤はあったけど、それに関してだけ言えば既に答えは得ている。


「別に誤魔化してるとかじゃなくてさ、本当に何も起きないと思うぞ」

「なんでそう言い切れるの?」

「だって、今は楓の方が大事だし」


 それだけは、この夏休みで得た間違えようのない答えだ。

 この広い世界でたった二人だけの仲間。それ以上に大切な存在なんてない。

 それ以上の意味はなかったはずなのだが。


「な、なな、な……」


 俺の答えを聞いて、楓は暗がりの中でも一目でわかるぐらいに顔を赤くしていた。


「……いや、そういう意味じゃないぞ。仲間とかそっちの意味だ」

「わ、わわわかってるよそのぐらい! いきなり言われたから驚いただけ!」


 確かに誤解されるような言い方をした俺もよくないが、いくらなんでも驚きすぎじゃないだろうか。俺にはそっちの好みは無いし、さっきのも仲間とか家族とかに属するって意味だ。実際妹みたいなもんだし。


「全くもう……悩んでたのがバカみたい――」

「さて、それじゃあ本日のメインイベントの開始だ!」


 俯きがちな楓の呟きは、すっかり出来上がってしまった会長さんの謎宣言によって遮られた。昼間の反省も無く、会長さんはワインのボトルを片手に真っ赤な顔でこちらへと目くばせをしてくる。どうやら続きを促せ、ということらしい。


「……メインイベントってなんですか?」

「よくぞ聞いてくれた! さあ諸君これを見たまえ!」


 会長さんはテーブルの下から何かを取り出し、頭上に高く掲げる。それはこのキャンプに出発する前、散々楓へと自慢していた花火の詰め合わせセットだった。


「私からのプレゼントだ! 火には注意して遊べよ少年!」

「はあ、ありがとうございます」


 ネタを知っていたので特に驚きは無いが、とりあえずありがたいポーズだけは取っておく。それを片手に楓の元へと戻ると、獲物でも狩るような勢いで花火へと飛びついてきた。


「ねえ太一! この花火ってどんなの!?」


 さっきまでの気まずそうな雰囲気はどこかへやってしまったらしく、爛々と輝く瞳とまた別の意味で朱を差した頬はいつもの楓そのものだ。その姿は、昼から今まで妙な感覚に囚われていた俺を、普段通りの立ち振る舞いへと戻してくれる。


「やってみりゃわかるさ。姉さんたちにも声かけてこいよ、早くやろうぜ」

「うん!」


 楓は顔を上げるとすぐに、姉さんと好美がいるテントへと駆け出していく。

 その後、やってきた二人と共に各自役割を分担して、花火の準備はすぐに整う。


 すっかり日も暮れ、この原っぱも昼間とは違った景色を見せていた。

 あれだけうるさかったセミはもうすっかり鳴き止み、名も知らぬ虫たちの囀りが辺り一帯に木霊している。


 その中で、目の前で揺れるほんの小さな蝋燭の火だけを頼りにしているというのに、何故か俺の心はとても穏やかなものになっていた。


「はい、どうぞ」


 姉さんが沢山の花火の中から一本抜き取り、楓へ渡す。楓はそれを興味深そうにじろじろと眺めてから、花火の先端についた花びらのような紙を指さした。


「ありがとう。これ、ここに火を点ければいいの?」

「そうよ~。火が消えたらさっき汲んできた水の中に入れてね」

「うん!」


 元気よく応え、楓は花火の先端を蝋燭の火に近づける。紙へ火が移り楓が数歩下がると、この静かな空間に、しゅわりしゅわりと光彩がもたらされる。


「わ、わっ」


 突然燃え始めた花火に楓が驚いている間にも、手にしたそれは本格的に華を咲かせ始め、昼の太陽にも負けない黄金色に輝き始めた。

 さすがに大げさかと思わないでもないが、花火に照らされる楓の顔がそれはもう幸せに満ちていて、自然とこちらの頬まで緩んでしまう。


「わー! すごい綺麗! 見て見て太一!」

「危なっ! こっち向けるな! あとお前尻尾とか髪燃やすんじゃないぞ!」

「あはは! ごめんごめん! 大丈夫だって!」


 火花が足元まで飛んできたので慌てて飛び退くが、楓は全く悪びれる様子もなく、数歩後ろに下がってから手にした花火を振り回し始めた。瞼の裏に残る光の軌跡が気に入ったのだろう、楓は何度も何度も同じように腕を振り回し続ける。


「私もやろうっと。太一もやるでしょ?」

「ん、楓と同じヤツでいいかな。っていうかアレ以外よくわかんねぇ」

「線香花火以外はだいたい同じよね~」


 地面に置かれた花火から楓と同じであろう一本を抜き取り蝋燭にかざす。

 花火はすぐに燃え始め、火薬の臭いと共に楓とは違った色合いで手元を明るく照らした。手持ち花火は毎年やっているが、これだけ広い所だとなんだかそれだけで特別な花火のように思えるから不思議だ。


「……あ」


 燃える花火を片手に遠くではしゃいでいる楓の元へと向かうと、楓の持っていた花火が音もなくその役目を終えて沈黙した。その一瞬だけ、楓は何か大切なものが無くしてしまったような酷く寂しげな表情になったが、すぐに駆けだし燃えカスをバケツに入れると、新しい花火を手に取って急いでそれに火を点ける。


 その動きがまるで、限りある花火を他の誰にも渡したくないなんて、そんな楓の子供らしい一面が見えたような気になり、声をかけずにはいられなかった。


「まだ沢山あるから、そんな簡単には終わらねぇよ」

「……わかってるよそんなこと」


 拗ねたように手元を遊ばせる楓の金色の髪はまばらな光に照らされ、あの祭りの時のように煌めいて、夜風にそよぐ度に花火に負けない光の粒子を振りまいている。


「お祭りの時の花火もいいけど、こっちも綺麗だね」

「……ああ、綺麗だ」

「明日でキャンプ終わりだけど、海はいつ行こっか。早く行きたい」

「そうだなぁ。来週にでも行くか。どうせ暇だろ? 海なら電車で行けるからすぐだしな」


 代わる代わる新しい花火に火を点けながら、ぽつぽつとなんてことない話をする。

 内容はこの夏休みの間の出来事だったり、それ以前の学校の話だったり色々だ。

 俺も楓も花火の光に魅了されて目が離せないので口数は少ないが、決して息苦しくはない。


「そろそろ打ち上げ花火なんてどうだ!? 人もいないし気兼ねなくできるぞ!」

「会長さん酔っぱらいすぎです! 打ち上げ花火は手に持っちゃダメです!」

「あらあら~」


 周囲が騒がしいから、というだけではないだろう。

 口を開かなくても通じ合っているとまでは言わないが、この合間合間の沈黙は気負わなくてもよい安心感がある。

 そしてこの感覚は俺だけではなく、楓の穏やかな表情からも同じように感じてくれているのだとわかった。


 まだ俺達の関係が始まってから二週間しか経っていないというのに、これだけの関係が築けているのなら、それだけでも俺達が出会った意味はあったに違いない。


「君たち! そろそろ打ち上げるぞ! 準備はいいか!」


 俺と楓の花火が同時に大人しくなると、会長さんが蝋燭から離れたところで打ち上げ花火に火を点けようとしていた。

 テンションが振り切れている会長さんにあまり無理はしないようにとの意味を込めて苦笑いで返したのだが、あまり効果はないようだ。


「うお~! いろいろ見つからん! 神隠しか!? それとも窃盗か!?」


 一人でライターがどこかに行ってしまっただの導火線が見当たらないだので大騒ぎしている会長さんのその傍、明暗する光に紛れて姉さんが好美に耳打ちをしているのが見えた。


 姉さんはいつもの笑みを崩していないが、その内容を聞いた好美は顔を赤くして何やら手をぶんぶんと振っている。

 見ている限り、姉さんが好美に何かを持ちかけたようだが詳しい事はわからない。ただ顔は赤くとも、好美の表情は満更でもなさそうなのが気になった。


「何してるんだろうなあの二人……あれ?」


 隣にいるはずの楓に聞いたつもりだったのだが返事がない。

 見れば楓は残り少なくなっていた花火の束から何本か抜き取ってこちらへ戻ってきている途中だった。俺の隣まで来ると、手にしたうちの一本を俺に渡してきた。

 さっきの花火よりも細くて短いそれは線香花火だった。


「どっちが長く続くか勝負しようよ。アタシは負けないけどね」

「経験もないのによく言うじゃねぇか。それじゃ負けた方が罰ゲームな」


 俄然張り切る楓に対抗しようと、こちらも負けじと意地の悪い笑みで揺さぶりをかける。楓はそれに対して同じように悪どい表情で返してきたので、勝負を飲んだとみなす事にする。


「楓ちゃ~ん」


 そうして俺達の戦いの火ぶたが切られようとしたその時、気の抜ける姉さんの声で俺達二人は手を止め、顔を見合わせた。


「戻ってくるまで勝負は持ち越しだからね!」

「はいよ」


 線香花火を持ったまま、楓は姉さんの元へと駆け寄って行く。


 姉さんは楓が近くまで来ると、ニ、三ほど言葉を交わしてから車を停めてある方角へ二人で歩いて行ってしまった。何か忘れものでも取りに行ったのだろうか?


「太一、線香花火やろうよ」


 そんな楓と入れ替わるように、好美が線香花火を持ってこちらに歩いてきた。

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