8月15日 その2
「これで最後か……」
なんとか最後の荷物を運び終わり、俺はそのまま倒れるように空いた椅子に体を放り投げる。タープによって作られた影だが、日差しの下にいるよりよっぽど涼しい。
荷物運びなんてすぐ終わると思っていたのだが、会長さんがいきなり酒を飲み始めたり、地面に置いた荷物に蛇が紛れ込んだりと予想外の事態が多発したせいで予定より遅れてしまった。
「たーくんお疲れさま~。ジュースとかお茶とか色々あるけど何か飲む?」
「あー……、お茶ちょうだい」
「は~い」
姉さんが注いでくれたお茶を受け取り、一気に喉に流し込むとどれだけ体が熱くなっていたのかがよくわかる。一息ついてコップをテーブルの上に置くと、正面でゾンビのような力の無さで背もたれに体を預けた好美と目が合う。
「……大丈夫か?」
「……だいじょばない」
好美の瞳からは完全に光が消え失せている。
ほんのさっきまでは会話もままならなかったし、この調子だと夕方ぐらいにならないと体調は戻らないだろう。
姉さんが好美の分のお茶も目の前に置いてあげるが、それすらも受け付けないのか、またぐったりと項垂れてしまった。
「こんなはずじゃなかったんだけどなぁ。酔い止めも飲んだのに」
「そういう日だったんだろ。荷物運びぐらい平気だし、そんなに気にすんな」
「それだけじゃないよ……、色々と」
「色々ってなんだよ」
好美は俺の疑問には答えず、倒れ込むようにテーブルに体を預け、頭をぐりぐりと擦りつけ始めた。朝からほとんど死んでいたので気がつかなかったが、なんだか今日の好美はいつもと違うような気がする。
プールで会った時と似たような、俺にはうまく説明できない部分が。
「なんでかなぁ。どうして上手くいかないのかなぁ」
「ここに来るまでなんかあったのか? 今日のお前なんつーか変だぞ」
「……なんにも、ないよ」
なんにもないと言う割には、誤魔化し方が下手すぎる。
けれど、これ以上は突っ込んでくるなと言葉の裏に棘を感じたので追及はやめておくことにした。
「なんでも……ないんだ、から……別に……わ、た……」
そのまましばらく黙っていると、好美は何やらもにょもにょと意味不明な言葉を吐き出した後、静かに寝息を立て始めた。
よっぽど消耗しているのか、あっという間に寝入ってしまった。
わざわざ起こすのも忍びないので、音を立てないように静かに席を立つ。
「あら、好美ちゃん寝ちゃったの?」
「話しながら寝た。後でタオルケットかけとくわ」
もう一つのタープに移動すると、そこでは姉さんと楓が昼食の準備をしていた。
姉さんは卓上コンロのようなものを使って卵を焼き、楓はその隣でパンにバターを塗って野菜を乗せている。どうやらサンドイッチを作るらしい。
「まあ散々吐いただろうし疲れたんだろ。寝かせておいてやろうぜ」
「そうねぇ睡眠不足は怖いわ~。あ、楓ちゃん野菜は水気を切ってから乗せてね~」
姉さんは俺と会話しながらもあちらこちらと忙しなく動き、五人分の昼食の体裁をあっという間に整えていく。さっきの好美が寝言交じりに誤魔化そうとしていた、色々って部分を姉さんは知っているかもしれないが、今それを聞くと邪魔になってしまうだろう。
まあ実際大したことではないだろうし、そこまで執着しなくてもいいか。
「と、智代! これでいい……?」
「いいわよ~、それでじゃんじゃん作っちゃってね」
「う、うん!」
そう結論付けた俺の傍らで、楓は深刻そうな表情でサンドウィッチの出来を姉さんに確認していた。重ね方も手つきも不恰好だが、サンドウィッチなんてその程度じゃ味は変わらないのに、全て姉さんに確認を取っている辺りがいじらしい。
「え、えいっ! えいっ!」
なので茶化すのはやめておこうかと思ったのだが、水気を切ろうとレタスを振り回し始めたのでキッチンペーパーの存在は教えておいた。手早く水気を切る俺の横顔を恨めしそうに睨んでいたが、いきなり水しぶきを浴びせられたこっちの気持ちにもなってほしい。
「まあまあ、好美も大変なんだよ。察してやりたまえ少年」
汗ついでにぶっかけられた水滴もタオルで拭っていると、テーブルの対角にいる会長さんがご機嫌な様子で話しかけてくる。いつもより目が細くて熱っぽく、元々美人なのもあって妙に色っぽい。
テーブルの上に大量のビール缶が転がっていなければだが。
「なんだ少年その冷たい目は。私がどうかしたのか? そうだ智代ー、ツマミにできそうなもの作ってくれー。まあ少年座りたまえ」
「会長さん。一回で言い切れる分だけ喋りましょうよ」
イマイチ要領を得ない会長さんの言葉だが、要は喋り相手になれと言いたいらしい。溜息をついて手招きする会長さんの隣に座ると、イマイチ形容しがたいビールの匂いが漂っていた。
「まあまあそうツンケンするな。なんだ、酔っ払いの相手は嫌か?」
「そうですね、シラフでも面倒くさいのに酒が入ったらもっと面倒じゃないですか」
「あはははは! 相変わらず言うじゃないか!」
「いってぇ!」
会長さんはご機嫌なようで、手加減なしで思いっきり背中を叩いてくる。
二発三発と続き、いい加減にしろと会長さんを睨みつけたが、何故か会長さんは笑い顔を捨て真顔になっていた。いきなりの温度差に面食らっていると、背中に置かれていた手が肩に回り、俺の体はそのまま会長さんに引き寄せられる。
「なあ少年」
「なんですか。酒臭いです。あと近い」
美人の顔を間近で見れるしなんなら胸も当たっているが、姉同然の会長さん相手だとそういう気分にもならない。なので頑張って肩に回された腕を外そうとするが手加減していないのか、かなりの力が込められていてびくともしない。
会長さんはそのまま俺の耳元へと顔を近づけ、
「好美がなんで寝れなかったのか知ってるかい?」
なんだかとても意味あり気にねっとりとそんな事を言うのだ。
「知らないですよ。夜遅くまでテレビでも見てたんじゃないですか?」
背筋に走るこそばゆい感覚を堪え、適当に返事をする。俺と好美をくっつけたがる悪癖がまた始まったようだ。何かちょっとでも付け入る隙を与えると、すぐこうやって強引な理論で色恋沙汰に発展させようとする。
今まで何度も否定してきたというのに、本当に懲りない人だ。
「本当にそう思うのか? 別に思い悩んでいる事があるかもしれないだろう?」
「確かになんか悩んでるっぽいですけど、会長さんの思ってるのとは違いますよ」
「またまた。そう言って照れ隠しするから君は彼女の一人も居ないんだぞ」
「あのですね、俺と好美はそういう関係じゃないって言ってるじゃないですか」
愉快そうに笑う会長さんへと、過去何度も放った言葉を投げつける。
どうせここからはお説教よろしく、お前は照れ隠しをしているだの童貞臭いだの散々謎理論を俺に押し付けて、自分が満足するとどこかへ去って行くんだろうと確信していた。
「……違うよ少年。そうじゃない。それは物の見方が違う」
「え?」
だから、すぐ横にいる会長さんがいつになく真面目な顔をしてそんな事を言うものだから、俺はまるでその先が気になるかのような、そんな声を出してしまった。
物の見方が違うということは、別の位置から見れば答えが変わってくるという事だ。
……いやいや、そんなはずはない。
「君は確かにそうかもしれない。けれど見方を変えればそうじゃないんだ」
「いやそんなわけないでしょ。今までだって散々否定してたじゃないですか」
クラスメイトにも会長さんにも、好美はそうやってからかわれる度に顔を真っ赤にして全力で否定していた。だからこそ俺はそう返したのだが、会長さんにとって俺の答えは間違い同然だったらしい。会長さんは明らかに落胆して肩を落としていた。
「……ああもう本当に君たちはまどろっこしいな」
いくら察しが悪かろうと、この後に会長さんの口から飛び出す内容は簡単に予想できた。
つまり会長さんはこう言いたいのだ。
栗林好美は里中太一の事を――。
「いいか、この際はっきり言わせてもらう。好美は――」
その言葉を遮るように、ドン、とテーブルが大きな音を立てて揺れた。
驚いて会長さんから離れると、背後にはいつの間にか姉さんが立っていた。さっきの音は、焼きたてのソーセージが乗った皿をテーブルの上に叩きつけた音らしい。
「ね、姉さん」
「ご要望のあったおつまみで~す。うふふ、楽しいお話の邪魔しちゃったかしら~」
姉さんはいつも通りの笑顔なまま、烈火の如く怒っていた。
楓も会長さんも俺同様に、姉さんの豹変っぷりに怯えている。
「と、智代、あの、これはだなその違くてっていうかどこから聞いてた?」
さっきまでは上気していた頬をすっかり青くして、会長さんは弁明を始める。
わたわたと手を動かして要領の得ない事を言う会長さんに、姉さんはクスリと小さく笑った。
「どこからでしょう~。それと、お昼を食べたら少しお話しましょうか~」
有無を言わさぬ迫力で迫る姉さんに、会長さんは目に涙を浮かべて首を縦に振るしかない。
会長さんが話題にしたのは、どうやら姉さんの逆鱗に触れるものであったようだ。
通りで好美の体調を聞いた時、妙に睡眠不足ってところを強調してくるはずだ。
やはり姉さんは全て知っているらしい。
「うふふ、それじゃあお昼にしましょうか。楓ちゃん取り分けてくれる?」
「は、はい!」
姉さんの迫力に気圧されていた楓は耳を勢いよく立て、急いで紙皿を人数分用意し始める。そこに姉さんも加わったのだが楓との距離がさっきよりも離れているのは気のせいではないだろう。隣の会長さんも委縮してすっかり大人しくなってしまった。
「好美は――」
ただの呟きだったのに、またしてもテーブルが轟音と共に揺れる。恐る恐る顔を上げると、そこには姉さんがさっきと変わらず笑顔のままこちらを見下ろしていた。
「たーくん、これ以上は言えないけど、今それを考えるのはおススメしないわ」
だが、いつもはこちらを和ませる語尾が伸びていない。細められた目の奥に何やらとてつもない怒りの炎が見えるし、相当頭に来ているのだろう。
「……もう、昼飯できたんだ」
よって、俺は姉さんを刺激しないように頭を垂れる他なかった。
「物分かりがいい子は好きよ~。さあ、お昼にしましょうか~」
俺の返事に満足したのか、姉さんはコロっと普段の調子に戻ると、踵を返して火にかけっぱなしだったスープを取りに行った。
そうして若干ギクシャクしながらも昼食は始まり、サンドイッチを口に運びながら、俺はなるべく顔に出さないようさっきの事を考えていた。
今日の好美の様子、会長さんの意味深な言葉、姉さんの圧力。
見方を変えれば、と会長さんは言った。
誰かの名前を出すと、姉さんがそれ以上はやめろ、と言った。
つまりそれは簡単な話で。
たぶん好美は、俺の事が好きなのではないだろうか。
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